- 本 ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043520015
作品紹介・あらすじ
新卒の教師・小谷芙美先生が受け持ったのは、学校で一言も口をきかない一年生の鉄三。心を開かない鉄三に打ちのめされる小谷先生だが、周囲とのふれ合いの中で次第に彼の豊かな可能性を見出していく。
感想・レビュー・書評
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この有名な作品を読んだことがあるのかどうかも覚えていないのですが、図書館で面だししてあったのでふと目に留まりました。
子ども達、小学校の教師、親たち。
実直に、一生懸命な姿がつよく響きました。
時代背景はだいぶ昔で、今とはずいぶんと違う状況ですが、人の強さや弱さ、大切なことを教えてもらったような作品でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
あれ? バーコードで登録したのに全く違う表紙が出てきたぞ。
ま、こっちの方がいいや。
小学校の新任教師、小谷芙美が生徒たち、その親、同僚と接する中で、互いに成長してゆく物語。
昭和初期~中期かな、貧しくとも逞しい子供たちに接するうちに、お嬢様だった主人公が逞しくなり、子供たちにも良い影響を与えるようになってゆく。
楽しかった。
これもブグログでどなたかのレビューを読んで購入した作品。
ありがとう。 -
心に残った一節
「効果があればやる。効果がなければやらないという考え方は合理主義といえるでしょうが、これを人間の生き方にあてはめるのはまちがいです。この子どもたちは、ここでの毎日毎日が人生なのです。その人生をこの子どもたちなりに喜びをもって、充実していきていくことが大切なのです。わたしたちの努力の目標もそこにあります。」
学校って素晴らしい学びの場で、きっと効果がないようなことをしている日々も全て効果なのだと思う。
小谷先生が鉄三と向き合おうと決めた時、この子は宝ものを持っていると成長を期待していましたが、小谷学級の生徒たちも同じように変わっていきました。どんな子ども宝ものをもっていると考えて温かく成長を見守りたいなと感じました。
バクじいさんの考え方がかっこよかった。 -
H29.10.17 読了。
・『大学を出たばかりの新任教師が受け持ったのは、学校では一言も口をきこうとしない一年生の男の子。周りの人たちとのふれ合いの中で、苦しみながらも男の子と向き合おうと決意する。
学校と家庭の荒廃が叫ばれる現在、真の教育の意味を改めて問いかける。』と裏表紙に書かれてある。いわゆる名作で、ずっと積読しっぱなしでした。
今回、先に読んだ友人の勧めで読んでみました。灰谷さんの文章表現が良くて、とても読みやすくかった。また、生徒と先生の交流場面は、子供のちょっとした気持ちの変化に気づいて喜んでいる先生の気持ちが、温かい気持ちにさせてくれました。もっと早く読めばよかったなあと思いました。 -
大阪の工業地帯の町を舞台に、泣き虫の女教師と子供たちの魂の交流を描く。
先日読んだ『二度読んだ本を三度読む』で「アナーキーな小説」と紹介されていて、久しぶりに読みたくなった。
大学を卒業して間もない新婚の小谷先生。担当した1年生のクラスで、子供が蛙を踏み潰したうえ、クラスメイトにけがをさせるという事件が起こる。事件を起こしたのは塵芥処理所に住む鉄三で、クラスメイトが鉄三の飼っていたハエを勝手に持ち出し、蛙のえさにしてしまったのが原因だった。
本書は、小谷先生と鉄三を中心に、鉄三の祖父であるバクじいさんや塵芥処理所の子どもたち、「ヤクザ先生」の異名を持つ同僚の足立先生など、さまざまな人たちの魂のぶつかり合いが描かれる。
普段からほとんど言葉を発することのない鉄三と心を通わせたい、と小谷先生は奮闘するが、鉄三はなかなか心を開いてくれない。泣き虫な小谷先生は、悔しい、と泣き、哀しくなって泣き、怖くて泣く。泣きながらも決してあきらめず、さまざまな問題に一生懸命立ち向かっていく。
そんな小谷先生を見守る足立先生は、戦後の食糧難で盗みをしながら自分を食べさせてくれた「おにいちゃんの命をたべて」大きくなり、バクじいさんは、戦争に翻弄されて結果的に朝鮮人の学友を裏切ってしまった過去を持つ。
バクじいさんの想い、足立先生の想いが、若い小谷先生を支え、エネルギーとなっていく。
本書が最初に発表されたのは今から50年近く前である。現在の教育事情を知っている人からすると、理想論にすぎると思われるかもしれない。
けれど、私が久しぶりに読んで思ったのは、案外昔も今も変わらないものなんだな、ということだった。子供たちの間では残酷な遊びがはやり、貧しい者が蔑まれるし、学校に文句を言いに来る親がいれば、型通りの対応しかしない管理職や行政職員もいる。
