職業欄はエスパー (角川文庫)

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  • 角川書店
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レビュー : 47
  • Amazon.co.jp ・本 (396ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043625024

作品紹介・あらすじ

スプーン曲げの清田益章、UFOの秋山眞人、ダウジングの堤裕司。一世を風靡した彼らの現在を、ドキュメンタリーにしようと思った森達也。彼らの力は現実なのか、それとも……超オカルトノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 森達也がテレビのドキュメンタリーの取材をきかっけとして長年追いかけてきた3人の「エスパー」- オールマイティな秋山眞人、ダウジングの堤裕司、スプーン曲げの清田益章 - についてのノンフィクション。ドキュメンタリーと言ってもいいのかもしれない。

    スプーン曲げの清田氏は、一時はTVで頻繁に取上げられていたらしいが、自分の記憶にはほとんどない。ユリ・ゲラーの記憶もほとんどないので、ぎりぎり少し前の世代の記憶なのかもしれない。彼らがそんなに稼いでいたというのも驚いた。
    スプーン曲げ含めて自分はまったく信用しておらず、トリックに違いないと思っていた。これまで、ラスベガスでクローズアップマジックも見たし、アメリカでホームパーティに来ていたマジシャンが目の前でやってもらったマジックも見た。全くどうやっているのか分からないし、素晴らしい技だと思った。でもタネはあるというのが前提だ。マジックと超能力はタネの有無を前提とするのかの違いがある。

    森さんが何か嘘やごまかしをしているとは思えない。また、そこで感じているリアリティも本物だと思う。清田氏の実家で、両親を前にして聞いた幼き頃のエピソード(テレポテーションや宇宙人まで出てくる)の会話も、内容はある意味トンデモないのだが、妙なリアリティがある。3人のエスパーたちもこんなに長きの間、嘘をつくメリットもないだろうし、ダウジングの堤さんは性格なのか、あえてやる必要のないリスクも取っている(しかも時々外す)。この本を読んでいると人との付き合いの中で何かを判断するというのは難しいものだなと思う。

    超能力はあると断言できず、それでも彼らを信じることもできる。全く矛盾した感情を抱えて進む物語に引き込まれる。そして最後には能力があるかどうかで困惑などする必要などなく、「自分を信じ、他者を信じ、日々を送る彼らを僕も信じる。彼らの人格を信じる」と結論づける。彼らへのまなざしは信頼に溢れている。「彼らとの付き合いは今後も続く。これには確信がある。被写体として興味が持続しているからじゃない。彼らを好きだからだ」となる。そしてその影響を受けて、自分も心の底からは信用していない本の中のエスパーたちに肩入れしてしまうのだ。そう感じてもらえないかもしれないが、面白かった。

  • 図書館で借りてきた本。

    森氏のこの手の本は結構好きだ。

    彼の書く本の構成は今まで読んできた中で言うと正直「ワンパターン」だ。映像としてのドキュメンタリーは見ていないのが残念だが、撮影対象とどう出会い、どう撮影し、その間にどう思い、物事を進めていくのか、考える過程が分かって面白い。おそらくわたしもカメラは抱えていないものの、対象物とどう出会って、どう向き合うか、と言うことを文章で書くとこうなるんだろうなあと思わせる。

    この本を読んで思ったのは「超能力者」は差別されているということだ。テレビで「スゴイ」ともてはやされても、結局は「科学的に証明されない」ということになり、ウソつき呼ばわりされる。そういう意味ではものすごいテレビの被害者なのだが、なぜそれでもここに出て来た3人はこんなに優しいんだろう、と思う。

    人が想像を絶することであればあるほど(例えば宇宙人と会ったとか)彼らは「テレビでは流さない方がいいよ」とか「しゃべりたくない」って言うんだよね。多分、これは周囲の人にいくらいっても信じてもらえなかった、という彼らの体験があって、それでそう言わせてしまうんだろうなあ、と思った。と同時に一方では「超能力者」と讃えながら、その実番組を作っている人はそれを「本物」とは認めない。認めると視聴者からの苦情の電話がかかってくるからだ。

    もちろんそれが真実かどうかはわたしも見たわけじゃないから分からないし、もし見たとしても(この著者のように)信じられない」かも知れない。

    「想像を絶する」ということを認めたくない人間がいる。おそらくわたしもそのうちの一人だろうし、そしてまた森氏も同じだ。だが、彼の書く文章から、彼が「信じるか信じないかは曖昧の間までいい」という結論を出しながらも、わたしは少し「信じてもいいんじゃないかな」と思い始めている。。

    それは多分、森氏が「信じていないですよ」と言ったあと、自分自身呆然とした、ということとおそらく似ているのではないかと思う。もしかしたら心では9分9厘信じている、のかも知れない。が、どうしても「信じている」とは言えない。そんな状態なんだろう。

