疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)

  • KADOKAWA (2007年9月22日発売)
3.80
  • (185)
  • (286)
  • (234)
  • (26)
  • (15)
本棚登録 : 2723
感想 : 289
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784043707034

作品紹介・あらすじ

疲れるのは健全である徴。病気になるのは生きている証し。もうサクセス幻想の呪縛から自由になりませんか? 今最も信頼できる思想家が、日本人の身体文化と知の原点に立ち返って提案する、幸福論エッセイ。

みんなの感想まとめ

疲れすぎて眠れぬ夜に寄り添う本書は、現代社会の価値観から解放され、身体の感覚に立ち返ることを提案しています。著者は大学教授であり武道家でもあり、その独自の視点が文章に深みを与えています。無理をせず、自...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 二〇〇三年刊行のエッセー。盛り沢山な蘊蓄と斬新で目から鱗の論評・考察の数々は著者ならでは。二十年近く前の著作だが古さも全く感じさせない。

    自分が男ということもあり、前半の働く女性への提言(間違ったサクセスモデルに踊らされて疲弊するキャリアウーマンへの提言)より、後半の資本主義と人類システムの拮抗論(「らしさ」の解体、「型文化の衰退」)の方が面白かった。

    アメリカ文化が女性嫌悪(ミソジニー)の文化というのは、今まで全く気づかなかった。言われてみれば確かに。ハリウッド映画の見方、変わってしまうかも。

    本書の中からナルホドと思わず頷いた箇所を幾つか摘記しておく。

    「アメリカにはたまたま、女性が希少であるような性的不均衡の場所を二世紀にわたって維持し続けることなしには国土を開拓しえなかったという歴史的条件がありました。そこで空しく死んだ死者たちがその後のアメリカ社会に災禍をもたらさないように、アメリカ社会は「ミソジニーの物語」をせっせと、ほとんど聖務日課を執り行うような誠実さを込めて、生産し続けてきたのです。」

    「愛想がいいというのは、すごく良質な文化です。他人に向かって親切にしてあげることが自分にとって屈辱的なふるまいだと思うような文化よりもぼくは日本の方がずっと好きです。クライアント・フレンドリーは日本が世界に誇る伝統文化ですよ。」

    「ベンチャー企業家と投資家のマッチメイキングには実は根本的な矛盾があります。ほんとうに実力のある企業家の多くは投資されることを嫌う人たちである、というのがその矛盾です。ベンチャー企業家というのは、まさに自立を重んじる人たちで、いくばくかの投資の見返りに、短期的に利益を出せだとか、経営方針に口を挟まれるくらいなら、貧乏に甘んじる方がいい、という風に考える人たちです。」

    「本質的に「無信仰」である日本人には、その行動や胸中を全部見通しているような「全能の神」というものはうまく想像できません。日本人の倫理性を担保しているのは、神ではなく、むしろ個人のうちに内面化し、身体化した社会規範です。日本はよく言われるように、非常に「他者志向」の強い社会です。」

    「神さまが心の中まで見ているのなら、心の中が正しければ、その行いや姿かたちが周囲からどう見えようと、それは副次的なことにすぎません。しかし、「人」は心の中までは見てくれません。心の中が正しくても、行いや姿かたちにそれが外形化していなければ、その「正しさ」は社会的に承認されません。だから日本の「恥の文化」は同時に「型の文化」とならざるをえなかった、ぼくはそういうふうに考えています。」

    「「らしさ」というのは人類が発明した「エコロジカル・ニッチ」です。男性と女性では、行動パターンが違い、生息領域が違い、「餌」が違い、総じて欲望のあり方が違う。そのことによって、社会的資源の競合は緩和されています。性差と同じように、年齢や社会的役割によっても欲望はばらけます。」

    「システムの安定か、欲望の充足か、人類発生以来、この拮抗関係はゆるやかに「欲望」の優勢のうちに推移してきました。ですから、こう言ってよければ、欲望の充足を生態系の安全より優先的に配慮する生物、それが人間である、ということになるでしょう。動物と人間が違うのはおそらくただその一点だけです。」

    「こうして、社会成員の欲望をできるだけ均質化しようとする資本主義と、成員の欲望をできるだけ分散しようとする人類学的制度の間に熾烈なバトルが展開することになります。ぼくがこの本でここまで論じてきた「らしさ」の解体とか、「型文化の衰退」という状況判断はこの資本主義と人類学的システムの相克という大きな文脈の中に身を置いての発言なのです。」

