- Amazon.co.jp ・本 (411ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043885015
作品紹介・あらすじ
お願いだから私を壊して、帰れないところまで連れていって見捨てて、あなたにはそうする義務がある-大学二年の春、母校の演劇部顧問で、思いを寄せていた葉山先生から電話がかかってきた。泉はときめきと同時に、卒業前のある出来事を思い出す。後輩たちの舞台に客演を頼まれた彼女は、先生への思いを再認識する。そして彼の中にも、消せない炎がまぎれもなくあることを知った泉は-。早熟の天才少女小説家、若き日の絶唱ともいえる恋愛文学。
感想・レビュー・書評
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2005年 これもまだ島本さん22歳くらい。
壊されたい程好きだった高校時代の教師との再会。
諦めたはずの感情が又動き始める。
結婚を決めた女性の忘れ難い恋愛を 回想形式で物語る。ナラタージュ。
まだ、生活とか家庭とか損得など重要ではなく、不毛な恋とわかっていても、気持ちを打ち消せない。同年代の女性の不安定な気持ちをとても良く表現されています。
エピソードがまだ未熟かなと思うところはあるけれど、20歳前後の女性が読めば共感されるだろうと思います。
主人公の女の子が有村架純ちゃんのイメージから抜けないまま読んでしまった。声まで脳内で再生されてしまい、映画観てないけど、ぴったりだったんだろうと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『それならどうして卒業式の日にキスなんてしたんですか』
“同じクラスにKっていたの覚えてる?T先生と結婚したんだってさ”。久々に会った高校時代の友人Sとの会話の中から、思いがけず知ったかつてのクラスメイト、そしてよく知る教師のそれからのこと。Kのことはうっすらと顔が浮かぶくらい。一方、当時20代後半でよく話を聞いてくれた、というより私の担任教師だったT先生。あの当時から付き合っていたのか、それとも…。教師だって男である以上、いや人間である以上、誰かを好きになり、結婚もする、でもその相手がかつての教え子というだけで、何か不思議な感情が押し寄せるのはなぜだろう。男と女が出会った先に生まれる恋愛感情。それが成就した先に訪れる結婚というゴール。それは、教師と教え子という関係であっても何ら問題のあることでもないはずです。一方で、生徒の側からはどう見えるのでしょうか。年齢が離れている場合の方が多いその関係。そもそも同年代の異性がたくさんいる学校という環境の中で、数限られた教師を好きになってしまうというその感情はどんな瞬間に生まれるのでしょうか。卒業後も続くその感情の継続の理由はどこにあるのでしょうか。そして『卒業式の日にキス』、燃え上がった気持ちに、さらに油を注ぐというような行為があったとしたら、その感情はどこへ向かうのでしょうか。
『まだ少し風の冷たい春の夜、仕事の後で合鍵と巻尺をジャケットに入れ、もうじき結婚する男性と一緒に新居を見に行った』というのは主人公の工藤泉。川べりの道を仲良く会話しながら歩く二人。『ずっと、川のそばに住みたかったの』、そして『高校生のときには近くの川沿いの道が好きで、よく歩いた』と言う泉に『君は今でも俺と一緒にいるときに、あの人のことを思い出しているのか』と聞く彼。『そんなふうに見える?』と聞き返す泉。『見えるよ。君に彼の話を聞いた夜から、俺は君を見ていてずっと思っていた』と返す彼。思わず泉は『それならどうして私と結婚しようと思ったの』と聞きます。しばらく黙っていた彼が口を開きました。『きっと君は、この先、誰と一緒にいてもその人のことを思い出すだろう。だったら、君といるのが自分でもいいと思ったんだ』と落ち着いて答える彼。『今でも彼に触れた夜を昨日のことのように感じてしまう』という泉。