それでもドキュメンタリーは嘘をつく (角川文庫)

  • 角川書店 (2008年9月25日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784043625055

作品紹介・あらすじ

「わかりやすさ」に潜む嘘、ドキュメンタリーの加害性と鬼畜性、無邪気で善意に満ちた人々によるファシズム……善悪二元論に簡略化されがちな現代メディア社会の危うさを、映像制作者の視点で綴る。

みんなの感想まとめ

テーマは、ドキュメンタリーの「わかりやすさ」に潜む嘘や、映像制作者の視点から見たメディアの危うさです。読者は、ドキュメンタリーが単なる公正なものではなく、監督の意図に基づくことを再認識し、善悪の二元論...

感想・レビュー・書評

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  • 後れ馳せながらここを通過した
    様々な価値観と視線による差異がある
    それと共にあらゆるグラデーションもある

  • うーん、面白かったようなそうでもないような。森達也の事は「いのちの食べかた」で知ったんだけど、AもA2もまだ観ていない。別のこの人にドキュメンタリー映像の歴史を紐解いてもらわなくてもよかったし、なんか主語がでかいし、語り口は甘ったれてるのにやたら使い慣れない難しい言葉を繰り出したがる(平易に表現が十分にできるのに!)ところがなんか気に入らなかったな。中身以前に文章が嫌いなんだな。ただ興味深い部分も沢山あったよ。ドキュメンタリーとドラマに本質的な違いはない事、モザイク処理の罪について、セルフドキュメンタリーについて、とかね。

  • 森達也のドキュメンタリー論とでも呼ぶのが正しいのだろうか。

    たしかに本書に書かれているように、「ドキュメンタリー=公正なもの」という意識は我々の中に根付いている。
    ただ、実際は監督の意思にそって進められている映像作品であり、それが正義だとは限らない。
    しかし、観ることで自分のなかに問題定義を呼びかけてくる作品かどうかは重要で、少なくとも私にとって森氏の映像作品や著者はそういう存在であることは確かだ。

    ドキュメンタリーが好きだと自負する人こそ、本書を読んで頭をガツンと殴られてほしい。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「「ドキュメンタリー=公正なもの」という意識は」確かに見る時は、そこからスタートしている。これからは気を引き締めて見始めなきゃ。。。
      「「ドキュメンタリー=公正なもの」という意識は」確かに見る時は、そこからスタートしている。これからは気を引き締めて見始めなきゃ。。。
      2012/03/02
    • ayami Imanishiさん
      ドキュメンタリーを観て「かわいいそう」だとか「いい話」だとか思うのは簡単なのですが、映像から何を嗅ぎとるかということが大事なのかなぁと思いま...
      ドキュメンタリーを観て「かわいいそう」だとか「いい話」だとか思うのは簡単なのですが、映像から何を嗅ぎとるかということが大事なのかなぁと思います。難しいんですけどね……。
      2013/03/13
  • もりたつは、私のメディア的なものへの視点に大きな影響をくれた人です。
    「真実」を語るジャーナリストと「現実」を語るドキュメンタリーが何よりもうさんくさいと思う私には、好きなメディア論。

    ・ドキュメンタリーが描くのは、異物が関与することによって変質したメタ状況なのだ。作り手が問われるべきは、その事実に対して、どれだけ自覚的になり、主体的に仕掛けられるかだろう。
    ・その仕事は、客観的な事実を事象から切り取ることではなく、主観的な真実を事象から抽出することだ。
    ・わかりやすさばかりが優先された情報のパッケージ化をマスメディアが一様に目指す状況だからこそ、あいまいな領域に焦点をあてるドキュメンタリーの補完作用は重要な意味をもつ。
    ・自らのパーソナルな主観・世界観を表出することが最優先順位にあるドキュメンタリーと、可能な限りは客観性や中立性をつねに意識におかなければいけないジャーナリストとは、本来は水と油の関係のはずだ。
    ・内面的な矛盾や葛藤が過剰であればあるほど、被写体としての魅力は増大する。
    ・撮る側の主体と意識が問われる・・・その覚悟がなければ、現実に負ける。
    ・アメリカの病理の本質は、高揚した正義であり、徹底した善意でもある。
    ・言葉の最大の機能は規定だ。そして僕の考えるドキュメンタリーは、その規定からつねにはみだす領域にある。だからこそ、ドキュメンタリーそのもを規定できない。

