おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川文庫ソフィア 100 ビギナーズ・クラシックス)

制作 : 角川書店 
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  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043574025

作品紹介・あらすじ

2019年11月10日祝賀御列の儀 芦田愛菜さん祝辞で話題!
俳聖芭蕉の最も著名な紀行文、奥羽・北陸の旅日記を全文掲載。ふりがな付きの現代語訳と原文で朗読にも最適。コラムや地図・写真も豊富で携帯にも便利。風雅の誠を求める旅と昇華された俳句の世界への招待。

感想・レビュー・書評

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  • 「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり……」
    →時は永遠の旅人である。月も日もそして年も、始まりと終わりを繰り返しながら歩み続けて止まることはない。だから時が歩みを刻む人生は、旅そのものである……。

    詩のような美しい出だし、俳人松尾芭蕉(1644~1694)の紀行文『おくのほそ道』。
    人生は旅、行動する芭蕉の姿はとてもすがすがしく、勇気さえもらえます。流れる季節、やむことのない自然の営みを繊細な感覚で詠む才気、軽妙さの中にもしっかりと先人たちの文芸をふまえた風雅に感銘をうけます。
    3月に江戸を発ち、東北、奥羽、北陸をめぐる芭蕉と弟子の曾良(そら)。終点の大垣まで約5か月、2000キロ以上の旅は圧巻です!

    ***
    <啄木鳥(きつつき)も 庵(いお)は破らず夏木立>
    *季語=「夏木立」=夏
    啄木鳥もさすがに(仏頂和尚の)この庵は敬意をはらって壊さなかったとみえ、夏木立の中に姿を保っている。
    ちなみに啄木鳥は「寺つつき」という異名をもつそうで、可愛いやら可笑しいやら。

    <田一枚 植えて立ち去る柳かな>
    *季語=「田植え」=夏
    柳の蔭で昔を偲びながら涼んでいると、早乙女たちがもう田植えを終えてしまったようだ、名残惜しいそろそろ発とう(不肖アテナイエ訳)

    この句は、その昔、遍歴してこの柳の下で涼んだとされる西行の歌をうけています。

    <道のべに清水流るる柳かげ しばしとてこそ立ちどまりつれ>(西行『新古今集』)
    清水が流れる柳の蔭で涼んでいると、ほんの一休みのつもりが、ずいぶんと長居してしまったな。

    西行の足跡を追い、暑いなかやっとたどり着いたその柳蔭で感涙にむせぶ芭蕉、それを微笑ましくながめる曾良の姿が目に映るようです。なんといっても芭蕉は大の西行ファン、そこここに敬愛する西行の歌を取り入れながら俳句にしています。ということで、私も西行ファンなので、芭蕉と意気投合したような気持ちでかなりうれしい♪

    <夏草や 兵(つわもの)どもが夢の跡>
    *季語=「夏草」=夏
    「国破れて山河あり。城(しろ)春にして 草青(くさあお)みたり」
    国は滅んでも、山河はかわることなくそのまま、城は荒れても、春になれば草は緑に萌える。

    という杜甫の詩を踏まえた芭蕉の句は、無常感のただよう名句です。古戦場をまえに、人間という生き物のむなしさと、ついえた奥州の覇者への鎮魂句でもあります。

    その後、芭蕉は奥羽山脈を超えると……「山形領に立石寺(りっしゃくじ)という山寺あり。慈覚(じかく)大師の開基(かいき)にして、殊に清閑の地なり……岩にいわほを重ねて山とし、松柏 年旧(としふ)り、土石(どせき)老いて苔滑(こけなめ)らかに……」

    <閑(しず)かさや 岩にしみ入る蝉の声>
    *季語=「蝉」=夏

    9世紀(平安初期)、最澄の弟子だった慈覚大師は、比叡山の基礎を築いた名僧で、その大師の修業した幽玄な山寺に芭蕉はいたく感激しています。そして私がいたく感激するのは、つくづく『おくのほそ道』とは、その俳句のみならず、冒頭からの散文、随筆もみごとです。ときに美しい風景をみるような紀行文、ときに心が躍るような散文詩にであえます。

