おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)
- KADOKAWA (2001年7月25日発売)
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感想 : 92件
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Amazon.co.jp ・本 (258ページ) / ISBN・EAN: 9784043574025
作品紹介・あらすじ
旅に生きた俳聖松尾芭蕉の、約5ヵ月にわたる奥羽北陸の旅日記。元禄2年(1689)3月、門弟曾良を伴って江戸を出発、各地の名所旧跡を巡って、9月の大垣到着までを記した。単なる日記を超えて、風雅の誠を求止め、真の俳諧の道を実践し続けた魂の記録であり、俳句愛好者の聖典でもある。ふりがな付きの古文現代語訳は、わかりやすいだけでなく、朗読にも最適。地図や写真など資料も豊富で、この1冊で、すべてが分かる。
みんなの感想まとめ
旅と詩が織りなす深い感動が詰まったこの作品は、松尾芭蕉の約5ヵ月にわたる奥羽北陸の旅日記を通じて、彼の俳句への情熱や風雅を求める姿勢が描かれています。原文と現代語訳が併載され、初心者にも親しみやすい構...
感想・レビュー・書評
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著者、松尾芭蕉は、ウィキペディアによると、次のような方です。
---引用開始
松尾 芭蕉(まつお ばしょう、寛永21年〈月日不明〉 - 元禄7年10月12日〈1694年11月28日〉)は、江戸時代前期の俳諧師。伊賀国阿拝郡(現在の三重県伊賀市)出身。幼名は金作。通称は甚七郎、甚四郎。名は忠右衛門、のち宗房(むねふさ)。俳号としては初め宗房(そうぼう)を称し、次いで桃青(とうせい)、芭蕉(はせを)と改めた。北村季吟門下。
---引用終了
で、本書の内容は、JPROによると、次のとおり。
---引用開始
旅に生きた俳聖松尾芭蕉の、約5ヵ月にわたる奥羽北陸の旅日記。元禄2年(1689)3月、門弟曾良を伴って江戸を出発、各地の名所旧跡を巡って、9月の大垣到着までを記した。単なる日記を超えて、風雅の誠を求止め、真の俳諧の道を実践し続けた魂の記録であり、俳句愛好者の聖典でもある。ふりがな付きの古文現代語訳は、わかりやすいだけでなく、朗読にも最適。地図や写真など資料も豊富で、この1冊で、すべてが分かる。
人生は旅──みちのく憧憬
旅立ち──弥生のあけぼの
草加の宿──旅の第一夜
室の八島──木の花咲耶姫
日光──仏五左衛門の宿
黒髪山──同行者曾良
那須野──八重撫子のかさね
黒羽──玉藻の前・那須の与一
雲巌寺──禅の師仏頂和尚の庵
殺生石──那須温泉
蘆野の柳──西行の遊行柳
白河の関──白妙の卯の花
須賀川──風流の初め
栗の花──遁世の境地
浅香山──浅香の沼のかつみ
信夫の里──しのぶもじ摺りの石
飯塚の里──佐藤氏の遺跡
飯塚──飯塚温泉の一夜
笠島──五月雨の道
武隈の松──岩沼の二木の松
宮城野──仙台の名所見物
壺の碑──多賀城出土の石碑
末の松山・塩竈の浦──琵琶法師の奥浄瑠璃
塩竈神社──和泉三郎の宝灯
松島──造化の天工
松島──雄島が磯
松島──瑞巌寺
石巻──繁華な港町
平泉──高館・光堂
尿前の関──人馬同居の宿
山刀伐峠──危険な山越え
尾花沢──紅花と蚕飼い
立石寺──岩にしみ入る蝉の声
最上川──五月雨を集めた急流
出羽三山──羽黒山
出羽三山──月山・湯殿山
酒田──海上の夕涼み
象潟──能因島・ねぶの花
越後路──佐渡の夜空の天の河
市振──遊女と萩と月
越中路──黒部川・那古の浦
金沢──愛弟子の早世
多太神社──実盛の甲
那谷──白秋の風
山中──温泉宿の美談
別離──曾良の病気
全昌寺──一夜の隔て
汐越の松──西行の歌
天竜寺・永平寺──北枝との別れ
福井──等栽という隠士
敦賀──気比神宮と遊行上人
種の浜──ますほの小貝
大垣──終着、そして新たなる旅路へ
---引用終了
昨日(7月7日)は、七夕ということで、聖教新聞に時宜を得た句として、次の一句について書かれていた。
荒海や佐渡によこたふ天河
この句は、元禄2年(1689年)発表の『奥の細道』に出てくる句である。
以下、芭蕉の活躍時期の徳川将軍を知りたくて、コパちゃんに質問した際の返答です。
芭蕉は、徳川綱吉の時代に活躍したようですね。
徳川綱吉(5代):1680–1709
→ 芭蕉の円熟期・『奥の細道』(1689)など主要活動期。
→ 芭蕉が亡くなる1694年までの約14年間は綱吉の治世。
芭蕉の代表作『奥の細道』(1689)は、
綱吉政権の元禄文化が最盛期のころに書かれました。
そのため、芭蕉は「元禄文化の中心人物」として語られ、
綱吉の治世=芭蕉の時代という理解が一般的です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
角川ソフィア文庫の『ビギナーズ・クラシックス』シリーズ。
例によって、原文、現代語訳、解説の3点セットです。
原文が全文掲載されているのが嬉しいポイントです。
寸評やコラムもややコンパクトではありますが、名所旧跡におけるエピソードや芭蕉が引用する古歌や古事について解説されています。
現代語訳については、適宜必要な語が補われながらの訳となっており、わかりやすく文意が取りやすいと思います。はじめの一冊として読みやすいものです。
一方で、わかりやすさを重視した分原文の意味や雰囲気を損なうことがしばしばあったのがやや残念でした。また、これは個人的な好みなのですが、原文にない捕捉事項については括弧書きにするなり補註を付すなり、訳文とは分けて記載して欲しいなと思いました。
付録として掲載されている文庫本・研究書の紹介を足がかりとして、より詳しく探求したいと感じました。
