わたしの出会った子どもたち (角川文庫)

著者 : 灰谷健次郎
  • 角川書店 (1998年6月発売)
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  • レビュー :29
  • Amazon.co.jp ・本 (281ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043520114

わたしの出会った子どもたち (角川文庫)の感想・レビュー・書評

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  • ・たとえば、朝、養護学校にいく為に、スクールバスが迎えにくる場所まで歩く数百メートルの道のりを見るだけでいい。
    かの女はたくさんの生き物を友達にしていることを知るだろう。
    仕出し屋の猫に、朝のあいさつをする。残飯を食べ過ぎて体が酸性になった猫は機嫌が悪い。そんなとき、かの女は笹の葉を猫にやるということを知っている。
    かの女は一休みする。
    やはり木の葉に止まって一休みしているハチが、体内の余分の水分を口から出すのを見ることがある。
    その小さな水玉は朝日を浴びて、このうえなく美しい。
    かの女はそれを、ハチのシャボン玉吹きといっている。
    マツバボタンにも、朝のあいさつをする。
    「おはようさん」
    といって、一本のオシベに触れる。すると、触れていない他のオシベまで、かの女の方に傾いてあいさつをする。そういう修正をかの女は知っている。
    言語障害をともなっているかの女の「おはようさん」は、もちろん他の人には「おはようさん」とはきこえない。
    しかし、ぼくはこの朝のあいさつの中に、生命の充実を感じる。言葉にならない言葉の中に優しさがこめられていることを知る。
    たった数百メートル歩くあいだに、ずいぶんたくさんの生命を見つけ、そして、それと交感している。
    そういう子どもに、ぼくたちは
    「あんな子、生きとって何の楽しみがあるんや」
    という言葉を投げつけることによって、自ら非人間となったのだ。
    スピードというものをとりこんだぼくたちは、かわりに失ったものがいくつもある。
    「あんな子、生きとって…」という言葉はそっくりそのまま、かの女からぼくたちに向かって投げ返されいる言葉なのだ。
    ある日、ぼくは重大なことを知る。
    かの女をプールに連れていったときのことである。
    危険がいっぱいの子だからと辞退する親を説得して、ぼくはかの女をおぶって連れていったのだった。
    水着に着替えさせ、水に入れると、かの女は嬉々として手足を動かすのである。
    意外だった。
    そういう子だから、水は恐がるものだとばかり思っていた。ぼくはいくぶん拍子抜けしたような気分にもなったけれど、かの女の喜びがぼくにも伝わって、ぼくは、胸が熱くなった。
    プールの端から端へ、かの女の体を支えてぼくは進んだ。
    顔に水がかかると、いっしゅん息をつめ、それから何かおいしいものでも食べたように、ぷああんと満足げに息を吐いた。
    二十五メートル進んで、かの女はプールサイドに手をかける。かの女は振り向いて笑った。ほんとうに美しい笑顔が、ぼくの顔を見上げている。
    信じられないことだった。
    麻里ちゃんが笑った。麻里ちゃんが笑っている。
    ぼくの胸に熱いものがこみあげる。
    そのとき、あることに気がついて、ぼくはぎょっとする。
    ぼくには今、かの女の笑顔が笑顔として見えている。しかし、かの女と何のつながりもない人は、かの女の笑顔が笑顔に見えないのだ。かつてのぼくがそうであったように―。

  • 1000冊ある部屋の本の中でもベストにはいる、大好きな一冊です。
    本質的に大切なことが書かれていると思います。

  • 沢木耕太郎読んだときにも感じたことだけど、俺はエッセイがダメなんだなぁ。全く興味を持てないし、字滑りを起こしているだけだ。好みの問題なんだろうけど、俺は受け付けなかった。この人の作品に期待。

  • 朝の礼拝で紹介された本です。

  • 灰谷さんの自伝的な小説。
    こどもたちの作文、感想文や手紙がとてもいい。おならという題材を違う学年の子たちが3連続で書いてきたあたりが最高で買ってしまった。
    明るい話ばかりではないが、大らかさなんかは忘れちゃいかんなと。

  • 元教員であり児童文学作家である著者の自己の歴史を振り返った自伝的なエッセイだ。
    貧しかった少年時代の鬱屈した感情、教師である自分の傲慢に気づき逃げ出した過去、沖縄と子どもに救われて再び教育の場に戻る思いなどが細かく描かれている。
    最初に刊行されたのは昭和56年。教育も、家族も、社会も、何もかもが現在とは違う。同じ直線上にある、と言われても、それでもなお違うと言わざるを得ない。
    彼が目指し求めたものは美しいけれど、いまそれを具現することは非常に難しいだろう。
    どちらが、また何がいい、悪い、という問題ではなくそう思った。また、どちらを、何を、いい、悪いと断じるのか、それは子どもを産み育てない限りわからない(意見がもてない)問題なのだとも感じた。

  • 「灰谷健次郎 著」 というだけで買った一冊です。
    関西弁で綴られる、子供たちの素直な言葉。そして、そこには子供ながらの思いや葛藤も痛いくらいに表現されています。現代から昭和初期にタイムスリップでもしたかのような印象を与えてくれました。
    子供たちは、大人が考えているよりずっと周りを見ています。しっかり考えています。友達を見て、友達と生活を共にして、恐ろしいくらいどんどんと成長していってます。子供の感受性を見くびって、知った顔をしているのは大人の方なんだろうな~。

  • 小学校低学年の自分なんてもう思い出せないけど、自分もこんな子供だったと思いたい・・という子供が沢山。灰谷健次郎も教師として素晴らしいけど、子供ってこんなに素敵なんだなー。でも、これってふた昔ほど前でこの時代だからこそなんじゃない?とも思ってしまう。今もこんな子供たちいるのかな?なんとなく都会にはスレた子ばかりの気がしてしまう。などと大人が判断してはいけないんですよね・・。

  • 文体が古かったりなまりやこどものあどけない言葉をそのまま使っているので、読みにくい部分もありますが、ありのままを伝えたい、大事にしたいという著者の気持ちが伝わってきて、それがよさでもあると思います。
    そういったことで、前半は読み進めるのに私は時間がかかりましたが、後半は「教育に対する思い・考え」について、また、それが形成される過程が描かれているのでスムーズに読むことができました。

    いずれにしても子どもの、神髄をつく鋭さ、深いところのやさしさ、などが描かれていて究極の世界といった感じもしますが、実は自分のすぐ隣にも存在している世界であり、研ぎ澄まさなければいけない視点であると、受けとめながら読み進めました。


    灰谷さんのとてもやさしくて、まじめで、実直な、そして自虐的な人柄が色濃くあらわれています。「灰谷健次郎」という人物がどうやってできあがってきたか、それがありのままに描かれている自伝的書でもあります。

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