- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043759019
感想・レビュー・書評
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一家四人の命を奪った19歳の少年。彼の生い立ちや気持ちをつづった本。
少年犯罪はいつの時代も横行していて、ニュースを見ていると虐待を受けていたり、親同士の仲が悪い、離婚しているなど様々なつらい環境の中で生きている子たちが多いように思う。自分を認められたいとか、自分の存在をこういう形でしか表せないのかと感じました。
怨恨でもないただの自分の自己主張で人を殺すなんてもってのほかだけど、一番頼りにしたい親に頼れない子どもの気持ちもわかるなあ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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19歳の殺人鬼に下った死刑判決。戦慄の事実に迫る事件。
92年に千葉県で起きた身も凍る惨殺劇。虫をひねり潰すがごとく4人の命を奪った19歳の殺人者に下された死刑判決。生い立ちから最高裁判決までを執念で追い続けた迫真の事件ノンフィクション!
私はこーゆうノンフィクションの事件の本を読む事が多いんだけど、これは本当に胸糞悪い。信じられないくらいムカつくし、有り得ないほど悲惨で残酷で悲しいです。
犯人はきっと反省は最後までなかったんだろうと本を読むと感じます。
たとえ反省していても許せない事件です。
女の子が1人生き残りましたが、良かったとも悪かったと何とも私は言えなくて....ただただ悲惨です。
どうか残された彼女は幸せであって欲しいと切に願います。 -
まったくもって暗澹たる気持ちになる。犯人に対してはもちろん、その闇に飲み込まれた筆者にも。
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光彦は最後まで他人事ぽかった。反省してる感じがしない。あれもこれも人のせいみたいな…。
死刑は執行済みらしいけど。 -
2019年12月17日読了
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1992年3月に市川の一家四人が殺害されるという衝撃的な事件があり、本書は死刑判決の確定したその犯人に対する交流の記録である。どうしてそんなことになったのか、当然ながら筆者は犯人の生い立ちにも理由を求め、アルコールで身を持ち崩した父、1人で頑張って犯人と弟の生活を支えた母、その母子家庭に温かい目を注いだアパートの大家夫婦などのエピソードを重ねていく。少年時代の犯人の生い立ちを読むと、その過酷な試練に同情せざるを得ない。また、そんな中で少なくても小学校時代までは素直な、到底後に凄惨な殺人を引き起こすようには見えない。おかしな方向に転がっていくのは、身体的にも強くなった中学生時代に良い環境が周囲になかったようには見える。
私は職業柄、犯罪を犯した犯人の精神鑑定書を読む機会もあるが、確かに多くの犯人がそのような過酷な幼少期を過ごしていることは多い。そう考えると良い環境、良い大人、良い教育に恵まれればそんな犯罪を起こさなかったように思えてしまう。当然筆者もそうだが、犯人自身がそんなことは無いと真っ向否定する。5歳下弟も、同じように過酷な環境下で、しかも犯人である兄にはひどく暴行を受けて育ちながらも穏やかで犯罪行為とは無縁な状態にあることを引き合いにだし、自分には「生まれ持った犯罪者としての根っ子の部分は、永久に変えられない無い」と語る。犯人自身のこの告白は興味深い。これまでの犯罪研究を考えると、後天的ではなく先天的に犯罪に向かう志向があること、すなわち遺伝的に規定されている部分があることは確かにありそうで、犯罪予防を幼少期から行うことが確立されないと、同じような悲劇は今後もあるだろうとは思う。
さて、大量殺人を犯した犯人の犯行への振り返り、拘置所内での行動に筆者は違和感を募らせる。今更反省しても殺した人間たちが返ってくるでもなく、読経はするが、そういった行動は自己満足に過ぎないと語り、自分の周りにいた大人たちへの恨みを語る、そういった犯人に筆者は落ち込んでいく。どうだろう、筆者はどうも犯人にわかりやすい反省と悔恨の情を求め過ぎな気がして、読んでいてそっちの方に違和感を感じもした。殺された側の家族としては、何があったって癒やされるものではない。犯人の心情は「おかしい」かもしれないが、実際その通りでもあり、だからこそ犯罪というのはやりきれない、あってはならないものだと感じるのだが。 -
92年、千葉県市川市でひと晩に一家四人が惨殺される事件が発生。現行犯で逮捕されたのは、19歳の少年だった。
殺人を「鰻を捌くより簡単」と嘯くこの男は、どのようにして凶行へと走ったのか?
