職業欄はエスパー (角川文庫)

  • 角川書店 (2002年9月25日発売)
3.79
  • (35)
  • (58)
  • (58)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 373
感想 : 50
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (400ページ) / ISBN・EAN: 9784043625024

作品紹介・あらすじ

スプーン曲げの清田益章、UFOの秋山眞人、ダウジングの堤裕司。一世を風靡した彼らの現在を、ドキュメンタリーにしようと思った森達也。彼らの力は現実なのか、それとも……超オカルトノンフィクション。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 文庫本なら早くて半日か1日で読破できるのに、この本は1週間くらいかかった。昔、胸をときめかせたオカルトという素材が面白いのでちょいちょい調べながら時間をかけたのもあるが、徹底したノンフィクションという著者独自の手法に納得できない点もあったから。
    例えば、目の前でスプーンを触らずにねじったり切断した現象を一部始終見て、「自分の目で見たことは確かだが、超能力とはいえないし、信じない」というドキュメンタリー作家としての筆者の中立であろうとする頑なな取材姿勢に少し呆れたのも事実。ダウジングという「技術」の体験を勧められても頑なに拒否し、目の前で起きた事象を、頭の中にある理性や常識というフィルターを通した途端、それは信じられないし、ありえないと結論付ける(本書終盤で「彼らの人格を信じる(P328)」と苦しい弁明をしているが、そのすぐ後に「(ダウジングは)信じていない(P330)」とわざわざ断定している)。もちろんその中には、嘘をつく動機が無い両親が語る息子のテレポーテーションという人間瞬間移動(!)も含まれるが…
    また、一流企業のトップがこうした超常現象に興味を持っていたのも事実。京セラの稲盛、ソニーの井深、本田宗一郎や松下幸之助など理路整然と考える理科系頭脳が説明不能な事象を前に抑えきれない好奇心を刺激されたのも頷ける。
    日本で初めて透視能力者として話題になったのが、御船千鶴子(服毒自殺)、長尾郁子(病死)、高橋貞子(貞子のモデル)などだが、実験の不手際や社会的圧力、マスコミや一般大衆からの誹謗中傷によって潰される。そうした意味では、現代に至るも客観的かつ科学的アプローチで真相を究明しようという動きはなく、結局最後にはオカルトとして一笑される。
    超常現象否定派の大槻義彦氏や元オカルト番組プロデューサーの宇留田俊夫氏とのインタビューや態度を見ると、「常識的な見解」を錦の御旗に思考放棄している気がしてならない。
    秋山眞人、堤裕司、清田益章。読後に感じたのは、彼らはやはり本物だと思う。

  • 森達也がテレビのドキュメンタリーの取材をきかっけとして長年追いかけてきた3人の「エスパー」- オールマイティな秋山眞人、ダウジングの堤裕司、スプーン曲げの清田益章 - についてのノンフィクション。ドキュメンタリーと言ってもいいのかもしれない。

    スプーン曲げの清田氏は、一時はTVで頻繁に取上げられていたらしいが、自分の記憶にはほとんどない。ユリ・ゲラーの記憶もほとんどないので、ぎりぎり少し前の世代の記憶なのかもしれない。彼らがそんなに稼いでいたというのも驚いた。
    スプーン曲げ含めて自分はまったく信用しておらず、トリックに違いないと思っていた。これまで、ラスベガスでクローズアップマジックも見たし、アメリカでホームパーティに来ていたマジシャンが目の前でやってもらったマジックも見た。全くどうやっているのか分からないし、素晴らしい技だと思った。でもタネはあるというのが前提だ。マジックと超能力はタネの有無を前提とするのかの違いがある。

    森さんが何か嘘やごまかしをしているとは思えない。また、そこで感じているリアリティも本物だと思う。清田氏の実家で、両親を前にして聞いた幼き頃のエピソード(テレポテーションや宇宙人まで出てくる)の会話も、内容はある意味トンデモないのだが、妙なリアリティがある。3人のエスパーたちもこんなに長きの間、嘘をつくメリットもないだろうし、ダウジングの堤さんは性格なのか、あえてやる必要のないリスクも取っている(しかも時々外す)。この本を読んでいると人との付き合いの中で何かを判断するというのは難しいものだなと思う。

