ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)

著者 : 中島義道
  • 角川書店 (2003年8月1日発売)
3.61
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  • レビュー :99
  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043496020

作品紹介・あらすじ

あなたはひとから嫌い!と言われたら動揺するでしょう?あなたは自分が嫌いなひとからもできれば嫌われたくないでしょう?日常的にふりかかる「嫌い」の現実とその対処法を、家族にとことん嫌われた哲学者が徹底的に考え抜いた。「嫌い」の要因8項を探りあて、自己嫌悪、嫉妬、軽蔑、復讐の本質をみきわめ、"サラッと嫌い合う"技術と効用を解き明かしていく-。豊かな人生を過ごすために、きちんとひとと嫌い合う、「嫌いのバイブル」誕生。

ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 嫌いになるということは好きになるのと同等に自然なことである,という立場自体は,自分がおぼろげながら抱いていた見方と共通していたが,嫌いという心の作用について本書にあるような水準で洞察をしたことはなかった.総じて,自分が何か精神的な苦労や手間を被ったと感じる場合に,それを相手へと転嫁するというのが,多くの「嫌い」に共通する特徴となっている.他人は自己を映す鏡とも言うが,「嫌い」に直面したときに,その中身をつぶさに分析できる冷静さを保てるようになりたい.

    • akikosagiさん
      嫌いな相手をただただ悪者にするのではなく、自分を映す鏡として、冷静に考えるというのは、無益な言い争いをするよりも発展性があって素晴らしいですね。この本を読んでみたくなりました。
      2017/07/08
  • 「ひとを好きになることについては、うんざりするほどたくさんの書物が刊行されて」いるなか、ひとを「嫌う」ことの自然さや、「正確に」嫌い、嫌われることが豊かな人生につながるとの考え方を語る本書。
    「嫌い」の諸段階から「嫌い」の原因、「嫌い」の一形態である自己嫌悪、そして「嫌い」とともに豊かな人生を送ることについて、深く掘り下げて論じられています。

    本書においてもしばしば指摘されているとおり、この世の中、人を嫌うことそのものが悪であり、嫌い・嫌われている状態や感情を抑圧すべきものとして捉えられがちな風潮にあると思います。

    私もその風潮を真に受けている張本人。

    「嫌い」という感情がふつふつと湧き上がってくるなか、「人を嫌い、人から嫌われてはいけない」「嫌いは悪である」とばかりに自らを欺いたり。どうしても嫌ってしまう、嫌われてしまう場合には、自らの意思に反して仕方がなく嫌い・嫌われてしまうと思い込むための「自己正当化」を行う。
    そんな心理的な苦労を重ねてきたように思います。

    本書は教えてくれます。
    「他人を正確に嫌い、自分が他人に嫌われることを正確に受け止め」ること。
    「嫌い」と真摯に向き合いつつも、日常的にさらっと「嫌い」と付き合うこと。
    嫌い、嫌われることを、なにか居心地の悪い、汚いものだと受け止めることなく、ごくごく日常的に存在しているものとしてカラッと扱い、付き合っていくこと。
    「嫌い」をしっかり受け止めることによって、自己反省ができるとともに、より深い、豊かな人生を過ごせること。

    これらを意識し、変化した心持ちによって、とても楽に過ごせている自分がいます。

    私の考え方・感じ方を大きく変えてくれた本書。
    また一冊。私にとって、貴重な書物と出逢えたように思います。

  • この本の主題は、理不尽な理由で嫌う、嫌われることは自然なことである、ということ。

    嫌う、嫌われることに対する恐怖心が薄れ、ぐっと心が軽くなった。

    「嫌い」という感情を少し客観的に見られるようになり、今後の人生は今までよりも器用に送れる気がする。

  • 人を嫌ってはいけないことは、学校や家庭で何となく教えられた気がします。しかし、嫌うことっていけないことでしょうか?
    僕個人の考えだと、嫌うことそのものは別に構わないと思っています。逆説的ですが、それは自分が嫌われてもいいと思っているからです。
    当たり障りのない、無難な人生を送ってもいいかもしれませんが、僕はそうじゃあない方が好きです。誰かに嫌われるようなことをしても、それが世のため人のためを思ってやったことであればいいじゃないかと。
    人を嫌うということは、人から嫌われることを考えるのと同じことで、共感できる部分が多々ありました。

  • メンヘラっぽい感想のため削除。

    • だいさん
      大丈夫!
      そんなあなたを、皆は好きです!!
      (と思います)。
      2012/12/24
  • 最近いろいろあって、複数の人に嫌われてしまいました。
    私の姿を見つけてUターンする人あり。
    立ち話しているところに私が現れて、立ち去る人あり。
    まるでドラマの中にいるようです。

    それでこういう問題の大先輩である中島先生のこの本を。
    先生の本を読んだのはこれが13冊目です。

    相変わらず中島先生の本はおもしろく、笑いながら読みました。
    中島先生だから、敵をたくさん作ってもやっていけると思うのです。
    ていうか、先生はそういうキャラです。

    言われることは納得ですが、やはり私は先生のような生き方はできません。
    どちらかっていうと渡辺和子さんみたいなほうが楽に生きられる気がします。

    感情的にならずに、誠実に、やるべきことをこなす。
    時々すごく落ち込みました。でも…

    まわりの忠告どおり、王様にイジメられることはありますが、
    王様の取り巻きに、わずかですが変化が見られるようになりました。

    さて、ヒルティのこの文に、同意。
    「交際相手としてはけっして愉快ではないが、しかし最も役に立つのは敵であろう。それは、彼らが将来友となる場合もママあるからというだけではない。とりわけ、敵から最も多く自分の欠陥を率直に明示され、それを改めるべく強い刺激を受けるからであり、また敵は大体において人の弱点について最も正しい判断をもつからである。結局、われわれは敵の鋭い監視のもとに生活するときにのみ、克己、厳しい正義愛、自分自身に対する不断の注意といった大切な諸徳を、知りかつおこなうことを学ぶのである。」

