- Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043417018
作品紹介・あらすじ
人は今、何をどう食べているのか、どれほど食えないのか…。飽食の国に苛立ち、異境へと旅立った著者は、噛み、しゃぶる音をたぐり、紛争と飢餓線上の風景に入り込み、ダッカの残飯からチェルノブイリの放射能汚染スープまで、食って、食って、食いまくる。人びととの苛烈な「食」の交わりなしには果たしえなかった、ルポルタージュの豊潤にして劇的な革命。「食」の黙示録。連載時から大反響をよんだ感動の本編に、書き下ろし独白とカラー写真を加えた、新しい名作文庫の誕生。
感想・レビュー・書評
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食を通じた世界各地、場末の、戦場の、極限の、苛烈な記憶の中の食と生のルポ。1992年末~94年春にかけて、バングラデシュ、フィリピン、タイ、ベトナム、ドイツ、ポーランド、クロアチア、セルビア、オーストリア、ソマリア、エチオピア、ウガンダ、ロシア、ウクライナ、そして韓国を取材したもの。
う~ん。著者の素直な感想が綴られているだけなのだろうが、ジャーナリスト臭い語り口がプンプン。もったいぶった言い回し。どうだ、というような上から目線の思わせ振り。著者の見方を強制される強引さ。傍観者なのに無責任に踏み込んだコメント。こういう文章、素直に受け取れないなあ。名著と高く評価されている本のようなのだが…。読み方、ひねくれてきたのかな?詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
紀行文・旅行記として読んだが、テーマは「食べること」である。
旅行の行き先と、そこで食べるものは、普通でないものが多い。例えば、バングラディッシュ・ダッカで残飯を食してみる。統一直後のドイツの旧東ドイツ側の刑務所で、囚人が食べる食堂の食事を試してみる。チェルノブイリで放射能に汚染されたスープを食べてみる。全て意表をつく場所と食事が選択されている。
それは、なかなか面白いのであるが、私は「ノンフィクションにおける時代」ということについて考えさせられた。本書は、もともと1994年6月に刊行されたものであり、刊行から30年程度が経過している。筆者は、ベトナムのハノイからホーチミンまで48時間かかる長距離列車に乗り、列車の中での食事について書いている。私は、1992年にホーチミンに行ったことがあり、また、2010年代にはホーチミンを再訪し、また、2019年にハノイを訪れている。その間にホーチミンは大きく変わっているし、ハノイも大きく変わっているはずであり、その間を結ぶ長距離列車の様相も変わっているはずだ。私がこの本で読んでいるのは、1990年代前半のベトナムという国のある側面についての描写であり、それは、これを読んでいる現在では、既に存在しないというか、少なくとも大きく変わっているはずだ。
何十年も前のことを題材にしたノンフィクションを今になって読んでも、とても面白く読めるものも多いだろう。それは、例えば、第二次大戦のような史実をベースにしたもの、あるいは、大きな事件を題材にしたもの、そういったものは、その時点の事実そのものを読む対象にしているのだから、いつ読んでも時の影響を受けにくいはずだ。一方で、この本のように、「その時々の、その場所の、そこに住んでいる人の様相」的なものには、読むにあたっての「旬」とか「タイミング」が存在するのだろう。
「今はこのような光景はなくなっているのだろうな」と思いながら読むのは、やはり面白さを減じる。 -
小田実の『何でも見てやろう』を彷仏とさせる世界紀行。何でも食ってやろう。そして、その情熱に纏わる事件を楽しもう。
目的をもって旅をするのは良いものだ。何かしらのロールプレイングゲームみたいだ。私も昔、世界中の猫のグッズを購入しようと旅の目的にした事があったが、そんな事を思い出した。
さて、それは良いとして、本著に登場する食べ物を紹介しておこう。ダッカの残飯、ピター、ジュゴンの肉、スズメ、ドイツの囚人食、塩コーヒー、ロシア軍の給食、択捉島のカーシャ、エイズ村のマトケ、などなど。著者ではないが、人間を食べた話も出てくる。感慨深い。
美味しそうに感じたのはジュゴンの肉くらいか。美食を楽しむというより、ゲテモノを味わうマゾヒスティックな旅だ。そう言えば、私も一時期、日本でゲテモノを食べられる店を探しては挑戦した時期があった。好奇心の赴くままに、何故か昔の挙動を思い出した本だった。 -
壮絶。ここまで探求できる何かがあるだろうか。
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読んだのはもう20年ほど前。でもいまだに読んだときの衝撃は残っている。
自分の知らない世界がまだまだあって、知らないじゃすまされないんじゃないかと思った記憶が鮮明に残っている。
高校生、大学生の若者にぜひ読んでもらいたい。 -
人は何かを食べて生きている。世界中の人々の「食べる」という行為を描写しながらその奥にある文化や宗教や価値観や生活その他すべてを浮き上がらせていく。辺見庸さんの文章が好き。
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20世紀末の1992年末~94年春にかけての世界様々な「食」を体験したルポルタージュ。
もう懐かしい、時代。ベルリンの壁が無くなってすぐの頃。「ブラックホーク・ダウン」の舞台で映画で描かれていた当時のモガディシオ。ソ連崩壊で不景気に突入したばかりのポーランド、レフ・ワレサ、ユーゴ紛争、ボリス・エリツィン…通り過ぎてしまったが忘れがたいある時代を「食」で切り取った本。
私は郷愁を感じつつ読んだ。
21世紀も1/5過ぎたが、歴史書と言うにはまだ生臭い当時の空気感を味わいたい方におすすめ。 -
【「食」から見えるもの。ミクロからマクロを知る。考えさせられる本。貧困、戦争、チェルノブイリ、組織の腐敗、慰安婦など。】
【"見えない像を見る、聞こえない音を聞く"】
1992-1994。世界の色々な地域についての「食」のルポタージュ。食を通して見える、社会情勢や問題。今は、当時と状況が違う部分もあるだろうが、重く考えさせられる本。
[特に心に残ったルポタージュ]
・人の食べ残しを売り、残飯飯を食べる人々
・残留日本兵による、島民殺しと人肉食の悲劇
・紛争地域の飢え↔︎各国軍の豪勢な食事 など。
・慰安婦の方たちの章
[今だからこそ読みたい章]
・兵士はなぜ死んだのか
(1993年ロシア軍新兵の栄養失調死の原因)
[考えさせられた言葉] -あとがき-
ソマリアの、死期の迫ったエイズ患者の少女に対しての著者の言葉。
「G7的世界観が心底ばかばかしくなった。(中略)
ここにいま、世界の密やかな中心があると私は考えたのだった。世界の中心であることを標す巨大モニュメントを建てるとしたら、(中略)ここであるべきだ、と。」
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いきなり残飯食堂から始まる、世界を食から眺めたルポタージュ。
その初回のテーマからわかる通り、食といっても"世界料理紀行"といったお綺麗なものではなく、もっと下世話な、社会の不条理の中でそれでも何かを食べながら生きてゆくひとびとの、もがく姿の記録。
連載当時衝撃を受けた覚えがあり、数十年ぶりに製本版を手に取ったが、残っていたイメージと違いもっと洒脱な、冷徹というよりも感傷的な感じを受けた。初読のころから時がたち、それだけ自分も擦れたということか。
筆者の貴重な体当たりの記録を、過度にまじめにならずに眺めるといいと思う。
著者プロフィール
辺見庸の作品






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