    ・・・読みながら、「THE COVE」を見た時感じた強烈な違和感がはっきりしました。なるほどね。

  • 何冊かこの人の本を読んだが、自分には合わない。

  • 2020年10月3日読了。

  • (01)
    ドキュメンタリーの作り手によりドキュメンタリーが解説される。そこには、ドキュメンタリーが本当か嘘かという葛藤とともに、内幕や内情、そして弁明も、言語(*02)として領域化している。つまり、「ドキュメンタリーは嘘をつく」という言明によって、嘘をつくドキュメンタリーを救いつつ、ドキュメンタリーの作り手は、「嘘をつく」ことに嘘をつかずに真摯に向き合っている姿勢が示される。

    (02)
    特に序盤では、ドキュメンタリーの歴史が綴られ、映画界とテレビ界の双方で占めていた位置が指し示される。著名なドキュメンタリーの作家や作品、著作も紹介され、ドキュメンタリーの入門編として読むこともできる。こうした作り手との交流の場面や著作からの引用もところどころに挟まれながら、著者自身の自作の制作プロセスについても言及されている。
    報道との違い、セルフドキュメンタリーの内向きなど、ドキュメンタリー内外の差異についても触れており、逆に劇映画におけるフィクション性とは何かを考える機会も与えている。

  • 「 A 」観たいなぁ。
    「 A2 」も。
    「 A3 」にも期待。

  • 170814読了

  • ドキュメンタリーに特化したエッセイだけに、いつものようにテーマの使い回しがなく、またドキュメンタリー映画案内としても参考になる。

  • 何事もやればやるほど、新鮮味は落ちていく。

  • 僕にとっての愛読書で、学部生の時に買って、読むのは今回で三回目。
    「A」、「A2」や、最近だと「311」といったドキュメンタリー映画で知られるドキュメンタリー作家の森達也が唱えるドキュメンタリー論。

    一般的には、「事実・現実をそのまま写したもの」として認識されている「ドキュメンタリー」というジャンルが持つ虚構性、恣意性、劇映画との境界のなさをテーマに語ったもの。

    森達也の本は好きでわりと色々読んだのだけど、個人的にはこれが一番おもしろい。

  • ある視点にはその人物の恣意性が絶対に付いてくる.
    恣意性を排除することはできないが、その事には常に自覚的でいないということを繰り返し教えてくれる.
    誰かを傷つけているという自覚や覚悟無しに自分の意見は表明できない.

  • そしてこの瞬間も嘘をつく。

  • テレビではどの局も、情報が分かりやすく結論も決まっているかのように、同じような内容を伝えられている。そうした日本のメディアの問題を捉えている。タブーを映像化してきた森達也さんのドキュメンタリーに対する姿勢が理解できる本。

  • 唐沢なをきのNHKやらせ騒動の件やイルカ漁などを髣髴とさせるタイトル。ドキュメンタリー作家が、ドキュメンタリーとは何かを自伝とともに。コラムの途中で、森氏自身の経験と意見が織り込まれ、大変生々しく、始終スリリングで目が離せない。ただ、タイトルとは違って"ドキュメンタリーの敗北"についてが目立つ内容ではある。

  • ドキュメンタリーのマニアックな話(巨匠やその代表作の偉大さ)に多くのページ数が割かれ、かつ文章が冗漫であるため、読むのに時間がかかったが、核となる主張は以下の通り

    ■ドキュメンタリーは決して客観的事実の蓄積ではなく、あくまで主観に基づいて創作された、自分本位な「作品」

    ■すべての映像は主観基づいて作られている(すべての映像はドキュメンタリーだ。 ジャン=リュック・ゴダール)。なぜならば、すべての映像はキャメラによって主体的に映像を現実を切り取る、そして選択的に編集するという、二つの過程を経ているからである。

    ここのエピソード(ex 地域住民は実はオオム信者をマスコミから守っていた)は大変興味深く、昨今話題のメディアリテラシーについて、学者目線( 内田樹 町場のメディア論)とは違って、”現場からの声”を聞くことができる