    さて旅も大詰め、ところが大切な旅の友、曾良が体調を崩します。泣く泣く芭蕉と曾良は別れることに……。

    <行(ゆ)き行きて 倒れ伏すとも萩の原>(曾良)
    *季語=「萩」=秋
    病人の一人旅だから途中で行き倒れになるかもしれない。それでも秋萩が咲きほこる原なら死んでも悔いはない。

    車もない、スマホもない、ドクターヘリもない……読んでいてハッとさせられます。昔の旅は己の身一つ、その足だけが頼りで、いつでも死と隣り合わせです。途中で別れ別れになってしまえば、行き倒れて今生の別れになるかもしれません。なにせ天気は思いどおりにならず、その予報もままなりません。食べ物や宿を確保するのも至難のわざ、道中には悪辣な追い剥ぎもいるかもしれません。精巧な地図もGPSもない、暗い山中や峠で道なき道に迷いはて、誤って滑落するかもしれません。流れのはやい最上川で小さな船の船頭に命を預け……と想像を広げてみるだけで、なるほど、旅を無事に終えることは快挙、運を天と道祖神(旅の神)にまかせた奇跡、まぶしく生きることでもあるのですね。

    芭蕉と曾良は半年近く旅をつづけ、奥羽山脈を越え、2000メートル級の月山(がっさん)に登り、さらに驚くのは、一日40~50キロを歩く、ほぼ毎日、ひたすら歩く! ということで、もともと伊賀の下級武士出身の芭蕉は、隠密としてみちのくの藩を偵察に行ったのではないか? なんてことも言われているよう(笑)。

    そんな驚異と奇跡の旅を、芭蕉と曾良が案内してくれます。思えば読書は時空を超えた旅のようなもの、芭蕉いわく旅は人生、となれば、読書は自分と他者の経験と生きざまをあらためて生きる、人生でもあります。

    ということで、本書は繰り返し読む旅人にも楽しめますし、はじめての旅人にもわかりやすい。現代訳、地図、興味深い小話なども用意していて、ガイダンスばっちり、至れり尽くせりの道の奥の旅になっていますよ♪

    • やまさん
      アテナイエさん
      おはようございます。
      コメントといいね!有難うございます!
      きょうの天気は、快晴です。
      今日も一日、健康に気を付けて...
      アテナイエさん
      おはようございます。
      コメントといいね!有難うございます!
      きょうの天気は、快晴です。
      今日も一日、健康に気を付けて良い一日にしたいと思います。
      やま
      2019/11/12
  • やわらかく、日本人らしい奥ゆかし表現で、初夏から、晩秋にかけての風情がよい。

    「おくのほそ道」とも、「奥の細道」とも。本書は前者を採用している。松尾芭蕉と、弟子曾良との、俳句付きの旅行記である。

    1689年元禄2年3月27日深川を出発し、日光、仙台、鳴子、酒田、新潟、直江津、高岡、敦賀、大垣、を回って、9月8日に、伊勢長嶋に至る。

    松尾芭蕉に同行した、曾良とは、出発以来、山中温泉まで同行、曾良は親戚を頼って伊勢へ、芭蕉は、そのあと越前、近江を回って、伊勢長島で再び曾良と合流するというもの。
    もともと、伊賀上野の無足人の準武士であった、松尾家の出身であり、のち江戸に下り、俳諧で、俳聖と呼ばれるようになる。

    野ざらし紀行、鹿島紀行、更科紀行、嵯峨日記など。

    月日は百代の過客にして、行かふ年もまた旅人なり
    ・行く春や鳥啼き魚の目は涙 千住
    ・早苗とる手もとや昔しのぶ摺り 福島 信夫の里
    ・夏草や兵どもが夢の跡 平泉
    ・五月雨の降り残してや光堂 平泉
    ・閑かさや岩にしみ入る蝉の声 立石寺
    ・五月雨をあつめて早し最上川 奥州 大石田
    ・荒海や佐渡に横たふ天の河 越後
    ・一つ家に遊女も寝たり萩と月 越後 市振の関
    ・赤々と日はつれなくも秋の風 金沢
    ・むざんやな甲の下のきりぎりす 小松 多太神社
    ・石山の石より白し秋の風 山中温泉
    ・よもすがら秋風聞くや裏の山 加賀 全昌寺
    ・月清し遊行の持てる砂の上 敦賀 気比神宮
    ・蛤のふたみに別れ行く秋ぞ 大垣 これがおくのほそ道の、終句です。