でも『実際は二人がまた顔を合わせることはおそらく一生ないだろう』、そして『私と彼の人生は完全に分かれ、ふたたび交差する可能性はおそらくゼロに近い』という泉は大学時代を振り返ります。父の転勤に同行した母、そして一人暮らしになった泉。そんなある日、『テレビを見ていると携帯電話が鳴った』、電話に出ると『ひさしぶり。元気にしていましたか』という懐かしい声。『しばらく言葉を失っていると彼も戸惑ったように黙り込んだ』という気まずい瞬間。『こちらこそおひさしぶりです、葉山先生』と答える泉。『じつは演劇部のことで相談があるんだ』と語る『葉山先生は私が所属していた演劇部の顧問だった』というあの頃。部員が三人になって劇が成り立たない部の活動を手伝って欲しいという葉山に、『本当にそれだけの理由ですか』と聞く泉。『ひさしぶりに君とゆっくり話がしたいと思ったんだ』と答える葉山。『一年前には四六時中ずっと胸の中を浸していた甘い気持ちがよみがえりそうになった』という泉。深夜に目覚めて寝付けなくなった泉は手帳を開きます。『手紙を挟むのは私の癖』という手帳には『もうずっと前から、葉山先生に宛てた手紙が挟んである』という状況。『最初に廊下ですれ違ったときから、私はおそらく葉山先生のことが好きだった』と記憶を辿る泉は『告白するつもりだった』とあの瞬間のことを思い出します。『葉山先生には恋人がいますか』と聞く泉に黙り込む葉山。そして『僕は誰よりも君を信用している』と静かに告げた葉山は『だから本当のことを言う。その代わりこのことは誰にも言わないでほしい』と続けます。そんな葉山が語ったこと、そして泉の中に燃え上がる思い。高校時代と大学時代の二つの想い出が交錯しながら物語は静かに進んでいきます。
「ナラタージュ」とは”ある人物の語りや回想によって過去を再現する手法”のことを指すようですが、この作品では、主人公の工藤泉が自らの過去、そして葉山先生との想い出を語っていきます。とても美しい表現に満ち溢れたこの作品。その中で、私は『月』の描写に魅了されました。冒頭で川べりを歩く二人が見る『流れていく水面に落ちた月明かりは真っ白に輝く糸のようにどこまでも伸びていて、水の行く先を映していた』という表現。一見とても静かな情景が思い起こされますが、それは今も葉山との過去に思いが繋がったままの泉の心の内を暗示します。そしてこの作品では全編に渡ってこの『月』が、要所要所で印象的に描かれていきます。例えば、演劇部の打ち合わせで久しぶりに葉山と再開した日、手帳に挟んだ手紙を見る場面では『いつの間にか透明な月が夜空に浮かんでいた』と、かつての気持ちがいつの間にか再び湧き上がってこようとする泉の心境を予感させます。そして、そんな泉は成り行きから赴いた小野の実家で再び月を目にします。『何度かまばたきして月を探した。たなびく雲が重なって上弦の月を抱いているようだった』というその表現。たなびく雲が重なって、月を抱いているという絶妙な表現、そしてこれから満ちていく上弦の月が今の泉の前向きな心境を感じさせます。さらには葉山と赴いた神社の境内から仰ぎ見た月は『ふと見上げると細い月が浮かんでいる。柔らかい光が降っていた』、と細い月ながらもそこから降り注ぐのは柔らかく包まれるような光であると感じる泉。この情景を『辺りは静まり返り、私たちはベンチに腰掛けて、同じ高さから月を仰いだ』と描き、さらに『静かですね』、『そうだな』と最低限のセリフで繋げます。そして、そんな”静”の表現の後に『あれから恋人をつくったりはしなかったんですか』、『結局あなたにとって私は一体なんだったのか』、さらに『それならどうして卒業式の日にキスなんてしたんですか』と畳みかけるように泉の感情の高ぶりを描いていく島本さん。”静から動”へと切り替わっていく絶妙な情景描写とセリフが引っ張る感情の動きがとても上手く描かれているように思いました。そして、この先も『月』が物語の行く末を照らし続けます。これ以上はネタバレになるのでここまでとしたいと思いますが、この作品では『月』というその時々によって見え方が変化する印象的な対象物を物語の進行に上手く用いていると思いました。そして、この作品では後で触れますが、もう一つ特徴的なものが登場します。