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古典作品を初心者向けに分かりやすく紹介する角川文庫のビギナーズ・クラシックスシリーズから「おくのほそ道」。通釈つき現代語訳→総ルビつき原文→解説・コラムの構成がとても分かりやすく、とっつきやすい。巻末の付録では、より詳しい他の本・資料の紹介や芭蕉の足跡を辿る旅程図、年譜を紹介。
私はいま転勤で岩手県南部に住んでいるが、この辺で有名な観光地に行くと至る所で松尾芭蕉ゆかりの何々とか句碑だったりを目にするので、改めてお勉強。
「おくのほそ道」は、万葉集や古今和歌集などの古歌に用いられた歌枕 聖地巡礼の旅。
無知すぎて恥ずかしいのだけど、「松島や ああ松島や 松島や」って近代に作られた観光用のコピーで、芭蕉の句ではないらしい。てっきり芭蕉が詠んだものかと……。実際のところは芭蕉さん、松島ではあまりの絶景に感動し全く句が浮かばず、寝るに寝れない。旅の同行者・曾良の句を紹介するだけだった。 -
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり……」
→時は永遠の旅人である。月も日もそして年も、始まりと終わりを繰り返しながら歩み続けて止まることはない。だから時が歩みを刻む人生は、旅そのものである……。
詩のような美しい出だし、俳人松尾芭蕉(1644~1694)の紀行文『おくのほそ道』。
人生は旅、行動する芭蕉の姿はとてもすがすがしく、勇気さえもらえます。流れる季節、やむことのない自然の営みを繊細な感覚で詠む才気、軽妙さの中にもしっかりと先人たちの文芸をふまえた風雅に感銘をうけます。
3月に江戸を発ち、東北、奥羽、北陸をめぐる芭蕉と弟子の曾良(そら)。終点の大垣まで約5か月、2000キロ以上の旅は圧巻です!
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<啄木鳥(きつつき)も 庵(いお)は破らず夏木立>
*季語=「夏木立」=夏
啄木鳥もさすがに(仏頂和尚の)この庵は敬意をはらって壊さなかったとみえ、夏木立の中に姿を保っている。
ちなみに啄木鳥は「寺つつき」という異名をもつそうで、可愛いやら可笑しいやら。
<田一枚 植えて立ち去る柳かな>
*季語=「田植え」=夏
柳の蔭で昔を偲びながら涼んでいると、早乙女たちがもう田植えを終えてしまったようだ、名残惜しいそろそろ発とう(不肖アテナイエ訳)
この句は、その昔、遍歴してこの柳の下で涼んだとされる西行の歌をうけています。
<道のべに清水流るる柳かげ しばしとてこそ立ちどまりつれ>(西行『新古今集』)
清水が流れる柳の蔭で涼んでいると、ほんの一休みのつもりが、ずいぶんと長居してしまったな。
西行の足跡を追い、暑いなかやっとたどり着いたその柳蔭で感涙にむせぶ芭蕉、それを微笑ましくながめる曾良の姿が目に映るようです。なんといっても芭蕉は大の西行ファン、そこここに敬愛する西行の歌を取り入れながら俳句にしています。ということで、私も西行ファンなので、芭蕉と意気投合したような気持ちでかなりうれしい♪
<夏草や 兵(つわもの)どもが夢の跡>
*季語=「夏草」=夏
「国破れて山河あり。城(しろ)春にして 草青(くさあお)みたり」
国は滅んでも、山河はかわることなくそのまま、城は荒れても、春になれば草は緑に萌える。
という杜甫の詩を踏まえた芭蕉の句は、無常感のただよう名句です。古戦場をまえに、人間という生き物のむなしさと、ついえた奥州の覇者への鎮魂句でもあります。
その後、芭蕉は奥羽山脈を超えると……「山形領に立石寺(りっしゃくじ)という山寺あり。慈覚(じかく)大師の開基(かいき)にして、殊に清閑の地なり……岩にいわほを重ねて山とし、松柏 年旧(としふ)り、土石(どせき)老いて苔滑(こけなめ)らかに……」
<閑(しず)かさや 岩にしみ入る蝉の声>
*季語=「蝉」=夏
9世紀(平安初期)、最澄の弟子だった慈覚大師は、比叡山の基礎を築いた名僧で、その大師の修業した幽玄な山寺に芭蕉はいたく感激しています。そして私がいたく感激するのは、つくづく『おくのほそ道』とは、その俳句のみならず、冒頭からの散文、随筆もみごとです。ときに美しい風景をみるような紀行文、ときに心が躍るような散文詩にであえます。
さて旅も大詰め、ところが大切な旅の友、曾良が体調を崩します。泣く泣く芭蕉と曾良は別れることに……。
<行(ゆ)き行きて 倒れ伏すとも萩の原>(曾良)
*季語=「萩」=秋
病人の一人旅だから途中で行き倒れになるかもしれない。それでも秋萩が咲きほこる原なら死んでも悔いはない。
車もない、スマホもない、ドクターヘリもない……読んでいてハッとさせられます。昔の旅は己の身一つ、その足だけが頼りで、いつでも死と隣り合わせです。途中で別れ別れになってしまえば、行き倒れて今生の別れになるかもしれません。なにせ天気は思いどおりにならず、その予報もままなりません。食べ物や宿を確保するのも至難のわざ、道中には悪辣な追い剥ぎもいるかもしれません。精巧な地図もGPSもない、暗い山中や峠で道なき道に迷いはて、誤って滑落するかもしれません。流れのはやい最上川で小さな船の船頭に命を預け……と想像を広げてみるだけで、なるほど、旅を無事に終えることは快挙、運を天と道祖神(旅の神)にまかせた奇跡、まぶしく生きることでもあるのですね。
芭蕉と曾良は半年近く旅をつづけ、奥羽山脈を越え、2000メートル級の月山(がっさん)に登り、さらに驚くのは、一日40~50キロを歩く、ほぼ毎日、ひたすら歩く! ということで、もともと伊賀の下級武士出身の芭蕉は、隠密としてみちのくの藩を偵察に行ったのではないか? なんてことも言われているよう(笑)。
そんな驚異と奇跡の旅を、芭蕉と曾良が案内してくれます。思えば読書は時空を超えた旅のようなもの、芭蕉いわく旅は人生、となれば、読書は自分と他者の経験と生きざまをあらためて生きる、人生でもあります。
ということで、本書は繰り返し読む旅人にも楽しめますし、はじめての旅人にもわかりやすい。現代訳、地図、興味深い小話なども用意していて、ガイダンスばっちり、至れり尽くせりの道の奥の旅になっていますよ♪-
アテナイエさん
おはようございます。
コメントといいね!有難うございます!
