だまされることの責任 (角川文庫)

著者 : 魚住昭 佐高信
  • 角川グループパブリッシング (2008年4月25日発売)
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  • レビュー :5
  • Amazon.co.jp ・本 (201ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043775071

だまされることの責任 (角川文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 押しも押されもせぬ、名著!
    この本はもう3〜4回読み返しているが、たぶんこれから先も、折あるごとに本書を開くだろう。

    本書は、敗戦後間もない1946年に、映画監督・脚本家の伊丹万作が書いた、戦争責任をめぐるエッセイを巻頭に掲げ、それを軸に佐高氏と魚住氏が対談する、という構成になっている。
    この伊丹のエッセイは、中学か高校の歴史教科書に載せるべきではないかと思うほど(少なくともわが子には、年頃になったら読ませたい)、実に的を射ている。


    **************

    「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという」

    「少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇ってくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といったように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であった」

    「だますものだけでは戦争は起こらない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起こらない(略)あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己のいっさいをゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」

    「「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいない」

    **************


    この伊丹のエッセイは、10ページ程度の短文だ。
    これだけでも、何度も繰り返し読んで、胸に刻みたい。
    コピーして街頭で配りたいくらいだ(笑)。

    この本は10年以上前のもので、小泉政権の頃の話。
    だから佐高・魚住対談で語られているテーマは、中坊公平弁護士や自公連立など、ネタとしては結構古い。
    が、その内容は今読んでも色あせない。

    安倍晋三のブレーンが、日本会議〜生長の家のイデオローグでかためられていることの危険性を、両氏はこの当時から指摘している。
    また、瀬島龍三の取材で、かつての大本営作戦課に取材した魚住氏が、ある参謀から聞いたという話が興味深かった。
    軍が弱腰になると、マスコミが叩く。だから軍が少しだけ強く出る。そうするとマスコミがさらに強く煽る、その繰り返しで戦争になったのだ、という。
    たぶん、この構図は今も続いている。
    このことに自覚的でありたい。

    最後に、本書の解説を、森達也氏が書いている。
    最初から最後まで、痛烈な言葉が並ぶ本だ。


    「無垢だから騙されるのではない。無知だから騙される。なぜ無知なのか。知ろうとしなかったからだ。知ることを無自覚に拒絶していたからだ」

  • 友人からお借りしました。

    評論家・佐高信氏とジャーナリスト・魚住昭氏が、映画監督・伊丹万作氏の「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」という論をもとに、日本の権力体制や日本人の精神構造などを検証した対談形式の本。

    本当に、政治のことは何も知らずわからないことだらけなので、
    ただただ「そうなのか…」と思わされることばかりで、語られている権力も集団も、ただひたすら怖かったです。

    この本で述べられていることだけを鵜呑みにしてはいけないだろうし、何も知らないのに政治家やマスコミを安易に批判してはいけないと思うので、自分は何も言えません。

    でも、恐ろしい・うさんくさい・面倒くさい、で敬遠していてはだめだなと思います…。

  • 伊丹万作のエッセイが読みたくて購入。

    タイトル通り。

  • ジャーナリズムの責任や、今、日本が向かっている方向について考えさせられました。政治の裏側などについて書かれている部分は、私自身の力で検証しようもなくて、片側からの視点だし、他の見方もできるかもなあと「疑って」いる部分もありますが、それにしても、興味深かったです。タイトルになっている「だまされることの責任」は伊丹十三の父である、伊丹万作によって太平洋戦争終了の翌年書書かれたエッセイ「戦争責任者の問題」から取られています。戦後、「だまされていた」という人が多い中、だまされたというだけで全て許される訳ではないということを書いたエッセイ(ちょっと簡単に書きすぎたか?)です。戦前や戦時中、軍国ムードが高まる中、疑うことを知らず、流されて、愛国者になって他者を糾弾したものに責任はないのか、だまされた責任だってあるんじゃないのかと戦後生まれの私は思います。でも、実際にそのようなムードの中にいたら、自分が疑ってかかることができるのかは疑問。(だまされてない、戦争は正しいことだったのだという人はまた別の話になるけど)真面目な人ほど、国を守ろうと思い、自分からだまされてしまうかもしれない。それは現在でも同じことですよね。そう思うと怖い気がします。政治的なことや国際的なことは、マスコミの報道につい流されてしまう。全ての情報を鵜呑みにせず、疑ってかかることができるだろうか。少なくとも、だまされたと後から言わないように、自分の頭で考えていきたいものです。

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