わかる仏教史 (角川ソフィア文庫)

Kindle版

β運用中です。
もし違うアイテムのリンクの場合はヘルプセンターへお問い合わせください

  • KADOKAWA (2017年4月25日発売)
3.70
  • (6)
  • (5)
  • (7)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 141
感想 : 13
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784044001810

作品紹介・あらすじ

上座部か大乗か、出家か在家か、
実在論か唯名論か、顕教か密教か――。
ひとくちに仏教といっても、その内実はさまざま。
国と時代を超えて広められた仏の教えは
いかに枝分かれし、豊かな思想の森をつくりあげたのか。
インドに花開いたブッダの思想が中国において整理され、
やがて日本に根づくまでをインド哲学の第一人者が徹底解説。
空海、法然、親鸞ら国内の名僧も簡潔に位置づけ、
流れがわかって疑問が解ける仏教入門の決定版!

みんなの感想まとめ

多様な視点から仏教の発展を探求する本作は、仏教の生まれた背景やその後の展開を明快に描き出しています。インドでの始まりから南アジア、中国、日本への広がりまで、仏教の歴史を外観できる内容が特徴です。専門家...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 社会階層や国家の在り方、ヒンドゥー教やギリシャ思想との交流から仏教の発展が描かれている部分は、仏教の専門家が書いたものとは異なる明解さがあり「わかる」ものになっている。
    単行本から10年以上経って、文庫においての改稿もなされているのに、日蓮が殺されそうになった土地が、龍ノ口でなく滝の口となっているのはなぜなのか。(ほかのレビューを見ると親鸞についても疑問が呈されていた)。「わかる本」あるあるなのかもしれないが、日本についての記述は注意が必要かもしれない。

  • これは確かに仏教史がわかる。仏教が生まれる背景から仏教が生まれインドで発展する過程。そこから南アジア、中国、日本などに広まり、今に至るまでの流れを外観できる。仏教の各宗派のエッセンスも詰まっているので、そもそも仏教とは何かという理解のベースにもなる。

  • 著者はアニミストであるらしい。

    参考
    "人間中心主義とは?環境哲学の基礎をていねいに読み解く | NATURES. | 自然体験・キャンプ・ワーケーション・SDGs・離島企画" - https://natures.natureservice.jp/2025/11/01/23115/

    死ねばみなそろって人類最初の死者であるヤマ(閻魔)が統治する楽園におもむくことができる。
    永遠の楽園生活をなにがなんでもエンジョイしたいという欲望が、失楽園の恐怖を生み出します。
    生きたいという抑えがたい衝動、かりたてる欲望をほろぼし、失楽園を回避すること。それを目指すことが出家に当たります。
    (『リヴァイアサン』でいうところの、自然法により課された義務が、この欲望を指す。そのために恐れを抱きやすく、攻撃的にもなりやすいという「本性」をもち、処罰の恐怖を必要とする。)
    ゴータマ・ブッダは、出家したのちに、因果関係検証法である此縁性(しえんしょう)を見いだしました。19世紀半ばの西洋で蓋然性という名称で因果関係検証法を打ち立てたのはJ・S・ミルです。この方法は、内科医の診察法を元にしているといわれています。まず四苦八苦のなかから、患者の症状を割り出し、そして症状と原因の因果関係をお互いによく理解すること。そして処方箋が八正道になります。
    ゴータマ・ブッダがこの論理力で導き出した教え(四聖諦)を、人びとに説いたときよりさかのぼること100年前に、哲人ヤージュニャヴァルキヤは認識論哲学を打ち立て、活動していました。それによれば、自己(・アートマン・魂)はただ1つの認識主体であり、認識主体であるがゆえに認識対象にはなりえません。認識することのできる、自己でないすべてのもの対して、我執(煩悩)が生じてしまうのです。
    自己とは、自覚、行為の主体であり、行為の結果の享受者であり、輪廻する主体です。  
    しかしブッダ入滅後100年ほど後には、ギリシャ哲学の文化が流入してきました。そして自我が存在しないという形而上学的な無我説が流行します。それにともない因果応報となる理由を新たに成り立たせる必要が生じました。いくつかの宗派がそれぞれに、対案を練り、刹那滅の心の相続というものにたどり着きます。つまり、心は、生じてからわずか一刹那で消滅し、その直後に、潜在的ななにものかか(種子しゅうじ)に変化(転変てんぺん)します。少しちがうほとんど同じような心が生じ、植えつけられる(現成げんじょう)、ということを繰り返すのだとされました。

    数百年のち、伝承により脚色され続けたゴータマ・ブッダはいつしか、菩薩ぼさつと呼ばれるようになっています。菩薩とは、菩提を目指す者という意味だと解釈されます。菩薩は、みずから「違うことのない真実のことば」をつむぎ、そのことばの力によって菩提となり、新たな国土を得たといわれました。また、弥勒信仰とは、信者は今生で死んだあと兜率天とそつてんという所で、修行している菩薩の弟子である弥勒と出会い、共に地上へ戻ったあと解脱を遂げることを願う、というものです。これらはヒンドゥー教とその前身であるバラモン教が重視した救済信仰に影響を受けていると思われます。この流れは止めどなく、遥か遠い過去、紀元前5世紀なかば頃に実在していたブッダという存在から離れ、菩薩という存在を信仰するために新たな仏教は大乗仏教と名乗りました。これまでのような組織的集団生活や口伝よりも、大乗経典を記した写本をしっかり所持し、書写し、読み上げ、教えを布教することが重視されます。

