どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか? (角川文庫)

  • 角川書店 (2008年11月22日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (208ページ) / ISBN・EAN: 9784043496068

作品紹介・あらすじ

今や日本人のひきこもり150万人、年間自殺者3万人。人生は理不尽であり、解決法もない。著者自らのひきこもり体験等をふまえ、生の根本を見つめ、この世を生き抜く術を綴ったエッセイ。

みんなの感想まとめ

生の意味や価値を問い直す本書は、著者自身のひきこもり体験を通じて、人生の苦悩や理不尽さを率直に描いています。自殺やひきこもりといったテーマに触れながら、命の尊さを一方的に説くのではなく、現実的な視点か...

感想・レビュー・書評

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  • 過去に友人2名、知人1名が自殺した...。毒にも薬にもなる本書。ifはないが、当時、本書を当事者が手に取っていたら...。ただの自己欺瞞だな...。

  • なぜ、私はこの世に自分の意志ではなく生まれさせられ、
    苦しみあえいで生きねばならず、
    そしてじきに死んでしまわねばならないのか、
    しかもほとんど何もわからないままに。


    10年ほど前に高速道路で交通事故に遭ったことがある。
    自分のクルマは全壊。
    しかし、自分はヒザをほんのちょっと打撲しただけで奇跡的に助かった。
    もし、あのときクルマから脱出する前に、
    トラックやバスのような大きな車両が自分のクルマに突っ込んできたら、
    即死だったはずだ。

    精神的にズタズタにされ、苦しみながら、なぜか今日も生きている。
    もし、あのとき死んでいたら、今日の苦しみは味わずに済んだ?
    果たして、どっちが自分にとってラッキーだったのか?
    よくわからない。

    日本で年間の自殺者が3万人を超え、
    うつ病・ひきこもり・PTSDが急増し、
    多くの人が閉塞感に襲われ、
    自殺者予備軍は増える一方である。

    日本は常識的なレールから外れなければ住みやすく快適な国。
    しかし、そんな一昔前の高度経済成長期の神話はすでに崩壊した。
    常識的なレールも地獄。
    そのレールからドロップアウトしても地獄。
    まさに行くも地獄、退くも地獄。
    この八方塞がりな閉塞感が、多くの人を自殺へと駆り立てる元凶となっている気がする。

    閉塞感を生むひとつの要因として、
    「出る杭は打たれる」とよくいわれるように、
    日本独特の「みんな一緒の暴力」は根強いものがある。

    世間は、みんなマジョリティが楽しいことを楽しくないと言う者を絶対に許さない。
    みんなが楽しい時間、楽しくない素振りをすることさえ絶対に許さない。

    この国では、組織は個人の内部まで、
    いや信条や感受性の中核まで侵入して、
    それを支配しようとする。

    これに、誰も(とくに組織の上層部が)疑問を感じないことが不思議でなのであり、
    疑問を感じた者が排斥されることが残酷なのであり、
    このすべてが気楽に行われていることが恐ろしいのである。


    実は、楽しいことだけでなく、苦しいことにも「みんな一緒の暴力」は猛威をふるう。
    つまり、上記の表現を言い換えれば、
    「みんなマジョリティがつらく苦しい思いをしているときに、楽しようとする者を絶対に許さない。
    俺が休めないのに、お前が休むのは許せない!絶対に許さない!」
    となる。

    ブラック企業や社畜が跋扈し、多くの人を思考停止させているのもこれが原因だ。
    「みんなで休まず、みんなで不幸になろうキャンペーン」がまさにそれだ。
    これは海外ニートさんのブログに詳しい。

    マジョリティが苦痛を感じないことに、
    甚だしい苦痛を感じる感受性のマイノリティ・信条のマイノリティの自分。
    疑問を感じている少数派の自分は、
    その疑問を表明すれば排斥される。
    どうせ排斥されるなら、
    その前に自分の意志で会社を辞めたいのだ。

    その苦痛から逃れるために自殺するなんて、
    バカらしい。
    納得がいかない。

    こう考える道筋のヒントをもらっただけでも、
    この本を読んだ甲斐があった。

  • 評するのに適していないと捉える人もいるのだろうが、私にはとてもおもしろい本だった。解説内に、「毒」や「薬」の表現があったが、私には「薬」だった。色々もやもやと思っていること、それが世間に歓迎されないだろうことがすごく楽になった。
    この本は、よくあるような「命は尊いからどんな理由があっても無駄にしてはいけない」というようなことを説くものでは決してない。節々に、それは筆者がこれまでに金銭的に困ったことにならないから考えられることではないか....と現実を考えると簡単に言ってくれるなと感じる部分も多々ある。が、生きることに楽しさはないと明言している中で、ある種の諦念と開き直りは清々しい。2章の章題が「幸福を求めない」というくらい。それでも、みんな不幸になればいいというものでもない。マジョリティではないがこういう人もいる。そう示されているだけでこんなに気持ちが楽になるとは思わなかった。よかった。