    「資本主義というのは、「差異のうちに棲む」という人間の特性を最大限に利用します。隣人と「ほとんど同じだが、ほんの少しだけ違う」というしかたで差別化をはかり、それによってアイデンティティを確保したいという人間の欲望が資本主義の駆動力なのです。おまけに、人間はどんなわずかな記号のずれにも差異を感知できるきわめて「差異コンシャスネス」の高い生き物です。」

    「身も蓋もない言い方をすれば、人間は期待していたよりバカだったのです。「もう制約をかけないから、これからは自分の好きな生き方をしてごらん」と言ったら、みんなお互いの顔色を窺い出して、お互いを真似し始めたのです。」

    「「人間は自由に生きる方がいい」とぼくは思います。その方が人間のあり方が多様化する可能性があるからです。けれども、それと同時に「人間をあまり自由にさせない方がいい」とも思います。うっかり自由にしてしまうと、人間のあり方が全部同じになってしまうからです。」

  • 本書の文庫版の初版発行は2007年であるが、単行本としての発行は2003年なので、おおよそ20年前のことだ。内田樹のデビュー作「ためらいの倫理学」は2001年の発行なので、本書は、内田樹の初期の作品である。
    あとがきに内田樹は、「自分が立てた原理原則から抜け出すのは、他人がおしつける原理原則から抜け出すよりもずっと難しい。人間というのは自分がいったん口にした言葉を死守しようとする本能的な傾向があるからである。だから、前言撤回を恐れてはならない」と書いている。
    要するに、「私の言うことは経時的に変化しますよ」ということを言っているのである。私はデビュー以来の内田樹のファンであるが、そんなに言うことがくるくると変わっているとは思えない。注意深く読めば、おそらく主張が変わっていたりもすることがあるのであろうが、それは読んでいてほとんど気にならない。ただ、内田樹のように「私の言うことは変わるかもしれませんよ」というのはフェアで好ましい言説だとも思う。

  • 非常に面白かった。
    著者は大学教授でありながら、武道家。この武道家の要素が身体知をともにした文章にしていると思う。
    ・無理して頑張るということはそれだけエネルギーを前借りしているということ。
    ・職場等の不快な人間関係に耐え続けると必ず「オヤジ化」し、自分がイヤな奴になる。
    ・パパ活等(たいした価値も提供していないのにその気になっていること)で自らの価値観が狂ったら、一生ものの傷になる。
    ・礼儀とは仮面を被ることで自分の利益を最大化すること。権力者の前で素顔など出してはいけない。
    など、すっと頭に入ってくるような内容だった。

    タイトル通り、頑張りすぎて疲れた時に読むといい本。
    社会の変な価値観から人間の身体的な感覚に戻してくれる。

  • 定期的に読み返しているけれど、考えてることの言語化を助けてくれるような本だなと感じる

  • 「内田樹さんの本を初めて読む」という人にはオススメな気がしました。
    いつもながら、全体的には面白かったです。もともとは2003年の本のようです。

    タイトルが秀逸ですね。なんともとっちらかった内容の本ですから(笑)。
    でも、この本の持ち味や良さを、上手く伝えていると思います。

    毎度ですが、哲学研究者というか、大学教員である内田樹さんが、四方山に「へー」というお話を語り下ろしたような本です。

    項目だけ上げると、「なんだか胡散臭い自己啓発本そのものじゃないか」と、見えてしまうんですが、まあ、見方によってはそうとも言えます(笑)。

    ただ、内田さんの著作は、「どうしてかっていうとね、ほら、こうだからなんですよ」という、論拠が明確にあります。
    それが全て、国内外の歴史の検証だったり、国内外の作家や思想家や人類学者の考察だったり、まあ、ぶっちゃけ言うと非常に「ナルホド率」が高いんですね。

    そして、常に向かう方向は、企業や体制に都合のいいヤンキー的な「ガンバリズム」や「現状肯定」でもなければ、
    反知性主義的な「敵対勢力攻撃」でもありません。
    右翼嫌韓的な嗜好もバッサリ、左翼ヒステリックな思想も一刀両断。
    単純に、「幸せに精神のバランスを保って生きていくには」という、非常に個人的な(それがひいては社会的になるはず、という)幸福を考えての発言だと思います。
    もちろん、ベースに豊富な研鑽があった上で、安易な行動的結論はありませんし、押し付けません。
    そして、笑っちゃったのは「僕の他の本と大いに重複します」とハッキリ意識的に認めてらっしゃる。「むしろそれで良いんです」。いやあ、お見事。