きょうの天気は、快晴です。
今日も一日、健康に気を付けて...アテナイエさん
おはようございます。
コメントといいね!有難うございます!
きょうの天気は、快晴です。
今日も一日、健康に気を付けて良い一日にしたいと思います。
やま2019/11/12
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やわらかく、日本人らしい奥ゆかし表現で、初夏から、晩秋にかけての風情がよい。
「おくのほそ道」とも、「奥の細道」とも。本書は前者を採用している。松尾芭蕉と、弟子曾良との、俳句付きの旅行記である。
1689年元禄2年3月27日深川を出発し、日光、仙台、鳴子、酒田、新潟、直江津、高岡、敦賀、大垣、を回って、9月8日に、伊勢長嶋に至る。
松尾芭蕉に同行した、曾良とは、出発以来、山中温泉まで同行、曾良は親戚を頼って伊勢へ、芭蕉は、そのあと越前、近江を回って、伊勢長島で再び曾良と合流するというもの。
もともと、伊賀上野の無足人の準武士であった、松尾家の出身であり、のち江戸に下り、俳諧で、俳聖と呼ばれるようになる。
野ざらし紀行、鹿島紀行、更科紀行、嵯峨日記など。
月日は百代の過客にして、行かふ年もまた旅人なり
・行く春や鳥啼き魚の目は涙 千住
・早苗とる手もとや昔しのぶ摺り 福島 信夫の里
・夏草や兵どもが夢の跡 平泉
・五月雨の降り残してや光堂 平泉
・閑かさや岩にしみ入る蝉の声 立石寺
・五月雨をあつめて早し最上川 奥州 大石田
・荒海や佐渡に横たふ天の河 越後
・一つ家に遊女も寝たり萩と月 越後 市振の関
・赤々と日はつれなくも秋の風 金沢
・むざんやな甲の下のきりぎりす 小松 多太神社
・石山の石より白し秋の風 山中温泉
・よもすがら秋風聞くや裏の山 加賀 全昌寺
・月清し遊行の持てる砂の上 敦賀 気比神宮
・蛤のふたみに別れ行く秋ぞ 大垣 これがおくのほそ道の、終句です。
目次
人生は旅―みちのく憧憬
旅立ち―弥生のあけぼの
草加の宿―旅の第一夜
室の八島―木の花咲耶姫
日光―仏五左衛門の宿
黒髪山―同行者曾良
那須野―八重撫子のかさね
黒羽―玉藻の前・那須の与一
雲巌寺―禅の師仏頂和尚の庵
殺生石―那須温泉〔ほか〕
葦野の柳―西行の遊行柳
白河の関―白妙の卯の花
須賀川―風流の初め
栗の花―遁世の境地
浅香山―浅香の沼のかつみ
信夫の里―しのぶもじ摺りの石
飯塚の里―佐藤氏の遺跡
飯塚―飯塚温泉の一夜
笠島―五月雨の道
武隈の松―岩沼の二木の松
宮城野―仙台の名所見物
壺の碑―多賀城出土の石碑
末の松山・塩竃の浦―琵琶法師の奥浄瑠璃
塩竃神社―和泉三郎の宝灯
松島―造化の天工
松島―雄島が磯
松島―瑞巌寺
石巻―繁華な港町
平泉―高舘・光堂
尿前の関―人馬同居の宿
山刀伐峠―危険な山越え
尾花沢―紅花と蚕飼い
立石寺―岩にしみ入る蝉の声
最上川―五月雨を集めた急流
出羽三山―羽黒山
出羽三山―月山・湯殿山
酒田―海上の夕涼み
象潟―能因島・ねぶの花
越後路―佐渡の夜空の天の河
市振―遊女と萩と月
越中路―黒部川・那古の浦
金沢―愛弟子の早世
多太神社―実盛の甲
那谷―白秋の風
山中―温泉宿の美談
別離―曾良の病気
全昌寺―一夜の隔て
汐越の松―西行の歌
天竜寺・永平寺―北枝との別れ
福井―等栽という陰士
敦賀―気比神宮と遊行上人
種の浜―ますほの小貝
大垣―終着、そして新たなる旅路へ
ISBN:9784043574025
出版社:KADOKAWA
判型:文庫
ページ数:258ページ
定価:680円(本体)
発売日:2002年06月15日 第4版 -
p245
旅本、旅ブログ、俳句
松尾芭蕉独身
松尾芭蕉忍者説
芭蕉と曾良そら
出羽三山
松尾芭蕉といえば「俳句を詠む人」とばかり思われがちですが、実際は「旅人」ですよね。
★★「この先はるかな旅路なのに、もうこんな病にかかるとは、と不安であるけれども、「こんどの旅は僻地を行脚する旅であり、人世の無常を観じ、身を捨てる覚悟で出発したのだから、たとい道でのたれ死にしようとも、それもまた運命というものだ」と開き直り、気を取り直すと、大きく勇んで道を踏みしめる伊達な足どりで、伊達の大木戸(地名)を越した。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「【解説】『おくのほそ道』は冒頭に芭蕉の人生観を掲げた。ただし、人生すなわち旅という観念は、芭蕉の独創ではない。古代中国の唐の詩人李白や杜甫、日本の歌人西行や宗祇などの生き方に、芭蕉は学んでいる。むしろ、その人生観を実生活のなかで徹底したところに、芭蕉の独創がある。 また、冒頭は、李白の「春夜、桃李園に宴するの序」にある「夫れ、天地は万物の逆旅( =旅館)にして、光陰( =月日)は百代の過客なり。而して浮生( =はかない人生)は夢の若し」(『古文真宝後集』)に倣ったといわれる。 しかし、芭蕉と李白とでは、時間に対する姿勢がまるで違う。李白は、過ぎた時間は取り戻せないのだから、今を精いっぱい楽しもうと勧める。いっぽう、芭蕉は、時間のただ中に飛び込んで、人生の真の意味をつかみ出そうというのだ。 書に埋もれて推敲する詩人ではない芭蕉は、時間 =旅人 旅 =人生という真実を追求するために、書斎を捨てた。だから、その結果として生まれた『おくのほそ道』は、まさに行動の書にほかならない。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「【コラム】 「芭蕉」と「はせを」 * 1 * 2「芭蕉」という名は、もともと庵号であって、俳号ではなかった。正式な俳人としての名である俳号は「桃青」といった。その由来は、古代中国の詩人李白にちなんでいる。李(スモモ)に対して桃、白に対して青を選んだ点に、自信にあふれた対抗意識を感じさせる。なお、芭蕉は桃が好きとみえて、弟子(桃夭)や甥(桃印)の命名にも用いている。 一方、「芭蕉」は自分が住んだ草庵(小家)の名前である。三十七歳のとき、江戸深川に居を移したが、その草庵を、李白と並ぶ中国の大詩人杜甫の詩句にちなんで、「舶船堂」と名づけた。ところが、翌年の春、弟子の李下が芭蕉の株を寄贈した。それを植えたために、「芭蕉庵」と呼ばれるようになり、本人自身も「芭蕉」と号した。以後、「芭蕉庵桃青」と署名するようになる。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
