- Amazon.co.jp ・本 (672ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043593040
作品紹介・あらすじ
「憶えてるよ」僕は正気を取り戻した。「スープも人の感情もいずれ冷めてしまうという一行だね」「本気で書いたんでしょう?」「本気だよ」「必ず冷めるもののことをスープと呼び愛と呼ぶ」「真理だ」「その真理がくつがえるんです」。洗練された筆致と息をつかせぬリーダビリティで綴られる、交錯した人間模様。愛の真理と幻想を描いた、大傑作長編。
感想・レビュー・書評
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小説家 津田伸一 3度目の小説界からの追放に遭う
超能力の女性との関わり
鳩の撃退法に続く小説
自業自得、捨てる神あれば拾う神あり詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
佐藤正午の小説は、面白がれる小説読みはたくさんいると思うけど、誰にでも勧められるかというとちょっと、となる。これもそう。
鳩の撃退法の後も続けて、ゆるい津田伸一サーガみたいになるといいな。
唯一無二の不思議な作家だなと思う。 -
佐藤正午一気読み第4弾。さっき調べたら9月9日にはKindle版が出ているけど、僕が買ったときはまだKindle版が出ていなくて、中古本を697円(配送料257円を含む)で注文した。まるで新品のようなすごくきれいな本が届いてびっくりした。
「鳩の撃退法」でドライバーをしていた津田伸一が(まだ)小説家だったときのお話。主人公は津田伸一なんだろうけど、ヒロインが明確ではない。敢えていえば石橋なのかもしれないけど、ちょっと違う。そういえば、佐藤正午の小説にはあんまり明確なヒロインは出てこないか。このお話の中では、僕にとって一番魅力的だったのは、「ほえ」を連発する長谷まりだった。
「偕老同穴」なんて死語(?)を学ぶこともできる。 -
主人公の小説家の軽口、嫌いじゃない。
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これは重いぞー、重い。ページ数も多いけどそこに詰め込まれた文字数も多い。1ページにぎゅうぎゅうに文字が詰め込まれてない、改行しない。しかも割とどうでも良い、ぎゅうぎゅう?牛々?みたいな事が書いてあった、もうどうでも良いよ!って感じになって、それもまた楽し。
ともかく主人公の小説からしからぬ適当な物言いになごむ。ていうかそれを延々と繰り返されていい加減に飽きてくる、ていうかイラついてくる、と言いたいところなんだけど、意外やこの適当さ加減が、高田純次のような愛らしさというか、なんかけっこう悪くなく、なんやかんやとまぁ許してしまう、みたいな。そんな感じの適当さ加減を楽しむ本、と思いきや、帯には愛の心理と幻想を描いた、大傑作長編、とあって、もうピエール瀧もびっくりである、かもしれない。 -
『身の上話』の下がり切ったテンションから解放されて、ただし主人公がふらふらした人物なのは同じで…どちらも佐藤正午作品らしい雰囲気だけど、なぜかこっちの方はちょっと村上春樹っぽさがある。“カフカ”で魚が降ってくるのと、渋谷のカフェの外に鳥が集まってくるのが、変にリンクしてるだけかも。
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「時間は無駄には過ぎていかないと思うよ。人が時間を無為に過ごすことはあっても」
『僕には性欲と恋愛との区別がつけられない。性欲と恋愛と魔法の区別もうまくつけられない。』
『「嘘だけは聞きたくない」とそれから彼女はくり返した。「あたしたちのあいだで」
あたしたちのあいだで。初めて会ってから十日間に五回もホテルへ行き、その倍の数のSEXをしたふたりのあいだで、夫のいる三十代の女と二回離婚歴のある四十男とのあいだで。』
「憶えてるか? これも初めて会ったときのことだ。長谷まりは映画の話をしたな。確かバットマンのなかにあこがれのシーンがある。キム・ベイシンガーが壁ぎわに男を押しつけて、男のネクタイを片手につかんで、自分のほうに引き寄せてキスをする。あれがあたしだと言ったな。本来あるべきあたしの姿だと」
「サンフランシスコの信号の話。あたしが住んでた町の歩行者用の信号はね、青のときは日本と変わらないんだけど、赤のときはちょっと違うの。それが印象に残ってる。立ち止まってきをつけをしてる人の絵じゃなくて、人間のてのひらのマークになってる。てのひらと言っても、やあ、って挨拶して近づいて来るときのてのひらとは違うのよ。信号が赤のときは、止まれ、そこで止まりなさいって、片手を突きつけられる。そんなてのひら。先生といるとときどきその信号のことを思い出す。てのひらを突きつけて、そこまで、そこから動くな、それ以上近づいてくれるな、そんな感じのイメージ。』
「会うのはこれが最後っていう人間なら、ここから電車で行ける距離にだっているよ。遠くにいたって近くにいたって会えない人間には会えないんだ」
「携帯電話を持つか持たないかは免許制にするべきだと思う。筆記試験と実地試験をやって、電話がかかったら必ず出る、届いたメールには返信をする、そのチェック項目がクリアできた人だけに免許を交付すればいい。違反したら罰則を科せばいい。そうしたら恋愛の苦労はほんとに消えるかもしれない。消えなくても多少は減ると思う。携帯電話を免許制にしたら」
「恋愛を免許制にしたほうが早くないか?」
「それはよくないだろう。いくら相手が石橋でも、2名のあいだにまちがいが起こるかもしれない。帯状疱疹がこれ以上変なとこに出たりしても困る」
「まちがいって? 夏目漱石なら『不徳義』とか『不始末』とか書くような意味のこと? 狭義では、婚約者や夫のいるひとを愛してしまうこと?」
「あたしが言ってるのは暖かい室内で昼間でも見れる星のこと」
「ラブホテルのことか」
「プラネタリウムに決まってるでしょう」
「中さんの好きにすればいいの。話したいことを話して、それで気がすめば甲府に帰ればいい。安心して。あたしは何もしない。勧誘も、要求も、矯正もしない」
「あたりまえなの。スープが冷めるのは、自然なことなのよ」
「どこの誰であろうと、どんな状況であろうと、どんな時代であろうとどんな時代が訪れようと、他にいっさい信念などなくともこの一文だけは、これまで僕が生きてきた証しとしてそう言い切るだろう。かならず冷めるもののことをスープと呼び愛と呼ぶのだ。」 -
作家 津田とそのまわりの変わった女たちの話。津田は彼女らに何を求め、逆に彼女らは津田に何を求めているのか。最後に彼のまわりに残る女とは?
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最低な男なんだけど、なぜかモテるし。
なぜか理解者も多い。
上手く生きられない男のお話。
読み終わってみればどうってことない話なんだけど、読んでるのは面白かった。 -
平成の時代にもこんな文壇と、いかにも文学者然とした文学者がいたらほんとに楽しいだろうなあ、と、実に愉快な気分で読めた作品。
太宰治や吉行淳之介の作品も、現役の頃はこんな風に(当時の人に)読まれたんじゃないだろうか、と想像してしまう。「文学」の気分に浸れるのは、島田雅彦の作品以外になかなかない。
続編と書かないのかなあ…。
【追記】
2011年秋にも思わず再読。愉快、愉快。