ハッピーロンリーウォーリーソング (角川文庫 ま 21-1)
- KADOKAWA (2001年7月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043594016
感想・レビュー・書評
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寂しい時、一緒に寂しくなってくれる歌集です。
苦しい時、一緒に苦しくなってくれる歌集です。
ウツになった時、一緒に鬱々してくれる歌集です。
落ち込んだ時、一緒に落ち込んでくれる歌集です。
イライラしてる時、一緒にイライラしてくれる歌集です。
自暴自棄な時、一緒に自暴自棄になってくれる歌集です。
あなたの ほんだなにも おひとつ いかがですか。
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Y2Kが流行りだったりするし今当時の空気感を感じるのが面白いみたいな感じ
なんでもない写真が今とは微妙に形の違うなんでもなさとしてかなり面白さある -
生活ってかんじ とがってていい
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桝野浩一(1968年~)氏は、歌人、詩人、小説家、エッセイスト。
本書は、1997年に同時発表された短歌集Ⅰ『てのりくじら』、短歌集Ⅱ『ドレミふぁんくしょんドロップ』の収録短歌を一冊にまとめて再構成し、タイトルを新たにして2001年に文庫化したものである。尚、収録歌は当時糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」で毎日ひとつずつ連載された。
私は50代の会社員で、最近短歌に興味を持ち始め、俵万智、穂村弘、東直子、木下龍也、岡野大嗣、九螺ささら等の歌集や短歌入門書、また、山田航の『桜前線開架宣言』、瀬戸夏子の『はつなつみずうみ分光器』、東直子/佐藤弓生/千葉聡の『短歌タイムカプセル』等の現代短歌アンソロジーを読み、半年ほど前から新聞歌壇に投稿している(最近ぽつぽつ採用もされるようになった)。
桝野氏については、上記アンソロジーの『はつなつ』と『タイムカプセル』に収録されており、また、入門書『かんたん短歌の作り方』も読んだが、大変参考になった。
本歌集については、残念ながら現在絶版となっているため、中古本で手に入れて読んでみた。
枡野氏は、『はつなつ』の中で、短歌を詠まない人(=歌人以外)にもわかるように短歌をつくっており、それが「かんたん短歌」(糸井重里が命名した)と呼ばれていると書かれ、また、穂村弘の『短歌という爆弾』の中では、「歌壇に完全に背を向けて存在感を維持できた初めての歌人」、「比喩ってかっこ悪いよねとか、これまでポエジーを支えるとみなされていた要素を否定してみせた」などと評されているのだが、それ故に(逆説的に、とも言えるが)、短歌の素人・初心者にはシンプルに「共感」や「納得感」を抱きやすいし、自らの作歌の参考にもなる。
また、私は、若手の木下龍也と岡野大嗣が好きで、彼らのような歌を志向しており、それは、彼らの歌が、近代短歌(現代短歌の多くもそうだが)の主流である、自分の存在を詠う“私小説的”な歌とは一線を画し、「ふとした瞬間に兆した感情を共有すること」を目的としたポストモダン的な歌だからなのだが、枡野氏は、最近の穂村弘との対談の中で、木下や岡野の作風は自分と近いと語っていることも、半分納得し、興味深く感じた。(ただ、木下や岡野は枡野氏よりもライトかつポジティブな印象の歌が多い)
尚、本書に限って言えば、見開き2頁の左側に写真、右側に歌一首が載っているのだが、ピンクと青の単色刷り(半分ずつ)でとても読みづらいのが難点である。(写真も含めモノクロの方が遥かにいい)
(2022年1月了) -
率直で、なんというか生活感がある 皮肉がきいてる歌が好きだな
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短いのに(だから?)、いろいろ気づいたり考えたりする歌たち。枡野さんのおかげで、一時期短歌を自分でも作ったりしたけど、難しかったなあ。
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写真のすみに、全てカタカナ化された短歌が良かった。読みにくいし、どこで切れるのかも分かりにくい状態だったので、次のページをめくって、きちんと平仮名・漢字(もちろんカタカナも)で表現された本物(?)が載っているのを見て、「あぁ、そうか」と。カタカナを解読した時よりも、すんなり頭に入ってきて、なおかつ解読に時間をかけているので、普通に元の短歌を読むよりも面白みが増す気がしました。
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14/10/23
写真の上に全部カタカナで書いてあるのすごくいいセンスしてるなあと。裏には漢字になってて読みやすい。親切。
[殺したいやつがいるのでしばらくは目標のある人生である]
[年齢を四捨五入で繰り上げて憂えるような馬鹿を死刑に]
このふたつブラック~でなかなかすき。
[肯定を必要とする君といて平気平気が口ぐせになる]
[本当のことを話せと責められて君の都合で決まる本当]
このふたつ彼女に振り回されてる感じがとてもかわいくてなかなかすき。 -
短歌に対して勝手に築いてた敷居を下げた一冊。赤裸々な短歌というものが存在するのかと驚いたのとともに、作者が一層身近に感じられた。
余裕があるから歌をよむのではないのだ。僕ら(と乱暴に括る)と同じように人間をやっていくだけで精一杯だけど、表現媒体が短歌しかなかったかのような、今の必死さや無力さが伝わってくる。