    いつもながら、話が武道礼賛になっていったり、ある種の自慢話になっていく部分もあります。
    正直、そういうところは面白くありません(笑)。
    でも何しろ、書き手の方が、「そりゃ万人受けはあり得ないし、マチガイだってありますよ」という肩の力の抜け具合なので、そこで目くじら立てる気にはなりません。

    なんていうか…
    なだいなださんとか、河合隼雄さんとか、中井久夫さんとか。
    丸谷才一さんとか司馬遼太郎さんの、エッセイ的な文章とか。
    村上春樹さんとか橋本治さんの仕事などが、きらいじゃない人には、おすすめの本ですね。

    まあそれでなくても、自己啓発本(とジャンル分けされるような本)をたまに読んだりする、
    若い人、働く女性、といった方々も、面白がれて、ちょっと目からウロコなところもあると思います。


    しかし、毎度ながら思うのですが、新書全般に、そして内田樹さんの本全般に共通して、
    「出だしの第1章、前半が面白い。中盤からダレてくる」
    というのがどうにも、いつも感想として思います(笑)。
    「内田樹さんの本の、前半1/3だけ集めた本」というのが出ないでしょうかね(笑)。









    内容を項目だけ、極めて適当に。個人的な備忘録として。

    ●今どきのパワハラなども含めて、「不愉快な人間関係に耐える」っていうのは良くないよ、という話。

    ●どうして「不愉快な人間関係に耐えることに価値を持つ人」が出来上がるのか、という考察。

    ●「働くこと」の考え方、「働く女性」「フェミニズム」の位置づけとリスク。

    ●歴史的な「フェミニズム」論考、アメリカにおけるいわゆるウーマン・リブ的な運動を模倣する危険性。

    ●上昇志向、成功志向が薄まりつつある2007年現在の日本の若者たちの意識の由来、「それは決して悪いことじゃない」

    ●弱肉強食になる「資本主義」「市場経済社会」を、基本肯定しつつも、それが純化するとモラルハザードになる危険性。バランスを保つための「倫理性」。

    ●その当たり前の「倫理性」を失っている政治家や経営者の批判。なぜそういうことになるのか、という考察。競争社会の落とし穴。

    ●反対意見、反対勢力も含めて全体のことを考えなければならない、という政治家たちへの批判。

    ●「ビジネス」の愉しみと「レイバー」の不毛さ。

    ●「コミュニケーション」の大事さ。核家族が純化することの危うさ。

    ●「偽造された共同的記憶」、つまりは後から時世合せで自分史を微妙に改ざんする、ということ。

    ●戦後精神史的な、世代論。

    ●内輪受け的なコミュニケーションの狭隘さの危険性。

    ●「自分らしさ」「個性」「自分探し」という、嘘くささ。

    ●「個性」という幻想と「大衆社会による大衆消費」という資本主義の原理が、原則矛盾するという、避けられない二律背反の指摘。

    ●DV、ストーカーから、パワハラまで通じる「本人が、相手のためだ、悪意はないんだ」と、のたまう暴力行為への、断固たる否定。

    ●家族論から、「親離れ」「家離れ」の奨励。

    以上。

  • 凄いヤツは利他的、という日本の難題のお話と繋がると思いました。

    家族は社会的であるべきで、息子がいるなら親父の兄弟と同居すべきとか、(それは親の支配力を分散させるため、理想の大人の男性像を客観視しやすくするため)とか、なるほど納得、とても面白かった。

    あとこれを読んでいて思ったのが、人を愛する行為って、人に礼儀を尽くすとか人間の社会的行為の最上級なんじゃないかなと思いました。

    目からウロコな話満載でした。

  • 【本に対する感想】
    ・星3.6〜3.8という印象。変な一貫性を見出そうとしたり、「自由であること」のためにツッパる癖のある私には良い薬となった。
    ・本当の私がいること、それを解放すること、リベラリズムのお題目の上で自由(風)に振る舞うこと…それらに疑義を呈する本。
    ・今年読んだ「心はこうして創られる」「私とは何か  「個人」から「分人」へ」「世界99」あたりとの共通項を多く感じた。
    ・途中「いや、それは流石にスピり過ぎでは…」と感じるシーンも無くはなかった。めちゃくちゃ気になる程ではないけど。

