嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

著者 :
  • 角川学芸出版
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  • / ISBN・EAN: 9784043756018

感想・レビュー・書評

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  • 長年の読むのを楽しみにしていた本!
    ぜったい好きになる予感の本!
    やっと読めて本当に嬉しい…
    そして予感通り好きな本になる(笑)
    が、その反面想像以上にスケールが大きく、深い内容であり、本のレビューを書くのになかなか言葉が出てこない…

    米原さんのノンフィクション
    1960年プラハ
    マリ(著者)はソビエト学校で個性的な友達と先生に囲まれ刺激的な毎日を過ごしていた
    9〜14歳頃だ
    50カ国以上の国の子供達が集まっていた
    故国から離れているせいか皆が愛国者
    マリさんが居た頃は、国際間のデリケートな問題は校内で避けるという方針
    お休みの日は宿題は無し!素敵(笑)
    のびのびとした無邪気な子供達の言動の端々に彼らの民族性や習慣、アイデンティティが垣間見える
    また社会主義情勢の時代背景も興味深い
    マリも敏感に感じ取ったり、あとから理解できることも多々あった(子供時代と30年後の感覚の違いも読ませる)
    その中の3人の友人とのそれぞれのストーリー
    それは多感な少女達の単純な友情と青春物語ではない
    誰もが幼いながら自分の故郷を抱えざるを得なく、世界情勢に振り回されながらも激動な時代、彼らなりに生きていく

    30年後、東欧の激動
    (東欧の共産党政権が軒並み倒れ、ソ連邦が崩壊)
    で音信の途絶えた3人の親友を捜し当てたマリは、少女時代には知り得なかった真実に出会う

    【印象に残った内容】
    ・皆が愛国者だったが、故国が不幸であるほど望郷の思いが強くなるらしい
    ・無差別なき平等な理想社会を目指して戦う仲間同士のはずなのに、意見が異なるだけでお互いが敵になってしまうことが絶望的に悲しい
    ・社会主義の矛盾した経済不平等さ
    それに気づかないふりを続ける特権階級の人々
    国民の平等を唱えながら貧富の差がある
    ・在プラハ・ソビエト学校および大多数の保護者はイデオロギー論争における自国と自国の党の正当化を子供たちに教え込むことより、子供同士の人間関係の方を優先して考えてくれたのではなかろうか
    ・ユーゴスラビアは社会主義諸国の一員ではなく社会主義を語るほとんど資本主義国であると言う見方が多く裏切り者扱いであった
    ・世界の共産主義運動の中で、左派に位置するとみられる日本共産党員の娘である私が、最右翼に位置すると思われているユーゴスラビア共産主義者同盟員の娘と仲良くなることで、論争と人間関係は別なのだと言うことを周囲に示したかった
    ・日本ではいとも気楽に無頓着に「東欧」と呼ぶが、ポーランド人もチェコ人もハンガリー人もルーマニア人も括られるのをひどく嫌うため「中欧」と訂正する
    ・「東」とは第一次大戦まではハプスブルク朝オーストリア、あるいはイスラム教を奉じるオスマン・トルコの支配収奪下に置かれ、第二次大戦期はソ連邦傘下に組み込まれていたために、より西のキリスト教諸国の「発展」から取り残されてしまった地域、さらには冷戦で負けた社会主義陣営を表す記号でもある
    ・後発の貧しい敗者と言うイメージがつきまとうのが嫌なのだろう 「西」に対する一方的憧れと劣等感の裏返しとしての自分より「東」、さらには自己の中の「東性」に対する蔑視と嫌悪感
    これは明治以降脱亜入欧を目指した日本人のメンタリティにも通じる



    自分の生まれた国や親の思想によって、世界情勢の変化が起こると、唐突に人からの対応が変わる
    昨日までの友情が無かったことになる
    当たり前の日常生活がガラリと変わる
    ある日突然、暴動に巻き込まれたり、家族が異国でバラバラに暮らしたり、突然連絡が取れなくなったり、亡命したり…