    とにかくここに登場してくる3人の超能力者は、とても魅力のある人物だった。幸せになると超能力は鈍くなるそうだが、わたしは彼らの今後の幸せを願っている。

  •  森達也の立ち位置が良いと思う。

  • 自分を試すノンフィクションだ。

    何より著者である森達也氏の心の葛藤が伝わってくる。
    目の前で見せられたスプーン曲げ、スプーン捻り。
    ダウジングでの意地悪な実験。額に張り付く1円玉。
    それらを目の当たりにしながらも、信じていいのか?信じてはいけないのか?その狭間で揺れ動く心の行く先を追いかける物語であるとも言える。
    そう言う意味では、ドキュメンタリーというのはやはり中立の立場で物事を捉えられるものではないのだということも理解できた。
    刺激に満ちたドキュメントはいつだって、自分もその中に飛び込んで、溺れないように暴れているようなものだ。

    オイラ個人で言えば、子供の頃から興味ありました。だから基本的にはオカルト的なものに対して、肯定的なスタンスを取っています。
    霊体験も二度ありました。
    しかし、この本を読めばさらなる驚愕を覚えます。

    森氏は強烈な現象を目の当たりにしても、決して彼ら超能力者の技術を信じることができない。ほんの枝葉末節をあげつらいトリックではないのかと疑念を抱いている。自分の手の内のスプーンがねじれているにもかかわらず。その辺りの葛藤が苦しく胸に迫る。

    しかし、「彼らの言うことが嘘ではないということは信じる」という言葉に救われる。そして「あいまいな確信」を獲得することができたという。また、超能力をバラエティ番組で放送するメディアの姿勢を批判するあたりからメディア論に流れていく。

    要するに人はメディアに流されることなく、自分一人一人の心と向き合った上で行動しろということだ。メディアでバッシングされるから沢尻エリカがむかつくとか、腰パン王子を揶揄するのだけはオイラはしたくないと改めて思うのだった。

    だってたった一人の個人をなぜ総掛かりでイジメなきゃならないのでしょうか??

  • 著者の中庸のスタンスが好き。スプーン曲げを目の前で見て、物理で説明できないと思ってもその現象から理論に結び付けるのは確かに難しい。分からないものは分からないままに。

    ・強い光源は他を隠す。小さいものや弱いものや薄いものを、押し潰して扁平にしてしまう。

    ・秋山眞人は静かに言う。「優しい気持ちは重要です。特に僕らは世間から迫害されたり冷遇されたり差別されることが多いから、気を抜くとネガティブな方向に引っ張られてしまうんです。そうなったら悲惨です。何人もの超能力者たちの末路を僕は見聞きしています。本当に凄惨な話です。…だから荒んだ気持ちになりかけたときには、ここに来てこうして街の灯を眺めながら、このひとつひとつに人の営みがあるんだと確認するんです。人間を本当にいとおしく思える気持ちをとりもどせるまで、ここでじっと街の灯を眺めています。」

    ・テープの残量を計算しながらファインダーを目に押し当てようとして、項のあたりに視線を感じた。思わず顔を上げた。清田は僕を見ていた。いつからなのか、清田はじっと僕を見つめていた。
    「…UFOを見たことがあるとか宇宙人に会ったことがあるとかって話をすると、みんな困ったなあって顔をするんだよ。それは信じられませんってはっきり言う奴もいるよ。だけどさ、じゃあ聞くけど、おまえら本当に、UFO見たいと思って夜空を見続けたことがあるのかよ?俺は見ているよ。毎晩何時間も見ていた時期があるよ。否定する奴に限って夜空を真剣に見ていないんだよ。それで、あるわけないですよって笑うんだよな。だけどさ、本気にならなきゃ何も見えねえぜ。スプーン曲げでも同じだよ。否定する奴に限って自分は本気で試してないんだよ。鼻唄歌いながら試したって曲がらなぜ。当たり前の話しじゃないか。だからしっかり見ててくれよ。たかがスプーン曲げだけどさ、俺とマリックさんとが同じはずがないんだよ。本当に真剣に見てくれさえすれば、そのくらいの違いには誰だって絶対気づくはずだぜ。」

    ・僕自身は未だにスプーンを手に念じることはないが、つい先日、夜空をしばらく眺めていたことがある。ずいぶん長時間眺めていたつもりだったが、時計を見れば五分もたっていない。たぶんこれが僕の限界なのだろう。

  • 読んでいて、いい意味でも悪い意味でも、世界が歪んで見えたというか、これまでと違うように見えた、というか。読みたくなかったなぁ、これ、ていう気もちょっとする。そうだよね、もう何を信じればいいのかなんて、わかったもんじゃないんだよねー、ていう。もう、それに尽きる。読後感はちょっとあんまり良くない、正直なところ。(12/1/29)