    目次
    人生は旅―みちのく憧憬
    旅立ち―弥生のあけぼの
    草加の宿―旅の第一夜
    室の八島―木の花咲耶姫
    日光―仏五左衛門の宿
    黒髪山―同行者曾良
    那須野―八重撫子のかさね
    黒羽―玉藻の前・那須の与一
    雲巌寺―禅の師仏頂和尚の庵
    殺生石―那須温泉〔ほか〕
    葦野の柳―西行の遊行柳
    白河の関―白妙の卯の花
    須賀川―風流の初め
    栗の花―遁世の境地
    浅香山―浅香の沼のかつみ
    信夫の里―しのぶもじ摺りの石
    飯塚の里―佐藤氏の遺跡
    飯塚―飯塚温泉の一夜
    笠島―五月雨の道
    武隈の松―岩沼の二木の松
    宮城野―仙台の名所見物
    壺の碑―多賀城出土の石碑
    末の松山・塩竃の浦―琵琶法師の奥浄瑠璃
    塩竃神社―和泉三郎の宝灯
    松島―造化の天工
    松島―雄島が磯
    松島―瑞巌寺
    石巻―繁華な港町
    平泉―高舘・光堂
    尿前の関―人馬同居の宿
    山刀伐峠―危険な山越え
    尾花沢―紅花と蚕飼い
    立石寺―岩にしみ入る蝉の声
    最上川―五月雨を集めた急流
    出羽三山―羽黒山
    出羽三山―月山・湯殿山
    酒田―海上の夕涼み
    象潟―能因島・ねぶの花
    越後路―佐渡の夜空の天の河
    市振―遊女と萩と月
    越中路―黒部川・那古の浦
    金沢―愛弟子の早世
    多太神社―実盛の甲
    那谷―白秋の風
    山中―温泉宿の美談
    別離―曾良の病気
    全昌寺―一夜の隔て
    汐越の松―西行の歌
    天竜寺・永平寺―北枝との別れ
    福井―等栽という陰士
    敦賀―気比神宮と遊行上人
    種の浜―ますほの小貝
    大垣―終着、そして新たなる旅路へ

    ISBN:9784043574025
    出版社:KADOKAWA
    判型:文庫
    ページ数:258ページ
    定価:680円(本体)
    発売日:2002年06月15日 第4版

  • 中学、高校などで古典に触れた方は一度は聞いたことがあるはずの『奥の細道』わたしも知ってるはず。だけど、うん?旅の日記だよね~俳句詠むんだよね~くらいの知識。おじいちゃん2人が黒っぽい着物を着て歩いている絵をぼんやり思い浮かべる程度。
    改めて今回手にとってみたビギナーズ・クラシックスシリーズ。このシリーズ読みやすくて、近頃少しずつ集めてる。
    まずは、あの2人のおじいちゃん、おじいちゃんって年齢ではなかった!彼らは松尾芭蕉と弟子の曾良なのね。芭蕉の曾良への信頼度はすごく厚いみたいで、弟子というよりも同じ修行者の友として一緒に旅をしている。曾良の話にはしっかりと耳を傾け、また彼が病気により芭蕉の元から離れることになったときは、とてつもなく悲しんでいる様子が窺える。この曾良はしっかり者で、旅の記録を『随行日記』として残している。『奥の細道』には芭蕉の創作が少なからず含まれているようで、コースの下調べ、資料収集、旅費の会計などを担当した曾良の記録は、信頼出来る資料なのだそうだ。
    この2人いいコンビだなぁ。
    感激屋で細かいことは気にせずに思いのまま旅を楽しむ師匠。そんな師匠にちょっぴり尻拭いをさせられながらも彼が災いに巻き込まれないように気を配る真面目な弟子。そんなイメージがわたしの中に生まれた。
    松島の美観を描いた芭蕉の随筆は、彼の感動が表れていて素敵だと思う。それと、義経の悲劇、藤原三代の栄枯盛衰、平泉で詠まれた芭蕉の鎮魂の句であろう《夏草や兵どもが夢の跡》がやっぱりわたしは一番好きだな。