    超能力はあると断言できず、それでも彼らを信じることもできる。全く矛盾した感情を抱えて進む物語に引き込まれる。そして最後には能力があるかどうかで困惑などする必要などなく、「自分を信じ、他者を信じ、日々を送る彼らを僕も信じる。彼らの人格を信じる」と結論づける。彼らへのまなざしは信頼に溢れている。「彼らとの付き合いは今後も続く。これには確信がある。被写体として興味が持続しているからじゃない。彼らを好きだからだ」となる。そしてその影響を受けて、自分も心の底からは信用していない本の中のエスパーたちに肩入れしてしまうのだ。そう感じてもらえないかもしれないが、面白かった。

  • 図書館で借りてきた本。

    森氏のこの手の本は結構好きだ。

    彼の書く本の構成は今まで読んできた中で言うと正直「ワンパターン」だ。映像としてのドキュメンタリーは見ていないのが残念だが、撮影対象とどう出会い、どう撮影し、その間にどう思い、物事を進めていくのか、考える過程が分かって面白い。おそらくわたしもカメラは抱えていないものの、対象物とどう出会って、どう向き合うか、と言うことを文章で書くとこうなるんだろうなあと思わせる。

    この本を読んで思ったのは「超能力者」は差別されているということだ。テレビで「スゴイ」ともてはやされても、結局は「科学的に証明されない」ということになり、ウソつき呼ばわりされる。そういう意味ではものすごいテレビの被害者なのだが、なぜそれでもここに出て来た3人はこんなに優しいんだろう、と思う。

    人が想像を絶することであればあるほど(例えば宇宙人と会ったとか)彼らは「テレビでは流さない方がいいよ」とか「しゃべりたくない」って言うんだよね。多分、これは周囲の人にいくらいっても信じてもらえなかった、という彼らの体験があって、それでそう言わせてしまうんだろうなあ、と思った。と同時に一方では「超能力者」と讃えながら、その実番組を作っている人はそれを「本物」とは認めない。認めると視聴者からの苦情の電話がかかってくるからだ。

    もちろんそれが真実かどうかはわたしも見たわけじゃないから分からないし、もし見たとしても(この著者のように)信じられない」かも知れない。

    「想像を絶する」ということを認めたくない人間がいる。おそらくわたしもそのうちの一人だろうし、そしてまた森氏も同じだ。だが、彼の書く文章から、彼が「信じるか信じないかは曖昧の間までいい」という結論を出しながらも、わたしは少し「信じてもいいんじゃないかな」と思い始めている。。

    それは多分、森氏が「信じていないですよ」と言ったあと、自分自身呆然とした、ということとおそらく似ているのではないかと思う。もしかしたら心では9分9厘信じている、のかも知れない。が、どうしても「信じている」とは言えない。そんな状態なんだろう。

    とにかくここに登場してくる3人の超能力者は、とても魅力のある人物だった。幸せになると超能力は鈍くなるそうだが、わたしは彼らの今後の幸せを願っている。

  •  森達也の立ち位置が良いと思う。

  • 著者の中庸のスタンスが好き。スプーン曲げを目の前で見て、物理で説明できないと思ってもその現象から理論に結び付けるのは確かに難しい。分からないものは分からないままに。

    ・強い光源は他を隠す。小さいものや弱いものや薄いものを、押し潰して扁平にしてしまう。

    ・秋山眞人は静かに言う。「優しい気持ちは重要です。特に僕らは世間から迫害されたり冷遇されたり差別されることが多いから、気を抜くとネガティブな方向に引っ張られてしまうんです。そうなったら悲惨です。何人もの超能力者たちの末路を僕は見聞きしています。本当に凄惨な話です。…だから荒んだ気持ちになりかけたときには、ここに来てこうして街の灯を眺めながら、このひとつひとつに人の営みがあるんだと確認するんです。人間を本当にいとおしく思える気持ちをとりもどせるまで、ここでじっと街の灯を眺めています。」

