「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)

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レビュー : 68
  • Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043625017

作品紹介・あらすじ

-オウムの中から見ると、外の世界はどう映るのだろう?一九九五年。熱狂的なオウム報道に感じる欠落感の由来を求めて、森達也はオウム真理教のドキュメンタリーを撮り始める。オウムと世間という二つの乖離した社会の狭間であがく広報担当の荒木浩。彼をピンホールとして照射した世界は、かつて見たことのない、生々しい敵意と偏見を剥き出しにしていた-!メディアが流す現実感のない二次情報、正義感の麻痺、蔓延する世論を鋭く批判した問題作!ベルリン映画祭、山形国際ドキュメンタリー映画祭をはじめ、香港、カナダと各国映画祭で絶賛された「A」のすべてを描く。

感想・レビュー・書評

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  • 最後のベルリン映画祭でのエピソードに思わず涙してしまいました。
    山手線車内にて。
    オウムというものを通して森さんが描く日本は、特異な環境なのでしょうか。
    少なくとも、この著書を読み終わり感じたことは、そこにいた人々も「普通の」日本人だったのではないかとの思いです。
    オウムの教団に属して、地下鉄にサリンを蒔いたとされる人々は死刑に処されるのは時間の問題かもしれません。

    決して、日本という社会がその事件が起こった背景に深く掘りこまないままに。

    それでよいのか、森達也監督の映画を見て、今一度考えたいと思います。

  • 共同体に所属することの思考停止をきちんと看破できる数少ないジャーナリストの一人。自らの立ち位置と恣意性に自覚的であり、内省的であるところが既存の定型的な型にはまっているマスメディアとの大きな違いだ。自分が正しい立場に立たないところからオウムを見る。加害者として、有責性をもって。

  • -108

  • 想像力を停止してしまうこと

  • 取材の始まりが各種のオウム事件についての「なぜ?」の究明であったのに、結論として「わからなかった」という解しか出ておらず、著者のジャーナリストとしての手腕の未熟さを感じさせられた。

    1995年当時から既にマスコミは「国民の知る権利」よりも「マスコミの知らせない権利」を優先しているのがよく分かる。また、マスコミは社会に画一的な情報のみを提供することによって、日本社会の思考を停止させることを“意図的”にやっていることもよくわかった。

  • 「完全客観的な事実なんて、ない。事実をうつすだけのドキュメンタリーなんて、存在しない。」というメッセージがひしひしと伝わってきた。ドキュメンタリーやマスコミの世界だけではなくて、すべての事がひとの視点というフィルターを通して屈曲しているのだなぁと、なんだか胸が詰まりそうになった。

    でも、途中からは純粋な映画メイキングストーリーとして楽しむ要素もあり、ノンフィクションなのかと錯覚してしまうくらいな部分も。ドラマを見たかのような。

    何が正しくて、なにが誤ってるのか、結局それは人次第で、その人のなかで出来上がっている事実が正しいということなのか。深い!

  • 2016年4月1日読了。テレビディレクターだった森達也氏が、地下鉄サリン事件の余波の真っ只中にオウム真理教の内面に迫るドキュメンタリーを企画し、テレビ局や他のマスコミと対立・資金繰りに苦しみながらも映像作品を完成・高評価を得るまでのドキュメント。「A」は未見だが、さぞ観る側を当惑させ、考えさせる作品なのだろう。「ドキュメンタリーを撮る」とき、被写体との信頼関係を構築するのは必要だが、対象に共感しすぎたり同一化するとプロパガンダ映像のようになってしまい、よいドキュメンタリーにはならない、が、そもそも製作者が他者に見せるため作品を作る以上、公正中立な視点などありえないが・・・などと自問自答を繰り返し苦しむ著者の独白がリアル。苦しまなければドキュメンタリーというものは作れないものなのだろうか、恐ろしいものだ・・・。

  • (*01)
    もちろん映画と合わせて読む事をおすすめする。映画か本書かは先後は問わずにどちらもそれぞれに楽しめ、あるいは大いに笑える内容になっている。
    オウム心理教や荒木氏について、2016年のテロの現在を見れば、90年代のここに書き取られた様々な出来事を違和感もなく消化できるのではないだろうか。
    テロリストの側にある誠実さや切実さ(*02)は、常に無理解や曲解や誤解とともにあり続ける事が、本書からも分かる。その点で、カルト宗教とマスコミの間をさまよっている著者の動向は注目できる。

    (*02)
    テロリストばかりが誠実とは言えないが、彼女ら彼らの誠実はやはりわたしたちよりも切実なものと言える。荒木氏の言動やオウム真理教の内部にあった人々の生活からはそれらがひしひしと伝わってくる。
    ちなみに著者あるいはこのカメラマンは、ここにある誠実に、ともすると絆されてしまうのではという期待がこのドキュメントを面白くするのに一役買っている。
    撮影するのでなければ、ここにある誠実を笑い飛ばす勇気がなければ、またそれも、マジョリティ/マイノリティそれぞれにある無理解な信心に陥る可能性がある。

  • 戦争が起きるのとまさに同じ仕組なのだと思う。
    マスコミは~とか、一般市民は~などと偉そうに言うつもりもないけど、本当に人間は愚かだ。

  • 図書館で借りた本。

    この本は「A」というオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こし、その後の「オウム騒動」をオウムの内部からドキュメンタリーで描いた映画の撮影話の本である。

    この本を読み終わったとき、何とも言えない思いでわたしは泣いた。が、それは「感動」という言葉を当てはめるのとは違う、わたしは感動してこの本に泣いたのではない、では、どうして泣いたのだろう、それが自分でも理解できない。

    もちろん「世の中に差別されるオウム」について泣いたわけではない。残された彼らは確かにサリン事件とは関わっていない信者が大半なのだろうが、だからといってすべてが許されるわけではない、それは自分の「意識」しているところで強い思いはある。が、それでは割りきれないところももちろんある。そこの「落としどころ」がわたしには分からない。

    この著者は撮影していくうちに、オウムの内部に支配している空気とオウムの外の社会の空気が実は「鏡を挟んで相似形を描いている」ではないか、ということに気が付く。両方とも「思考停止」しているというのだ。著者は言う。

    「真実は一つしかないと、いつから僕たちは思い込むようになったのだろう」

    「大切なことは洗脳されないことではなく、洗脳されながらどれだけ自分の言葉で考え続けられるかだ」

    おそらくわたしはこの人の言葉は非常に共感しやすい。この人が何に苦しみ、何を感じたのか、何を考えているのか、ものすごくよく分かる。おそらくどこかで同じ度台の上に載っているのではないかと推測される。

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著者プロフィール

1956年、広島県生まれ。ディレクターとして、テレビ・ドキュメンタリー作品を多く製作。98年オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画「A」を公開し、2001年には映画「A2」を公開。11年『A3』(上下巻、集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞を受賞。現在は映像・活字双方から独自世界を構築している。16年、ドキュメンタリー映画「FAKE」で話題を博す。著書に『死刑』(角川文庫)、『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』(ダイヤモンド社)、『ニュースの深き欲望』(朝日新書)など多数。

「2018年 『虐殺のスイッチ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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