- 本 ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043646036
作品紹介・あらすじ
兄の放火事件をきっかけに一家離散に追い込まれた15歳のシュウジは、故郷を発ち、大阪、そして東京へと向かう。今秋、映画公開の衝撃の超大作、感動のラストシーンへ!
感想・レビュー・書評
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あまり、重松清さんらしい作品ではないと感じました。
暗い話だったけどどこか心に残る気もします。
いつものようなあたたかい気持ちになる本が好きな人は好みじゃないかもしれません。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
中谷美紀さんのエッセイの中で、「疾走」の台本が~、と書かれていて気になっていました。しかし、この表紙はなんとからならないものか。「よまなくちゃ」と思っていても、なかなか手が伸びなかったです。
中谷さんの配役は、、、そう。アカネさんでした。
どんな演技をされているのでしょう。
気になります(が、その他の配役を見て、これはだめだ、と)。
観ないと思います。ごめんなさい。
読み終えて。
みなさん言われるように、重くて暗いです。
でも、本人も、エリも、悪いでしょうか。
その立場に置かれて同じ人生を歩め、といわれたらどうでしょう。
もっと悲惨な結果になったかもしれません。
寂しい。人とつながりたい。
そう思って、苦しんで。
海外の書籍になりますが、「ザリガニの鳴くところ」、読まれましたが?
誰も助けてくれないのです。
自分で解決するしかありません。
(社会も、法律も守ってくれない。逆に足かせになることもあるかもしれません=そんな意味でいっています。人間だってただの動物です。)
でも、人間以外の動物たち、自然も、みんな自分で解決しています。
自分で解決して、そのペナルティが課される、それが人の社会です。
無茶ぶり、ダークな世界があって、それが隠されています。
闇が口を開け飲み込もうとしています(最近、特に感じるのです。こわいです。そんな本ばかり読んでいるからかな? でも違うとおもいます)。
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繋がりたい。
そう思うことは全く自然であるし、当然のこととおもいます。
この本では牧師さんが出てきます。
彼の存在、ひまわりの存在は大きかったと思います。
宗教は心の支えになっていくものだ、と思いました。
日本の他の宗教はどうなのでしょう。
そこまで心の支えになっていないかもしれません。
それが宗教離れにつながっているのだともおもいます。
キリスト教は・・・
どうでしょう。こうした救いの面は素晴らしいです。
でも、闇が深すぎると感じます。
ワシントンDCが何たるや、大量の金塊をどうやって入手したか、アドレノ◯◯◯ 。
DCがいま、どうなっているか。
報道されないのは、知らせたくないからにほかなりません。
(訂正)
> 闇が深すぎると感じます。
そんな甘いものではなかったです。知らないほうが幸せかもしれません。
https://booklog.jp/item/1/B09MSM7SQC -
痛い…痛すぎる…(༎ຶ⌑༎ຶ)
この手の小説は、読んでいてとても辛い…。
苦手分野です。
15歳の少年シュウジが背負った運命が辛すぎるお話です。
彼の住む干拓地がリゾート計画で変わってしまうのと同時に、優秀でプライドの高い兄が犯罪に手を染め、家族が崩壊していく。
干拓地の教会で聖書を手にして以来、聖書の言葉が引用されながら話が進みます。
中学生になったシュウジは兄の犯罪が原因で、学校で酷いいじめにあいます。
ーーーーー
おまえは思い出す。いつだったか、あの頃はまだおまえの「親友」だと言っていた徹夫と、教会の講話会で教わったことを話したのだった。
「孤立」と「孤独」と「孤高」の違いについて、だった。
仲間が欲しいのに誰もいない「ひとり」が、「孤立」。
「ひとり」でいるのが寂しい「ひとり」が、「孤独」。
誇りのある「ひとり」が、「孤高」。(中略)
おまえは、まだ自分の「ひとり」が三つのうちどれに当てはまるか、わからないでいる。
(本文より)
ーーーーー
誰かと繋がっていたい。と思ううちは孤独です。
社会から孤立した時に思い出しそうな言葉。
神父には弟がいて、人を殺した犯罪者です。
弟が、シュウジに会いたいと言ったのです。
シュウジは空っぽの彼を見て衝撃を受けます。
ーーーーー
「俺たちは、同じ、だ」
(本文より)
ーーーーー
自分の恋人一家を殺した弟は、からっぽの、穴ぼこのようだった。
多感な年頃の中学生には影響が強すぎる…。
弟が言った言葉も描き方が秀逸。
魂の宿っていないセリフということが読んでいて伝わってきます。
痛い…(T-T)
まさに「疾走」というタイトルがピッタリ。
過酷な人生を駆け抜けた少年の、衝撃のラスト。
いつまでも心に残る作品だと思います。
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良かった。
全体的には最初から最後まで重くて暗いトーンで物語は進んで行きますが、後半には雲の切れ間から日が射すような暖かい気持ちになれます。
重松清さんは本当に思春期から青年時代の心理描写を描くのが上手いと思います。
オススメです! -
やっぱり重いなぁ
出てくる人たち概ね不幸(・_・;
性的描写ちとキツイ...
