千夜千冊エディション 芸と道 (角川ソフィア文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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本棚登録 : 58
レビュー : 5
  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784044003593

作品紹介・あらすじ

日本の芸事は琵琶法師や世阿弥や説経節から始まった。そこから踊りも役者も落語も浪曲も派生した。それぞれの道を極めた芸道名人たちの「間」が却来する1冊。

感想・レビュー・書評

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  •  一番、松岡正剛がノッている本だと思う。
     以下、ただ単に抜粋する。

    「花」その人に備わっている見えない力。
    「物学」ものまねと呼ぶ。鬼にも老人にもなる。
    「幽玄」俊成や定家の歌に発した無心・有心・幽玄をもとに、優雅で品のある風姿のこと。
    「嵩」と「長」嵩は重みであり、長は生きているうちにあらわれるもの。
    「秘する」「家」を伝えるものである

    『劇的なるものをめぐって』、観世寿夫

    【「離見の見」はたんに自分を離れることではなく、「他社のまなざしを、わがものとする」ということであり、さらには「わが心を、われにも隠す」ということなのだ。】(P.49)

    【もともとワキとは「脇」であって「分」のことをいう。何事かの本質や正体を観客に分からせるために脇にいる。ワキとは「何かのそば」にいる者だ。
     一方、シテとは「仕手」や「為手」と綴るのだが、たんなる主人公ではない。その正体は「残念の者」なのである。なんらかの理由や経緯で、この世に思いを残してしまった者だ。そのためいまなお異界や霊界をさまよっている。あるいはこの世とあの世の「あいだ」をさまよっている。この世は此岸、あの世は彼岸だ。このことをあらわすために、シテは三の松・二の松・一の松が植えられた橋掛かり(橋懸り)を、鏡の間(あの世=there)からゆっくりと、舞台(この世=here)に向かってすべるように登場する。橋掛かりはトランジット・ブリッジなのである。
     このワキとシテの両者の立場からすると、ワキとは、シテの残念や無念を晴らすための存在だったということになる。「晴らす」とは「祓う」ということでもあって、ワキはシテの思いを祓っている。無念な思いを祓うとは、いいかえれば、思いを遂げさせるということでもあろう。】(P.64)
    ワキは自分が無力だということを弁えているからこそ、異様な状況と出会ったときに格別の能力が発揮できる。
    失敗したり、過信したりして、「何かを負った」者たちに対して、新たな姿勢がありうることを謡ったのが、多くの能の名曲なのである。何かを負ったものの、その負いは、世間も当事者にとってもなおつらい。全員触れたくない。ワキはそこに鍵穴をふと差す者になる。そのためにワキがいる。
    【日本の芸能者はなんらかの物語の刻印を継承するところに始まっている。技能はあとからついてきた。それというのも物語の語り手になるということは、いくつもの人格や霊格を引き受けるということだったからである。
     そのように人格や霊格を帯びた物語の語り手を引き受けることになるのは、語り部が見分した出来事にスティグマを受けた者がいたか、自身が非人やハンセン病者のスティグマを背負ったということが大きくはたらいた。そのため物語を語る者はしだいに「複数の傷をもったものたちの物語」を語れるようになっていく。
     能のシテに「残念の者」が選ばれたのも、説教節にハンセン病者が語られるのも、平家語りが一族全滅という途方もない「負」を語ろうとしたのも、物語そのものが複数の傷によって織られうるものであったからだった。】(P.108)

    【知覚論はあっても目の寄りや耳の伏せがない】(P.140)

    プロの太鼓持ちは、自分のヨロイを脱ぎ、相手のヨロイも脱がす。同じ格好にしてしまう。

    信用を残してその場を去る。それ以外は付かず離れず。

    「あんな、人間の弱さが芸だっせ」

  • 時姫へ玉男あやつる世阿弥抄

    第1章 世阿弥に始まる
    第2章 芸能と音曲
    第3章 芸道談義
    第4章 寄席や役者や

  • <目次>
    第1章   世阿弥に始まる
    第2章   芸能と音曲
    第3章   芸道談義
    第4章   寄席や役者や

    <内容>
    自分は芸能とは縁がないが、能・歌舞伎・文楽・三味線・落語・芝居、どれも奥深い…。いくつかは読んでみたい。

  • いつものシリーズなのであるが、特に今回は自分にとって敷居が高いというかなかなか難しいものだった。理由は明快で今まで和の芸に親しむことが少なかったということ。最後の方の役者の部分がかろうじて理解できたのが精一杯だった。これをきっかけに和の芸に関心をひろげようと思う。

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著者プロフィール

編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。80年代に情報文化と情報技術をつなぐ方法論を体系化し「編集工学」を確立し様々なプロジェクトに応用。2000年「千夜千冊」の連載を開始。同年、eラーニングの先駆けともなる「イシス編集学校」を創立。近年はBOOKWAREという考えのもと膨大な知識情報を相互編集する知の実験的空間を手掛ける。また日本文化研究の第一人者として「日本という方法」を提唱し独自の日本論を展開。著書に『知の編集工学』『擬』『世界と日本の見方』『国家と「私」の行方』ほか。

「2021年 『千夜千冊エディション 資本主義問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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