芭蕉が、おくのほそ道を書くに至った旅に出たのは47歳だったっけ? このままだらだら仕事していいのか、というのを、考え時の年齢ですなあ。
『芭蕉 おくのほそ道』
有名な本だけれど全編を読んだ人は意外に少ないかも。古文といっても、江戸時代なので読みにくくはないし、簡潔な文が気持ちいくらい。全然厚くない。
『芭蕉 おくのほそ道』
言わずと知れた松尾芭蕉の紀行。奥羽から北陸をぐるりと廻る徒歩の旅。
「【コラム】 同行者曾良の素顔 芭蕉の旅には常に同行者がいた。そのなかでも、温厚篤実な曾良はすぐれた秘書だった。信州(長野県)上諏訪の出身で、本名岩波庄右衛門、通称河合惣五郎。三十代の半ばまでは、伊勢長島藩に仕えたが、江戸に出て、芭蕉に俳諧を学んだ。芭蕉庵近くに住んで、師の日常生活の世話もした。『おくのほそ道』の旅では、コースの下調べ、資料収集、旅費の会計などを担当し、丹念な記録『随行日記』を書き残した。この日記によって、事実の記録と思われていた『おくのほそ道』が、実は創作を少なからず含んでいることが判明した。『おくのほそ道』研究には欠かせない第一級の資料である。 ところで、曾良は、芭蕉一筋の門弟と思われがちだが、俳人以外の別の顔をもっていた。彼は、神官に講義するほど神道学に通じていたし、地理学にもくわしかった。しかも、公用かと思われる単独の旅が多かった。その旅の理由も不明な点が多い。 曾良は、芭蕉没後、宝永七(一七一〇)年に幕府派遣の巡見使(地方視察官)として九州に出向き、壱岐の島で客死した。享年六十二歳。師芭蕉と同じく、旅に生涯を終えはしたが、謎に包まれた部分を残したままである。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「【コラム】 役の行者 本名は役の小角。役の優婆塞ともいう。七世紀後半に活躍した伝説的な山岳修行者。大和葛城山で修行し、吉野の金峰山や大峰山などを開き、修験道の開祖として崇拝された。いわゆる山伏の先祖である。法力にすぐれ、鬼神を使って水を汲ませ、薪を採らせたという。国の内外の新思想を取り入れ、独自の山岳宗教を発展させたが、反対派に陥れられて伊豆の大島に流された。後に許されて唐に渡ったと伝える。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
今回旅してわかったのは、「松尾芭蕉の旅(おくのほそ道)も決して楽ではなかった」だな。俳句詠みながらのほほんと旅していそうなイメージがあったけれど、移動日は「まだ着かねえのかよ、あと何里だよ」とか思ってたと思う。東北はでかい。
「【解説】 芭蕉が仏頂和尚の山居の跡を訪ねたのは、黒羽滞在中のことである。しかし、禅の師、仏頂和尚に敬意を払うために、他の名所見物の記事とは別に、一章を特設した。 仏頂和尚は、茨城県鹿島に生まれ、芭蕉より四歳年上である。江戸深川に住んだおり、芭蕉と懇意になり、以後、芭蕉は、仏頂和尚を参禅の師として仰いできた。今回の奥州の旅に出る二年前には、鹿島に和尚を訪ねて、俳文『鹿島紀行』を編んでいる。 師の修行の跡を訪ねることが、いかに俳諧精神の錬磨に必要であるか、芭蕉は十分承知していた。 雲巌寺は、一二八三年に執権北条時宗が建立した禅寺に始まる。時の名僧が寺務をあずかり、地方の名刹となった。一五九〇年、豊臣秀吉に伽藍を焼かれたが、江戸期に再興して今日に至っている。 雲巌寺の境内にある十か所の美しい眺めは、「雲巌寺十景」と呼ばれて人々に愛されていた。その名称をあげると、海岩閣・竹林・十梅林・竜雲洞・玉几峰・鉢盂峰・水分石・千丈岩・飛雪亭・玲瓏岩である。(曾良の『随行日記』による)」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
俳句の場合、句だけで自立して言語芸術として評価されるものだけが、価値あるものでもないように思う。『おくのほそ道』『おらが春』のように文章や自句解説と一体となって輝く句もあるし、体験や興味、価値観を分かち合っている仲間や家族には説明抜きに届くけれど、それ以外の人には意味不明な句も。
「【解説】 殺生石は、美女に化けた妖狐が射殺されて石になったという伝説の溶岩石である。周囲から有毒ガスを噴出し、近づくものを殺したという。可憐かつ華麗な蜂や蝶の死骸が、無数に重なり合うさまを目にした芭蕉の脳裏には、妖艶かつ怪奇な美女の面影が浮かんでいたに違いない。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
ビートたけしは、現代の松尾芭蕉。弟子がたくさんいるが、どの弟子もみんな小物だという点が似ている。
【俳聖・松尾芭蕉が2,400kmもの過酷な旅を歩き抜けた秘密は「足のツボ」にあった!?】
東洋医学の「お灸」や「ツボ押し」。どこか「気休め」だと思っていませんか?