  • 報道ドキュメンタリーという単語の矛盾か、、、成程、感心しました。
    確かにドキュメント作品には無意識に真実や中立性を求めていたような気がする。
    読了した今、無性にドキュメント作品を見たいという欲求がわいてきている、、、という事は間違いなく好著なんだろうな。

  • 想田監督作品から始まった私のドキュメンタリー映画への道。
    森さんのドキュメンタリーへの熱い想いを伺いしり、ますます深みにははまって行きそうです。

    世の中は、割り切れないことばかり。しかし、現在のマスメディアはいろいろなことを単純化しすぎている。
    それは社会自体にも当てはまる。
    森達也氏の指摘をもっと噛みしめるためには、ドキュメンタリー映画が訴える様々な人々から発せられるメッセージを受け止めるべきかもしれないと強く感じました。

    大学生にオススメの文庫本だと思いました。これから社会にでる前に読んでおくべき本ですね。

  • 公正中立、客観的、わかりやすい報道…

    テレビにおけるこれらの美麗文句を疑ったことがあるだろうか。またテレビやドキュメンタリーに対してこれらを掲げて批判をしたことはないだろうか。

    筆者はこれらの美麗文句をすべて幻想であると切り捨てる。ドキュメンタリー、いや映像の産物はすべて作為的なものであり、表現行為であり主観的である、と。そしてそれら表現行為は、その加害性から脱却することはありえないと。

    作中ではマスメディアに対する批判も行う。メディアの商業化が一気に進み、国民が望む「わかりやすい」簡素化かつ扇動的な報道ばかりが目立つと。特にオウム以降、それが加速したという。この原因を、筆者は個々人の葛藤や煩悶の欠落にあるとみている。

    このように報道が簡素化し、複雑な思考を嫌う社会になりつつあるからこそ、複雑な人間の葛藤に焦点をあてるドキュメンタリーは必要性を増しているという。社会がそれを望むかどうかは別であるけれども。

    この作品の中で、筆者は繰り返し葛藤と煩悶という言葉を使う。これこそがドキュメンタリーの本質であり、繰り返し自問されなければならないという。つまりドキュメンタリーのもつ加害性と、それでも表現する意味、そしてその覚悟をといている。これは筆者のドキュメンタリーに対する哲学であるのかもしれない。

    ここから感想
    ドキュメンタリー作家として、自らの作品と葛藤し煩悶し、自問を続けた森達也の思考の記録です。徹底して表現行為としてのドキュメンタリーにこだわり続けた人間の覚悟が感じられました。彼の思想からは視聴者という概念が抜け落ちているため、人によっては彼の考えを疑問に思うかもしれません。個人的には、すごく気に入りましたが。
    筆者の考え方が気に入ったので、星は5をつけました。お勧めの本です。

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著者プロフィール

森 達也(もり・たつや) 広島県呉市生まれ。映画監督。作家。テレビ番組制作会社を経て独立。1998年、オウム真理教を描いたドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。佐村河内守のゴーストライター問題を追った16年の映画『FAKE』、東京新聞の記者・望月衣塑子を密着取材した19年の映画『i―新聞記者ドキュメント―』が話題に。10年に刊行した『A3』で講談社ノンフィクション賞。著書に、『放送禁止歌』(光文社知恵の森文庫)、『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』『職業欄はエスパー』(角川文庫)、『A2』(現代書館)、『ご臨終メディア』(集英社) 、『死刑』(朝日出版社)、『神さまってなに?』(河出書房新社)、『虐殺のスイッチ』(ちくま文庫)、『フェイクニュースがあふれる世界に生きる君たちへ』(ミツイパブリッシング)、『U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面』(講談社現代新書)、『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館)、『増補版 悪役レスラーは笑う』(岩波現代文庫)、『集団に流されず個人として活きるには』(ちくまプリマー選書)、『歯車にならないためのレッスン』(青土社)、『COVID‐19』、『極私的映画論』(以上、論創社)など多数。編著に『定点観測 新型コロナウイルスと私たちの社会』シリーズ(論創社)など。2023年9月1日、関東大震災の5日後に千葉県の福田村で起きた行商団9人の虐殺事件をテーマにした映画『福田村事件』が公開された。

「2025年 『人はなぜ他者を差別するのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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