愛がなんだ (角川文庫)

著者 :
制作 : 角川書店装丁室 
  • KADOKAWA
3.40
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本棚登録 : 2014
レビュー : 254
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043726042

作品紹介・あらすじ

OLのテルコはマモちゃんにベタ惚れだ。彼から電話があれば仕事中に長電話、デートとなれば即退社。全てがマモちゃん最優先で会社もクビ寸前。濃密な筆致で綴られる、全力疾走片思い小説。

感想・レビュー・書評

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  • このリアル感が角田さんだな、と思った。

    ***最も気に言った部分***
    プラスの部分を好ましいと思い誰かを好きになったのならば、嫌いになるのなんかかんたんだ。プラスがひとつでもマイナスに転じればいいのだから。そうじゃなく、マイナスであることそのものを、かっこよくないことを、(略)そういう全部を好きだと思ってしまったら、嫌いになるということなんて、たぶん永遠にない。
    ***************

    片思いの終わりは振られた時ではない。
    自分の中で終わりにした時だ。
    大人になるほど、はっきり振られることなんてなくなる。
    関係性があいまいになる。
    片思いって認識をしても
    相手にとって都合のいい存在だと理解しても
    ずるずるその状態を続けていく
    でも、
    その時間が長くなればなるほど
    自分の意思で
    終わらせることなんてできないんだなと思う。
    それが当たり前になってしまうから。

    駆け引きをしかけたつもりで
    それが上手くいかないと
    逆に自分がはまっていってしまう
    そんなとき
    相手は駆け引きなんて考えてないことが多い気がする。
    不思議なものです。

    深読みして空回りするなんてよくある話で。
    自分が好きでやってるんだからって言いつつ
    相手に振り回されてることに気づきたくなくて。

    相手が、自分に話があるって言ってきて、
    「もう会うのやめよう」
    って言われているシーンは
    直視できなかった。

    相手が、自分を必要としてくれている
    それが自分の存在意義になってしまう。
    好きな人の好きな相手と仲良くなることで
    好きな人と会う口実を作る。
    好きな人の友達と親しくする。
    そんな最後も角田さんらしい。リアルだった。
    ここで、あきらめて踏み出そう!って終わりだったら
    評価の星数は減っていた。
    そう、そんな簡単にいかないのが現実だろうと思う。



    さすがに
    仕事ほったらかしてとまではいかないけど
    なんにも他人事じゃなかった。
    自分のことを言われている気がした。
    そんな
    本気で片思いした人には
    本気でリアルな小説。

  • テルコは自分かもしれない。テルコのように我を忘れて、出会った男を運命の人だと思い、自分の生活を投げ打ってまで彼に時間を捧げるかもしれない。でもそれは、きっと、自分がないからこそ他人に自分を委ねるのかもしれない。
    テルコ、どんだけよ、と思いながらも読んでいる女の人の心は少しだけでもチクリと痛む。あぁこの感情、私の心に少しでも抱いたことがあると誰もが思うかもしれない。それは少しも恥じることではないし、当たり前の感情かもしれない、それくらいテルコの心は私たち女子の心を映している。

  • こんな自分勝手なヤツをなぜ好きになる? なぜ自分を傷つけてまで尽くそうとする? なんでいつまでも未練がましいことをする? 心の通い合わない主人公、登場人物たちが、イライラするほどもどかしい。でもこれが恋ってやつだった、信じられないぐらい自分も不器用だったと、思い出した。いまでもそうかもしれない。

  •  先に、映画化されたものを観て、小説も読みたいと思い購入。
     たまには比較的若い人向けっぽい恋愛映画でも観て何だか甘酸っぱい気持ちになって涙流してデトックスでもしようかな(笑)とか思いながら観始めたんだけど、全然そんなものではなく、映画を観終わって出てゆくお客さんの中には、「よくわかんなかったね」と語る人もいた。その気持ちは分からんでもない。