    【読みながら考えていたことメモ】
    ・ちょっとくだけて、あまり全体感のない愚痴をこぼしていた先輩のことを思い出しながら、「(本当の私的なものに引っ張られて)与えられた役割から逸脱するのってやっぱり気持ち悪いじゃん」というのを改めて思った。よっぽどの友達や配偶者じゃない限り。
    ・私は本当の私には興味がなく、どのようなナラティブを付けるかにしか興味がないのかもしれない。
    ・多分立ててはいけない問いがある。今の配偶者が本当にベストかとか、今の仕事は天職なのかとか、生きている意味って何だろうとか。それらは否定することが本当の答えっぽく見えるので大変危険だし、極めて論理的で美しい答えを出すことはほぼ不可能で、且つあまり幸福度に寄与しない。
    ・このイデオロギーやナラティブは今の私の幸福に都合悪いな、書き換えよっと。がサラッと出来る人間でありたい。

  • 人間は割と簡単に壊れる。
    それを守れるのは自分しかいない。
    だけどもちろん優先すべきは自分だけど、
    それによって周囲の犠牲だってある。

  • 世界の解像度が上がる本。
    例えば、社会制度についての是非だけでなく、是と非が変遷する過程や、変遷する方法を考える一節があった。
    なるほど、知識人とは思考法が違うのかと思った。つまり、知識の量という軸に加えて、視点の置き方という軸が他人よりもきめ細かく、二次元的に解像度が高い印象を受けた。

    それから、題名の通り、疲れて眠れぬ夜に読むことが多かったが、内容が頭に入ってきた。
    本当に頭の良い人は、難しいことを簡単に言う。
    これは入門書の極意だろうか。読んでいるうちに、著者内田樹の頭の中の論理展開を支える理論を知りたくなった。

    文章は各所で、小難しい理論や現行制度に対して、「そもそもニンゲンは、、」という何か本質を透かした表現で問い質す。ここで、他の著者であれば、無理やり引っ張ってきた屁理屈のような違和感を感じることが多い。我々理系にとっては、そもそもニンゲンの本質などとは一説に過ぎず、仮説に仮説を建設しているような感覚を覚える。しかし、著者のように要点を絞って、議論に使用すれば、納得しやすい材料にもなることを知った。
    例えば、人間は他者と違う何かになりたい、という本質から、資本主義の在り方や問題点を指摘していた箇所は本当に分かりやすかった。

    一つ考えてみたいことがある。
    「人間の本質」と「日本人の本質」の差である。つまり、ある本質が真に人間の本質であれば、そこに日本人特有のものは介在しないはずである。これを考えることは、生来の本質と環境の本質の違いを見つけ出す一つの視点になるのではないか。生物学的に言えば、ヒトの成長は生まれか環境か。この問いは、実験的な解明が試みられている分野だが、社会にすでにヒントが落ちているかもしれない。文化人類学的視点からも考えてみようと思う。

  • 「疲れすぎて眠れない」頃に何となく手にとった本。
    内容は予想と違ったが、「無理しすぎない」「我慢しすぎない」で「ほんとうの自分」を追い掛けすぎちゃ駄目だよー、というじんわりと優しい話だった。
    最近、仕事中にイライラしてしまうことが多かったが、読み終える頃には「そんなことにエネルギーを消費するよりも、自分のできることの品質を高めようかな」と少し心が軽くなっていた。可能性は無限だし有限、だから。

    きっと別の機会に読んだら違う箇所が響いてくる本だと思う。いつかまた読む。

  • ラジオで紹介されていて、気になって買ってみました。
    タイトルからすると、疲れたときの半身浴や就寝前の安眠体操がのっていそうですが、全く違います。
    なんというか、生き方、働き方に関して、すごく健全な考え方が述べられています。
    まだ1/3ほどしか読んでいませんが、寝る前に少しずつゆっくり色々思い出しながら考えながら読んで、そうそう、と納得して熟睡できているような気がしています。

  • 世の中で「当たり前」とされていることに対して、はたして本当にそうだろうか?と問いを立て続けることは生きていく上で重要なことだ。その点で、内田さんのように、時々立ち止まり自分の今いる場所を俯瞰して捉えることや、世の中に溢れている根拠の無い「常識」に無意味に流されることがないよう姿勢を整え直すことは、生きていく上でとても大切なことだと思う。

    そのことの意味を、またはそうして生きていくための考え方を学ぶアイテムとしては、この本はとても良い本だと感じた


    が、そもそもそういった世の中を斜めから見るような、絶賛されているものを見ると逆の視点から見たくなるような考え方を日頃からしている人にとっては、かなり凡庸な本だとも言える。