私は現在の学校の様子を良く知らないが、今でもきっと小谷先生のような一生懸命な先生も、足立先生のようにちょっと型破りだけど子供たちに大人気の先生もいるはずだ。
本書の時代と現代とで異なるところがあるとすれば、バクじいさんや足立先生のお兄さんから足立先生、小谷先生へとつづく想いのつながりが、どこかで途切れてしまったことに起因するのではないだろうか。
本書には、シンボルとして西大寺にある善財童子の像が登場する。静かな抵抗の精神をたたえた兎の眼をもつこの像は、ひたむきに生きる子どもたちの中に、むき出しの心で子供と向き合う小谷先生や足立先生の中に息づいている。 -
国語の教科書を思わせるような本でした。良いことと悪いことは綺麗に線を引くことができなくて、自分と相手両方の視点から、問題を把握していくことが大切だと感じました。小谷先生の生き方はかっこいいと思います。
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物語は1年生の鉄三がカエルを踏み潰す場面から始まる。
小谷先生は顔を引っ掻かれても何度泣かされても見捨てずに、鉄三の中にある何かを見つけてあげようと奮闘する。そして鉄三だけでなく、クラスの子供達も一緒に成長させながら問題を解決していく。鉄三の言葉が増えるたび嬉しくて可愛くて。
色々な家庭があり、親がいて、子供がいる。先生達の考え方も様々で真の教育とは何か、差別とは何かを考えさせられる。
ヘタレな私は小谷先生や足立先生の様にはなれそうもない。兎のような優しい眼を持つ財前童子に会って私も美しくなりたい。 -
初めて読んだのは小学生の時。
それから折に触れて読み直している本。
今回も泣いた。
たぶん今までで一番泣いた。
あらためてこの本に出会えたことに感謝。
そういえば勧めてくれたのは当時の校長先生だったなあ。
それだけで僕はその先生をいい先生だったと思う。
それだけこの一冊は多くの大切なことを教えてくれる。
でもその校長先生に教わったのはそれだけじゃなかったよなあ。
いま思い返して見ると。 -
児童文学の金字塔。初めて全部読んだが、いろんな要素が詰まった素晴らしい物語だった。新米教師の成長、貧困・差別問題、子供の成長や権力との闘いだったり。人間は抵抗する姿にこそ美しさがある、みたいな言葉にはハッとさせられた。何かに立ち向かう姿は確かに美しい。その美しさがこれでもかと物語に注入されていて、一つ一つの言葉に心を揺さぶられた。物語の登場人物は様々で、いろいろな立場といろいろな心を持つ。この中で自分は誰なんだろうとふと考えたが、小谷先生や足立先生でありたいと願うが立場によっては、差別する側の無視する側の人間でもあるかもしれない。でもそうありたい、と思わせることこそがこの本のすごいところではないだろうか。教育とはなにか、生きるとは何か、をきっちりと描いた小説だった。
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子供の頃この本を読んで読書感想文を書いたことを覚えていますが、内容の記憶は「ハエが好きな男の子と若い女の先生のお話」ということぐらい。角川文庫の企画でかわいい手ぬぐい柄のカバーがかけられていて、なんとなくもう一回読んでみたくなりました。
読み返してみると、ハエを飼っている鉄三以外にもかわいらしい子供たちがたくさん出てきて、新卒で医者の娘である小谷先生が泣きながら傷つきながらも先生として精一杯この子たちと関わっていく気持ちがよくわかります。鉄三と小谷先生が少しずつ心を通わせていく様子はしみじみとうれしくほほえましいです。
子供たちだけでなく、その保護者や小学校の先生たちもいきいきとキャラクターが描き分けられていて、その背中に負っているストーリーにもぐっときます。特に鉄三の祖父、バクじいさんの過去には胸が詰まりました。
登場人物全員のストーリーが語られるわけではないけれど、誰にとってもその人の人生は一分の一のものだと改めて思いました。
物語の後半で、鉄三やその他の子供たちが暮らすごみ処理所の移転問題が持ち上がります。そこに暮らす大人たちはごみ処理所で働いていて、処理所が移転すると転居せねばならず、子供たちは慣れ親しんだ小学校を離れ、転校を余儀なくされる。しかも新しい処理所は道路が整備されておらず子供たちの安全が確保されない。移転説明会でこの安全面での懸念について大人が役所の職員を問いただしたときに職員が言い返した言葉
「きょうび、犬でも車をよける」
を読んだとき、子供時代この言葉を読んだときの衝撃がよみがえりました。ああ、そうだ、あの時もこの言葉にはすごく頭にきた…
自分の子供時代に刊行されて読んだ物語が、もはや古典のように感じられることにも驚きましたが、子供時代に読んだ本を大人になってもう一度読むとこんなに面白いのか!ということにも驚きました。
著者プロフィール
灰谷健次郎の作品





