縄文人の死生観 (角川ソフィア文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784044004088

作品紹介・あらすじ

土器に納められた生後間もない赤ちゃんの遺体。妊娠線が刻まれた臨月の女性土偶。抱きあって合葬された親子の墓。顔にイヌを乗せて埋葬された女性――。縄文の墓や遺物は、精一杯の生を送り、ときに病魔や死の恐怖と闘った何千年も昔の人びとの姿を雄弁に物語る。そしてその背後に広がる、自然や母胎への回帰、再生をめぐる死生観とは? スピリチュアルブームや散骨葬など、現代日本人の死のあり方をも照らし返す、墓の考古学。

*『生と死の考古学 縄文時代の死生観』を改題し文庫化したものです。


【目次】

 まえがき──墓を研究するということ
 プロローグ──発掘調査の現場から
第一章 縄文時代の墓とその分析
第二章 土中から現れた人生──ある女性の一生
第三章 病魔との戦い──縄文時代の医療
第四章 縄文時代の子供たち──死から生を考える
第五章 縄文の思想──原始の死生観
 エピローグ
 文庫版あとがき

感想・レビュー・書評

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  • 縄文人の骨と、その埋葬状況から、当時の死生観を探る。一度埋めた遺体を掘り返して別の場所に埋葬しなおしたり、まじないを施していたり。合葬されていたり、そこに宗教施設が建てられたと推測できたり。文字に残らない縄文時代に日本列島で生活していた、ご先祖さんたちの物語が浮かび上がってきて、非常に興味深かった。固めな本かと思いきや、わりとスイスイ読めた。

  • ・死んだ後で自然に回帰し、また再生する生命の循環思想、再生観念
    ・自らがどのような先祖と繋がっているのか意識する出自系譜の認識、先祖崇拝
    縄文後期になると次第に後者の思想が顕著になってくるらしい。
    勉強になった。

  • 著者が講演を行うと必ず聞かれるといわれる、祟られますか?という質問。非常に興味深いと思った。日本人は宗教は熱心に信仰していないが、幽霊とか祟りの存在は信じるのか。なんだか不思議。
    ともあれ、縄文時代のお墓の説明が主なトピックだった。ミトコンドリアDNAというのはForensic Science 系の番組でよく出てくるので知っていたが、これを使用して埋葬されていた死者達の関係性を紐解いていくというのは目からうろこでびっくりした。
    たった小さな事実から解き明かされる文化や時代背景、ヒエラルキー構造を知れるというのは楽しいしワクワクする。この時代の人々が、どれだけ宗教や病気が彼らの生活を支配していたか、どれだけ死が彼らにとって身近だったかがよくわかる。もっと予算があれば、沢山のリサーチができていろんなことが解明されるかもしれないとわかるともったいない気がする。

  • 死んだら自然に帰り、存在が消えることはないといった死生観は人類の歴史の中で長いこと主流だった。それを思うと、生まれ変わりを信じている人が多いという話も自然なことなのかなと思えた。
    話の主軸ではないけれど、定住化が進んだ縄文時代に、再生観念と祖霊信仰のバランスが変わってきたとか、社会の仕組みとともに信仰が変わることに気づかされた点もおもしろかった。

  • 特に縄文時代の墓制と人骨を研究している人類学者並びに考古学者。専門用語も多いので苦手な人はいるかもしれないが、章の最後の段落にきちんとまとめを置いているので、結論だけを知りたい人はそこを読むだけでも、だいたいは知ることができる。

    考古学者は事実だけを述べて、なかなかその先の仮説を言わないものだけど、この方は普通の考古学者と一線を画しているのか、きちんと述べているので、嬉しい。1ー4章までは、その根拠もほぼ科学的であり、わたしは大いに好感を持ったのだが、最終章は少し勇み足のような気がしている。この文庫本の題名ともなった「縄文の思想ー原始の死生観」を述べたところである。