    6、7世紀以降のインドでは、ヒンドゥー教が大勢を成し、大乗仏教と昔ながらの部派仏教は融合し、一つの密教となっていました。(ゴータマ・ブッダの教えは顕教と呼ばれるようになっています。)金剛乗とも呼ばれる密教は、大日如来(毘盧遮那仏・金剛界如来)を師と仰いだ者だけが、教えを賜るというものです。呪術的な儀礼から成り立っています。

    日本
    奈良時代の737年、聖武天皇は、全国の国府すべてに隣接して、釈迦三尊像を安置し、写経するための場所を設置することを命じました。そのため、全国に国分寺が建立し、中央にはそれらを統括する総国分寺として東大寺が建立します。
    出家を政治から一定距離遠ざけるための政治改革として、794年桓武天皇は都を京に遷(うつ)しました。平城京ができたときは、旧都であった飛鳥地方から、有力な寺院が移転してきましたが平安京の場合は、鎮護国家のために東寺と西寺を建立した以外、洛中に寺院をすることもいっさい認めませんでした。
    天台宗の開祖、最澄は近江の生まれで、14歳のときに得度しました。20歳をすぎてからは比叡山の山上で、山林修行に励む生活をしていました。朝廷の許可を得て39歳に唐へ渡り、密教を学び、帰国します。
    真言宗の開祖、空海は讃岐の国に生まれました。上京後、官立の大学で学び、官吏を目指していましたが仏教に魅せられます。得度の後、唐へ渡り、密教のすべてを学びました。帰国すると東大寺のなかに真言宗を設立し、東寺を賜り、高野山を切り開きました。
    栄西ようさい(1141-1215)は、27歳のとき密教を、47歳のとき臨済宗黄龍派の禅のすべてを5年間かけて学んで帰国しました。これとは別に、臨済宗の楊岐派は、大応国師や大燈国師という人が宋で学び伝えたものです。道元(1200-1253)は24歳で宋へ渡り、曹洞宗の禅を学び伝えました。

    鎌倉時代
    法然(ほうねん)は、政争と権力闘争に忙しい比叡山から逃げ出していました。独自に浄土宗を開いたことにより、比叡山と朝廷から弾圧を受け、流罪となってしまいました。
    親鸞(1173-1262)は法然の弟子として、越後へ流罪となるものの「絶対他力」という独自の世界観を構築し、浄土真宗を興しています。親鸞の「絶対他力」という考えは、悪性な者はすでに阿弥陀仏によって救われ終わっているのだから、あるがままに尽きるという教えでした。これは、どんな悪事を行っても極楽往生のさまたげにはならないと解釈される(「造悪無礙論」)などして流布しました。
    一遍(1239-1289)は、わが国には珍しく、「一所不在」「乞食遊行」を守り通しました。伊予の国(愛媛県)に生まれ、浄土宗を学び、時宗を開きました。名号そのもの(ことば)の力があるとして念仏を強く勧める活動をしていたといわれます。
    日蓮(1222-1282)は安房の国(千葉県)に生まれ、地元にある清水寺で得度しました。法華経こそが絶対だという信念のもと、たびたび他の宗派を烈しく非難し、地頭や朝廷から流罪を下されます。

    親鸞の遺骨を納めた廟は、本願寺として奉られていました。しかし大衆の支持を得ていた真宗は比叡山の反発を買い、破壊されてしまいます。名代を務めていた蓮如は門徒たちへの手紙(消息)を教化とし、23年かけて本願寺の再建をなしました。
    真宗は別に一向宗(ひたむきな人々)とも呼ばれます。政治権力に対する反発感情は一向一揆という形であらわれました。特に加賀の国(石川県)では、加賀一国を収めるにいたります。戦国時代には織田信長を敵に回し、各地で一揆を起こしますが、ついに敗れました。

  • なかなか難解だが、各宗教の成り立ちや変遷、時代の中での仏教の立ち位置などを学び、今一度仏教とは日本の国家運営において関わりが大きいものだったと感じた!

  • 用語が難しくて覚えられない…日本仏教だけ、聞き覚えあるものが多くてわかった。天才空海に比べて最澄が、秀才なのに苦労してて人間味があるなぁとか。聖徳太子の唯仏是心、世間虚仮、っていうのが、ニヒリズムといえばそうかもしれないけどいかにも頭良い人な感じする。鎌倉仏教の日蓮とかに至っては、強すぎて周りも持て余したんじゃないかなとか、そんな人間としてのその人を想像してしまう。全く本筋じゃないけど。

  • 仏教誕生から各地への分布までについて網羅した入門書。

  • 配置場所:摂枚文庫本
    請求記号:182||M
    資料ID:95170710

  • 17/06/12。

全9件中 1 - 9件を表示

この本が好きな人におすすめの本

著者プロフィール

宮元 啓一(みやもと・けいいち):1948年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。文学博士。現在、國學院大學名誉教授。専攻、インド哲学・仏教学。主な著訳書に『仏教誕生』、『インド哲学の教室』、『わかる仏教史』、『新訳 ミリンダ王の問い』、『インド哲学教室①インドの死生哲学』、『インド哲学教室②インドの唯名論・実在論哲学』などがある。

「2025年 『インド哲学 七つの難問』 で使われていた紹介文から引用しています。」

宮元啓一の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×