    本書に書いてあるのは結局、内田さんが生活している上で気がついた「世間ではこれが当たり前だと言われてるけど、改めて考えてみたら違う気がしてきた話」でしかない。それを一貫性もなくただ羅列しているだけな上に、ひとつひとつの話に論理的なジャンプが多く、根拠が薄弱な推論をアンカーにして話を進めていってしまうので、論旨の土台が非常にグラグラしている。言葉は悪いが、日記に書け!的な内容にしかなっていないように感じた。

    ハンカチ落としでハンカチが落とされる前に気配を察知できることがあるのは、鬼の「邪念」を感じるからだ、などと言われても(本書にそういう話が出てくる)、「えっ邪念!?」と思ってしまうわけで、そんな話をすんなり飲み込むことはできない。

    もちろんそんな突飛な話ばかりじゃなく「なるほどね」、と思える話もたくさんあるのだが、どちらにしても、個人で考える分には有意義な内容だろうが、わざわざ本にして他人に見せる必要があったのかな?と思ってしまった。

  • 人生とは、人間とは。
    歳を重ねてまた読みたい。

  • 内田樹の本なので、なるほどこういう考え方ができるのかとか、自分がなんとなく思っていたことが言語化されていて嬉しかったりとか、そういうことが多い本だったけれど、「最近の若者は」みたいに決めつけていることも多くて、ちょっとおじさんの説教みたいに感じる部分もあった。

  • 時々ふんふんなるほどと思うこともあったがなんでか覚えられない思い出せない、借りた本ゆえにいつもページを折りまくってるのを折れてないからなのか(コレも身体論につながるのか?)、印象に残ったようで残ってない、果たしてこれは読めたと言えるのか?いや、言えないと思いながら2回め読んだけどやっぱりどこにふんふんなるほどって思ったのかパッと思い出せない、3回め読もうかな、、(はよ本返せ)。あ、古武術というものをこの本で知った、そして影響を受けて体験に行ったものの自分にはまだ早いと思った。出直します。

  • 内田先生の言葉はじわじわとと心に染み渡って何度も読みたくなります。
    孤独に耐えられる人間しか温かい家庭をこうちくできない、か。考えさせられます…。

  • 内田氏の本を読むと勉強したくなる。世の中に溢れているもの、いかに自分が何も考えていないか。賛同できることもできないこともある。考えるヒントを示してくれる。でも、考える尺度は多分自分の中にある。

    (20210605)

  • 内田樹の安定感には、毎回安心させられる。
    おかしいな、変だな、という気持ちを上手に分解してもらえるきがする。

    どんな作家のほんを読んでいるのか、名前が出てきたのは珍しい気がした

  • なんとなくモヤっと心の底で感じていたことが明確に言語化された時の「目が覚める感じ」を与えてくれる。「終わりに」は特に納得できたし、忙しい毎日と情報の波に流されて慌ただしく過ぎる日々の中で忘れてしまわないようにしたい。目次だけ見て気になるところから読むのもいいと思う。