  • いつだったか、とんでもなく生きづらかった時に思わずタイトルも目を奪われた本だけれど、哲学の素養が全くない私には難解な本だった。ようやく数年間おいて読了。
    また辛い時に何となく手に取ったら、涙を流しながら読んでた。著者も相当の変わり者だが、普通な考え方を持っていると言い難い私には共鳴する部分がかなり多く、しかし著者のように開き直って生きてはいない。まだまだもがき続けそうな人生だけれど、死ぬまで考え続けなければならない。「どうせ死んでしまうのに、なぜ今死んではいけないのか?」答えがなくとも、考えに考えることこそが、その理由のように思えた。かえって生きる力が湧いてきた。
    あと、どうか、あなたの周りにこのような疑問を持ち、死に惹かれている人がいるとしたら、「死んでほしくない」と一言だけでも声をかけてあげよう。

  • 鬱状態が常態の私にとって、中島氏の指摘は深く頷ける。
    偏食のひどさなどは、共感はできないが、貴重な意見と受け止めた。

    ただ言葉が平易だからか、繰り返しが多いからか、議論が深まっていないように思えた。最後は情と簡単な論理の提示で、終わってしまったような・・・。

    「どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?」という問いの立て方は、好ましいし、私にとってもタイムリーだ。

    しかし、その答えの出し方が中島氏の個人的な経験、思索の範囲だけでは、どうしても腑に落ちないのだ。

    しかし、しかし、答えは「私が」求め、探し出さなければ、意味がないのも、真実だ。

    人をさげすむのではなく、自分を深めよう。

  • 101203
    p.10 きみの姉さんに赤ちゃんが生まれた。きみはその泣き叫ぶ顔を見ながら、どうせ死んでしまうのに、なぜ生まれてきたんだろう、と感ずるのだ。

    同じことを思う。親戚に赤ちゃんが生まれても「おめでたい」という感情は湧かない。人生というものがまたひとつ、その再生装置とともにこの世に現れてしまったことを残念に思い、赤ちゃんに同情するのみである。

    p.15 父親が自分に殺意を抱いていることを知らずに布団に入ってるその子がかわいそうでたまらない。(中略)彼の平静な顔に対して、猛烈な怒りがこみあげてくる。ぼくは酔いに任せて、大声で怒鳴った。「子を産んだだけでも親は罪なのに、そのうえ殺すとは何ごとだ!」

    「子を産むことは罪」なのだ。実存でつまづいてしまった人間は、ふつうに就職して結婚して子供を生むという人生を歩むことができないと僕は思っている。よく中島さんは息子を作ったなと思う。

  • とぼら読書会

  • この方の存在は古本屋で初めて知ったのだが、古今人間が悩みそうなネタをタイトルにされているので、それに惹かれて3冊ほど読んでみた。

    本書はマイノリティな哲学者のエッセイ集と言ったところ。「どうせ死んでしまう。私は哲学病」の改題、文庫化らしい。本書の他にもかなり執筆されているようなので、ある一定の読者層をお持ちなのだろう。
    一人飯の章は私も筆者と意を同じくなので、楽しく読まさせていただいた。

    さて、この方は哲学者として自己実現をしているが、哲学病を患っていたようだ。
    この方のように哲学に救いを求め、哲学を始めようとすると、「このすべてには厳しい訓練が必要である。基本的な哲学的タームをマスターするだけでも、10年かかるかもしれない。P77」となかなかハードルが高い。
    私はノーサンキューだ。

    それならば禅や瞑想で面壁九年のほうが早いのかも知れない。

  • 第2章がなかなか興味深い。悩まずに考えることができたらいいのだけど、難しいなぁ。

  • 幸福を過剰に求めると、ひとはかならず不幸になる。
    欠点と真正面から向き合ってみる
    組織をうまく利用し、組織に全人格を投入しない。組織から半分降りて、仕事は単なる生活の手段と割り切る。
    人生に行き詰まった人は、自分の感受性と信念が満たされる場が与えられれば、獲得できれば、さしあたり死ななくてもすむのではないか。
    きみがいま死んでならない理由は「きみは本当は死にたくない」から。じぶんをごまかしている。
    人生の虚しさにあえいでいる人は、それぞれの仕方で「虚しい」と語れる場を確保することを

  • ”コンビニで背表紙のタイトルにドキッとして手に取った一冊。直太朗の「生きてることが辛いなら」が頭の中に強くイメージがあったので購入。
    ---
    T:30分(電車往復)→ 45分
    P:直太朗の曲とのつながりポイントを見つける → 発見!(★印)
    O:この出合いは何かのおつげ。しっかり読む
    ---

    ★もし、きみがうすうすそう感じているのなら、ひとまず死ぬという方向に精力を傾ける代わりに哲学に全身の重みを預けてみたらどうでしょう?すなわち、「抽象的に」死んでしまって、世間から離れたらどうでしょう?「精神的に」出家したらどうでしょう?人生を「降りたら」どうでしょう?そして、ゆっくり自分の場所を確保していったらどうでしょう?(p.197-198)”