    曰く。
    縄文時代の人々が考えた「あの世」は、仏教やキリスト教で考える「あの世」とはかなり違うものであったようだ。生命の循環を信じ、アニミズムの思想を持つ縄文時代の人々にとって「あの世」とは、系譜関係を意識したとしても、まさしく自然の中に還るということにほかならなかっただろう。生きている今は人として生きているが、死んだら自然の一部となり、そしていつか「この世」へと再生してくる。さきにも述べたように、これこそが縄文時代の基層的な死生観であったと、私は考えている。(150p)

    この仮説に、物的証拠は基本的に述べられてはいない。土偶や石棒の説明があるけれども、それが何故アニミズムの根拠になり、なおかつ、生命の循環思想の根拠なのかは説明できていない。

    もっとも、人は死んだならば「祖先の霊になって」「山に還ってゆく」という説は、縄文時代まで辿る必要はない。100年前の日本がまだそうだったと、柳田国男が証明している。そうではなくて、「死んだら自然の一部となり、そしていつか「この世」へと再生してくる」というのならば、自然の何になるのか?再生してくるのは何者としてくるのか?再生してくる赤ちゃんの起源は祖先なのか?それよりも他の世界からなのか?きちんとした説明がない。勇み足という所以である。ただ、心情的にはだいたいこの通りだったという気がしないでもない。

    以下、ほぼ同意出来て参考になった部分。
    ・縄文時代後期には、既に祖霊観念が成立していて、祖霊崇拝が行われていた。多数合葬・複数例により、新たに生まれた集団の紐帯をまとめる必要があった。
    ・前浜貝塚の女性人骨によりわかること。彼女は3000年ほど前の縄文時代に東北地方で生まれ育ち、15歳の頃に成人式を迎え、直ぐ結婚、月日をおかず懐妊、妊娠10ヶ月に入った頃に出産、しかし彼女は死亡、赤ちゃんも直ぐに死亡。享年17歳。母子ともに近接した墓に埋葬。家族は彼女の再生を願い、血液のメタファーである赤色顔料を遺体にまき、そして妊産婦の死亡という異常事態に呪術的に対応するためにオスのイヌを殉死させ顔の上に乗せた。そして、土坑に近接して赤ちゃんを、これまた再生を願って土器に入れて埋葬した。←もっとも、この「再生を願って」の部分が正しいのならば、生命の循環は、「本人」が戻るということになるのだが。
    ・宮野貝塚人骨から。彼女は30代半ばでガンにおかされた。転移もあった。治療の一環として、イノシシ歯牙製の首飾がかけられた。
    ・出産時、死産ならば土坑墓、生きて生まれて直ぐに死ぬと土器棺墓。

    2018年7月読了

  • 縄文時代の土壙や人骨の調査方法から、仮説を踏まえた死生観まで。調査パートは無味な土壙名、いろいろな学説がとっ散らかって、けっこう難読だった。翻って仮説パートは簡潔で読みやすい。死生観を要約すると、生まれてすぐに亡くなった子供は母体回帰を意味する壺に入れて埋葬されており、縄文時代には生命は循環するという考え方があった。家の中での埋葬もあり、死は身近なものであった、という感じ。
    死人に口なしとは言ったもので、この説も仮説の域を出ない。現代人が考えた説だけあって、そんな考え方もあるのか!と驚くようなことは特にない。

    以下考えたこと:手話ができるゴリラは、死んだら無しかない、というようなことを言ったそうだ。科学を学んだ現代人としてもその考えが正しいように思う。それなら、縄文からここ最近まで、輪廻転成だとか天国地獄だとか言ってきた歴史は何だったのだろうか。心の底ではなんとなく違うことがわかっていても、集団の心の安定のために、そういう説を流布し続ける存在が必要だったということなのか?

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著者プロフィール

1967年、東京都生まれ。国立歴史民俗博物館教授を経て、東京都立大学人文社会学部教授。専門は先史学。縄文時代の墓制を中心に当時の社会構造・精神文化について研究を行う一方で、考古学と人類学を融合した研究分野の開拓を進めている。著書に『縄文人も恋をする! ?』(ビジネス社、2022)、『縄文時代の歴史』(講談社、2019)、『縄文時代の不思議と謎』(実業之日本社、2019)がある。

「2023年 『土偶を読むを読む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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