     相手の傍にいたいあまり便利な女に成り下がるヒロイン「テルコ」と、その恩恵にあずかりながらも別にテルコを好きではなく、別の女を好きになってしまう「マモル」の、一方通行の恋愛小説。テルコの尽くしっぷりは、友人からは「飼い犬っていうか下僕っていうか」とまでの言われよう。さらにマモル第一優先過ぎて仕事もクビになるレベル。
     ひたすら相手に尽くして自分を二の次にするのはまだ良いとしても、それで自分の生活を滅茶苦茶にしてしまうのは、自分の価値を貶め、果ては想う相手にとってもダメな人間になることでもある。設定をなぞる限りだと彼女に感情移入するのは難しいかもしれない。
     だから、最初に映画を観たときは、「えっ、ここで終わるの!?」と驚きを隠せなかった。ハッピーエンドにしろバッドエンドにしろ、自分の気持ちに終止符を打ち、次のステージに進むのだろうと思っていたから。

     この小説終わり方は、村田沙耶香『コンビニ人間』の終わり方に何となく似ている。(以下ネタバレ)
     『コンビニ人間』は、世間にズレを感じ溶け込めない人間が、自分を大切にしつつも、だんだんと社会性を獲得し、幸せに向けて歩んでゆく……というパターンを覆し。自分の(社会に適合しやすいという意味での)人間性を否定し、コンビニバイトに特化した「コンビニ人間」になってしまうという、人間らしさに対する常識への懐疑を投げかける、気高くもあるが痛みを伴う物語だ。
     これと比較して『愛がなんだ』では、世間的に見て幸せとは言えない恋をする主人公が、自分の想いを大切にしつつも、幸せな恋愛に向けて歩んでゆく……というパターンを覆し、好きな人の彼女になることを否定してまでも、少しでも好きな人の傍にいられることを望む、まともな恋愛への懐疑を投げかける、気高くもあるが痛みを伴う物語だ。

     まぁ、別にテルコのような恋愛など死んでもしたくはないし、そういう価値観もありだな、と思ったわけではない。
     ただ、恋で盲目になっている人への感情移入など、自分の恋愛でもないのだから土台無理な話なのかもしれない。テルコ自身、多少おかしな行動をやめられない自分を好きじゃないと言っており、こんなことは止めなければ、と思っているのかもしれない。

     それに、マモルと結婚できない、マモルの彼女になれない、という結末に至ったところで、それと好きでいることをやめることとは、直接は結び付かないのかもしれない。
     何年も前、過去に本気で恋をした人が婚約した話を聞いたとき、心の底から嬉しかったのと同時に悲しい気持ちになったのを覚えている。好きだった人が幸せになるのが嬉しいのはまぁいいとして、じゃあ悲しくなるのは矛盾している。その人とはお付き合いができないことはとっくの昔に分かっていたはずなのに、微かな希望を抱いていたのかもしれない。だから、自分は心の底ではその人の婚約を喜んでいないのかもしれないなと思っていた。
     でも、この映画を観てから、婚約を機にもうほとんど会えなくなってしまうことに悲しんでいただけで、やっぱり婚約の知らせは嬉しかったのかもしれないなと思う。最近は婚活とかすべき齢になった(が、してない)ので、結婚は恋愛の一つのゴール(その先のことを考えたら通過点)であり目的であると漠然と思っていた。この人いいなと思って、交際して、結婚、みたいな。でも本当は、この人が好きだという不安定な感情があって、その感情にしっかりと形を与える手段として、交際なり結婚という約束や契約が存在するのだろう。だから、自分は嬉しさも悲しさも感じたのだ。そして、テルコは好きという感情、傍にいたいという感情を優先し、交際や結婚といった形での幸せを捨て、自分だけのかたちを作ることを選んでいったのだろう。

     ハッピーエンドな作品ではないけれど、心の靄が少し晴れたような気がした。

  • 愛ってなんだ笑
    「もうほんとに誰もいねえよってときに呼び出してもらいたいっす」
    この一言に尽きるヤバい恋バナ
    食べて寝て働いて寝て遊んで食べて恋をする…日常生活というごくごく普通の日々の中にある優先順位の再優先事項は愛するマモちゃんに会うこと。それが山田テルコの日常。
    何を失っても何を得ることが無くてもただひたすらにマモちゃんからの連絡を待ち続ける。
    マモちゃん会うためにだけにある日常。
    これがホンモノの愛だって言うのなら…
    ホンモノじゃなくていいや!笑
    もしも「そんなの愛じゃないよ!」と山田テルコが捨て犬みたいな目で私に訴えてきたとしたなら…
    「なら愛じゃなくていいよ!」って答えるな。
    純愛と狂気は紙一重
    今年の12冊目
    令和1冊目じゃーん♪
    2019.05.10