    ・テープの残量を計算しながらファインダーを目に押し当てようとして、項のあたりに視線を感じた。思わず顔を上げた。清田は僕を見ていた。いつからなのか、清田はじっと僕を見つめていた。
    「…UFOを見たことがあるとか宇宙人に会ったことがあるとかって話をすると、みんな困ったなあって顔をするんだよ。それは信じられませんってはっきり言う奴もいるよ。だけどさ、じゃあ聞くけど、おまえら本当に、UFO見たいと思って夜空を見続けたことがあるのかよ?俺は見ているよ。毎晩何時間も見ていた時期があるよ。否定する奴に限って夜空を真剣に見ていないんだよ。それで、あるわけないですよって笑うんだよな。だけどさ、本気にならなきゃ何も見えねえぜ。スプーン曲げでも同じだよ。否定する奴に限って自分は本気で試してないんだよ。鼻唄歌いながら試したって曲がらなぜ。当たり前の話しじゃないか。だからしっかり見ててくれよ。たかがスプーン曲げだけどさ、俺とマリックさんとが同じはずがないんだよ。本当に真剣に見てくれさえすれば、そのくらいの違いには誰だって絶対気づくはずだぜ。」

    ・僕自身は未だにスプーンを手に念じることはないが、つい先日、夜空をしばらく眺めていたことがある。ずいぶん長時間眺めていたつもりだったが、時計を見れば五分もたっていない。たぶんこれが僕の限界なのだろう。

  • 読んでいて、いい意味でも悪い意味でも、世界が歪んで見えたというか、これまでと違うように見えた、というか。読みたくなかったなぁ、これ、ていう気もちょっとする。そうだよね、もう何を信じればいいのかなんて、わかったもんじゃないんだよねー、ていう。もう、それに尽きる。読後感はちょっとあんまり良くない、正直なところ。(12/1/29)

  • 超能力ではなく、超能力者をターゲットに取材したドキュメンタリーの書籍。いつもの森節全開。

  • ドキュメンタリー作家森達也が取り上げた題材は超能力者。

    これは森さんが取材したからこそ意味のある本だし、
    「信じる」人も「信じない」人も、「どちらでもない」人にも読んで欲しい。

    「超能力とは何か」ではなく、「超能力者とはどういった人か」に主眼を置いたのは非常に彼らしいく、
    新しくないのに誰も見ていなかった視点。

    読み終わったときに心の内に残る気持ちは言葉に出来ない。

  • 評価は★3つと4つの間くらい。

    題材になっている超能力者たちがメディアに登場する際、
    ほぼ100%といって論証は、「真か偽か」「信じるか信じないか」。

    モリタツは、そこに一定の興味を認めながらも、
    時にトリックと論破され、狂人と揶揄されたりする、
    そういう論調を伴って生きてきた超能力者たちの日常にカメラを向ける。

    つくづく、変わったところに興味を持つ人だと思う。
    作品は相変わらず、揺れながら、揺れた世界を描き出している。

    読み終わって、魔女狩りの集団心理を思い出した。
    異端の存在は自己否定につながるという、妄想に近い憎悪。
    面白い作品でした。

  • ☑️

  • ノンフィクションだが超能力の真否を問うものではない。

    エスパーという得体の知れない存在に対して人々や社会はどう反応するのか。

  •  超能力者に取材したノンフィクション。
     超能力を信じるか、信じないかは別にして面白いですよ。メディアとかに食いつぶされて大変な思いをした人も多いと思うので、そのへんは何とも言えない思いもありますが。正直、私としてはあってもなくてもどっちでもいいんです。事によってはわからないということが面白いんです。