実は芭蕉が愛した【足三里(あしさんり)】というツボ、最新の科学研究で「全身の免疫を操る物理スイッチ」であることが証明されつつあるんです!
◆「灸の跡がない者とは旅をするな」江戸時代のガチすぎる掟
◆気休めじゃない!「迷走神経」をハッキングする驚きのメカニズム
◆リモートワークの疲れにも効く「回復の隠しボタン」の押し方
先人たちが自らの体で見つけ出した、究極のバイオハック!
今夜から絶対に試したくなる、極上のサイエンス・ヒストリー!
1694年11月28日、松尾芭蕉が亡くなりました。
和歌の余興であった俳諧を芸術性の高い句風として確立し、俳聖として世界的にも知られています。
東北、北陸地方を150日間かけて巡った紀行文である「奥の細道」が有名で、
「夏草や 兵どもが 夢のあと」など、現代でも親しまれている句が数多くあります。
松尾芭蕉
↓ざっくり50年
与謝蕪村
↓ざっくり50年
小林一茶
↓ざっくり100年
正岡子規
「この先はるかな旅路なのに、もうこんな病にかかるとは、と不安であるけれども、「こんどの旅は僻地を行脚する旅であり、人世の無常を観じ、身を捨てる覚悟で出発したのだから、たとい道でのたれ死にしようとも、それもまた運命というものだ」と開き直り、気を取り直すと、大きく勇んで道を踏みしめる伊達な足どりで、伊達の大木戸(地名)を越した。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「【解説】 末の松山では、墓群を見つめながら、どれほど固い愛情で結ばれた男女でも、死の前には無力であることを痛感する。 塩竈では、夕景色のなかに海辺の情緒を味わった。琵琶法師は、琵琶を弾きつつ物語(鎌倉以後、主に『平家物語』)を語る盲目の法師で、平安末から明治まで続いた。 夜は、その法師の語る奥浄瑠璃を耳にして、みちのくに伝わる芸能に感興を覚えた。 この奥浄瑠璃とは、奥州の伊達藩(宮城県)・南部藩(岩手県)に伝承された浄瑠璃で、源義経の東下りを題材にした作品が多かった。昭和初期まで継承されていたが、現在はとだえた。 芭蕉は、『平家物語』を語る平曲(平家琵琶)でもなければ、中世の武士階級で流行した幸若舞でもないと言った。それだけ、みちのくに根づいた芸能の地方色が濃かったのだろう。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「人は、人の道に従うよう努め、義理を守るべきである。そうすれば、名誉も、自然に後からついてくる」と、古人も言っているが、まさにそのとおりだ。 日はもう正午に近い。日の暮れないうちにと、船を雇って松島に渡った。塩竈からは海上約八キロ、まもなく雄島の海岸に到着した。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「芭蕉忍者説というのが流行したことがある。芭蕉一行が『おくのほそ道』の旅で、一日に五十キロ余りも歩いたという異常な健脚ぶりから、特殊訓練を積んだ忍者であろうというのである。この忍者説のほかに、旅の本当の目的は外様の雄藩、伊達藩の視察だったとする、公儀隠密説もあった。俳人である特権を利用して、何度も旅行したのは、密命を帯びて、旅先の藩の動静を探るためだったというのだ。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「にもかかわらず、そうした好意をあえて削除したのは、芭蕉の深い構想力からである。石巻の次の土地こそ、今回の旅の目的地、平泉である。しかも、石巻の前は松島だった。石巻は、松島と平泉の中間に位置して、両地を取り持っている。 太平洋側の二大名所が松島と平泉である。その中間地点、石巻は引き立て役にまわるのがよい。石巻で難渋すれば、それだけ松島・平泉の風光は輝きを増すしかけだ。「石巻」の章段は地味だが、名脇役を演じている。 この一章は、いろんな虚構を加えているとされるが、風雅を求める旅という初志を貫くための創意工夫と考えておこう。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「【訳文】 尾花沢(山形県尾花沢市)では、清風という俳人を訪ねた。彼は紅花問屋を営む豪商だが、志の高い人格者である。京都にも商用で出かけることが多く、旅人の心情をよく理解していたから、私たちを何日も引きとめて、長旅の苦労をねぎらい、いろいろともてなしてくれた。そうした清風の厚意に対して、次のような挨拶の句を贈った。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「立石寺──岩にしみ入る蟬の声【訳文】 山形藩の領地に立石寺(山形市山寺)という山寺がある。慈覚大師の建てたもので、じつに清らかで静かなたたずまいである。一見の価値がある、と勧められたので、尾花沢から引き返して、山寺に向かったが、道のりは三十キロ近くあった。 日暮れにはまだ間がある。そこで、参拝者を泊める麓の坊に宿を借りておいて、山上の本堂に登った。 登ってみると、そこは、岩また岩が幾重にも重なりあって山をなし、松や檜などの老木が茂りあい、土も石も古色を帯びて苔がなめらかに覆っている。岩上に建てられた十二の御堂は、どれも扉を閉めきって、物音ひとつしない。 岩場のふちを回ったり、岩の上を這ったりして、ようやく本堂を拝むことができた。ひっそりと静まりかえった、すばらしい風景のなかで、ひたすら心が澄みゆくのを感じた。 閑かさや岩にしみ入る蟬の声 立石寺は全山、夕暮れのなかに静まりかえっている。その静寂のなかで、蟬の声だけが、岩にしみとおるように聞こえてくる。季語―蟬(夏)」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「最上川──五月雨を集めた急流 *【訳文】 最上川を船で下ろうと思い、大石田という所で舟遊びによい晴天を待った。この地方には、古くから俳諧の種がまかれ、今なお花開いた昔をたいせつにしている。蘆笛・角笛の音を楽しむような素朴な趣味を、俳諧によって洗練していた。 