疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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本棚登録 : 2083
レビュー : 250
  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043707034

作品紹介・あらすじ

疲れるのは健全である徴。病気になるのは生きている証。サクセスモデルへの幻想を棄てて、「1ランク下の自分」を目指しませんか?ささやかなことで「幸せ」になれるのは一つの能力です。まずは身体の内側から発信される信号を聴き取ること。真の利己主義を目指すこと。礼儀作法と型で身を守ること。家族の愛情至上主義をやめること-。今最も信頼できる哲学者が、日本人の身体文化の原点に立ち帰って提案する、最強の幸福論。

感想・レビュー・書評

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  • 「内田樹さんの本を初めて読む」という人にはオススメな気がしました。
    いつもながら、全体的には面白かったです。もともとは2003年の本のようです。

    タイトルが秀逸ですね。なんともとっちらかった内容の本ですから(笑)。
    でも、この本の持ち味や良さを、上手く伝えていると思います。

    毎度ですが、哲学研究者というか、大学教員である内田樹さんが、四方山に「へー」というお話を語り下ろしたような本です。

    項目だけ上げると、「なんだか胡散臭い自己啓発本そのものじゃないか」と、見えてしまうんですが、まあ、見方によってはそうとも言えます(笑)。

    ただ、内田さんの著作は、「どうしてかっていうとね、ほら、こうだからなんですよ」という、論拠が明確にあります。
    それが全て、国内外の歴史の検証だったり、国内外の作家や思想家や人類学者の考察だったり、まあ、ぶっちゃけ言うと非常に「ナルホド率」が高いんですね。

    そして、常に向かう方向は、企業や体制に都合のいいヤンキー的な「ガンバリズム」や「現状肯定」でもなければ、
    反知性主義的な「敵対勢力攻撃」でもありません。
    右翼嫌韓的な嗜好もバッサリ、左翼ヒステリックな思想も一刀両断。
    単純に、「幸せに精神のバランスを保って生きていくには」という、非常に個人的な(それがひいては社会的になるはず、という)幸福を考えての発言だと思います。
    もちろん、ベースに豊富な研鑽があった上で、安易な行動的結論はありませんし、押し付けません。
    そして、笑っちゃったのは「僕の他の本と大いに重複します」とハッキリ意識的に認めてらっしゃる。「むしろそれで良いんです」。いやあ、お見事。

    いつもながら、話が武道礼賛になっていったり、ある種の自慢話になっていく部分もあります。
    正直、そういうところは面白くありません(笑)。
    でも何しろ、書き手の方が、「そりゃ万人受けはあり得ないし、マチガイだってありますよ」という肩の力の抜け具合なので、そこで目くじら立てる気にはなりません。

    なんていうか…
    なだいなださんとか、河合隼雄さんとか、中井久夫さんとか。
    丸谷才一さんとか司馬遼太郎さんの、エッセイ的な文章とか。
    村上春樹さんとか橋本治さんの仕事などが、きらいじゃない人には、おすすめの本ですね。

    まあそれでなくても、自己啓発本(とジャンル分けされるような本)をたまに読んだりする、
    若い人、働く女性、といった方々も、面白がれて、ちょっと目からウロコなところもあると思います。


    しかし、毎度ながら思うのですが、新書全般に、そして内田樹さんの本全般に共通して、
    「出だしの第1章、前半が面白い。中盤からダレてくる」
    というのがどうにも、いつも感想として思います(笑)。
    「内田樹さんの本の、前半1/3だけ集めた本」というのが出ないでしょうかね(笑)。