教師と教え子の関係、そして、それからを描いていくこの作品。思えば高校時代というのは、その関係が双方ともに、より男と女を意識する時代でもあります。『生徒の中には卒業が近くなると感傷や昂揚感からさほど好きでもない人間を好きだと思い込んでしまう子も多い』というある意味での一般論。でも、この卒業というイベントは関係する者の感情など考えずに、それまでの日常をまったく違うものに変えてしまう大きな力を持った人生の一大イベントです。小、中、高と数を重ねて、次第にそんな感情の整理の仕方を覚えて大人になっていく私たち。でも、そんな運命のイベントの最中に『それならどうして卒業式の日にキスなんてしたんですか』というような想い出が刻まれると『あの日から私はずっと同じ場所にいます』、とその後に続く泉の人生が影響を受けるのは当然のことだとも言えます。『あなたから連絡が来るのを待っていた。それでもあなたは思い込みだって言うんですか』と葉山に訴える泉。その一方で抗うことのできない事情が二人の前に立ち塞がる現実。このシーンを『私の言葉に葉山先生は黙り込んだ。彼のほうに向き直ると、靴の下で砂が鳴った。乾いた頬の上をぬるい風が通り過ぎていく』と描く島本さん。この『風』も先程の『月』と同様に作品の要所要所で印象的に描かれています。このシーンで『ぬるい風』だったものが『新しい風に吹かれたような気がした』と変化していく結末。何が泉を前に進めていくのか、何が泉を前に進めたのか、という物語を巧みに演出する『月』と『風』。情景描写と感情の動きの表現がとても上手く描かれた作品だと改めて感じました。
葉山先生のこと、そして葉山先生との想い出が寄せては返す波のように、泉の心の中で凪と時化を繰り返すこの作品。『君は今でも俺と一緒にいるときに、あの人のことを思い出しているのか』と、泉に出会う男性は皆、泉の心の奥深くにまで刻まれたその想い出の深さを感じざるを得ません。抗うことのできなかった想い出にいつまでも心囚われる泉、そしてそんな泉を現在進行形で愛する男たち。
『ゼロに戻ろう、と思った。マイナス1でもプラス1でもなく、ましてや0.1すら残さず、完璧なゼロに戻ろう』という泉。『新しく始めるために、葉山先生を忘れる必要が無いぐらい思い出さなくなるために』と葉山との想い出を『記憶の中に留め、それを過去だと意識することで現実から切り離して』生きていこうとする泉。でも、それを感じてしまう今の泉に繋がる男たち。『きっと君は、この先、誰と一緒にいてもその人のことを思い出すだろう』と感じざるを得ない泉のこれまでとこれからが、これでもかと執拗に描かれたこの作品。
なんとも言えない鬱屈とした、持って行き場のない感情がいつまでも心の中に尾を引き、胸がはちきれそうになる切ない思いに囚われる、そんな作品でした。 -
人間はかくも矛盾した存在…でも、愛おしい。
描かれているのは、けっこう普通の恋愛だと思うんですよ。
それに読者を夢中にして読ませ切る筆致力。
やっぱり、島本理生さんすごいな。
しかも、この作品書いたとき、まだ大学生だったんだよね。
「けっこう普通の恋愛」という意味では、最新作の「星のように離れて雨のように散った」を彷彿させた。ただ、「ナラタージュ」の方が読ませる勢いがあってひきこまれる。
正直、泉と葉山の間の障害は、こんなことを言うと元も子もないが、そんなに大したことはない。
本能の赴くままに、乗り越えてしまえばいいのに…と、焦ったくもどかしく感じながら読んだ。
お互いの思いを思いやって踏み出さない。
でも、最後は…。
その最後もけっこうあっさりとしていて、破滅的に繰り返さない。
島本さんが描くものはやっぱり、観念的というか、きれいなんだよな。