  • 「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」内の福岡伸一さんとの対談にて話題にあがっていたので手にとった。
    3人の超能力者を長年にわたり追いかけたドキュメンタリー。スプーン曲げの清田益章さん、大槻教授と対決していた秋山眞人さん、ダウジングの堤裕司さん。私自身は直接テレビで見た記憶がないので、あまりピンとこなかったのだけれど、当時は熱狂的ブームになっていたとのこと。
    超能力そのものというよりも、超能力者の人間としての背景に迫るノンフィクション。波乱万丈の物語がフィクションのようだった。

  •  タイトルは笑える。
     職業がエスパーとはどういうことだ。コメディなのか? と思わせて、その実、ものすごい重い題材を取り扱っている。
     書き手はドキュメンタリー映像監督。有名な作品はオウムを取り扱った「A」シリーズだそう。

     エスパーというものについて、当人以外、いや、もしくは親しい人がエスパーでもない限り、「あ、うんSFとかに出てくるアレだよね」となる。
     私は、信じる信じないでいうと、信じてない。
     著者も信じる信じないでいうと、そこははっきりとしない。信じるとは言い切れないというスタンスである。

     エスパーを職業とする彼らのドキュメンタリーを撮りたいとして、まず、企画書を作り、お金をもらってくる必要がある。
     その時、お金を出す人たちは問いかける「本当に信じているの?」と。ネタとしてエスパーを取り扱うのではなくて、職業をエスパーとしているただの人を主体とした場合、企画は通りにくい。その状況すらも著者は語る。
     語るとは何か。
     なぜ語るのか。

     エスパーという、日常ではあまり使わない職業を選んだ彼らに、周囲の人に、わざときつい言葉を投げて反応を見る。そしてそんな言葉を投げる自分に傷つく。しかし、傷つけても、傷ついてもみたいものがあるという姿勢がすごい。
     これも数ヶ月前に読んで、言葉が出てこなかったもの。

     再読したい。

  • ドキュメンタリーなの?と思わせるくらいの浮世離れ感。読みやすく、ところどころフィクションの小説かと錯覚してしまった。それくらい、出てくるキャラクターたちの個性も強くて。
    でも、これがドキュメンタリーなんだってことにこの作品の面白さ、深さがあるなぁと思います。

    「信じるか、信じないか、結局その質問にしかたどり着けない、自分はその程度」という作者の言葉がとても印象的でした。あなたは信じますかという問いを尋ねたい訳でもなく、そこに固執したいのでもないけれど、やっぱり聞かざるをえない。すごく正直な作者だと思った。

    そして私もやっぱり「えー嘘だろう」と思い続けてしまった。

    途中の作者の葛藤すら、面白かったです。

  • 人は見えないもの、わからないものに恐怖を抱く。
    そして頭ごなしに否定する。
    ということに、一石を投じようとする一冊です。
    現象そのものを肯定、否定せず、人を信じますというスタンスがこの本のキモでしょうね。

  • 「少なくとも我々は嘘をついていない」という超能力者に対して、一体何が言えるのか。何も言えない。
    著者の視点にはいつも世界観が揺さぶられる。

  • 「……UFOを見たことがあるとか宇宙人に会ったことがあるとかって話をすると、みんな困ったなあって顔するんだよ。それは信じられませんってはっきり言う奴もいるよ。だけどさ、じゃあ聞くけど、おまえら本当に、UFOを見たいと思って夜空を見続けたことがあるのかよ?
    俺は見ているよ。毎晩何時間も見ていた時期があるよ。否定する奴に限って夜空を真剣に見てないんだよ。それで、あるわけないですよって笑うんだよな。だけどさ、本気にならなきゃ何も見えねえぜ。スプーン曲げも同じだよ。否定する奴に限って自分は本気で試してないんだよ。鼻唄歌いながら試したって曲がらないぜ。当たり前の話じゃないか。だからしっかり見てくれよ。たかがスプーン曲げだけどさ、俺とマリックさんとが同じはずがないんだよ。本当に真剣に見てくれさえすれば、そのくらいの違いには誰だって絶対気付くはずだぜ」(240-1)