  • 国語の教科書ではなかなか頭に残らないものだが、このビギナーズクラッシックスのシリーズはかなり読みやすい。

    今朝の東野圭吾先生も会社の方にお借りした本だが、これまた別の会社の方にお借りした。

    文学は苦手で、お借りしてから半月ほど手に取ることができなかったが、読んでみるとあっという間に読み終わる。

    解説が易しく、情景も掴みやすい。
    なじみの俳句ももちろん登場し、少し嬉しい気持ちになる。

    東北旅行してみたくなる、そんな一冊。

  • 【きっかけ】
    「徒然草」「方丈記」と古典を読んでみて、次は少し雰囲気の違う古典を読もうと手に取った一冊。
    また、「鎌倉殿の13人」を視聴しながら、和歌に自分の気持ちをのせることの素晴らしさに惹かれ、俳句について知りたいと思ったのもきっかけの一つ。

    【感じたこと】
    上手く表現はできないが、5・7・5という短文の中に情景描写という形で自らの想いをのせることの奥深さを感じた。ただ、自分的に一番面白いと思ったことは、松島にて芭蕉が句を詠まなかったこと。句を詠むということ自体が目的にはなっていないのかととても感動した。

  • 正直、私の中の松尾芭蕉のイメージは『ギャグマンガ日和』の芭蕉でしかなかった。

    改めてこの『おくのほそ道』を読むと、松尾芭蕉というひとの人間性の一端が垣間見える。
    ’俳聖’と呼ばれるような人物でも愚痴も溢すし疲れもするし気の合う人と会えばちょっとだらけもする
    し師匠リスペクトが過ぎる面もあるし…なんとも親しみを感じる。

    驚異の移動力には素直にびっくり。夕飯食べてから普通に出かける距離ではないような気が。

    俳句そのものに対してどうこうは言えないが、自然や景色、更には自分の心に対して本当に素直に真で向き合っているのだな、という事は感じる。

    ビギナーズクラシックスらしく読みやすい。
    地図・年譜も完備で隙がない。

    コロナが明けたら旅に出よう。
    出来たら芭蕉の足跡を辿る旅をしたい。


    45刷
    2021.6.8

  •  東日本大震災が起きた時、私を打ちのめしたのは被害の大きさもさることながら、「東北の地理がわからない」ということだった。連日新聞やテレビのニュースで伝えられる被災地の市町村名を聞いても、そこが東北のどの辺りなのかわからず、とても申し訳なく思った。 
     翌年、現代ではなく別の角度から東北にアプローチしようと思って読んだのが松尾芭蕉の『おくのほそ道』である。江戸を発って、日光を経てから白河の関を越えて東北に入る。福島は内陸部を通るが、仙台からは海沿いを歩き、松島、石巻を経て平泉へ。険しい峠を越えて日本海側へ抜け、北陸を旅して岐阜の大垣に着くまでの約5ヶ月にわたる旅路だ。
     
     旅情溢れる文章と、今に伝わる有名な俳句の数々と共に風光明媚な東北各地の情景が目に浮かぶ。私たちは芭蕉の書いたものを読んで江戸時代の旅に思いを馳せるが、芭蕉もまた旅日記を綴りながら平安時代の西行法師や源平の合戦の跡に思いを馳せており、この本には二重の追憶がある。

    『おくのほそ道』はいろいろな出版社から出ておりどれを選んでも良いと思うが、この角川ソフィア文庫版は先に現代語訳がありその後に古文と解説を載せていて朗読にも向いている。地図やコラムも適宜挟まれており、安心と信頼の「ビギナーズ・クラシックス」である。

  • 解説付きで読みやすい。

  • 山形の立石寺や最上川、宮城の石巻、松島は行ったことがあるので思い出しながら読んだ。
    旅行記っていってもやはり情景を際立たせるために多少の創作や誇張が混じっている。写実的なものではなく、文学・芸術性を意識している「作品」なのだ。今の人間では考えられないほどの体力だけど、逆に歩きすぎたり動物性たんぱく質をとらない酒や蕎麦だけの食事だったから、51歳という若さで亡くなってしまったのだろうか。芭蕉だけでなく昔の人は今より寿命短いけど。でも今の人より絶対昔の人の方が体力ある。

  • 芭蕉のように旅をして歌を詠んで暮らしたい

  • 芭蕉がおくのほそ道の旅に出た3月下旬(陽暦では5月中旬だが、原文尊重で)になると、読みたくなる(仕事の繁忙期で、とても旅行などに行ける時期でもないこともあり)。