  • 主人公の気持ちがすごくわかるからこそイライラした。
    けど最後のなんとも言えない終わりがすごく好きでした。

  • 全力疾走片思い小説、というキャッチフレーズが良く分かる一品。
    報われない、、、

  • 自分に全く興味のない人をあそこまで追いかけることができるなんて、ある意味羨ましい。そこまで人を追いかける情熱は今まで経験したことないから。切ない話を淡々とつづられてる。

  • 後味が悪い。でもとっても満足している。
    角田光代はどれを読んでも私の『図星』それを突いてくる。
    読めば読む程、自覚してる『嫌な自分』それを見せられる。
    主人公のテルコは私に似ている。
    私のダメなところを凝縮してそのまんま人間の形にしたのが、テルコだと思った。
    テルコはマモちゃんに恋をする。
    マモちゃんはテルコにこれっぽっちも気がないのに、テルコがあまりに従順なばっかりに、都合のいい様に扱う。
    テルコもどこかで自分は都合の良い存在でしか無いんだと自覚しながらも、自分からマモちゃんを断ち切れない。
    断ち切れない自分がめっっっちゃくちゃ嫌で嫌で、もぅ、嫌気がさして、さしまくってんだけど、
    それでもマモちゃんのことが好きで、でもそれって、マモちゃんの事が好きなのか、自分が1人になってしまうのが怖いからなのか、ただ依存してるのか、もう分からなくなってて、いっそのこと振られて仕舞えばどれだけ楽だろう〜的な心境。
    私は今のまで誰と付き合ってもこの心境に陥る。
    『恋は盲目』この言葉を作った人って天才じゃないのかと思う!
    好きだったら、好きな人の嫌な部分とか絶対にダメでしょ!って部分があっても全部許す。無かったことにする。見ないふりをする。
    恋人同士でも、それだけ私が従順だと必ず関係がこじれてくる。
    こじれても私はこじれてない事にする。
    そしたら益々こじれる。
    こじれまくって、もうどうっっっっしようもない‼︎
    ってとこまで相手のことも自分の事も追い込まないと恋愛を終わらせられない。
    みっともない。
    この物語に出てくる登場人物、全員そんな、こじれた人ばっかり出て来て、みんなもれなくみっともないから、感情移入が止まらなくて、トイレしてる時も米を研いでる時も歯を磨いてる時も本を読むのを止められなかった。
    『みじめでみっともない恋愛関係を見たい!』
    私の怖いもの見たさ心はパンパンに満たされて終わった。
    感想を一言で言うならば、「テルコはバカだ!」
    これは言い切れる。
    100人読んだら98人はそう思うだろう。
    どれくらいテルコがバカなのか、気になる人は読んでみて欲しい。
    今まで読んだ小説の中で1番面白かった‼︎

  • 恋は盲目と言うけれど…

    盲目過ぎて気持ち悪くなる

    会いたくて会いたくて
    呼ばれればいつでも、仕事を放り出しても会いに行き
    帰れと言われれば、夜中でも黙って帰る
    使いっ走りも嬉々としてやり
    立て替えたお金が戻らなくても文句も言わない

    そんなだから相手もどんどん調子にのり
    いいように利用する

    この女はバカなのか?
    と思うけれど最終的に
    自分は愛されてないけれど
    どんな形でもいいから繋がっていたい
    というスタンスを貫く姿勢がすごいと思った

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著者プロフィール

角田光代(かくた みつよ)
1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
1990年、「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞し、小説家としてデビュー。受賞歴として、1996年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞を皮切りに、2005年『対岸の彼女』で第132回直木三十五賞、2007年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、2011年『ツリーハウス』で第22回伊藤整文学賞、2012年『紙の月』で第25回柴田錬三郎賞、同年『かなたの子』で第40回泉鏡花文学賞、2014年『私のなかの彼女』で第2回河合隼雄物語賞をそれぞれ受賞している。
現在、小説現代長編新人賞、すばる文学賞、山本周五郎賞、川端康成文学賞、松本清張賞の選考委員を務める。
代表作に『キッドナップ・ツアー』、『対岸の彼女』、『八日目の蝉』、『紙の月』がある。メディア化作も数多い。西原理恵子の自宅で生まれた猫、「トト」との日記ブログ、「トトほほ日記」が人気。

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