    スプーン曲げ、UFO招来、ダウジングを職業として選び、世間一般に「超能力者」として認識されている3人を、数年来に渡って追いかけたドキュメント。

    真に世界への感覚を揺さぶられたとき、信じる、信じないという「強い態度決定」の狭間に、私たちは置き去りにされる。目の前に起こった事象になすがままに晒されるだけである場面というのは、確かに存在する(たとえば絶景を見ているとき、事件を目撃したとき)。
    しかし私たちは日常では他者に対し、非常に簡単に「信じるのか」「信じないのか」という、態度決定を迫る問いを投げかける。自身の世界の安寧を頑なに保持するために、まずは早々に態度を決めてしまうことで、出来した事象の理解可能な領域だけを残し、不確実性を捨象する。結果、いつの間にか本来の事象の全体に届きうるはずだった思考の、その手を伸ばしうる範囲自体を切り詰めてしまう。

    何も、価値判断の不純さを訴えるものではない。ただ、私たちはそのように思考することで、世界を成立させてきたし、きっとこれからもそうしていくだろうということだ。
    ただしそのことに少しでも感覚があるだけで、自身の世界の領野は遥かに広がるだろうし、世界への感覚それ自体も鋭敏になるだろう(最も、それによって痛みや苦しみを感じ、煩悶を抱えるシーンは確実に増えることになる)。

    そのとき、世界や他者は相変わらず大きな不確実と未知を抱えたものとしてあらわれる。自身の態度決定によって切り詰められてしまう前のそれらの姿に、今までよりも少しだけ、近づくことが出来るようになるのかもしれない。


    長い期間の交流にも関わらず、被写体によって変化を被ることがなかった、ドキュメンタリーとしては失敗だったと述懐する著者の論調が、他の作品と比しても自己否定的であることが印象に残った。

  • 本当に見たもの、感じたものが全て。
    追い込まれて一線を越えた先になにかある。
    星空を見ようと思う。

  • 取材対象の3人が三者三様でオモロイ。 ダウジングの堤祐司と大槻教授の対決は騙まし討ちに近い気がする。この本を読む限り全体的に超常現象否定論は弱い。無学な自分には、平凡なタイムで終わったウサイン・ボルトに対し「世界新はインチキや!」と言うてるのに近い気がしてしょうがない。しかし、紛い物や詐欺行為が有るのも事実。大槻教授は揚げ足取りではなく徹底解明する事が被害者を減らす事に繋がるのではないでしょうかねぇ。 『ギミア・ぶれいく』でカットされた部分を観てみたい。

全48件中 1 - 20件を表示

著者プロフィール

森 達也(もり・たつや) 広島県呉市生まれ。映画監督。作家。テレビ番組制作会社を経て独立。1998年、オウム真理教を描いたドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。佐村河内守のゴーストライター問題を追った16年の映画『FAKE』、東京新聞の記者・望月衣塑子を密着取材した19年の映画『i―新聞記者ドキュメント―』が話題に。10年に刊行した『A3』で講談社ノンフィクション賞。著書に、『放送禁止歌』(光文社知恵の森文庫)、『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』『職業欄はエスパー』(角川文庫)、『A2』(現代書館)、『ご臨終メディア』(集英社) 、『死刑』(朝日出版社)、『神さまってなに?』(河出書房新社)、『虐殺のスイッチ』(ちくま文庫)、『フェイクニュースがあふれる世界に生きる君たちへ』(ミツイパブリッシング)、『U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面』(講談社現代新書)、『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館)、『増補版 悪役レスラーは笑う』(岩波現代文庫)、『集団に流されず個人として活きるには』(ちくまプリマー選書)、『歯車にならないためのレッスン』(青土社)、『COVID‐19』、『極私的映画論』(以上、論創社)など多数。編著に『定点観測 新型コロナウイルスと私たちの社会』シリーズ(論創社)など。2023年9月1日、関東大震災の5日後に千葉県の福田村で起きた行商団9人の虐殺事件をテーマにした映画『福田村事件』が公開された。

「2025年 『人はなぜ他者を差別するのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

森達也の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×