    訳者の絶妙な補足や解説もあってか、ひとつひとつの句に、人間らしさ、もっと言うと人間臭さが感じられる。
    俳聖・芭蕉といっても、どこか遠くの高尚な人というよりも、身近なおじさんという感じ(失礼)。

    芭蕉が敬愛した西行を次は読んでみたくなった。

  • 記録

  • 五十数歳にして「おくのほそ道」ビギナーにとって、素晴らしい入門書。これをきっかけにより詳しく知りたい人向けに、色々な参考資料も載っている。

    自分的にはこれ1冊で「おくのほそ道」のエキスパートにでもなった風にすら感じている。

  • 松尾芭蕉、有名過ぎて読んだことなかった。
    現代語訳があるので読みやすいです。旅をしながら俳句、当時の旅は今と違い結構過酷だったでしょう。その中で作られた俳句、感慨深いです。

  •  神田の古本まつりに行ったときに100円で売られているのを見つけて、松尾芭蕉かあ、人生で一度は読んでみたい気がしなくもないなあ、ということで購入。俳句なんか中学のときに夏休みの課題で覚えた「月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど(大江千里)」くらいしか知らないし(いや待てよこれは百人一首だ俳句ですらない)、大人になってからは月に何回かプレバトで梅沢富美男の句がけちょんけちょんに酷評されているのを見るくらいしかないのだけれど。
     読んでみたら意外とおもしろかった。本の構成が素晴らしかったと思う。松尾芭蕉が書いた文章の現代語訳→原文→俳句の解説→他の古歌の紹介など追加情報、という順番になっているから、最初に原文を見てしまって「うわ意味わかんねえ」と及び腰になる隙を与え図に読み進めることを可能にしてくれた。自分が過去に行ったことのある地名が出てきたらにわかに心躍ったし、句の解説もわかりやすかった。17音ではなかなか自力で詳細までは想像が及ばないけれど、解説を読んでみたらああこの言葉の裏にはそういうことが内包されていたのかとか、この時の芭蕉にはそういう背景があったのかとか、感心することが多かった。少し前にあるテレビで番組で東大生が初めて俳句作りに挑戦していたけれど、自分の頭の中にだけあるコンテクストを17音の中に入れ込みすぎて、結果的に読み手には何も伝わらない意味不明な句になっている、と指導者の方に指摘されていたのを見た。入れ込みすぎてもダメ、かといって見えたり感じたりしたものをそのまま文字にしただけでもダメ。どんなに頭が良くても、いろいろな知識があっても、そういったバランスは一朝一夕に得られるものではないんだなあと思ったのを覚えている。
     気に入った句がいくつかあったのでメモした。どこかに旅行したり似たような心境になったりしたときに、地名や単語を少し変えて自分流にモディファイしてみたら楽しそうだなあ(もちろん出典を明らかにした上で)。自分でゼロから句を詠むのは、まだまだ無理、、、

  • 栃木県大田原市へ林業体験した際に訪れた雲巌寺をきっかけに芭蕉の足跡を知りたくなり手に取った。東北から北陸へ旅をしたくなる。

  • アホみたいな「鑑賞」を除けば、行き届いた良書。

  • 感慨深いなあ、情緒的とはまさにこういうことだなあと思いながら読んでいたら、最後に驚かされた。また旅に出るんだ!って思った。なんだろう、小説や映画のふつうの冒険物語の主人公が最後、次なる冒険に旅出るところで終わるのは分かる。けど芭蕉はそういうタイプではないわけである。好奇心旺盛とかエネルギーが外に外にと向かうタイプではない。むしろエネルギーが内へと向かうタイプ、道中で様々な過去の武将に思いを馳せているように、悲しみが秀でているタイプに見える。だから驚いた。悲しみへの感受性が感情の核となっている人が次から次へと冒険に旅立つ。不思議なエネルギー発露の形態だな、こういうエネルギー発露の形態もあり得るんだなと思った。

  • 非常に読みやすく勉強になった。

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著者プロフィール

江戸時代の俳人。1644~1694。


「2015年 『女声合唱とピアノのための おくのほそ道――みちのくへ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

松尾芭蕉の作品

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