    内容を項目だけ、極めて適当に。個人的な備忘録として。

    ●今どきのパワハラなども含めて、「不愉快な人間関係に耐える」っていうのは良くないよ、という話。

    ●どうして「不愉快な人間関係に耐えることに価値を持つ人」が出来上がるのか、という考察。

    ●「働くこと」の考え方、「働く女性」「フェミニズム」の位置づけとリスク。

    ●歴史的な「フェミニズム」論考、アメリカにおけるいわゆるウーマン・リブ的な運動を模倣する危険性。

    ●上昇志向、成功志向が薄まりつつある2007年現在の日本の若者たちの意識の由来、「それは決して悪いことじゃない」

    ●弱肉強食になる「資本主義」「市場経済社会」を、基本肯定しつつも、それが純化するとモラルハザードになる危険性。バランスを保つための「倫理性」。

    ●その当たり前の「倫理性」を失っている政治家や経営者の批判。なぜそういうことになるのか、という考察。競争社会の落とし穴。

    ●反対意見、反対勢力も含めて全体のことを考えなければならない、という政治家たちへの批判。

    ●「ビジネス」の愉しみと「レイバー」の不毛さ。

    ●「コミュニケーション」の大事さ。核家族が純化することの危うさ。

    ●「偽造された共同的記憶」、つまりは後から時世合せで自分史を微妙に改ざんする、ということ。

    ●戦後精神史的な、世代論。

    ●内輪受け的なコミュニケーションの狭隘さの危険性。

    ●「自分らしさ」「個性」「自分探し」という、嘘くささ。

    ●「個性」という幻想と「大衆社会による大衆消費」という資本主義の原理が、原則矛盾するという、避けられない二律背反の指摘。

    ●DV、ストーカーから、パワハラまで通じる「本人が、相手のためだ、悪意はないんだ」と、のたまう暴力行為への、断固たる否定。

    ●家族論から、「親離れ」「家離れ」の奨励。

    以上。

  • 凄いヤツは利他的、という日本の難題のお話と繋がると思いました。

    家族は社会的であるべきで、息子がいるなら親父の兄弟と同居すべきとか、(それは親の支配力を分散させるため、理想の大人の男性像を客観視しやすくするため)とか、なるほど納得、とても面白かった。

    あとこれを読んでいて思ったのが、人を愛する行為って、人に礼儀を尽くすとか人間の社会的行為の最上級なんじゃないかなと思いました。

    目からウロコな話満載でした。

  • ラジオで紹介されていて、気になって買ってみました。
    タイトルからすると、疲れたときの半身浴や就寝前の安眠体操がのっていそうですが、全く違います。
    なんというか、生き方、働き方に関して、すごく健全な考え方が述べられています。
    まだ1/3ほどしか読んでいませんが、寝る前に少しずつゆっくり色々思い出しながら考えながら読んで、そうそう、と納得して熟睡できているような気がしています。

  • 世の中で「当たり前」とされていることに対して、はたして本当にそうだろうか?と問いを立て続けることは生きていく上で重要なことだ。その点で、内田さんのように、時々立ち止まり自分の今いる場所を俯瞰して捉えることや、世の中に溢れている根拠の無い「常識」に無意味に流されることがないよう姿勢を整え直すことは、生きていく上でとても大切なことだと思う。

    そのことの意味を、またはそうして生きていくための考え方を学ぶアイテムとしては、この本はとても良い本だと感じた


    が、そもそもそういった世の中を斜めから見るような、絶賛されているものを見ると逆の視点から見たくなるような考え方を日頃からしている人にとっては、かなり凡庸な本だとも言える。

    本書に書いてあるのは結局、内田さんが生活している上で気がついた「世間ではこれが当たり前だと言われてるけど、改めて考えてみたら違う気がしてきた話」でしかない。それを一貫性もなくただ羅列しているだけな上に、ひとつひとつの話に論理的なジャンプが多く、根拠が薄弱な推論をアンカーにして話を進めていってしまうので、論旨の土台が非常にグラグラしている。言葉は悪いが、日記に書け!的な内容にしかなっていないように感じた。

    ハンカチ落としでハンカチが落とされる前に気配を察知できることがあるのは、鬼の「邪念」を感じるからだ、などと言われても(本書にそういう話が出てくる)、「えっ邪念!?」と思ってしまうわけで、そんな話をすんなり飲み込むことはできない。

    もちろんそんな突飛な話ばかりじゃなく「なるほどね」、と思える話もたくさんあるのだが、どちらにしても、個人で考える分には有意義な内容だろうが、わざわざ本にして他人に見せる必要があったのかな?と思ってしまった。

  • 世界の解像度が上がる本。
    例えば、社会制度についての是非だけでなく、是と非が変遷する過程や、変遷する方法を考える一節があった。
    なるほど、知識人とは思考法が違うのかと思った。つまり、知識の量という軸に加えて、視点の置き方という軸が他人よりもきめ細かく、二次元的に解像度が高い印象を受けた。

    それから、題名の通り、疲れて眠れぬ夜に読むことが多かったが、内容が頭に入ってきた。
    本当に頭の良い人は、難しいことを簡単に言う。
    これは入門書の極意だろうか。読んでいるうちに、著者内田樹の頭の中の論理展開を支える理論を知りたくなった。

