ブランドはなぜ墜ちたか: 雪印、そごう、三菱自動車事件の深層 (角川文庫 さ 37-2)
- KADOKAWA (2002年3月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (347ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043548026
感想・レビュー・書評
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ここ1、2年で企業の不祥事が相次いでいる。しかし、もっと前から会社の存続が問われる程の問題は、様々な業種で起こっていた。何故発生し、どうして学べないのか。本著は、雪印とそごう、三菱自動車のケースを扱う。共通しているのは、「社内の誰かは、その問題に気付いている」という事だ。社長は、知らされていない事例もあったが、問題に手を染めている張本人も含めて、この事は事実だ。
では、この気付いた人間が問題改革をできるか。サラリーマンは、自分自身の損得勘定で動くのだから、改革の声を上げる人間をどう扱うか、詰まる所は、そうした人事制度に行き着くのではないだろうか。人事評価を曖昧にしたり、波風立てずを良しとする減点主義を採用する大企業は多い。そんな制度では声は上がらない。そして、問題を起こした企業が人事制度にまで手を付ける事は、残念ながら少ないのだ。何故なら、人事部自体が、波風立てず、幹部の意向をスマートに咀嚼しながらお手盛りの成果を上げる総本山だからだ。根深い。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
雪印乳業の集団食中毒事件、百貨店・そごうの破たん、三菱自動車の
クレーム・リコール隠しの3つの事件から、企業の危機管理能力と責任
意識の欠如、「ブランド」によりかかったおごりをあぶり出す。
個人的に印象に残っているのは雪印乳業の集団食中毒事件と、それに
続いた雪印食品の牛肉偽装工作だ。
名門・岩倉組から選手を引き継いた雪印アイスホッケー部は一連の
不祥事の余波を受け、長い歴史に幕を下ろした。日本のアイスホッケー
が衰退する一因でもあったのだろう。
ユニフォームには雪印ブランドのマークでもある、あの雪の結晶が
輝いていた。当時は悔しくて仕方がなかったな…。
本書でも触れられているが、雪印はそれ以前にも食中毒事件を起こして
いる。昭和30年の「八雲事件」である。
当時の社長であり「雪印中興の祖」と言われる佐藤貢は即座に製品の
回収・販売停止を指示し、新聞各紙に謝罪広告を掲載。食中毒の発生元
となった工場に自ら出向き、原因究明に当たった。
謝罪記者会見の際、記者に突っ込まれて「私は寝てないんだ」と言って
のけた社長は、初代社長の思いを忘れていたのだろうか。
「いかなる近代設備も優秀なる技術と細心の注意なくしては、一文の
価値もあらわさないばかりでなく、却って不幸を招く大なる負担である。
機械はこれを使う人によって良い品を生産し、あるいは不良品を生産する。
そして人間の精神と技術とをそのまま製品に反映する。機械はこれを使う
人間に代わって仕事をするものであり進んだ器械ほど敏感にその結果を
製品にあらわすのである。今回発生した問題は当社の将来に対して幾多の
尊い教訓をわれわれに与えている。」
佐藤貢が八雲事件の際に「全社員に告ぐ」として記した訓示の一部である。
今も企業不祥事が止まらない。過去の教訓は生かされているのだろうか。 -
ブランドの慢心ほど怖いものはない, 2004/7/30
雪印、そごう、三菱自動車など名門企業が不祥事でそのブランドを大きく傷つけている。なぜ、不祥事が起こり、なぜ不祥事に充分な対応ができなかったのか?この本が教えてくれる。強力なブランドは時として社員に心の慢心をもたらす毒素のようなものがあるのではないか、読んでいてそう感じました。何十年と築き上げたブランドも一瞬で失われる怖さも同時に感じました。
この本がでてからも企業不祥事は次から次へとでてきます。また、本書にでている三菱自動車も、その後、更なる不祥事の続発で経営そのものが揺らいでいる。やはり、企業は自社ブランドをもう一度見直す必要があると思えた
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見ての通りの内容。
企業としての倫理って何なんだろうと考えさせられる。
ただ、不祥事から得られたものもあるはず。ある意味、不祥事ってドロドロした問題が顕在化する、唯一のタイミングなのかもしれませんね。
色んな読み方ができると思います。
元は新聞のコラム(?)なんですが、名著じゃないでしょうか。