だまされることの責任 (角川文庫 さ 41-7)

著者 :
  • 角川グループパブリッシング
3.54
  • (2)
  • (3)
  • (8)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 49
感想 : 6
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (201ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043775071

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • まだ小泉政権の頃に危惧していたことが現実になる。安倍晋三の長期政権である。彼自身の私欲だけでなく、彼に取り巻く為政者や宗教家や財界の人びとのはかりごとが、民の生活を虐げていく。そんなことをすれば経済力は低下していき財政は行き詰ることは容易く予測できるのに、現在さえ自分さえ良けりゃいいんだという浅はかな結論でおさまっていいのか。これは自己責任論にも通底しており、弱者を切り捨ててしまう社会の崩壊へと向かってしまう。そこに皆気付くべきであり、気付かなかった、だまされていた、という言い訳はあまりに無責任、私たちは共同体としての人道的行動を実践しよう。

  • 面白く読めるが、深読みし始めると止めがつかない。上がっている本だけでも少しずつ読んでいこうと思いつつ本を置いていたが、内容を読みきったという感触には程遠い。これは、と思い、本を知人に委ねることにした。何人かでよめば、視点が増えるので気がつくことがもっと増えるかも知れない。つまるところ、分かるまで信じるな、というのは、キャッチフレーズ的に伝播力をもち、威力もあるが、はたして、それでも物事を軽信する傾向は、拍車がかかりこそすれ、変わらない。事実が突きつけられない限り人は信じるのだ。欲しいのは何が事実なのか、そうではない事実をどう見分けるか、方法なり、手段なりを持つにはどうするか、なのだろう。この本はきっかけの本だ。

  • 押しも押されもせぬ、名著!
    この本はもう3〜4回読み返しているが、たぶんこれから先も、折あるごとに本書を開くだろう。

    本書は、敗戦後間もない1946年に、映画監督・脚本家の伊丹万作が書いた、戦争責任をめぐるエッセイを巻頭に掲げ、それを軸に佐高氏と魚住氏が対談する、という構成になっている。
    この伊丹のエッセイは、中学か高校の歴史教科書に載せるべきではないかと思うほど(少なくともわが子には、年頃になったら読ませたい)、実に的を射ている。


    **************

    「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという」

    「少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇ってくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といったように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であった」

    「だますものだけでは戦争は起こらない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起こらない(略)あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己のいっさいをゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」

    「「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいない」

    **************


    この伊丹のエッセイは、10ページ程度の短文だ。
    これだけでも、何度も繰り返し読んで、胸に刻みたい。
    コピーして街頭で配りたいくらいだ(笑)。

    この本は10年以上前のもので、小泉政権の頃の話。
    だから佐高・魚住対談で語られているテーマは、中坊公平弁護士や自公連立など、ネタとしては結構古い。
    が、その内容は今読んでも色あせない。

    安倍晋三のブレーンが、日本会議〜生長の家のイデオローグでかためられていることの危険性を、両氏はこの当時から指摘している。
    また、瀬島龍三の取材で、かつての大本営作戦課に取材した魚住氏が、ある参謀から聞いたという話が興味深かった。
    軍が弱腰になると、マスコミが叩く。だから軍が少しだけ強く出る。そうするとマスコミがさらに強く煽る、その繰り返しで戦争になったのだ、という。
    たぶん、この構図は今も続いている。
    このことに自覚的でありたい。

    最後に、本書の解説を、森達也氏が書いている。
    最初から最後まで、痛烈な言葉が並ぶ本だ。


    「無垢だから騙されるのではない。無知だから騙される。なぜ無知なのか。知ろうとしなかったからだ。知ることを無自覚に拒絶していたからだ」

  • 伊丹万作のエッセイが読みたくて購入。

    タイトル通り。

  • ジャーナリズムの責任や、今、日本が向かっている方向について考えさせられました。政治の裏側などについて書かれている部分は、私自身の力で検証しようもなくて、片側からの視点だし、他の見方もできるかもなあと「疑って」いる部分もありますが、それにしても、興味深かったです。タイトルになっている「だまされることの責任」は伊丹十三の父である、伊丹万作によって太平洋戦争終了の翌年書書かれたエッセイ「戦争責任者の問題」から取られています。戦後、「だまされていた」という人が多い中、だまされたというだけで全て許される訳ではないということを書いたエッセイ(ちょっと簡単に書きすぎたか?)です。戦前や戦時中、軍国ムードが高まる中、疑うことを知らず、流されて、愛国者になって他者を糾弾したものに責任はないのか、だまされた責任だってあるんじゃないのかと戦後生まれの私は思います。でも、実際にそのようなムードの中にいたら、自分が疑ってかかることができるのかは疑問。(だまされてない、戦争は正しいことだったのだという人はまた別の話になるけど)真面目な人ほど、国を守ろうと思い、自分からだまされてしまうかもしれない。それは現在でも同じことですよね。そう思うと怖い気がします。政治的なことや国際的なことは、マスコミの報道につい流されてしまう。全ての情報を鵜呑みにせず、疑ってかかることができるだろうか。少なくとも、だまされたと後から言わないように、自分の頭で考えていきたいものです。

全6件中 1 - 6件を表示

著者プロフィール

魚住 昭(うおずみ・あきら)
1951年熊本県生まれ。一橋大学法学部卒業後、共同通信社入社。司法記者として、主に東京地検特捜部、リクルート事件の取材にあたる。在職中、大本営参謀・瀬島龍三を描いた『沈黙のファイル』(共同通信社社会部編、共同通信社、のち新潮文庫)を著す。1996年退職後、フリージャーナリストとして活躍。2004年、『野中広務 差別と権力』(講談社)により講談社ノンフィクション賞受賞。2014年より城山三郎賞選考委員。その他の著書に『特捜検察』(岩波書店)、『特捜検察の闇』(文藝春秋)、『渡邉恒雄 メディアと権力』(講談社)、『国家とメディア 事件の真相に迫る』(筑摩書房)、『官僚とメディア』(角川書店)などがある。

「2021年 『出版と権力 講談社と野間家の一一〇年』 で使われていた紹介文から引用しています。」

魚住昭の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×