  • 2019.1.21 4
    通勤途中に読み進めてようやく読了。
    12月くらいから読むスピードがあがった。
    書名が既に哲学的問いであり、全編を通してそのことについて考え続ける。
    人生において哲学をするということ、せざるをえないということ、徹底的なノンフィクションでたり純文学でもあると思った。
    欠点とみなされていることの大部分は社会生活上の障害に過ぎない。自分の欠点に感謝する。
    世間から排斥されてもいいから自分の時間を守る。読むこと考えること書くこと。
    全ての物事は意味、価値がない。いずれ何千年後かには消滅してしまう。命をかけるに値しない。どうせ死んでしまう。生きること。生き抜くこと。

  •  実家にあり、タイトルに惹かれて読み始めた。幸せと一般にみなされることを含め、人生の全ては、どうせ死ぬという真実を直視したとき、絶望的に虚しくなる。ならばなぜ生きるのか。自殺するべきではないのか。
     
     まず、周りの人が自分が自殺すると悲しむから、自殺は悪であるという考え方が示される。しかし、より筆者が強調するのは、哲学者として生きるということである。「なぜ生きるのか」という問いへの答えを出せないままに自殺することは、哲学における至上の命題を考える機会を放棄するということであり、知を愛する哲学者として言語道断である。また、答えが出なくとも、真実の虚しさを偽って世間で生活するよりも、せめて虚しい、という真実を正直に見つめて、考えられる哲学の道に生きた方がいくぶん気が楽ではないか、という主張だ。

     たしかにその通りであるが、死という不可避な真実を意識してしまいつつも、俗世への思いも断ち切れず、哲学へ身を投じることはできない者はいかに生きる意味を見つければいいのか、ということについては本文からは学ぶことができなかった。
     しかし、中村うさぎ氏による巻末解説において、新鮮な考え方を発見できた。生に意味がないから死ぬと考えるならば、私は全てのものに意味があるべきだという思想を持っていることになる。では、生に意味がないから死のうとするとき、その死には何か意味があるのか?死ぬことでそれまでの人生に意味が付与されるわけでもない。意味もなく死ぬなら、意味もなく生きるのも同じことで抵抗を感じなくて良いのではないか。このような人生観に、本書のタイトルに対する一つの解を見た気がした。

  • 読了

  • 幸福を求めず、どうせ死んでしまうという人生の理不尽さを見つめて生きるという清らかな(あるいは限りなくむなしい)生き方と、それを実現するための「半隠遁」という処世術が語られます。

    わたくし自身は、著者のように「どうせ死んでしまう」ということを突きつめて考えることはなかったのですが、こんなにも清々しい仕方で自分の人生と向きあっているひともいるのかと、感心させられました。

  • 生きているのが辛くて仕方がない人を前提に諸行無常を説く本はたくさんあるように思うけれど、生きているのが楽しく、満足して、希望もあって、でもなぜ今死んではいけないのかが分からない人のための本には未だ巡り会えない。この本も答えてはくれなかった。
    楽しくて幸せで充実している、でもどうせ死んでしまうなら、それが自分自身にとってすべて無になるということなら、なぜ今死んではいけないのだろう。それが納得できる本は無いんだろうか。
    これはもっと後ろ向きだった。読み終わった後、長い間哲学病に悩まされてつらかった。

  • う〜ん。私は、この答えには正直頷けませんでした。

  • 不幸や死を考えて考えても、やっぱりなぜかしら不幸でないし、生きていることそのものに、表面上何があってもさしあたり「幸福」であるように感じてしまう。なぜだ。
    「一切皆空」で、世界のものはみんななぜか縁あって無から生じ、無に帰っていく。そして、その無は、もしかすると、娑婆の不完全な存在なんかよりも、完全な存在であることが言えるし、今現れている存在は、仮だとしか思えない。
    死の向こう側の世界が存在するのではなくて、死も生も、存在とか無を超えたもの(空)が現れた同位相だとすると。
    中島先生の本を読むたび、暗澹ではなく、とてつもなく澄み切ったニヒリズムに、なぜか明るくなっている私がいる。

  • 俺も欠点を伸ばしていきたい

  • 自分が哲学的思考能力がないということを痛感した。
    時々同意するような箇所もあり、改めて、生きているうちは絶対的不幸の中にある、という気持ちを忘れず前向きにいこうと思った。
    あと著者は変わってる。

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著者プロフィール

1946年生まれ. 東京大学法学部卒. 同大学院人文科学研究科修士課程修了. ウィーン大学基礎総合学部修了(哲学博士). 電気通信大学教授を経て, 現在は哲学塾主宰.
著書に, 『カントの時間構成の理論』(理想社. のち改題『カントの時間論』講談社学術文庫),『モラリストとしてのカント1』(北樹出版. のち改題『カントの人間学』講談社現代新書),『カントの自我論』(日本評論社. のち岩波現代文庫), 『悪について』(岩波新書),『悪への自由──カント倫理学の深層文法』(勁草書房. のち改題『カントの「悪」論』講談社学術文庫),『生き生きした過去──大森荘蔵の時間論, その批判的解説』(河出書房新社), 『不在の哲学』(ちくま学芸文庫), 『時間と死──不在と無のあいだで』(ぷねうま舎)ほか.

「2024年 『その二 「純粋理性」の舞台裏』 で使われていた紹介文から引用しています。」

中島義道の作品

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