  • 201605/
    戦後の日本の復興を担ったのは、明治生まれの人たちです。/
    そういう波瀾万丈の世代ですから彼らは根っからのリアリストです。あまりに多くの幻滅ゆえに、簡単には幻想を信じることのないその世代があえて確信犯的に有り金を賭けて日本に根付かせようとした「幻想」、それが、「戦後民主主義」だとぼくは思っています。/
    人間がどれくらいプレッシャーに弱いか、どれくらい付和雷同するか、どれくらい思考停止するか、どれくらい未来予測を誤るか、そういうことを経験的に熟知しているのです。
    戦後日本の基本のルールを制定したのは、その世代の人たちです。明治20年代から大正にかけて生まれたその世代、端的に言って、リアリストの世代が社会の第一線からほぼ消えたのが70年代です。「戦後」世代の支配が始まるのは、ほんとうはその後なんです。/
    戦後生まれのぼくたちは、基本的には自分たちの生活経験の中で、劇的な価値の変動というものを経験していないということです。飢えた経験もないし、極限的な貧困も知らないし、近親者が虐殺された経験もないし、もちろん戦争に行って人を殺した経験もありません。貨幣が紙屑になる経験もありません。国家はとりあえず領土を効果的に保持していましたし、通貨は基本的には安定していました。/
    極限的なところで露出する「人間性の暗部」を見てしまった経験があるかないかは社会との関わり方に決定的な影響を及ぼしただろうと僕は思います。/
    「戦後民主主義」というのは、すごく甘い幻想のように言われますけれど、人間の真の暗部を見てきた人たちが造型したものです。ただの「きれいごと」だとは思いません。誰にも言えないような凄惨な経験をくぐり抜けてきた人たちが、その「償い」のような気持ちで、後に続く世代にだけは、そういう思いをさせまいとして作り上げた「夢」なんだと思います。/
    「戦後民主主義」が虚構だということをよく知っていたのは、たぶん「戦後民主主義」を基礎づけた当の世代です。それが虚構でしかないことを彼らは熟知していました。ほとんど歴史的な支えを持たないような弱弱しい制度であるからこそ、父たちの世代は本気になって、それを守ろうとしたのです。/
    社会成員が、自分たちが同意した制度を守るために、自分の仕事の「割り前」を果たすという基本的な責務を忘れたら、社会制度はもう持ちません。民主主義は「民主主義を信じるふりをする」人たちのクールなリアリズムによって支えられているものです。/
    為政者の腐敗や、官僚の不誠実や、リーディングカンパニーのモラルハザードのすべてに共通するのは、「この社会はオレが支えなくても、誰かが支えてくれる」という楽観です。そんな「誰か」はどこにもいない、ということがぼくたちの世代には切実にはわかっていないのです。/
    紋付きというのは、家紋が5つついています。胸に2つ、袖の後ろに2つ、大きな紋が背中に1つ。つまり家紋は3対2の比率で「後ろから見られるもの」なのです。家紋は、背中に背負う家格の象徴です。気安く触られたり泥をつけられてはいけない、非常にたいせつなものを背中の真ん中に背負っていたわけです。人間が身に着けている一番大切なものは、「自分では見ることができず、他人から見られるだけの部位」に貼り付けられていたのです。/
    国益とか公益とかいうことを軽々と口にできないのは、自分に反対する人、敵対する人であっても、それが同一の集団のメンバーである限り、その人たちの利益も代表しなければならない、ということが「国益」や「公益」には含まれているからです。反対者や敵対者を含めて集団を代表するということ、それが「公人」の仕事であって、反対者や敵対者を切り捨てた「自分の支持者たちだけ」を代表する人間は「公人」ではなく、どれほど規模の大きな集団を率いていても「私人」です。/
    子供がまず「礼儀正しく」ということを教え込まれるのは、子供からすると、世の中のほとんどの人間が「権力を持ってる人間」だからです。「子供である」というのは、まわりのほとんどすべての人間によって傷つけられる可能性があるということです。それくらいに「子供である」というのはリスキーな状況なのです。だからこそ、子供に向かって「礼儀正しくしなさい」と教えるのです。「君はすごく無力なんだから、まずきっちりディフェンスを固めておきなさいよ」と。/
    相手が人間であれ、制度であれ、イデオロギーであれ、「死んだもの」をきちんと弔うということは。最後に唾を吐きかけるんじゃなくて、最後には花を添えて、その業績を称えて、静かに成仏してもらう。そうしないと、賞味期限の切れた腐った制度が、なかなか死なないでのたうち回るようなことになるのです。/
    凝りや力みを取るために、とりあえず一番よい方法は、静かに「聴く」ことです。心耳を澄ませて無声の声を聴く。これは私の合気道の師である多田宏先生がよく口にされることばですが、外部から到来する理解不能の声に注意深く耳を傾けること、自分の身体の内側から発信される微細な身体信号をそっと聴き取ること。これは武道に限らず、哲学に限らず、人間が生きていくときの基本的なマナーだと私は思います。わずかな信号を聴き取るために、そっと耳をそばだてるときに、人間の身体は一番柔らかく、一番軽く、一番透明になります。/

全256件中 1 - 20件を表示

著者プロフィール

1950年東京都生まれ。神戸女学院大学名誉教授、神戸市で武道と哲学研究のための学塾凱風館を主催、合気道凱風館師範(合気道七段)。東京大学文学部仏文科卒、東京都立大学人文科学研究科博士課程中退。専門は20世紀フランス文学・哲学、武道論、教育論。 主著に『ためらいの倫理学』、『レヴィナスと愛の現象学』、『寝ながら学べる構造主義』、『先生はえらい』など。第六回小林秀雄賞(『私家版・ユダヤ文化論』)、2010年度新書大賞(『日本辺境論』)、第三回伊丹十三賞を受賞。近著に『日本型コミューン主義の擁護と顕彰──権藤成卿の人と思想』、『沈む祖国を救うには』、『知性について』など。

「2025年 『新版 映画の構造分析』 で使われていた紹介文から引用しています。」

内田樹の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×