これでもかぁ、これでもかっ!ってくらいにどんどん落ちていく感じです。
誰かと繋がっていたいというシュウジ、あたしんとこ来い!
正直、好きなお話ではありませんが、すごく印象的でした。
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目を背けたくなるような描写のなか、シュウジがほんの僅かでも救われることを願いながら読みました。
よく人が“堕ちていく”と言うけれど、シュウジはこの物語の初めから堕ちていたと思います。タイトルのあらわすように“疾走”だったなと思います…。
最初から最後まで苦しいけれど、シュウジのような、それよりも苦しい人生も必ずどこかにあるんだと思うと行き場のない悲しみを感じる。 -
読み終わった。そっか、こんな最後だったっけ。
シュウジという少年が背負わされた過酷な運命を、私も共に駆け抜けた。誰かとつながりたい、ただそれだけのことなのに、どうしていつも私たちは「ひとり」でしかいられないんだろう。シュウジも、エリも。もどかしくて行き場のない気持ちが溢れ、苦しくて苦しくてしかたなかった。「ひとり」と「ひとり」が一緒に生きるって、こんなに難しいことなのか。
読み終わったあとは、それこそ全力疾走したかのように疲労し、息切れしていた。当時、私の世界はここから一変したのだ。
「シュウジ、遠くの町に行っても、これだけは忘れないでください。あなたの憎んだふるさとの片隅の小さな庭に、ヒマワリが咲いていることを。その花は、いつも太陽のほうを向いている、ということを」
送り出すときに神父さんが言ってくれたこの言葉の尊さを思う。誰かが待ってくれているということは、きっと想像を遥かに越え人間を強くする。
シュウジは自分の生を一生懸命に生きた、生き抜いた。それは確かなことだ。
ふるさとでは、今年もまたヒマワリが咲いていて、生が続いている。失われない命がきらめいている。
「伝道の書」第一章。
世は去り、世はきたる。
しかし地は永遠に変らない。
日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。
風は南に吹き、また転じて、北に向かい、
めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。
川はみな、海に流れ入る、
しかし海は満ちることがない。
川はその出てきた所にまた帰って行く
なんだか「生きるってなんだろう?」「死ぬってなんだろう?」「どうせ死ぬのにどうして生きなきゃいけないんだろう?」とか、そういう原点に立ち返るような素朴な疑問を、ひさしぶりに思い出した。
たとえば俳優の彼は、どうして自死を選んだのだろう。
順風満帆な仕事、充実した私生活、容姿端麗。才能に溢れ未来も明るい恵まれた人生に思える。いったいなにが彼の心から光を奪ったのだろう?彼はずっと「ひとり」だったんだろうか。
考えても答えがわからないことを、それでも考え続けたい。彼が生きた証、命のきらめきを、私はぜったいに忘れない。
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