この人たちから、「自分らは俳諧の道を、手さぐり足さぐりでたどたどしく歩んでいますが、新しい句風に進むべきか、古い句風を守るべきか、迷っています。ところが、適当な指導者がいなくて困っています。どうかひとつ」と、頼まれたので、断りきれず、連句一巻を作って残すことになった。こんどの俳諧修行の旅も、こうして俳諧指導の旅にまで発展してしまったのである。 最上川は奥州に源を発して、その上流は山形領である。中流には碁点・隼(村山市)などという恐ろしい難所がある。川は板敷山の北方を流れて、最後は酒田の海に注いでいる。 川の両岸は、山が覆いかぶさるように迫り、樹木の生い茂るなかを船が下って行く。こうした船に稲を積んだのを、古歌では「稲船」というらしい。 白糸の滝は、北岸の青葉の間から流れ落ち、仙人堂(外川神社)は川岸に臨んで建っている。川の水は満々とみなぎり流れ、船を下すのが危険なほど速い。 五月雨をあつめて早し最上川 もともと急流の最上川が、折からの五月雨を集めて増水し、すさまじい勢いで流れ下っている。季語―五月雨(夏)」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「出羽三山──羽黒山 *【訳文】 六月三日(陽暦七月十九日)、羽黒山に登った。図司左吉(俳号呂丸)を訪ね、彼の紹介で羽黒権現(出羽神社)の御住職、会覚阿闍梨にお目にかかった。阿闍梨は、私どもを南谷の別院に泊めて、心こまやかに、もてなしてくれた。 翌日の四日、会覚阿闍梨のお住まいになる本坊で連句会が催された。その折、私は次のような発句を詠んだ。 ありがたや雪をかを〈オ〉らす南谷 暑い夏の盛りなのに、この南谷には残雪があるのか、雪の香のする涼風が吹いてくる。清浄な霊地の尊さが身にしみるようだ。季語―(風)かを〈オ〉る(夏)」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「天台宗の悟りの教えは、明月の光のように澄みわたり、その月光に灯火の光が輝きを添えるように、あらゆる仏法がここでは完全円満に行われている。修験者たちの住居がびっしりと立ち並び、修行に励んでいる。この霊山霊地の御利益のすばらしさを、人々はあがめ貴ぶとともに、つつしみおそれている。出羽三山の繁栄は永遠不滅と思われ、まことに最高最上の霊山といってよい。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「【解説】 ふたたび酒田に戻って、幾日か滞在した後、海岸伝いに、越後から越中の国市振の関に歩を進めた。省筆が目立ち、芭蕉に長旅の疲れがみえてきたが、この間に、『おくのほそ道』随一の絶唱「荒海や」の句の着想を得た。「北陸道」は、古代の国道で日本海に沿った幹線道路。若狭・越前・加賀・能登・越中・越後・佐渡の七か国、現在の福井・石川・富山・新潟の四県に通じる街道。「ほくりくどう」とも。別に「越路」とも呼ばれた。「市振の関」(新潟県糸魚川市)の所在地を、越中の国(富山県)としたのは、芭蕉の勘違いだろうとされる。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「【解説】 山中温泉では和泉屋という宿屋に泊まった。主人は久米之助といい、まだ十四歳の少年である。当家には、本文にあるように、父親(実は祖父)と俳人安原貞室とにまつわる美談が伝えられていた。それが、芭蕉の心を動かしたものか、久米之助に「桃夭」という俳号を授けている。山中や菊はたをらぬ湯の匂ひ 山中温泉の湯の効能は、菊を手折る必要なんかないほどすばらしい、というコピーまがいの挨拶の句である。 菊には古くから長寿延命の効能があるといわれてきた。日本には八世紀後半(奈良時代末期)に中国から輸入されたが、やはり薬用効果が重んじられた。貴族たちは重陽(九月九日)の節句に菊花を浸した酒を飲んだり、菊花に置く露を化粧水に用いたりして、若さを保つことを願った。皇室の紋章に選ばれたのも、他の花がみな枯れる秋にあって、ひとり咲き誇る生命力の強さが愛でられたのだ。今日のように観賞用として、広く栽培されるのは江戸時代に入ってからである。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「ただし、芭蕉は悲嘆に溺れているわけではない。「今日」からは、これまで寝起きを共にしてきた曾良がいなくなる。自分一人で事を処理しなければならない。そうした強い決意が「書付消さん」から読みとれる。 思えば、一人旅こそ芭蕉の目指した理想の旅である。曾良と別れることによって、かえって芭蕉はほんらいの自分に立ち戻ることができた。金沢から福井の天龍寺まで、弟子の北枝が供をしてきたが、とうてい曾良に代わることはできなかった。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「【解説】『おくのほそ道』のなかでも、とりわけ俳味のあふれた場面である。等栽は、十年以上会っていない旧友だが、そんな歳月の長さなど、二人にとって少しも妨げにはならない。再会したとたん、意気投合して、芭蕉は二晩も世話になったあげくに、等栽と連れだって名月を訪ねる旅に出た。 等栽は、芭蕉好みの超俗の俳人である。彼の妻も浮世ばなれした似たもの夫婦だ。妻に面会する場面では『源氏物語』夕顔の巻の場面をパロディ化しているが、要するに、王朝物語の雅を俳諧の俗に移植したのである。いわば、俗よく雅を制するの図だ。 等栽は、珍妙な出で立ちで案内役を買ってでて、芭蕉の前を行く。その後ろからついて行く芭蕉の、微笑する姿が目に浮かぶようだ。まことに、等栽夫婦そのものが俳諧なのである。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「一方、芭蕉には妻子がいないとされている。芭蕉を俳聖として偶像視する風潮のなかで、芭蕉独身説は今なお根強いものがある。 しかし、明治期になって、芭蕉書簡に登場する寿貞という尼をめぐり、さまざまな憶測が飛び交った。