千夜千冊エディション 本から本へ (角川ソフィア文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784044003524

作品紹介・あらすじ

知の巨人、松岡正剛の本の読み方がわかる。読書は交際であり、格闘技である!
第一章  世界読書の快楽
道元『正法眼蔵』
ブレーズ・パスカル『パンセ』
滝沢馬琴『南総里見八犬伝』
オノレ・ド・バルザック『セラフィタ』
エドガー・アラン・ポオ『ポオ全集』

第二章 書架の森
リュシアン・フェーヴル&アンリ『書物の出現』
デレク・フラワー『知識の灯台』
フランセス・イエイツ『世界劇場』
メアリー・カラザース『記憶術と書物』
ジョナサン・グリーン『辞書の世界史』
ヴィンフリート・レーシュブルク『ヨーロッパの歴史的図書館』
アルベルト・マングェル『読書の歴史』
小川道明『棚の思想』

第三章 読み方指南
ウォルター・オング『声の文化と文字の文化』
川島隆太・安達忠夫『脳と音読』
前田勉『江戸の読書会』
上田利男『夜学』
周興嗣『千字文』
前田愛『近代読者の成立』
ゴットフリート・ロスト『司書』
マイケル・ディルダ『本から引き出された本』

第四章 ビブリオゲーム
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『伝奇集』
ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』
アンドルー・ラング『書斎』

感想・レビュー・書評

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  • 全国で千夜千冊エディション20冊突破記念フェア開催 | セイゴオちゃんねる(2021.5.20)
    https://seigowchannel-neo.com/event/3810

    いよいよ知祭り!千夜千冊エディションフェア開催 10shot | 遊刊エディスト:EDITREALなニューメディア(2021/5/22)
    https://edist.isis.ne.jp/list/edition_fair_10shot/

    千夜千冊エディション 本から本へ 松岡 正剛:文庫 | KADOKAWA
    https://www.kadokawa.co.jp/product/321710000142/

  • ネットで公開されている「千夜千冊」はパラパラと見ていた。ただスマフォやタブレットだと長い文章を読めない私は、本屋でそれを再編集したらしい文庫本を発見して狂喜した。

    第一巻の本書は、稀代の本読み正剛さんの本への向き合い方が、26冊の本を通して記されている。
    渋そうな本、難しそうな本が並んでいるが、私も親しくそれらの本と「交際」したい。少々出来の悪い小生は先方から「交際」を断られそうな気もするが・・笑
    考えようによっては積読状態になっている我が家の本も、それなりに縁があって我が家に来ているのだろうから、出来ればどの本も全部読みたい。

    中々読み応えのある、千夜千冊の第一巻であった。けっこう難解で分からない部分も多かったが、読書筋、読書脳を鍛えて多くの本と「交際」したい。まずは「正法眼蔵」あたりに挑戦しようかな。

  • 博覧強記とはこの人のこと。
    読書の面白さを人に語っていた際に、勧められたのが松岡正剛という人。

    そして、その日の読書にたまたまその人の名前がまた出てきた。
    これは面白いと思い、多読術を読了。

    その後、本屋で見つけたのがこの本と、佐藤優氏との対談本。
    両冊とも購入し、読了し終える前に、目の前に知らない世界が膨大に拡がる感覚に陥った。

    興味のあるものから片っ端に調べて、取り寄せて、そうこうする間に読みたい本が膨れ上がり、この本を読み終えるのに相当期間がかかってしまった。

    本と本のつながりの中に、知と知のつながりを感じる。

    読み始めてから読み終えるまでの間に、
    毎日古典ブログをネットにあげるようになり、
    「読む」と「書く」とを頻繁に往復することで、本は書くことも含めて読むものであるという氏の言うことが、よく理解できるようになりすごく楽しい。

    究めても究めても究め尽くせないであろう
    最高の遊びである「読書」。

    とんだ道楽と縁してしまったなと
    改めて思う。

  • 千夜千冊の中の、本や読書術に関する内容に特化した、編集版。
    松岡正剛という人の造詣の深さには、改めて感嘆のほかないが、電子辞書を引きながら、内容を理解していく楽しみがあった。
    紹介されている本はいくつか読んでみたい。

  • <目次>
    第1章  世界読書の快楽
    第2章  書架の森
    第3章  読み方指南
    第4章  ビブリオゲーム

    <内容>
    「千夜千冊エディション」の第1巻目。本屋で目に付くたびに拾い集めているので、これが第1集とは知らずに読んだ。なるほど、”本読み”の松岡さんにとって、第1集にふさわしい内容だった。読書の楽しみ読み方、必要性、読書の(本の)歴史、現在の本業界(作家、出版社、流通、本屋、図書館)への批判。私はここまで本を深く読めていない(愛してい入るけど)ので、ついていくのが精いっぱいだったが、「デザイン知」(第2集でこっちを先に読んだ)よりはついていけた気がする。そして、紹介されたいくつかの本を読んでみたいと思った。

  • 本の本

  • 面白かった。もちろん難しかったが。けれどそんな馬鹿みたいな感想でも、正剛先生はおそらく読書好きでさえあれば見下したりはしないであろう。それくらい気持ちのいい読書贔屓であり、本を愛することにかけては偏執狂と引けをとらぬビブリオマニアだと思う。日本が誇る世界的な「本豪」といえる。(ちなみに「本豪」=剣豪の本バージョンという単語は正剛先生の『多読術』で知った造語)これだけ本を読むという、自分もしているしやってきたと少なからず自負している行為なのに、もう競技が違うと言わざるを得ない経験をする事はどういうことか、圧倒的な知識不足、読書量不足を突き付けられる毎回である。前提としているものが違う。これがプロの洗礼というやつなのか。だとしたら嬉しい。本とはこれからもじっくり付き合っていきたい。あと残りの人生がどれくらいあるか分からないが、その人生をかける価値が読書や本、読むことにはきっとあると思うから。その結果人間がどうなるか己の人生をかけた壮大な実験をやろうと思う。本にはきっとその価値があるから(2回目)

  • 最初は難しい…と思って読み始めたけれど、中盤以降は思いのほかグイグイと読めた。次も行こう!

