水の巡礼 (角川文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043753031

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  • 大学時代、メキシコに行く友達にこの著者の別の作品である『オラ!メヒコ』をプレゼントしたのは良い思い出。プレゼントした後にこの著者の作品を読んでみたくなって、この『水の巡礼』を読んだのだった。

  • ・「魂は水と似ています」
    「魂が、ですか?」
    意外な言葉に思わず問い返す。
    「そうです。水はいろんな形に姿を変えますが、雨になっても、氷になっても、蒸気になっても、本質は水です。魂も、いろんな形に姿を変えます。それを私は魂の濃度変化だと思っているんです」
    山尾さんはうれしそうだった。魂のことを語ることが楽しくてしょうがなふうだった。

    ・「カヌーを作ることや、星だけで航海することは、実はたいしたことではありません。それは、昔の人々にとってみればあたりまえのこと、靴を履くようなことです。大きな文化のなかのほんの一端なのです。でも、カヌー作りを受け継いでいる人がいたおかげで、私たちはカヌーを通してその大きな文化に触れることができました。思い出すきっかけになりました。小さなことでも、伝えていくことには大きな意味があるのです」
     小さなことから、大きな文化の一端を知る。なぜかふと「神は細部に宿りたまう」という言葉を思い出していた。

    ・私はずっと、北海道の牧場の風景を見て心を和ませてきた。40年間、その風景の平和さを疑うこともなかった。でも、それを「痛い」と感じる人がいる。世界は多面体なのだ。視点を変えれば見える風景も変わる。
     北海道の森を住み処として暮していたのはアイヌの人々だった。後に入植してきた人たちは森を切り開くことに懸命だった。木々を守っていたアイヌが去った北海道の森には人間の祈りが感じられない。そう、藤崎さんは呟いた。

    ・この知りたいという強い欲求は何だろう。自分でもよくわからない。なぜ知りたいと思うのか。かっこいいからか?人に自慢できるからか?違う。そんなんじゃない。では、なぜ?大切だと思うからだ。理由はよくわからない。直感だ。とにかく大切なことだと思うから。底の抜けた桶で水を汲むような、そんな徒労なことであっても、私は知りたいと思うのだった。自然の中で生きていく知恵の断片を。
     先祖たちの知恵を、伝えたいと思う気持ちは、こんな私にもある。

    ・「日本はとても、大陸に近いところにある島国です。大陸の文化の影響をたくさん受けていると思います。そのなかで失ってしまっている島の文化があるかもしれません。私たちハワイ人は、アメリカの州になってアメリカ的な生活を通して近代的な生活をすすめてきました。暮らしは便利に快適になった。便利だからこそとても多くのことを失い、忘れたのだと思います。でも、最近は若者も自分たちの文化に興味を持って学ぶようになりました。入れ墨を描く若者も増えています。民族の服や、それから歌や踊りも盛んになりました。日本のように大きな経済の発展を遂げた国なら、なおさら合理化されていく暮しの中で忘れられたものがたくさんあるのではないでしょうか。でも、文化を失うことは自分を見失うことです。それは私たちが体験したことだからわかります。いろいろなことを子供たちに伝えていかないと、見た目だけは日本人でも、中身は何人なのかわからない存在になってしまう」

    ・私は広島を復活と再生の聖地に、と思っていた。
    けれども魂の復活、そして魂の再生とは何だろう。ましてや、魂の救済とはどういうことを指すのか。もちろん、小さな観音像に問い掛けてみたところで答えはない。
     山の上から見下ろす広島の街はすっかり再生している。この繁栄こそが再生だ。でも、何かが足りない気がする。

    ・幽斉というのは、あの世のお祭りのことで、聖地にはこの世のお祭りをする場所と、あの世のお祭りを見物するための場所があるのだそうである。

    ・そうか、掃除するってこういうことだったのか。掃除っていうのはホコリを払うと同時に、その場所に付着してしまった人間の雑念を消すことでもあったのだ。このとき私は40歳にして初めて「清掃」ということを把握した。

    ・「気づくことに気づくこと」

    ・気づきこそ、たぶん、最も個人的で、個別な体験なのだろう。それは、予感とも近いような気がする。それはその人の人生にふいに訪れるものだ。だからたぶん教えることはできない。私はそう思った。

    ・歩きながら、なぜ私はここに来たかったのだろうと思った。またしても、いつもの疑問。
     作家の好奇心か。それだけではない。仏ヶ浦に行きたかったのと同じ。この場所に惹かれるからだ。その理由はいまだによくわからないが、あるいは旅を続けていれば知る日もあるのかもしれない。いつかパズルのようにそれぞれのピースが合わさって全体の意味がわかる日があるかもしれない。それも旅の醍醐味だ。

    ・「あんたは、ぜんぜん働きをしておらんな」
    え?と、またしても私は頭を抱える。
    「よく働くことと、働きをすることは違うのだ。あんたは自分の働きをしておらん。そんなことじゃあ、この先、ずっとこのままだな。この一年で変わらんと生涯このままだ」
    働くこと、働きは違う?

    ・「働きをするためには、どうしたらいいんでしょうか?」
    「自分を見つめることだね」
    「自分を見つめる?」
    「鏡に映して自分を見ればいい」
    鏡で自分の顔を見てそしてどうする?間抜けた顔があるだけじゃないか。
    「かかみとは、神(カミ)の間にガ(我)があるだろう。そういうことだ」
    うーむ。わからない。

  • 大峯山中の天河神社、多摩川源流と渋谷川、屋久島、出雲大社など、「水」に関わる聖地(?)巡礼のエッセイ。ややスピリチュアル系方向に行く傾向があるものの、筆者自ら書いているように取り組み方は「生半可」なので、あまり気にはなりません。
    天河神社行きたいんですけどね。奈良まではよく行くものの、そこから先がまた遠い…。

  • ランディさんの文章はメルマガ時代から読んでいるが、やはりエッセイが好きだ。
    特に今回の「水」についてのピルグリムは追体験したような感覚になる。
    アイヌのアシリ・レラさんには以前文京シビックホールでの講演会でお話を聞き、握手していただいたことがあるが、大きく固く、とても熱い手に母の手を思い出した。
    やはり母性は同じ”産み出すもの”として大地とつながりやすいものなのだろうか。
    それならば母になれない女性は何になるのだろうとふと考える。

  • オカルト好きな人はぜひ。
    私はあんま好きじゃなかったです…。

  • 日本は水の国。

  • この本のおかげで、出雲大社と出会えました。
    出雲大社はきもちいい。

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著者プロフィール

1959年生まれ。作家。2000年、長編小説『コンセント』を発表。以来、フィクションとノンフィクションを往還しながら人間の心の問題をテーマに幅広い執筆活動を続ける。

「2021年 『水俣 天地への祈り(仮)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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