なかでも、偶像破壊の論争を巻き起こしたのは、寿貞が若き日の芭蕉の愛人だったという説である。これが寿貞内妻説となった。また、寿貞が連れてきた、まさ・ふう・次郎兵衛の三人の子どもが、芭蕉の実子かどうかをめぐっても調査が続いている。ただし、芭蕉が寿貞らに対して深い愛情を寄せている点は、諸説が一致している。 妻子関係が確定できないのも、あるいは芭蕉の俳諧精神のなせるわざかもしれない。識者たちの熱い闘いを、あの世で微苦笑しながら見下ろしている芭蕉の姿が目に浮かぶようだ。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「やはり、俳諧一筋の道をまっしぐらに突き進む強烈な求道精神が、彼の旅の人生を貫いていたのではなかろうか。芭蕉の人生においては、体力よりも気力のほうが優先しているようだ。 そうして見ると、蕎麦・酒・茶という食志向も、なにやら栄養価を超えた気力の充実に役立ちそうに思えてくる。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「一六八〇(延宝八)年、三十七歳の冬、桃青は俳諧師の稼業を捨て、隠者の道を選んで深川に居を移した。俳諧を愛するよりも、弟子の数を競い、人気を争う俗悪な宗匠生活に見切りをつけ、文学と生活を一体化した真の俳諧道をめざしたのである。 深川に退くことは、俗物の宗匠たちから見れば、敗北であり落伍であった。しかし、俳諧の理想を実現するために、「乞食の翁」となって無収入の道を選んだ師を、弟子たちは心から喜び、生活の支援を惜しまなかった。こうして、師弟一体となって、独自の俳諧道を切り開き、いわゆる「蕉風」が開眼するのである。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「 一六八四(貞享元)年八月、四十一歳の芭蕉は、初めて真の俳諧道を実践する旅に出た。以降、七年三ヶ月の間、俳諧の旅は通計四年三ヶ月に及んだ。『野ざらし紀行』の旅、『鹿島詣』の小旅行、『笈の小文』『更科紀行』の旅、『おくのほそ道』の旅、『幻住庵の記』『嵯峨日記』の旅がそれである。 なかでも『おくのほそ道』の旅は、蕉風が大きく進化する契機を与えた。「不易流行」という俳諧理念を口にし始めたのは、この旅以来であるという。 また、その後の近畿の旅では、理想の詩境として「軽み」を説いた。文人の気負いを捨てて、平凡な一庶民の日常の哀歓を、淡々と写し取るのが「軽み」の手法である。芭蕉が最終的に到達した境地は、私心を去ったまごころの世界であった。そこには、深川で学んだ禅の精神や、愛読した古代中国の哲学書『荘子』の反俗精神がみごとに漉きこまれている。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
「 一六八四(貞享元)年八月、四十一歳の芭蕉は、初めて真の俳諧道を実践する旅に出た。以降、七年三ヶ月の間、俳諧の旅は通計四年三ヶ月に及んだ。『野ざらし紀行』の旅、『鹿島詣』の小旅行、『笈の小文』『更科紀行』の旅、『おくのほそ道』の旅、『幻住庵の記』『嵯峨日記』の旅がそれである。 なかでも『おくのほそ道』の旅は、蕉風が大きく進化する契機を与えた。「不易流行」という俳諧理念を口にし始めたのは、この旅以来であるという。 また、その後の近畿の旅では、理想の詩境として「軽み」を説いた。文人の気負いを捨てて、平凡な一庶民の日常の哀歓を、淡々と写し取るのが「軽み」の手法である。芭蕉が最終的に到達した境地は、私心を去ったまごころの世界であった。そこには、深川で学んだ禅の精神や、愛読した古代中国の哲学書『荘子』の反俗精神がみごとに漉きこまれている。」
—『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
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中学、高校などで古典に触れた方は一度は聞いたことがあるはずの『奥の細道』わたしも知ってるはず。だけど、うん?旅の日記だよね~俳句詠むんだよね~くらいの知識。おじいちゃん2人が黒っぽい着物を着て歩いている絵をぼんやり思い浮かべる程度。
改めて今回手にとってみたビギナーズ・クラシックスシリーズ。このシリーズ読みやすくて、近頃少しずつ集めてる。
まずは、あの2人のおじいちゃん、おじいちゃんって年齢ではなかった!彼らは松尾芭蕉と弟子の曾良なのね。芭蕉の曾良への信頼度はすごく厚いみたいで、弟子というよりも同じ修行者の友として一緒に旅をしている。曾良の話にはしっかりと耳を傾け、また彼が病気により芭蕉の元から離れることになったときは、とてつもなく悲しんでいる様子が窺える。この曾良はしっかり者で、旅の記録を『随行日記』として残している。『奥の細道』には芭蕉の創作が少なからず含まれているようで、コースの下調べ、資料収集、旅費の会計などを担当した曾良の記録は、信頼出来る資料なのだそうだ。
この2人いいコンビだなぁ。
感激屋で細かいことは気にせずに思いのまま旅を楽しむ師匠。そんな師匠にちょっぴり尻拭いをさせられながらも彼が災いに巻き込まれないように気を配る真面目な弟子。そんなイメージがわたしの中に生まれた。
松島の美観を描いた芭蕉の随筆は、彼の感動が表れていて素敵だと思う。それと、義経の悲劇、藤原三代の栄枯盛衰、平泉で詠まれた芭蕉の鎮魂の句であろう《夏草や兵どもが夢の跡》がやっぱりわたしは一番好きだな。 -
国語の教科書ではなかなか頭に残らないものだが、このビギナーズクラッシックスのシリーズはかなり読みやすい。
今朝の東野圭吾先生も会社の方にお借りした本だが、これまた別の会社の方にお借りした。
文学は苦手で、お借りしてから半月ほど手に取ることができなかったが、読んでみるとあっという間に読み終わる。
解説が易しく、情景も掴みやすい。
なじみの俳句ももちろん登場し、少し嬉しい気持ちになる。
東北旅行してみたくなる、そんな一冊。 -
「おくのほそ道」と言えば
