ひとを愛することができない マイナスのナルシスの告白 (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043496051

作品紹介・あらすじ

ひとを愛するとは、いったいどういうことなのだろう?ひとを愛することは当然であり、それができない者はまるで怪物のように忌み嫌われる現代にあって、ひとを自然に愛せない者はいかにして生きればいいのか?愛する能力が絶望的に欠けていた父と、それでも夫から愛されることを望みつづけた母との確執を間近に見ながら、身を削られるような劣等感と病的な自己愛と格闘しつづけた著者が辿り着いた凄絶なる「愛」の哲学。

感想・レビュー・書評

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  •  この本には、人を愛することができない人間が、家族をどのように傷つけていくことになったのかが淡々と記述されている。

     自分や、理解したいと思っている相手が、作者や、作者の父親のような「人を愛せない」タイプであれば、この本はとても参考になると思う。でも、そうでなかった場合は、作者の自叙伝を読んでいる気分になるかもしれない。

     頭が良い作者にこのことはわかっているだろうから、それでもこの本を書いたということは、両親の確執、妻子との確執に心をえぐられ、哲学者として理性的に分析して消化しようとする執念のようなものが感じられる。

     解説に森本正博さんが、「自分の人生こそが、中島さんの出発点であり、終着点である」と書いている。私が感じたことを哲学者はこんな風に、一文で上手く言い得るのだと感心した。

     ある時、作者はテレビで、若い男女五十人が愛について語る番組を見たそうだ。ゲスト出演していた、当時都知事だった石原慎太郎氏が、若い男女たちに「こいつの為なら、死んでもいいと思ったことのある人は?」という質問を投げかけた。回答の数は忘れたが、その後の石原都知事の発言に作者は大きな衝撃を受けたそうだ。「そんな経験のない奴は自殺してしまったほうがいい!」

     学問の喜びを知らない奴は、自殺したほうがいい、ひきこもっている奴は自殺したほうがいい、性転換手術を受けたいと思う奴なんか自殺したほうがいい、…等々、もしこんなことを言えばただでは済まない。しかし、それが愛となるとすいと通過してしまう。それが現代日本の象徴的な事態だと作者は言う。

     そして、その事態から解放されることを勧めている。
    ○善人は「家族教」を狂信しているから、それが欠如しているものは、自分を人間的欠陥であるように思い、激しく悩む。自分の生きにくさを両親に愛されなかった体験になすりつけて片付けている人をアダルトチルドレンと呼ぶ。(そのような人は)現代日本に蔓延している「家族教」から、「愛の賛歌」から解放され、もっと自由な空間にはばたこう。そうすれば、救われる人も少なくないように思うのであるが。123

    ※作者の傷ついた心の内がよく感じられた箇所

    ○(手術後に、意識が朦朧として夢と現実の区別がわからなくなっている母に対して)……涙が出てくる想いである。この人の一生は何だったのか。「あなたの人生、それもみんな夢だよ」と言ってやりたい気持ちである。この人は、幸福を拒否し続けて生きてきた。父に愛を期待しさえしなければ、幸福になれたのに。父が死ぬまで愛を期待し続けた。そして結局報われなかった。160

    ○父の独特の冷酷さは、私が歳をとるにつれてわかることが多くなってきた。自分の体の中に彼の血が流れているからである。自分が歳を重ねるにつれて、ああはなりたくないと思ってきた父に自分が酷似していることがわかって、冷や汗が出てくる。私は父をいわば内側からわかってしまうのだ。

     最終章の「私は私でしかない」は、強烈に心に響いた。作者の息子さんが、中島さんにとっている態度は、姉や私が母にとっている態度と似ていて、埋めようがない、諦めや憎しみを介在させてしまった親子の哀れさ、悲しさ、不毛さに、しばし呆然とした。

    「私は私でしかない」より
    ○私に愛を教えてくれなかった、あるいはその醜さを独特の形で教えてくれた両親は死んでしまった。私の体内には、愛を巡る、母と父とのおぞましい関係が鉛のように埋め込まれている。長い間、これから解放されたかった。しかし、むしろこれを糧にして生きていこうと思うようになった。これこそ、苦しいけれど、私を私自身にしてくれるものなのだから 205