    文章は各所で、小難しい理論や現行制度に対して、「そもそもニンゲンは、、」という何か本質を透かした表現で問い質す。ここで、他の著者であれば、無理やり引っ張ってきた屁理屈のような違和感を感じることが多い。我々理系にとっては、そもそもニンゲンの本質などとは一説に過ぎず、仮説に仮説を建設しているような感覚を覚える。しかし、著者のように要点を絞って、議論に使用すれば、納得しやすい材料にもなることを知った。
    例えば、人間は他者と違う何かになりたい、という本質から、資本主義の在り方や問題点を指摘していた箇所は本当に分かりやすかった。

    一つ考えてみたいことがある。
    「人間の本質」と「日本人の本質」の差である。つまり、ある本質が真に人間の本質であれば、そこに日本人特有のものは介在しないはずである。これを考えることは、生来の本質と環境の本質の違いを見つけ出す一つの視点になるのではないか。生物学的に言えば、ヒトの成長は生まれか環境か。この問いは、実験的な解明が試みられている分野だが、社会にすでにヒントが落ちているかもしれない。文化人類学的視点からも考えてみようと思う。

  • 201605/
    戦後の日本の復興を担ったのは、明治生まれの人たちです。/
    そういう波瀾万丈の世代ですから彼らは根っからのリアリストです。あまりに多くの幻滅ゆえに、簡単には幻想を信じることのないその世代があえて確信犯的に有り金を賭けて日本に根付かせようとした「幻想」、それが、「戦後民主主義」だとぼくは思っています。/
    人間がどれくらいプレッシャーに弱いか、どれくらい付和雷同するか、どれくらい思考停止するか、どれくらい未来予測を誤るか、そういうことを経験的に熟知しているのです。
    戦後日本の基本のルールを制定したのは、その世代の人たちです。明治20年代から大正にかけて生まれたその世代、端的に言って、リアリストの世代が社会の第一線からほぼ消えたのが70年代です。「戦後」世代の支配が始まるのは、ほんとうはその後なんです。/
    戦後生まれのぼくたちは、基本的には自分たちの生活経験の中で、劇的な価値の変動というものを経験していないということです。飢えた経験もないし、極限的な貧困も知らないし、近親者が虐殺された経験もないし、もちろん戦争に行って人を殺した経験もありません。貨幣が紙屑になる経験もありません。国家はとりあえず領土を効果的に保持していましたし、通貨は基本的には安定していました。/
    極限的なところで露出する「人間性の暗部」を見てしまった経験があるかないかは社会との関わり方に決定的な影響を及ぼしただろうと僕は思います。/
    「戦後民主主義」というのは、すごく甘い幻想のように言われますけれど、人間の真の暗部を見てきた人たちが造型したものです。ただの「きれいごと」だとは思いません。誰にも言えないような凄惨な経験をくぐり抜けてきた人たちが、その「償い」のような気持ちで、後に続く世代にだけは、そういう思いをさせまいとして作り上げた「夢」なんだと思います。/
    「戦後民主主義」が虚構だということをよく知っていたのは、たぶん「戦後民主主義」を基礎づけた当の世代です。それが虚構でしかないことを彼らは熟知していました。ほとんど歴史的な支えを持たないような弱弱しい制度であるからこそ、父たちの世代は本気になって、それを守ろうとしたのです。/
    社会成員が、自分たちが同意した制度を守るために、自分の仕事の「割り前」を果たすという基本的な責務を忘れたら、社会制度はもう持ちません。民主主義は「民主主義を信じるふりをする」人たちのクールなリアリズムによって支えられているものです。/
    為政者の腐敗や、官僚の不誠実や、リーディングカンパニーのモラルハザードのすべてに共通するのは、「この社会はオレが支えなくても、誰かが支えてくれる」という楽観です。そんな「誰か」はどこにもいない、ということがぼくたちの世代には切実にはわかっていないのです。/
    紋付きというのは、家紋が5つついています。胸に2つ、袖の後ろに2つ、大きな紋が背中に1つ。つまり家紋は3対2の比率で「後ろから見られるもの」なのです。家紋は、背中に背負う家格の象徴です。気安く触られたり泥をつけられてはいけない、非常にたいせつなものを背中の真ん中に背負っていたわけです。人間が身に着けている一番大切なものは、「自分では見ることができず、他人から見られるだけの部位」に貼り付けられていたのです。/
    国益とか公益とかいうことを軽々と口にできないのは、自分に反対する人、敵対する人であっても、それが同一の集団のメンバーである限り、その人たちの利益も代表しなければならない、ということが「国益」や「公益」には含まれているからです。反対者や敵対者を含めて集団を代表するということ、それが「公人」の仕事であって、反対者や敵対者を切り捨てた「自分の支持者たちだけ」を代表する人間は「公人」ではなく、どれほど規模の大きな集団を率いていても「私人」です。/
    子供がまず「礼儀正しく」ということを教え込まれるのは、子供からすると、世の中のほとんどの人間が「権力を持ってる人間」だからです。「子供である」というのは、まわりのほとんどすべての人間によって傷つけられる可能性があるということです。それくらいに「子供である」というのはリスキーな状況なのです。だからこそ、子供に向かって「礼儀正しくしなさい」と教えるのです。「君はすごく無力なんだから、まずきっちりディフェンスを固めておきなさいよ」と。/
    相手が人間であれ、制度であれ、イデオロギーであれ、「死んだもの」をきちんと弔うということは。最後に唾を吐きかけるんじゃなくて、最後には花を添えて、その業績を称えて、静かに成仏してもらう。そうしないと、賞味期限の切れた腐った制度が、なかなか死なないでのたうち回るようなことになるのです。/
    凝りや力みを取るために、とりあえず一番よい方法は、静かに「聴く」ことです。心耳を澄ませて無声の声を聴く。これは私の合気道の師である多田宏先生がよく口にされることばですが、外部から到来する理解不能の声に注意深く耳を傾けること、自分の身体の内側から発信される微細な身体信号をそっと聴き取ること。これは武道に限らず、哲学に限らず、人間が生きていくときの基本的なマナーだと私は思います。わずかな信号を聴き取るために、そっと耳をそばだてるときに、人間の身体は一番柔らかく、一番軽く、一番透明になります。/