    日本でのほほんと過ごしていた自分には本当に恥ずかしいくらいあり得ない世界である
    遠い教科書の中のできごとを少女達やその家族、また彼女らの取り巻く環境を通じて生々しくリアルに知ることができた
    平和な日本では、民族紛争や亡命なんて本当に遠い国の話でしか無いかもしれない
    しかしながら、多様化の時代、これからだってなにが起こるかわからないのではなかろうか

    遠い国のことが急にクリアに目の前で展開され、手で触れ、感じることのできるような錯覚に良い意味で陥った
    現代史の世界情勢、友情、これらのテーマを融合させ、まるで身近な出来事として体感できるような見事なノンフィクション小説だ

    改めてこの頃の時代背景を理解したうえでぜひぜひ何度も再読したい

  • フォローしている沢山の方が絶賛している本。
    たまたま最寄りの図書館に在架していたので、おーこれだ!と借りた。

    冷戦時代に東側の国で子供時代を過ごした経験のある人は稀なのではないだろうか。
    西側の自分たちが思い描くのは、窮屈で緊張を強いられるような生活だが、そんなステレオタイプな思い込みを吹き飛ばす、自由で破天荒な子どもたち。学校の先生たちもユニークだ。

    目や耳から入るフィルターを通した情報と、そこに暮らす人々の声というのは必ずしも一致しないのだ、ということを教えてくれた。

    「古本道場」でも米原さんの魅力を角田さんがチラッと伝えてくれていたが、他のエッセイもがぜん読みたくなった。
    2020.12.6

  • 私は海外小説は読むのですが、現実の海外事情にはほとんど興味がありませんでした。と書くと、後ろめたい気もするのですが。日本が好きなのです。

    ただ、そうした興味の無さは、読書がきっかけで変わることもあるということを、今回、本当に実感させていただきました。我ながら驚いているのですよ。共産主義運動やユーゴスラビア紛争にしても。

    元々、読もうと思った理由は、フォローしている方々が絶賛されている感想が多かったからで、この作品の内容について、日本に居るだけでは、本当に実感することのできないお話です。下手したら、一生知らずに終わってしまうかも。

    それぞれの国があって、それぞれの民族、宗教、歴史がある中で、「ソビエト学校」での様々な事情を抱えながらも、個性的な生徒たちが集まった生活風景には、明るく微笑ましいものを感じながらも、次第に時代の荒波に飲み込まれていく為す術もなさを、大局的な視点で映し出される出来事には、何も思うことができず、情けないが、ただただ無心でページをめくり続けるだけ。このやり切れない無力感は、私の想像を遥かに絶する。

    それでも、大いなる存在に強く抗う様や、考え方を変えるしなやかさには、国や民族に捉われない、その人自身の気持ちがはっきり表れていることが分かり、それがノンフィクションだということもあって、とても嬉しかった。

    それは、おそらくマリとリッツァ、アーニャ、ヤスミンカとの友情にも。

    このような形で、色々な国の当時の事情を、米原万里さんの視点で知ることができたことに、感謝したい気持ちでいっぱいです。

    ノンフィクションなのですが、ドラマチックで生々しい展開は、劇的な物語といっても違和感がないほど、ストーリー性の高いことにも驚きでした。世界は広いし、安っぽいと思われるでしょうが、愛しい気持ちになってしまう。

  • 米原万里さんは、9歳から14歳までの間、プラハのソビエト学校に通われている。米原さんのお父様が日本共産党の幹部としてプラハに派遣されるにあたり、家族を帯同されたもの。ソビエト学校は、プラハに派遣された各国の共産党幹部の子弟が通う一種のインターナショナルスクールで、50カ国の生徒で構成されていた。授業は、ロシア語で行われる。
    米原さんは、14歳の時、1964年に日本に帰国される。それから、30年を経た1990年代の半ばに、当時、仲の良かった、ソビエト学校の3人の同級生を探すことにトライする。3人の国籍は、ギリシア、ルーマニア、ユーゴスラビア。
    3人を探す旅は、NHKで「わが心の旅 プラハ・4つの国の同級生」という番組として、1996年2月3日に放送されている。この番組は、実際にYou Tubeで視聴可能だ。私も観た。
    本書の発行は、2001年なので、米原さんは、テレビ放送の後で、この話を書籍化されたのだと思う。本書は、2002年の大宅壮一ノンフィクション賞作品でもある。