     解説に、哲学者の森岡正博さんは、この本を、エッセイと見るべきか、自叙伝と見るべきか、哲学書と見るべきかわからない。と書いている。
    ○ここにあるのは、人々が漠然と信じている不動の大地を揺るがし、彼らを不安の大海に投げ込もうとする渾身の知の営みである。愛というものを、普通では考えられないような視点から残酷にえぐり出し、それがどのような不毛な世界を形作るのかを論理的に再構成しながら、善良な人々に突きつけるという、哲学にのみ可能な試みがこの本ではなされている。

     解説に、中島さんが、[自分のような非常に自己愛の強い人間は、その愛すべき自分が消滅すること、つまり死ぬことはこれ以上ない恐ろしさだ]と書いていたと述べられている。これを読んで、もしかすると、中島さんや中島さんの父、親に近いのは、私の母かもしれないとやっと思い至った。そうすると私は、中島さんの母親や妻のような立場と重なり、そこを起点とすると自分が今のようになっている納得が行きき始めた。

    読んでいる間、「あー、これは私とはあまり関係のないお話みたいだなぁ」と思い、読むのを途中でやめようかとすら考えたが、最後の最後でやや道が開けた。その道を進んで行って、これからの人生に活かせればと思う。

  • 変わったタイトルの小説だなと思って手にとったのだが、全く違った。これは著者自身の極めて私的な、愛についての自問自答集。育った家庭環境から愛というものの実感がなく、違和感を感じながら生きているという著者。自身でその違和感を根底までえぐり、もがきながら考え抜き、心に渦巻くものをここまでさらけ出してしまうとは。壮絶のひとことである。とはいえ、愛に不自由を感じずに育った人間からすれば、感性の違いに戸惑うに違いない。読んでいて著者の考えに引き込まれつつも、途中からは理解の範疇をこえた。共感はないが印象に残る一冊。

  • 中島義道はかなり好きです。
    その社会的不適応さが。
    そして、自分のそうした側面に気づいていて、開き直るのではなく、意外なほど真剣に悩んでたりするところが。

    今回の本は、そんな中島義道の本の中でも、特別にイイ。

    …や、違うかな。
    あたしの好みから言えば、『私の嫌いな10の人びと』とか『偏食的生き方のすすめ』の方が、断然あたし好みなのだけど。

    だから、この本がイイっていうのは、好みというより、共感、って感じ。

    今までの本の中でも共感できる部分っていうのは、確かにあったのだけど(あたしも中島義道の嫌いな10の人びとのうち、8人は確実に嫌い)、それでも、中島義道は(少なくとも、おそらく)あたしの数倍はエキセントリックなので、「やっぱ中島義道は違うなぁ」みたいな感じだったのですが、この本は、全然、そんなことなく。
    うわぁ、あたしと同じだ…って。

    ただし、読み始めは微妙。
    というのは、あたしも確かにひとを愛することが極端に不得手だけれども、というか、そういうのが実感としてほとんどわからないのだけれども、それでも、そういうことは言明してはいけないこと、だと思っていたからです。
    なので、そういうことをタイトルにしてしまう正直さに、ちょっと戸惑ったり。

    でも読んでみると、かなりイイ。
    実感にぴったり。

    ……。
    これ以上感想を綴ると、不必要に、不用意に、いらないことまで書いてしまいそうなので、今日はこの辺でやめちゃいます。

  • こんな家庭環境の人もいるのだなぁという感じだし、解決法が提示されていないので後味が微妙ですが、本題以外で印象的なところをいくつか。

    ・ある心的状態が愛であるために不可欠の条件(一)相手の個体に向かっていること。言いかえれば、ほかの人とは交換不可能であること。
    (二)相手の肉体のみならず、ひろく心と呼ばれているものに 惹かれていること。言いかえれば、心ある肉体としての相手に惹かれていること。
    (三)相手の姿を見たい、その声を聞きたい、その肌に触れたい等々、その人を感じたいと欲望すること。
    (四)相手の諸属性を、その固有のあり方においてよいものとみなしている