  • 超能力ではなく、超能力者をターゲットに取材したドキュメンタリーの書籍。いつもの森節全開。

  • ドキュメンタリー作家森達也が取り上げた題材は超能力者。

    これは森さんが取材したからこそ意味のある本だし、
    「信じる」人も「信じない」人も、「どちらでもない」人にも読んで欲しい。

    「超能力とは何か」ではなく、「超能力者とはどういった人か」に主眼を置いたのは非常に彼らしいく、
    新しくないのに誰も見ていなかった視点。

    読み終わったときに心の内に残る気持ちは言葉に出来ない。

  • 評価は★3つと4つの間くらい。

    題材になっている超能力者たちがメディアに登場する際、
    ほぼ100%といって論証は、「真か偽か」「信じるか信じないか」。

    モリタツは、そこに一定の興味を認めながらも、
    時にトリックと論破され、狂人と揶揄されたりする、
    そういう論調を伴って生きてきた超能力者たちの日常にカメラを向ける。

    つくづく、変わったところに興味を持つ人だと思う。
    作品は相変わらず、揺れながら、揺れた世界を描き出している。

    読み終わって、魔女狩りの集団心理を思い出した。
    異端の存在は自己否定につながるという、妄想に近い憎悪。
    面白い作品でした。

  • スプーン曲げの清田益章、UFOを呼ぶ秋山真人、ダウジングの堤裕司。
    かつては一世を風靡し、「超能力者であること」を職業に選んだ彼らは今、どんな日常を送っているのだろう。三人に興味を抱いて、八年間にわたって取材を続けた著者が数々の不可思議な現象をまのあたりにしながら、「超能力」という迷宮にさまよい、彼らの孤独をすくいとろうとした異色の超現実ノンフィクション。



    僕は超能力の完全否定派である。
    そして、これを読んだ後も全くその信念は揺らいでいない。
    三人の超能力者たちも、口を揃えて「見てもいない人間が信じるというのは逆に不自然だ」と言っているのだからそれでいいのだろう。
    僕は一度たりとも超能力を目の当たりにしたことがないのだから。
    (むしろ、見たこともないはずなのに「超能力」を無条件に信じている人がどうしてこんなに多いのだろうかと疑問に思う)

    超能力はおそらくこれからもずっと世間的に認知されることはないだろう。
    なぜなら、彼らがそれを積極的にやろうとはしていないからだ。
    超能力が認められるためにはまずそれが物理法則として証明されなければいけない。
    そのためには、必ず、追試験が条件となる。
    でも彼らはそれをすることができない。
    彼らは彼らが望んだ時と場所で、彼らが出来る範囲のことを、彼らのことを信じている人たちの前でだけ能力を発揮することができるだけだから。

    そのため、彼らの発揮する能力には胡散臭さがつきまとい、否定派の人間たちに反論される余地を残すようなやり方しか出来ていない。
    マジックでも可能な範囲を出ていないのも問題だと思う。
    もちろん、人間の能力なのだから、体調や気分、シチュエーション、天候などあらゆる要素に影響されるのは仕方の無いことだ。
    だが、それでは絶対に社会的には認められはしない。

    しかも彼らのやっていることは、残念ながら「その能力がなければ絶対にできない」ということではない。
    よしんば、彼らのスプーン曲げがトリックではなかったとしても、それは超能力ではない。
    手で曲げる方がはるかに速いし、エネルギー効率もいい。
    超能力と呼べるのは、人間の能力を超える力の場合だけだと僕は思う。
    彼らが曲げるものがスプーンでなく、鉄筋であったならば僕もそれを認めるのにやぶさかではないのだけれど、スプーンでいいなら僕でも曲げられる。
    誰にでもできる「スプーンを曲げ」よりも100メートルを10秒で走る方がよっぽど超能力だと思う。

    著者の森氏は、肯定派にも否定派にも肩入れせずに、超能力に対して極力、ニュートラルな立場で書いているように思える。
    森氏自体は超能力を信じてはいないが、彼ら三人を信じているそうだ。
    だが、残念ながら僕には(現時点では)清田氏はただの嘘つきのマジシャンで、秋山氏は誇大妄想にとりつかれた狂人にしか見えない。
    (堤氏は逆説的な言い方とはいえ、自分を超能力者だとは言っていないので除く)

    超能力って何十年経ってもずっとこういう立ち位置なんだろうなあ、と思った。

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著者プロフィール

森 達也(もり・たつや) 1956年、広島県生まれ。ディレクターとして、テレビ・ドキュメンタリー作品を多く製作。98年オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画『A』を公開、ベルリン映画祭に正式招待され、海外でも高い評価を受ける。2001年映画『A2』を公開し、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞する。11年『A3』(上下巻、集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞を受賞。現在は映像・活字双方から独自世界を構築している。16年に映画『FAKE』、19年に映画『i-新聞記者ドキュメント-』で話題を博す。著書に『死刑』(角川文庫)、『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』(ダイヤモンド社)、『ニュースの深き欲望』(朝日新書)、『虐殺のスイッチ』(出版芸術社)など多数。

「2021年 『定点観測 新型コロナウイルスと私たちの社会 2020年後半』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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