    14歳と言えば、日本では中学生。ただ、この話は、中学校の同級生を30年ぶりに訪ねるという簡単な話ではない。30年の間に歴史は大きく動いている。
    ■ベルリンの壁崩壊が1989年
    ■ソビエト連邦解体が1991年
    ■ユーゴスラビア内戦は1991年から
    ソビエト学校のおおもとのソ連自体がなくなり、その衛星国であった東欧の社会主義国は体制が大きく変わり、また、ユーゴでは内戦が始まる。その過程で、共産主義そのものの力、東欧各国の共産党の力は弱体化する。それは、当然、各国の共産党幹部の子弟であった、米原さんの3人の同級生のその後の人生に大きな影響を与えずにはいられない。
    と考えると、米原さんの同級生探しは、とてもスケールの大きな、激動の歴史の影響を探る旅でもあったのだ。

    どちらが先でも構わないと思うが、本書とYou Tubeでの番組の両方を見られると、より立体的にストーリーを楽しむことが出来ると思います。

    • Macomi55さん
      sagami246さん、初めまして。この度はフォロー有難うございます。
      1990年前後、日本は昭和から平成への変わり目、ベルリンの壁崩壊、ソ...
      sagami246さん、初めまして。この度はフォロー有難うございます。
      1990年前後、日本は昭和から平成への変わり目、ベルリンの壁崩壊、ソビエト連邦解体、中国の天安門事件と世界的な大事件が続きました。その頃、演説していたゴルバチョフ書記長の姿、そのソ連のトップと日本の総理大臣の間で通訳をされていた米原さんの姿をテレビで良くお見かけしたのを覚えています。普通は通訳の方の姿まで覚えていないのですが、ポニーテールで美しかった米原さんは印象的でした。
      「もしや、あの通訳の方の本?」と思いながら、あの印象的な時代に激動の現場を体験してこられた米原さんの「嘘つきアーニャ…」をもう15年くらい前ですが、興味深く読んだのを覚えています。この本について詳しくレビューして下さる方を見つけ、嬉しかったので、コメントさせて頂きました。
      2020/11/02
    • sagami246さん
      Macomi55さん、おはようございます。
      初めまして、コメントいただきありがとうございました。
      いわゆる東西冷戦が終わろうとしていた頃、米...
      Macomi55さん、おはようございます。
      初めまして、コメントいただきありがとうございました。
      いわゆる東西冷戦が終わろうとしていた頃、米原さんは通訳として、歴史の中で大事な役割を果たされていたのですね。
      もっと言えば、プラハのソビエト学校に通われていたということから始まり、米原さんは歴史の変化の中を生きた方なのだな、と感じます。
      コメントありがとうございました、引き続きよろしくお願い致します。
      2020/11/24
  • 9歳から14歳までの多感な時期をプラハのソビエト学校で過ごした少女時代の思い出、そして社会主義体制の崩壊を経て、大人になった著者が友人たちの消息を訪ねて東欧各地を訪れたときの出来事を綴ったエッセイです。

    本書は3人の少女に焦点を当てて綴られています。
    ギリシア人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤスミンカ。
    彼女たちとの思い出は、20世紀後半からの東欧諸国の情勢と切っても切り離せません。
    時代のうねりに翻弄された少女たちやその家族の心情、その後に辿った人生を読み進めるにつれ、ヒリヒリとした感触が身体の中に強くなっていきました。
    その感触に促されて一気に読んでしまったせいか、読んで感じたことがうまく言葉にできなくてもどかしい…。

    これからの時代を生きていくのに忘れたくないことがたくさん詰まった1冊だったので、折にふれて読み返し、より深く自分の中に沁み込ませていきたいです。

  • 主人公マリが、それぞれ祖国が異なる三人の旧友の消息を訪ね歩き、彼女らの人生を辿る物語。

    異国の地での一筋縄ではいかない再会。
    離れていた時間を瞬く間にうめるような時間。

    彼女らの選んだ、選ばざるを得なかった人生が、中東欧の激動の歴史と共に綴られていく。
    米原さんの大切な思い出と、友への言葉、心にしまい込んだ思いが何度も心に響く。