暴力と憎悪に塗り込められた少年の生い立ち、事件までの行動と死刑確定までの道のりを、面会と書簡を通じて丹念に辿る著者。そこで見えた荒涼たる少年の心の闇とは…。
この惨殺劇の中、生き残った少女がいる。
成人した少女は「もう、事件のことは忘れました。でないと、前に進めませんから。(犯人が)どういう刑を受けようと、まったく関心がありません。でも(極刑は)当然だと思います」と凜とした声で語った。
事件後十数年を経て、生き残った少女は結婚した。
娘と幼い孫を失った祖母の「娘らの分まで、めげんで生きていきますったい」という言葉が尊い。
人間存在の極北に迫った、衝撃の事件ノンフィクション。
解説:重松清 -
とりあえずぶっ壊れています、何故にこんな悪魔が宿ったのか。狂気の重量が凄まじく、著者自身もそうですが、読む側もヤられます。ただ、淘汰されてはいけない一冊だと思います。実話であることが何より悲しい。
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○むごい、凄惨な事件を起こした少年をどう分析すべきか
1992年に起こった千葉県・市川一家4人殺人事件の一部始終が綴られているノンフィクション小説だ。
1992年3月、前月にした強姦の相手である少女の家を訪れ、借金を返すため金を巻き上げたものの通報しようとした少女の祖母を絞殺し、帰宅した少女の母と当該少女をうつぶせにした挙句母を刺殺。保育園から保母に連れられ妹が帰宅した後食事を3人で摂り、仕事帰りで帰宅した父も刺殺。金を家や事務所から奪った後ホテルへ向かい強姦する。その後家に戻り泣きわめく妹を刺殺した。
これだけ読んでも壮絶だ。しかし、筆者はそれが当時19歳の少年が起こした事件であり、その背景にどんなことがあったのかを、淡々と書き綴っている。それもまた壮絶だった。
帯のアオリ文に"この事件の真相を知りたくなかった――。"とあるが、読後にそれほどのインパクトがあるわけではない。最初にネタバラシが行われるから。でも、この事件の凄惨さは言うまでもなくむごい。被害者やその家族にとって。読者にじわじわとこみ上げる何かがある。
犯人は悪い。自らの苛々のはけ口として起こした強姦が、結果的にこの事件を引き起こしたということは本人も本書内の書簡で語っているが、その語り口にあまり反省の色を感じない。
これだけ大きな、インパクトのある事件は、読者の想像をかきたてる。
現実はむごい。これは犯人にとってもそうなのでは、と思わされる場面があった。それでもなお、あのとき○○さんが××していなければこんな事件は・・・と数度思わされた。事件を起こした少年の生い立ち、その両親や祖父との関係がどう影響したか。
筆者が"自分の中に流れる血とか、親のせいにしてしまうのは、卑怯だと思いませんか。"と犯人に問いかけるシーンがある。本人にとっては「血は争えない」と感じていた場面があった。しかし筆者がこれを聞いたということはそういう側面もありうるかもしれない、と煽っているように感じる。
人は常に利己的であり続ける。他己的であり続けるなどということはおそらく偽善だ。他己的である中に利己的な自分がいる場合が多いのではないか。それをどのようにコントロールできるかが重要なのではないか。
被害者には一点の過ちもない、壮絶で悲惨なこの事件は、その裏にある真相を聞いたとしても死刑だという事実は感情的には覆らない。
最高裁で死刑が言い渡されて、現在は再審請求されているという。
では、このような事件が起こらないようにするためには?
いい大人が増えていくしかない。そういう風にしかひとりごちることのできない私は、勉強が足りないだろうか。
筆者はどんな思いでこの少年と向き合ったのだろう。途中本人が倒れるシーンもあるが、確定囚となった彼の動機を解き明かす十分すぎる内容だった。
ただなんにせよ、読後感はよくない。何が正しくあるべきなのか、混乱さえする。