まなざしの記憶 (角川ソフィア文庫)

著者 : 鷲田清一
制作 : 植田 正治 
  • KADOKAWA/角川学芸出版 (2016年4月23日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784044000837

作品紹介

■「折々のことば」の著者として、なにげない表現や言葉を新鮮な視覚から読み解き、日々人生を考えるヒントを与えてくれている哲学者・鷲田清一。一方、「UEDA-CHO(植田調)」と称されて、その演出写真が再評価されている世界的写真家・植田正治。本書は、その写真の「まなざし」に深く傾倒し、自らの臨床哲学に通底する思考と共振する数々の写真をそれぞれのエッセイに配し、それらが相乗的に交響して新境地を拓いたフォトエッセイ集です。鷲田清一の「やさしい哲学」は、以下のような文章から成っています。

時が翔ぶ。場所が翔ぶ。まなざしを翼にして。

わたしがほんとうに〈わたし〉を意識するのは、他人にまなざされ、言葉を差し向けられること、つまりは他人の意識の宛先としてである。

じぶんの顔はじぶんでは見えない。本質的に顔は関係のなかにあるのであって、けっしてそれだけで自足している存在ではない。

写真はさまざまな距離を置いて、ひとに、物に向かう。写真にはどうしても隔たりというものが要る。だから、砂丘のように遠近をとりにくい空間にひとや物を置くと、いきおい関係が並列されて、すべてのひとと物が等価になる。
それにしても、ここに立ち現れる《リアリズムの抽象力》とでも呼ぶべきものは、いったい何に触れようとしているのだろう。写真は時間を遮断するが、そのことで立ち上がってくる存在感情とはどのようなものなのだろう。

「癒されたい症候群」という流行がある。みんななにかに癒されたいとおもっていることじたいがひとつのシンドロームになっている。……癒すのではなく、癒してほしい。信じるのではなく、信じさせてほしい。愛するのではなく、愛してほしいのでもなくて、愛させてほしい…。受け身のきわみである。

まなざしの記憶 (角川ソフィア文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 分かった気がしない。むずかしい。
    そうだなあと思えば、そうではないように思う。

    「美しい」ということが、女性の属性としてとらえられるとき、男性からの選別効果を発揮する。そのおそろしさを知っているから、ひとはだれかに向かって「美しい」とはなかなか言えないという。

    なるほど。「美しい人」というと、私はまずその人全てを浮かべることが多い。
    その人が自然と現れ、その自然に少し光が差しているような人。
    でも、「美しい顔」というと、美術的精緻があるように思う。それは、予め決められた美しさに、寸分違わない造りをしているかどうか、だろう。

    それでも、私たちはその美術的精緻を追い続けている。化粧なんてしなくとも、と言われても、それが私の何かを整える行為なのだと思う。
    だから、男性に選別されるためと言われると、そうであるような、そうでないような心地になる。

    皮膚、身体接触、生きること、食事。

    後半に多くなるのがホスピタリティーというキーワードだ。

    聴くこと、待つこと、支え合うこと。

    人が最後に一人では生きていけなくなることの、その生き方を見つめている。
    考えさせられる。
    そうした関係を築きやすい社会ではない。
    だから、仕事としてのホスピタリティーばかりが栄えていて、そこに心があることに、お互いが気付けず悲惨な結果が起こることもある。

    でも、だからって誰もが負け試合を経たスポーツマンにならなくても良いと思う。
    医者は、教員は、待つことにも意味のある職業だ。
    ここには、少し躓いた。

    生きることが、どうなっていくか。
    その初めと終わりを考える人は、誰なのだろうと思う。

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