    ・愛する側に立つ人間は、たえず攻撃をあらたにし、相手の価値をせりあげなくてはならないのにひきかえ、反対に、愛さない側に立つ人間には、まっすぐな一本道を、苦労せずに、のうのうとたどってゆける。
    より少なく愛している者は拷問者である。言葉の一つ一つが、態度の一つ一つが、目配せの一つ一つがより多く愛している者の肉体をえぐり、切り開き、悲鳴を上げさせる。しかも、相手の苦しみはいかなる同情も呼び起こさない。彼(女)は淡々と拷問を重ねるのである。

    ・われわれは真剣に誰かを愛するとき、孤独になる。なぜなら、愛とはまさにその人個人を愛するからであり、ほかの誰とも交換不可能であって、基本的には誰にもその思いをわかってもらえないからである。

    ・愛する者は愛される者の表象を支配できるが、その存在を支配することはできない。
    世界全体が愛される者(土屋)の表象=観念と化してしまい、森羅万象は愛される者の香りに満たされる。しかも愛する者(節子)はそれが表象であること、つまり実物ではないことを心の底で知っている。彼女は、この表象界において、愛される者を神のように自由自在に創造することができる。いかなる微細な現象にも愛される者のしるしを刻み込むことができる。寄せる波の一つ一つに土屋を見ることができる。


  • 人を愛することができない、衝撃的なタイトルに惹かれたが、中身はエッセイ調で、想像していた内容とは異なった。
    恋愛中心かと思っていたが、家族愛への傾向が強く、作者のバックグラウンドが色濃く出ている。
    後半から少し読み飛ばしてしまった。

  • 私と同類がいるらしいことは分かったが、解決策は見出せなかったし、解決策はない。

  • このテキストはなんだろう? たしかに哲学的であるが、同時に私小説のようでもあり不思議な感じがする。エッセイにしては重すぎるし、哲学にしては個人的な経験に基づいたものが多い。自分のことをここまで、掘り返して断じることはなかなかできないし、そういった作業が普通では無いことを感じさせる。己のことを徹底して客観的に語ることは恐ろしいことであるという意味で、哲学ホラーと評した解説森岡正博の言葉は頷けるものがある。内省の徹底と疑義を挟んでの自己認識がどういうものであるか。明るい気持ちにはならないし、完全には沿えないにしても、徹底のもたらすものを客観的に見直す事ができると思う。

  • 交換不可能な人を好きになるというのは、なかなか難しいと私は思う。
    人を愛するとは何かについて、書かれているが読んでいてなかなか疲れた。

  • 鬱屈した自己愛ゆえに、他人を自然と愛することができない・・・
    そんな「マイナスのナルシス」なる者の心理を、筆者自身の経験を織り交ぜながら解説し、そもそも「愛とはなにか?」についてとことん追求している本。

  • いいような いらないような

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著者プロフィール

1946年生まれ. 東京大学法学部卒. 同大学院人文科学研究科修士課程修了. ウィーン大学基礎総合学部修了(哲学博士). 電気通信大学教授を経て, 現在は哲学塾主宰. 著書に, 『時間を哲学する──過去はどこへ行ったのか』(講談社現代新書),『哲学の教科書』(講談社学術文庫), 『時間論』(ちくま学芸文庫), 『死を哲学する』(岩波書店), 『過酷なるニーチェ』(河出文庫), 『生き生きした過去──大森荘蔵の時間論, その批判的解説』(河出書房新社), 『不在の哲学』(ちくま学芸文庫)『時間と死──不在と無のあいだで』(ぷねうま舎), 『明るく死ぬための哲学』(文藝春秋), 『晩年のカント』(講談社), 『てってい的にキルケゴール その一 絶望ってなんだ』, 『てってい的にキルケゴール その二 私が私であることの深淵に絶望』(ぷねうま舎)など.

「2023年 『その3 本気で、つまずくということ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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