いまここに在ることの恥 (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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本棚登録 : 106
感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043417117

作品紹介・あらすじ

脳出血、そして大腸癌と、ある日突然、二重の災厄に見舞われた著者が、恥辱にまみれた「憲法」「マスメディア」「言葉」「記憶」……を捨て身で書き抜く、思索の極限。いま、私たちは何を考えるべきなのか!

感想・レビュー・書評

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  • ブログに感想書きました。
    「恥を感じ入り襟を正す」
    http://zazamusi.blog103.fc2.com/blog-entry-1259.html

  • ーー彼らは羊のように従順にただ黙って聞いていた。…やつら記者は「糞バエ」だ。(p.106)
    ーー問題は私たちの外側にある、たんに強権的なファシズムではない。そらを自然に受容する私たちの内側にあるファシズムではないかと思うのです。(p.118)

    クッツェーの『恥辱』からの流れで読んじゃったけど、こっちの方がよほど捨て身。かつ、怒ってる。めっちゃ怒ってる。15年前、職場の先輩がこれを読んで「相変わらず怒ってるよ」と言っていた意味がようやくわかった。恥ずかしながら、辺見庸さんは『もの食う人びと』しか読んでいなかったので、その時は先輩のその言葉にピンと来なかったのだ。
    にしても、また『1984年』が引用されている。すでにディストピアなの、21世紀???と思ってしまう自分は、だいぶこの状況に麻痺してプロール化してるんだろうと思うと、震える。だって、「神の国」発言の後の内閣支持率が8%まで落ちたことも、その後の小泉政権の支持率が80%超えたことも、今の今まで忘れてたもの。あの時、私も相当怒ってたはずなのに……「感動した!」という思考停止の決め台詞を世に流布させた罪に怒り狂っていたはずなのに……

  • 初読。読む前にはタイトルの意味がよくわからなかったが、読んでみると、内容はタイトルそのものズバリだ。病を経たからこその激烈さの源に恥があり、その恥を自覚しつづけることで戦い続けていく。毎回同じような感想を書いているが、辺見さんが自分自身に突きつける刀の鋭さには敬服する。

  • 印象に残っている部分

    「「今きみが語っているその語りかた、それが倫理だ」とジョルジュ・アガンベンは表現しています。なにげない語り口に、罪ならぬ罪も、恥ならぬ恥も、そこはかとなく滲むものです。私はいま、それをつよく意識せざるをえない。他者にも自己にも」(p100)

    「もし憲法を語るなら、憲法に保障された表現の自由を語るなら、あるいは思想および良心の自由を語るなら、なにものか聖なるものにまつらうのではなく、意識的に瀆神しなければならない。われわれの内面にある「開かずの間」をこじ開ける必要がある」(p140)

    2006年、たしか安倍晋三が一回目の首相をしていた(そして情けなくも退陣した)時期の本であるが、今も、というか今こそアクチュアルな内容である気もする。

  • 世界各国を取材してきた著者ががんと脳出血を患いながら、
    深い自省をするとともに、社会を痛烈に批判する内容。

    通信社の国際部記者と言う立場で、各国の凄惨な情況を取材し、
    自分は空調のきいた小奇麗なホテルの一室から日本へ打電する。

    彼が様々な国で視て打電してきた「死」の際に、
    著者自身がまさにいま立つことによって、表題となっている「恥」について、
    深い洞察をもって自省できるに至ったのだと思う。

    強い人だなぁと思うのは、
    死の際で、自分の過去の加虐性、罪悪についてあそこまで自責しながら、
    決して怯むことなく、政治を、歴史を、社会を、思想を、市井を、
    徹底的に、建設的に、そして苛酷なまでに辛辣に批判し続ける。

    衝迫にかられた「書く」という行為の珠玉の作品。

  • 僕らはモノを知らない。知らされない世界で生きている。そしてそのこた自体に気づくことなく漫然と日々を過ごしている。
    でも、外の世界では様々なことが起きていて、血が流れ、心は壊され、そんな中で食料や水の代わりに尊厳や矜恃をもって底辺で生きている人がいる。
    僕らが感じなければいけないのは、平和に対する感謝や、今日が無事に終わったことの安堵や、出世や金ややりがいなんかじゃなく、知らなくちゃいけないことを知ろうともしないままいる今に対する「恥」なんじゃないかな。

  • 歴史の中、あるいは世界のどこかにある苦しみ、生々しい現実が、
    私たちの実存につながっている。
    にもかかわらず、それを傍観する、いや傍観しようとさえしないのが私たちだ。これは恥辱である。
    日本のファシズム、日本人の内側にあるファシズムによって私たちは日常の至る所にある恥辱を忘れている。
    私たちは、嘲笑されようと、愚直に必死に実存をかけて考えて行くべきなのだ、と。

    稚拙な語彙では到底表現しえない程の重みでした。涙が出ました。
    「恥辱」か。
    言葉から考えて、考えから行動につなげないといけない。

    この本で一番考えたのは、「つたえること」が果たして、今の日本を、世界を、社会を変えるのか。
    記者でいた辺見庸は途方もないほどの無力感と恥辱を感じたんじゃないか。

    ううん・・。もっと辺見作品を読もうと思いました。
    この本も、まだまだ読み切れていないので、まだ必ず読みます。

  • 再読する

  • 辺見庸さんには頑張って欲しい。

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著者プロフィール

小説家、ジャーナリスト、詩人。元共同通信記者。宮城県石巻市出身。宮城県石巻高等学校を卒業後、早稲田大学第二文学部社会専修へ進学。同学を卒業後、共同通信社に入社し、北京、ハノイなどで特派員を務めた。北京特派員として派遣されていた1979年には『近代化を進める中国に関する報道』で新聞協会賞を受賞。1991年、外信部次長を務めながら書き上げた『自動起床装置』を発表し第105回芥川賞を受賞。

「2022年 『女声合唱とピアノのための 風』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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