題材がドロドロしたものを描いてもドロドロしない感じ。
あと、登場する男性が、表面的な部分しか描かれていないように思っちゃう。島本さんの作品読むと、実は男の中身ってもっと単純じゃね?と、いつも引っかかっちゃう。
島本さんの小説、嫌いじゃないけど。
というか、好きだけど。
ちなみに、「ナラタージュ」とは、「ナレーション」と「モンタージュ」を掛け合わせた言葉であり、ある人物の語りや回想によって過去を再現する手法を意味する。
主人公は今を生きているけれど、同時に、過ぎた過去をいつも現在に重ねていて、それをナラタージュというタイトルで表現したとのこと。
まあ…若いってすばらしいな、と。 -
あまりにも私にとっては、「アンダスタンド・メイビー」が、強烈すぎた…そのため、少しためらいながら手に取った作品である。
それでも、主人公の感情が丁寧に表現されていたことに体験的な納得感と臨場感を持てた作品であった。
そして今回も「イノセント」に続き恋愛の物語であったのだが、「イノセント」よりもさらに自分にもあり得る想像できる世界で、自分の高校時代のことを思い出し、重ねることで主人公・工藤泉の気持ちが理解しやすく、感情の微妙な表現、描写がすんなり受け入れることができた。それ故に、読後のインパクトは低く感じた。
自分ではどうすることもできない感情、相手への気持ち、目を閉じて心に問いかける自分自身を思う。受け入れてはいけないとわかっていながらどうすることもできない感情に途方にくれる気持ち。理性では説明ができない感情の波、執念とも言うべく気持ちと、前に進まない苛立ち…『ああ、何となくわかる』と思い切なくなる。恋愛がひとりのものでないと言うことに今更ながら同意する…
本作は、泉の高校時代の教師・葉山貴司と、泉の高校時代の同級生・黒川博文と同じ大学の小野玲二との恋愛の物語り。恩師・葉山先生への泉の思いが大きすぎて、小野君を不安にさせた結果、ふたりの気持ちが離れていってしまう。
忘れようとしても、忘れなければならないと、諦めなければならないと解っていても、思いを断ち切ることができない気持ちの変化があの手、この手で綴られている。
そしてそんな泉の気持ちに甘えているようにしか思えない葉山先生の行動も綴られており、私には終始、理解に苦しみ、葉山先生に対する印象は良くはない。
葉山先生の行動は優しさでなく、単なる身勝手さの現れで、精神的な弱さというより、成長しきれていない、あるいは高校生の限定された社会においてのみ通用する考え方のように見える。
泉が気持ちに応えれないのに、なぜ連絡をとってくるのか?なぜ結婚が続いていたことを伝えないのか?なぜ泉を突き放さないのか?と、延々と疑問が頭に浮かんでくる。
結局は自分の都合のいい、自分優先の考え、行動。そして、それが許されると思っているのだろうかと…と思うと腹さえ立ってくる。
葉山先生なりに考え、泉に接しているように書かれてはいるものの、どこかで駆け引きを感じてしまうのは、私が葉山先生に対する最初の印象がよくないからの先入観が先に立ったからであろうか。あるいは、私が葉山先生のような人間を過去知っているからであろうか。。
本作の中で、泉と付き合い出してからの小野君は少し独特の怖い存在のようになっていたが、それは泉と葉山先生のせいで、小野君がかわいそうとまでは言えないまでも、彼まで巻き込んで追い詰めていることは否めない。
そんなことがわかってきながらも…人は、恋愛をしていくんだなぁとつくづく感じる。
この後、葉山先生とよりを戻す妻を支えていくことができるのだろうか?と、疑問に思う。
恋愛の正解はないので、これはこれで一つの恋愛として納得した。
映画では、ヒロインの泉を有村架純、教師の葉山を松本潤が演じていたのを知り、結構、私のイメージする泉と葉山先生に合っている。
最後にタイトルの「ナラタージュ」について、「ナレーション」と「モンタージュ」を掛け合わせた言葉であり、ある人物の語りや回想によって過去を再現する手法を意味だとのことだが、なぜゆえこのタイトルかは理解ができなかった。 -
