- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043417117
作品紹介・あらすじ
脳出血、そして大腸癌と、ある日突然、二重の災厄に見舞われた著者が、恥辱にまみれた「憲法」「マスメディア」「言葉」「記憶」……を捨て身で書き抜く、思索の極限。いま、私たちは何を考えるべきなのか!
感想・レビュー・書評
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ブログに感想書きました。
「恥を感じ入り襟を正す」
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ーー彼らは羊のように従順にただ黙って聞いていた。…やつら記者は「糞バエ」だ。(p.106)
ーー問題は私たちの外側にある、たんに強権的なファシズムではない。そらを自然に受容する私たちの内側にあるファシズムではないかと思うのです。(p.118)
クッツェーの『恥辱』からの流れで読んじゃったけど、こっちの方がよほど捨て身。かつ、怒ってる。めっちゃ怒ってる。15年前、職場の先輩がこれを読んで「相変わらず怒ってるよ」と言っていた意味がようやくわかった。恥ずかしながら、辺見庸さんは『もの食う人びと』しか読んでいなかったので、その時は先輩のその言葉にピンと来なかったのだ。
にしても、また『1984年』が引用されている。すでにディストピアなの、21世紀???と思ってしまう自分は、だいぶこの状況に麻痺してプロール化してるんだろうと思うと、震える。だって、「神の国」発言の後の内閣支持率が8%まで落ちたことも、その後の小泉政権の支持率が80%超えたことも、今の今まで忘れてたもの。あの時、私も相当怒ってたはずなのに……「感動した!」という思考停止の決め台詞を世に流布させた罪に怒り狂っていたはずなのに…… -
印象に残っている部分
「「今きみが語っているその語りかた、それが倫理だ」とジョルジュ・アガンベンは表現しています。なにげない語り口に、罪ならぬ罪も、恥ならぬ恥も、そこはかとなく滲むものです。私はいま、それをつよく意識せざるをえない。他者にも自己にも」(p100)
「もし憲法を語るなら、憲法に保障された表現の自由を語るなら、あるいは思想および良心の自由を語るなら、なにものか聖なるものにまつらうのではなく、意識的に瀆神しなければならない。われわれの内面にある「開かずの間」をこじ開ける必要がある」(p140)
2006年、たしか安倍晋三が一回目の首相をしていた(そして情けなくも退陣した)時期の本であるが、今も、というか今こそアクチュアルな内容である気もする。 -
世界各国を取材してきた著者ががんと脳出血を患いながら、
深い自省をするとともに、社会を痛烈に批判する内容。
通信社の国際部記者と言う立場で、各国の凄惨な情況を取材し、
自分は空調のきいた小奇麗なホテルの一室から日本へ打電する。
彼が様々な国で視て打電してきた「死」の際に、
著者自身がまさにいま立つことによって、表題となっている「恥」について、
深い洞察をもって自省できるに至ったのだと思う。
強い人だなぁと思うのは、
死の際で、自分の過去の加虐性、罪悪についてあそこまで自責しながら、
決して怯むことなく、政治を、歴史を、社会を、思想を、市井を、
徹底的に、建設的に、そして苛酷なまでに辛辣に批判し続ける。
衝迫にかられた「書く」という行為の珠玉の作品。 -
僕らはモノを知らない。知らされない世界で生きている。そしてそのこた自体に気づくことなく漫然と日々を過ごしている。
でも、外の世界では様々なことが起きていて、血が流れ、心は壊され、そんな中で食料や水の代わりに尊厳や矜恃をもって底辺で生きている人がいる。
僕らが感じなければいけないのは、平和に対する感謝や、今日が無事に終わったことの安堵や、出世や金ややりがいなんかじゃなく、知らなくちゃいけないことを知ろうともしないままいる今に対する「恥」なんじゃないかな。 -
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辺見庸さんには頑張って欲しい。