    社会情勢に左右され、ふりまわされる人生、友のあの時の言葉の裏の真実には衝撃と共に胸が痛む

    自分がもしその地で生活していたとしてもその年齢でそこまでしっかりとした考えで生きていけただろうかと考えずにはいられない。

    この作品を手にしなければ永遠に知り得なかったこと、知ろうともしなかったことがあふれていた。

    付箋だらけになったこの作品、読んで良かった。心からそう思えた作品。

    • くるたんさん
      kanegoneさん♪

      ありがとうございます♪

      ゆっくり観てみます✧*。(ˊᗜˋ*)✧*。
      kanegoneさん♪

      ありがとうございます♪

      ゆっくり観てみます✧*。(ˊᗜˋ*)✧*。
      2019/04/05
  • 『熱源』を読んで以来、お隣さん(ロシア)を共有する中東欧世界が身近に感じられるようになり、中東欧の本を少しずつ読んでいる。

    本書は著者の実体験を綴った3篇からなるエッセイ。未だ興奮冷め止まぬ、「凄い」本だった。

    ・リッツァの夢見た青空
    ・嘘つきアーニャの真っ赤な信実
    ・白い都のヤスミンカ

    3篇のタイトルはそれぞれ色を表していて、読後に見返すとギリシャの青空と、ベオグラードの白さが脳内で再生される。

    一方、本書の表紙もタイトルも赤。これは共産主義の赤でした。

    1960年からプラハ・ソビエト学校で学んだ著者。そこは共産主義各国の子女が集まる国際的な学校。その後、大人になった1995年に再会を果たす物語。会えなかった期間に起きた主要な歴史的事件は以下の通り;

    1968年、プラハの春
    1991年、ソ連邦崩壊
    1991-2001年、ユーゴスラビア紛争

    これらの歴史をしっかりと織り込みながら、この激動の時代を生きた少女たちの人生と、その交流を描いている。

    実は私も著者とほぼ同じ年頃(小-中学生)海外で過ごしました。私にも共感できる帰国子女あるある(世界に散ってしまう学友、自国への郷愁、しかしいざ帰国したら大変、メンテナンスしないと失われてしまう言語力etc)が散りばめられて親近感を持ちながらも、度肝を抜かれるほど「凄い」と思ったのは、著者のモノを見る確かな目の所以だと思う。

    一つには、著者の価値観が小学生にして既に出来上がっているからこその鋭い考察がある。人は物差しがないと価値判断はできない。著者は共産主義の掲げる理想を理解しているからこそ、友人の抱える矛盾に違和感を抱くことができ、それを通して共産主義国家の現実を描き出した。

    もう一つは、歴史に対する確かな理解。もちろん、本書は大人になってから書かれているので、後知恵もあるのだろうけど、それにしても各友人が背負っている各国の歴史をよく理解していて、エッセイの背景画としてしっかり織り込まれている。

    そのどちらも当時の私には欠落していたので、例え同じように「多感な時期」を海外で過ごしていようと、こんなエッセイは逆立ちしても書けない。(※この作品を可能にしたのは、著者の「多感な時期」の海外生活があったからだと解説に書いてあったことに対して)

    著者の凄さに対して考察してしまったけど、本作を読んで何より感動したのは、「激動の時代」と総括してしまうと点にしか感じられなくなる人間の、個人の生きた人生に触れられたこと。

    蛇足的感想ですが、現代では、どんなに学友が世界各国に散っていようと、Facebookでちょろっと名前を検索すればすぐ見つけ出すことができ、「共通の友人」を辿れば大抵芋づる式に捕まる。だから現代ではこんなドラマも生まれないだろう、という側面もまたある。便利だけど、少し寂しい。隔世の感あり。