何度も読み返している大好きな作品。友達に貸す前に再読。
高校生で初めて読んだ時は、なんて大人っぽい小説!と大学生活に憧れたものだけども、大人になって読んでみたら、情景が浮かぶ映像的な描写と共に、仲間と過ごす青春の日々のきらめき、焦がれるような切羽詰まった恋愛感情が、強いノスタルジーを伴って押し寄せてきた。
主要登場人物みんな(特に葉山先生)、よく考えるとどうなの、という言動をしがちだけど、それぞれが身近に感じられるからこそ、様々なことを考えさせられるのだと思う。
でも男性は考えれば考えるほどみんな身勝手。島本理生さん、根本では男性を憎んでいるのではなかろうか。
雨と共に滲んで薄れていってしまう青春の記憶や人間関係の中に、葉山先生との思い出が、今も甘く膿んで鮮明に残る泉は、辛くも幸せだ。 -
葉山先生、罪な男だ。優しさも強さも弱さも全部中途半端。でもどうしようもなく惹かれてしまう泉の気持ちもわかるなぁ。ダメなにんげんって愛しかったりするもんだ。泉の痛みも葉山先生の痛みも人生振り返った時にはきっと同じくらいだから、素敵な恋だったと思う。まっ、でも嫌いだな葉山先生!
たまには恋愛小説もいいなーと思った。 -
大学二年の春、片思いし続けていた葉山先生から電話がかかってくる。泉はときめくと同時に、卒業前に打ち明けられた先生の過去の秘密を思い出す。
うん、これはザ、青春小説 というジャンルになるのだろうか。
でも島本先生の本は、単なる軽い恋愛小説とはジャンルが異なるような気がする。
恋人が出来ても、ある瞬間にまた同じ場所へ引き戻されてしまう・・・。
ここまでお互いに惹かれ合っているのに・・・
何故かもどかしい。。。
自分の人生に置き換えてみても、何となく似たような経験してきているのか・・・所々に誰かの顔が浮かんだり。。。でも葉山先生と泉のような、そんな恋は無かったかな。。。
切ないだけではない、何か心にぽっかり穴があくというのか・・・そんな物語。 -
久しぶりの恋愛小説。
青春時代を過ごした人には、
その人それぞれのナラタージュがあると思う。
漠然と年上の人に憧れたり、
相手にとって自分だけが特別だと思ったり。
お互い好きなのに離れたり。
若い頃の甘苦い恋愛を思い出しました。 -
なんでかわからないけど、
とにかくこの本はだいすき。
島本理生は”文章を楽しむ“ということに気づかせてくれたひとで、大体すきだけど、最初の出会いだったこの本はやっぱり特別。
静かだけど激しさを持った文章のなかに、核心をついた台詞がいきなり出てきて、これでもかってくらいせつなくなる。
一番共感しちゃうのは小野くんで、彼のことはどうしても嫌いになれない。
自分から電話を切れなくて「そっちから切って」とか
別れる間際に「一瞬でもいいからあの先生より好きだったときがあったか教えてほしい」とか
ほんとに好きなのに、ものすごく苦しそう。
泉も葉山先生も苦しそうだったけど、好きな人と共有できる苦しさはきっと至福の苦しみなのでしょう。
改めて読むと、葉山先生はほんとずるいんだよね。受け入れられないくせに、手放すこともできなくて泉を檻に入れてる。
でも、捕らえられてることも、檻の鍵があいていることもわかっているのに出て行かないのは、ほかでもない泉本人で。
きっと泉にとっては極上の檻なんだ。
ずっと先生と生徒だったし
体の関係も一度しかなかった
キスすら数えるほどで
でも、なぜかわかりあえてしまう
「なにか私にできることはありますか。なんでもします」
「僕が一緒に死んでくれと言ったら」
「一緒に死にます」
何も与えていないのにここまで愛が大きくなってしまうことなんてあるんだろうか。
不思議だけど素敵です。
著者プロフィール
島本理生の作品






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