  • 本好きの多くにとって師匠のような存在である松岡正剛氏のライフワークともいえる(本人は「ささやかな千日回峰」といっている)「千夜千冊」が、ついに文庫本になった!(2006年に1,144冊分がハードカバー大型本/全7巻+特別巻で出版されているが、一介の本好きには金銭的にも空間的にも購入は難しい)
    私は文庫本の出版を知ったとき、歓喜する一方で「これは悩ましい。。。」と思ったのだが、それは、「この千夜千冊エディションが今後次々とでてきたときに買い続けることは可能なのだろうか。。。」と感じたからだ。ネットで公開されているのは既に1,700夜に迫ろうとしており、仮に全夜を本にすると、本書同様に1冊に26夜分を載せたとして、60冊でも足りない。この不安は今のところ解消されていないが、記念すべき1冊目を買わずにはおれず、差し当たり問題は先送りすることにした。
    私もネットの「千夜千冊」は数えきれないほどアクセスしてきたものの、一介の本好き程度に「「千夜千冊」とは」を語ることは到底できない。松岡氏は本書の中で、「ぼくはそういう本たちとのべつ交際しながら、人生大半の時間を費やしてきた。そして56歳のとき、その体験の一部を互いに連鎖する感想録のように綴って「千夜千冊」としてウェブに公開することにした。書評ではない。その本との「めぐりあい」の事情と「印象」と「言わずもがな」を綴った。」、「ほくは「千夜千冊」を書き手と読み手の結託を示すために綴ってきた。書評ではない。批評もめったにしない。」と語っている。
    そして、本巻は、シリーズ1冊目に相応しく、松岡氏曰く「第一には、ぼくが本に接するたびに試みてきた「読み」の手法がわかるような千夜を選んだ」、「第二に、そもそも本はどのように編まれて著されてきたのか、どう読まれてきたのか、そのプロフェッショナルな「しくみ」に言及した千夜を並べた」、「第三に、本というもの、・・・いまやその多くが電子化されて、ネットの中にも生息するようになってきた。それなら、本の読み方や本との交際の仕方は変わるべきなのかといえば、いやいや、そんなことはない、もっとラディカルになったほうがいいという主張者たちの本を選んでおいた」というものである。
    収められた一夜一夜については、冒頭から、道元『正法眼蔵』、パスカル『パンセ』と続き、難解なものも少なくない。が、読み易い一夜から読んでも、随所に散りばめられている松岡氏の本読術や読書思想に触れることはできるように思う。
    例えば、
    『記憶術と書物』(メアリー・カラザース)・・・「古代ギリシアでも、ある哲人に多くのことがしっかり記憶されているときは、しばしば「世界がアタマのなかに書きこまれている」と言っていた。・・・中世、書物はそのように「頭のなかの絵を見ること」のために作成されていた。そこでは、記憶は実践そのものなのである。執筆は読書であり、読書は記憶であり、記憶は執筆なのである。」
    『棚の思想』(小川道明)・・・「本屋に入ってついつい本をすぐに手にとりたくなるのだが、これをなんとか我慢する。・・・本のばあいもそれを選び並べている「棚」の思想を見ることになる。・・・こうした棚組みを前後左右に存分にたのしみ、自分なりの「見方」を確立する。このとき著者のほうの思想に負けてはいけない。本はそれ自体がモードやフードなのだから、自分がほしい(自分の関心と好奇心にふさわしい)モードとフードの思想のほうを感じることになのである。」
    『本は死なない』(ジェイソン・マーコスキー)・・・「もともと本を読むという行為は、さまざまなアフォーダンスを出入りさせる身体的な行為として発達してきた。目も手も使うし、体の姿勢も関係ある。車中の読書や寝転び読書は、まさに体ごとのエクササイズなのだ。」
    まさに「千夜千冊」の入り口として相応しい一冊目といえるのではないだろうか。
    (2018年10月了)

  • 私が本当の読書家になれない理由は、文学と古典を読まないからです。

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著者プロフィール

一九四四年、京都府生まれ。編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。一九七〇年代、工作舎を設立し『遊』を創刊。一九八〇年代、人間の思想や創造性に関わる総合的な方法論として″編集工学〟を提唱し、現在まで、日本・経済・物語文化、自然・生命科学、宇宙物理、デザイン、意匠図像、文字世界等の研究を深め、その成果をプロジェクトの監修や総合演出、企画構成、メディアプロデュース等で展開。二〇〇〇年、ブックアーカイブ「千夜千冊」の執筆をスタート、古今東西の知を紹介する。同時に、編集工学をカリキュラム化した「イシス編集学校」を創設。二〇〇九~一二年、丸善店内にショップ・イン・ショップ「松丸本舗」をプロデュース、読者体験の可能性を広げる″ブックウエア構想〟を実践する。近著に『松丸本舗主義』『連塾方法日本1~3』『意身伝心』。

「2016年 『アートエリアB1 5周年記念記録集 上方遊歩46景』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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