  • これ程胸に迫るエッセイには、今後なかなか出会えないと思いました。

    共産党員だった父親の仕事の関係で、今のロシア周辺が「ソビエト連邦」だった1960年代前半の少女時代をチェコのプラハにあるソビエト学校で過ごした米原万里さん。後年、ロシア語通訳者となった彼女が1990年前後に、ソビエト共産主義の崩壊を軸に運命を翻弄され続ける同級生3人を捜し歩いた再会の日を少女時代の思い出と共に綴ったエッセイ集。

    祖国ギリシアの晴れ渡る青空に狂おしい程恋焦がれていた蓮っ葉なリッツァ。
    気はいいけど、共産革命的賛辞を異常に好み、嘘つき癖のあったルーマニア人のアーニャ。
    頭が良く超然としているようで、孤独にもがいていたユーゴスラビア人のヤースナ。

    ソ連と祖国の関係性や政情不安に翻弄され続けながら、ロシアでも各人の祖国でも多感な時期を過ごしたチェコでもない、第三国で生きることになった三者三様のそれぞれの劇的な人生と邂逅しながら、彼女たちの複雑な郷愁や欺瞞、孤独、恐怖、そして、それでも生きていく力強さなどが、少女時代の思い出と親友たちの変わりゆく姿への感傷と、冷静な観察眼の程よい絡まり合いのもとで、過不足のない簡潔な言葉で余すところなく綴られていて、ほとんどイッキ読みしてしまいました。

    まるで少女向けの童話のように可愛らしいタイトルと装丁ですが、反して、中身は体験者にしか描くことが許されない生(なま)の歴史に満ちています。(私はソ連崩壊の意味を肌で感じることは出来なかった世代ですが、それでも色々考えされられました)

  • 10歳から14歳をプラハのソビエト学校で過ごした著者が、30年を経て当時の友人に再会するノンフィクション。
    ギリシャ人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤスミンカ。それぞれ当時は思いもしなかった人生を時代の波に翻弄されながら生きてきた。しかし、著者と彼女たちが再会した時の若い頃に戻ったような姿は、誰しも経験した事のある感動に溢れていた。第二次世界大戦後の中・東欧にとっては変動の時代、彼女たちは特に戦争や災害に巻き込まれ苦渋を味わったというわけではないが、それでも日本の平和さを実感させられる。

    私もよく幼き頃の友人の事を思い出すことがある。米原さんのように、国を越え、時代の変動を越える程の大きなものではないが、きっとかつての友人たちも大なり小なり様々な体験をして生きているだろう。いつか会いたいと同時に、会った時に恥ずかしくない自分でありたいとも思った。

  • 久々の米原節にどっぷりはまってしまった週末。

    米原万里氏の活字に出逢ったのはいつのことかと記録をたどってみると5年近く前のことだったらしい。「打ちのめされるようなすごい本」というタイトルにまずけつまずき、実際のところそれを読む前に「ガセネッタ&シモネッタ」に手を付けて何度となくニヤリとさせられ、で前述の書評録に戻ったところ彼女の底知れぬ知性にあっさり打ちのめされてしまったのがその頃の話。

    本書においては彼女という人間の成り立ちの部分、小学〜中学時代の三人の同級生にまつわる想い出をことのはじめとしてつらつらと綴ってくれる。ただ「秀逸なエッセイ」とかいう薄っぺらい評価には収まりきらない中身の濃さで、ありとあらゆる側面からの知的な分析の中において、彼女自身が感じる人間的な血の通った思いもきちんと含められている。単なるお涙ちょうだいには落とし込んでいないところはさすが。

    やはり紙に残された活字の力は素晴らしい、ネット上の文字は後回しにしないと…と思った矢先、読了後に当時撮影された本作にまつわるドキュメンタリー映像にめぐり逢うことができた。まだ元気な頃の米原氏に出会えたことは感激だったが一方で読了後であったことにホッとしたりも。

    これから読もうという方、検索したりしないように。

著者プロフィール

1950年東京生まれ。作家。在プラハ・ソビエト学校で学ぶ。東京外国語大学卒、東京大学大学院露語露文学専攻修士課程修了。ロシア語会議通訳、ロシア語通訳協会会長として活躍。『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川文庫)ほか著書多数。2006年5月、逝去。

「2016年 『米原万里ベストエッセイII』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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