  • ヘラヘラと質の高い仕事をするためのノウハウを知ってるかの違いが同じような社会的プレッシャーを受けながら耐えられる人と潰れる人の違いを生み出している。

    仕事の目的は結果として価値あるものを作り出すことではない。人間が仕事に求めているのは突き詰めて言えば、コミュニュニケーション、ただそれだけです。やったことに対してポジティブなリアクションがあるとどんな労働も楽しくなります、一番辛いのは自分の行いが何の評価もされないこと。要するにやりとりをするのが人間性の本質で、それさえ満たされれば人間はかなり満足を覚えます。

    日本人の倫理性を担保しているのは、神ではなく、むしろ個人のうちに内面化し、身体化した社会規範です。

  • 内田さんの考え方は、改めて面白いと思う。主義主張思想が異なっている中で、この人のような考え方を皆が修めれば立場を超えた理解があり得るのでは?と思える。考えの内容(も面白いよ?けど好き嫌いはある内容だし)より、いかにして考えているかが魅力的に伝わってくる。
    それはそうとして個人的には、自分の価値観が狂わされる恐れのあるギャンブルも宝くじもやんねーよ、といってる件がスッキリした。そう、そのとおりよ。

  • 「疲れすぎて眠れない」頃に何となく手にとった本。
    内容は予想と違ったが、「無理しすぎない」「我慢しすぎない」で「ほんとうの自分」を追い掛けすぎちゃ駄目だよー、というじんわりと優しい話だった。
    最近、仕事中にイライラしてしまうことが多かったが、読み終える頃には「そんなことにエネルギーを消費するよりも、自分のできることの品質を高めようかな」と少し心が軽くなっていた。可能性は無限だし有限、だから。

    きっと別の機会に読んだら違う箇所が響いてくる本だと思う。いつかまた読む。

  • まずはじめに、マイナスの点として、タイトルと本編内容が整合しないということが挙げられます。最後まで読んでもどうしてこんなタイトルにしたのかな? という疑問が残ります。私の読解力が不足しているのでしょうか? そうではないような気がしますが。

    その点を割り引いたとして、本当に良い一冊でした。目からウロコがボロボロ、という感じでした。普段モヤモヤと感じている何かが、一体どこからくるものなのか、社会が向かっている方向がどんな風に誤っているのか、そういうことが正確な例証とともに論じられています。メディアが吹聴してきたあるべき人間像や推奨されている個性というものが、どれだけ脆くて危ういか、ぞっとするほど的確に指摘されています。

    多分この人の骨太な理論の前には、自分が振る舞ってきた見せかけの態度がバラバラと崩されてしまうんじゃないかと思います。それなのに、「それでいいのだよ」と言ってくれるような、不思議な感覚があります。

    なんだかよくわ分からないですね。よく分かっていないのかもしれません。分からなくってもいいのかも知れません。いや、ダメか。

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著者プロフィール

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。道場兼能舞台兼私塾「凱風館」館長。神戸女学院大学名誉教授。翻訳家。専門はフランス現代思想史。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ブログ『内田樹の研究室』。



「2019年 『そのうちなんとかなるだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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