“月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、、、”の冒頭の言葉で始まる松尾芭蕉の名作である。又
平泉での “夏草や兵どもが夢の跡”
立石寺での “岩にしみ入る蝉の声”
酒田で “暑き日を海に入れたり最上川”
越後路での “荒海や佐渡に横たふ天の河”などなどの有名な俳句で知られている。私には これくらいの知識しかなかった。一度読んで見たい気持ちはあったが とても無理、無理とあきらめていた。
そんな時 この角川の“ビギナーズ・クラシックス の日本の古典”シリーズの「おくのほそ道」と出会う。
最初に思ったのが、なんと読みやすいことか。
現代語訳、ふりがな付きの古文、解説文、エピソード、イラスト、地図や写真付き。初心者には盛り沢山の案内本だ。さすがの古文音痴のの私でも 途中で投げ出さず 最後まで楽しんで読めてしまった。
46歳にして 150日間かけて 約2400km(江戸・深川〜東北〜北陸〜大垣)を歩き通した芭蕉。
身体の不調、悪天候、宿探しにも苦労しながらも
それでも 旅に人生の真の意味をつかもうと歩く。不屈の精神を感じる。
もっと早く出会いたかったが、これからは
座右の書ではないが、手元に置いて 折々にまた読み返したい。
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名前だけは知っていたので読んでみた
簡単な和訳と解説が載っているので理解しやすい
松尾芭蕉の旅を追体験している気分になり、とても面白かった -
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【きっかけ】
「徒然草」「方丈記」と古典を読んでみて、次は少し雰囲気の違う古典を読もうと手に取った一冊。
また、「鎌倉殿の13人」を視聴しながら、和歌に自分の気持ちをのせることの素晴らしさに惹かれ、俳句について知りたいと思ったのもきっかけの一つ。
【感じたこと】
上手く表現はできないが、5・7・5という短文の中に情景描写という形で自らの想いをのせることの奥深さを感じた。ただ、自分的に一番面白いと思ったことは、松島にて芭蕉が句を詠まなかったこと。句を詠むということ自体が目的にはなっていないのかととても感動した。 -
中学校の国語の教科書に載っていた平泉と立石寺が文と共に俳句があったので、場所ごとに俳句があると思い込んでいたのですが、基本は紀行文であることがわかり少し驚きました。
読み進めて行くと自分も一緒に旅をしているような気がしてきて、読み終わると、芭蕉の足跡を辿りたいほどになります。
俳句に目が行きがちですが、文も素晴らしく、特に芭蕉が心を動かされたのではないかと思われる章は読んでいて心地良いほどです。 -
外国人の知り合いが、松尾芭蕉のおくのほそ道に感化されて、その道の一部を歩いたという話を聞き、なぜそこまで惹かれるのだろう?と手に取った。歌に興味があるわけではないので、共感できる部分はその点では少ないが、それでも人生を旅とみなし、実際に命懸けの旅に出る様を感じると、異なる人生観を突き付けられて考えさせられる。
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旅がしたくなる‼️
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解説付きで読みやすい。
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山形の立石寺や最上川、宮城の石巻、松島は行ったことがあるので思い出しながら読んだ。
旅行記っていってもやはり情景を際立たせるために多少の創作や誇張が混じっている。写実的なものではなく、文学・芸術性を意識している「作品」なのだ。今の人間では考えられないほどの体力だけど、逆に歩きすぎたり動物性たんぱく質をとらない酒や蕎麦だけの食事だったから、51歳という若さで亡くなってしまったのだろうか。芭蕉だけでなく昔の人は今より寿命短いけど。でも今の人より絶対昔の人の方が体力ある。 -
芭蕉がおくのほそ道の旅に出た3月下旬(陽暦では5月中旬だが、原文尊重で)になると、読みたくなる(仕事の繁忙期で、とても旅行などに行ける時期でもないこともあり)。
訳者の絶妙な補足や解説もあってか、ひとつひとつの句に、人間らしさ、もっと言うと人間臭さが感じられる。
俳聖・芭蕉といっても、どこか遠くの高尚な人というよりも、身近なおじさんという感じ(失礼)。
芭蕉が敬愛した西行を次は読んでみたくなった。 -
五十数歳にして「おくのほそ道」ビギナーにとって、素晴らしい入門書。これをきっかけにより詳しく知りたい人向けに、色々な参考資料も載っている。
自分的にはこれ1冊で「おくのほそ道」のエキスパートにでもなった風にすら感じている。 -
松尾芭蕉、有名過ぎて読んだことなかった。
現代語訳があるので読みやすいです。旅をしながら俳句、当時の旅は今と違い結構過酷だったでしょう。その中で作られた俳句、感慨深いです。 -
正直、私の中の松尾芭蕉のイメージは『ギャグマンガ日和』の芭蕉でしかなかった。
改めてこの『おくのほそ道』を読むと、松尾芭蕉というひとの人間性の一端が垣間見える。
’俳聖’と呼ばれるような人物でも愚痴も溢すし疲れもするし気の合う人と会えばちょっとだらけもする
し師匠リスペクトが過ぎる面もあるし…なんとも親しみを感じる。
驚異の移動力には素直にびっくり。夕飯食べてから普通に出かける距離ではないような気が。
俳句そのものに対してどうこうは言えないが、自然や景色、更には自分の心に対して本当に素直に真で向き合っているのだな、という事は感じる。
ビギナーズクラシックスらしく読みやすい。
地図・年譜も完備で隙がない。
コロナが明けたら旅に出よう。
出来たら芭蕉の足跡を辿る旅をしたい。
45刷
2021.6.8
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