    それと、中島先生の個人的嫉妬のところが面白かった。
    中島先生が嫉妬する、その相手に興味あります。

  • ちょっとした嫌いの理由が言語化できていると思う。具体的だけど、読んで嫌になることもなく、アンガーマネジメントに役立つと思われる。

  • 教育から来る己の超自我に苦しくなった思春期以降に読むとたぶん良い。

  • テスト

  • 2016.11.3
    中島義道さんの本は、私にとって不思議な立ち位置を持つ本である。その言葉は、まるでバリウムを飲むかのように喉につっかえるというか、理解しようという努力に本能が反するかのようにうまく飲み込めない、入ってこない。それはおそらく私の、自尊感情によるものなのかもしれない。それだけの嫌悪を感じながら、受け入れがたく読むにも関わらず、私はここに一種の羨望をも感じてしまう。ここまで徹底して自己の人間としての本性に正確なメスを入れた上で得たこの知恵に、それを得られるだけの能力に羨望を感じているのだろうか。良薬は口に苦いというが、まさにである、それでいて、たまに飲みたくなるのだから不思議である。
    さて本著は「嫌い」という感情について。この日本社会において人を嫌う、人に嫌われるというのはなんとしてでも避けなければならないものとして、文化的な幻想として機能している。あらゆる人が、人を嫌わないように、人に嫌われないようにを当為として、故に当然として掲げている。だからこそ嫌ったり嫌われたりすることに罪悪感や嫌悪感、憎しみを感じてしまう。しかし著者は、「嫌い」という感情は「好き」という感情と同じく自然なものであり、それに蓋をせずその人間の自然性を直視し、受け入れ、その上でどうするかを考えるところから人生の豊かさを得られる、という。また人を嫌うことも人間の本性であり、その嫌いという感情はいかなる原因で発生するのかを8つに分け論じ、加えて嫌いの亜種である自己嫌悪についても述べている。
    嫌いの原因分析は納得できるものであり、特に筆者のいう、「人が自分の期待に答えてくれない」ところから、軽蔑や嫉妬による感情を経て、最終的に生理的嫌悪に至るという過程をつい最近、人生初経験した私にとっては、その通りだなーと思う他なかった。また自分に危害を加えうる他者に対しての嫌い、無関心による嫌いも、私が感じていた他者への嫌悪感を説明するものであって、おかげで自分がなぜあの人に対してこんな黒い感情を持っているのか、そしてこの黒い感情は「嫌い」ということだったのか、なぜそれがわからなかったのかといえば私は「嫌い」には理由があると思っていて、故に理由なく彼らを嫌うはずはないと思っていたから、しかし私は確かに身勝手な理由で彼らを嫌っており、不条理に彼らを嫌っていたのだということがわかった。
    正直、嫌いに向き合うことによる豊かな人生が、私にはピンとこない。幸福だけの人生がつまらないのはわかる。人生は振り幅大きく、深く、重く味わう方が面白いこともわかる、しかしそれと、嫌いと向き合うことがなぜ繋がるかが未だピンとこない。そして何より、私は人に嫌われることが怖くて仕方がない。でもそんな自分は嫌いである。私は人を嫌う自分も嫌いであり、故にできるだけ人を好きになるよう努力している。その努力は言い換えれば、「嫌い」という感情からできるだけ目を背ける努力である。それではダメだというのだろうか。いやでも確かに、ダメな気もする。
    自分の中に善と悪があるとする。この区別は社会的に定められたものであり、本来は善悪混じって一人の私である。このうち悪だけを潰すことは、自分の半分を黙殺することに他ならないのではないだろうか。それが豊かな人生と言えるか、何より、自分の半分を自分で殺すという凶行に、私は耐えきることができないだろうし、その抑制はおそらく私の最も信頼し愛する人に集中的に噴火し、破滅するような気もする。
    嫌いという感情と向き合うことと、お前は嫌いだということとは違う。必要なのは自分の心を直視することであり、社会的善悪などという型に自分をはめ切って切りさないことではないだろうか、それこそ豊かな人生になるのではないだろうか。だとすれば、俺はお前が嫌いだ、という感情も真実だし、またそれをいうことで自分が嫌われるのが怖いということもまた真実。お前の愚痴を聞くのは面倒で煩わしいというのも真実で、でもその人の力になりたいというのも真実である。つくづく人間は、私とは、矛盾して、葛藤して、分裂して、多元的な存在だなと思う。ある出来事の瞬間に私は種々色々の感情を同時に感じ、それらが矛盾し葛藤し混ざり合っている。それは論理などで説明しきれるものではないのだ。その混色の具合を、原色に還元することなく、そのまま直観すること。「向き合う」とはそういうことではないだろうか。
    そしてこの意味で最も向き合い難いのは、やはり黒の部分である。もう向き合うだけで自己嫌悪で身悶えがし、悪寒が走り、羞恥に顔が歪む、そういう感情を抱くことがある。自分で直視することすらキツイのに、いわんや人にバレるなど言語道断である。ここにどれだけ、これを直視したくないという自己保存の本能に抵抗して向き合えるか、そしてそれを認められるか、それも含め私は人間なのだと思えるか、そういう生き方をすることによるメリットを、つまりそういう生き方がしたいと思えるかどうか。ここにあるのは真実への欲求であり、それこそ中島さんが哲学者たる所以ではないだろうかとも思う。私にはとても届きそうにはない。が、自分のメンタルヘルスと相談しながら、実践していきたいなとは思った。

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