もの食う人びと (角川文庫 へ 3-1)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043417018

感想・レビュー・書評

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  • 辺見庸氏が世界中に出かけ、その土地ならではの食べ物を食べる紀行。決してグルメレポートではない。時は1992年から1994年。バングラデシュで残飯を食べ、ドイツの刑務所で囚人食を食べ、飢餓のソマリアやエイズのウガンダを訪れ、戦争時の人肉食や従軍慰安婦の記憶に触れる。普通に食べたい物を食べられるのが、なんと幸福なことだろう。

  • 紀行文・旅行記として読んだが、テーマは「食べること」である。
    旅行の行き先と、そこで食べるものは、普通でないものが多い。例えば、バングラディッシュ・ダッカで残飯を食してみる。統一直後のドイツの旧東ドイツ側の刑務所で、囚人が食べる食堂の食事を試してみる。チェルノブイリで放射能に汚染されたスープを食べてみる。全て意表をつく場所と食事が選択されている。

    それは、なかなか面白いのであるが、私は「ノンフィクションにおける時代」ということについて考えさせられた。本書は、もともと1994年6月に刊行されたものであり、刊行から30年程度が経過している。筆者は、ベトナムのハノイからホーチミンまで48時間かかる長距離列車に乗り、列車の中での食事について書いている。私は、1992年にホーチミンに行ったことがあり、また、2010年代にはホーチミンを再訪し、また、2019年にハノイを訪れている。その間にホーチミンは大きく変わっているし、ハノイも大きく変わっているはずであり、その間を結ぶ長距離列車の様相も変わっているはずだ。私がこの本で読んでいるのは、1990年代前半のベトナムという国のある側面についての描写であり、それは、これを読んでいる現在では、既に存在しないというか、少なくとも大きく変わっているはずだ。
    何十年も前のことを題材にしたノンフィクションを今になって読んでも、とても面白く読めるものも多いだろう。それは、例えば、第二次大戦のような史実をベースにしたもの、あるいは、大きな事件を題材にしたもの、そういったものは、その時点の事実そのものを読む対象にしているのだから、いつ読んでも時の影響を受けにくいはずだ。一方で、この本のように、「その時々の、その場所の、そこに住んでいる人の様相」的なものには、読むにあたっての「旬」とか「タイミング」が存在するのだろう。
    「今はこのような光景はなくなっているのだろうな」と思いながら読むのは、やはり面白さを減じる。

  • 情景の中からドラマを切り抜くのが上手。観察眼と表現力に優れている。
    時代と場所が変わっても世界のどこかで同じようなドラマが繰り返され続けているのだろう。

  • 20世紀末の1992年末~94年春にかけての世界様々な「食」を体験したルポルタージュ。
    もう懐かしい、時代。ベルリンの壁が無くなってすぐの頃。「ブラックホーク・ダウン」の舞台で映画で描かれていた当時のモガディシオ。ソ連崩壊で不景気に突入したばかりのポーランド、レフ・ワレサ、ユーゴ紛争、ボリス・エリツィン…通り過ぎてしまったが忘れがたいある時代を「食」で切り取った本。
    私は郷愁を感じつつ読んだ。

    21世紀も1/5過ぎたが、歴史書と言うにはまだ生臭い当時の空気感を味わいたい方におすすめ。

  • いきなり残飯食堂から始まる、世界を食から眺めたルポタージュ。
    その初回のテーマからわかる通り、食といっても"世界料理紀行"といったお綺麗なものではなく、もっと下世話な、社会の不条理の中でそれでも何かを食べながら生きてゆくひとびとの、もがく姿の記録。

    連載当時衝撃を受けた覚えがあり、数十年ぶりに製本版を手に取ったが、残っていたイメージと違いもっと洒脱な、冷徹というよりも感傷的な感じを受けた。初読のころから時がたち、それだけ自分も擦れたということか。

    筆者の貴重な体当たりの記録を、過度にまじめにならずに眺めるといいと思う。

  • 世界各国の食事風景から見える人間の歴史。旅の理由、取材の目的である「食事」を目当てに追う姿はストイックであり同時に傲慢だとも思う。人々を救う為に各国から派遣され、飢えに苦しむ現地民を横目に豪華な食事を楽しむ軍人達と同じく、富める者の目で見るドラマティックな悲劇。その土地で暮らすしかない、一時的な施しに腹を満たす人々を置いて、旅は続く…。
    知る事は大事だ。しかし、取材と称し一時的に立ち入り、聞き出し、広める事の残酷さ。ノンフィクションにおける(無意識でも入る)美化の問題なども考えさせられる。それだけ文章が上手い、という事でもあるのだけれど。

    30年近い時を経て、哀れみを抱く自分も本当の飢餓を知らないうちは富める他者の側に入るのだろう

  • 生きてる不思議を見つめ直せる本。

    何かを食べることは
    何かを殺すことで
    明日を生き延びることは
    今日を諦めないこと

    そんな考えが頭を過ぎていった。

  • 食べる。いつも、あたりまえに 食卓に 座り 頂く。しかし、世界中には 生きるために 食べる。その、直面した 人々の 生活力に 圧倒されます。飽食の今‼ 是非 一読の価値あります。

  • 世界中の食を巡るルポ、のはずだけどそう生易しいものでもない。
    人が生き物に最も立ち返る「食らう」という行為を通して世界の負の面を
    咀嚼する。そんな作品。

    一つ一つの話はあっさりしてる。

  • あとがきに触れている感想が多いので、次は文庫版で再読したい。「古井戸に石でも投げ入れるような、二度とはできない罪深い仕事」の言葉がまた罪深いように思う。

著者プロフィール

小説家、ジャーナリスト、詩人。元共同通信記者。宮城県石巻市出身。宮城県石巻高等学校を卒業後、早稲田大学第二文学部社会専修へ進学。同学を卒業後、共同通信社に入社し、北京、ハノイなどで特派員を務めた。北京特派員として派遣されていた1979年には『近代化を進める中国に関する報道』で新聞協会賞を受賞。1991年、外信部次長を務めながら書き上げた『自動起床装置』を発表し第105回芥川賞を受賞。

「2022年 『女声合唱とピアノのための 風』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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