自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く (角川ソフィア文庫)

  • KADOKAWA (2020年9月24日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784044006204

作品紹介・あらすじ

【発売直後から話題】
★読売新聞 2020年10月18日「文庫新書欄」掲載
★J-CAST BOOKウォッチ 同10月21日「デイリーBOOKウォッチ」掲載
★朝日新聞 同10月24日「山田航が薦める文庫この新刊!」掲載
★honto ブックツリー 同10月30日「『言語』に興味をもっている人へ」(選:高野秀行氏)掲載
★ダ・ヴィンチニュース 同11月6日書評(文:いのうえゆきひろ氏)掲載
★毎日新聞 同11月7日「今週の本棚」(評:渡邊十絲子氏)掲載
★東京新聞 同11月14日「酒井順子さんの3冊の本棚」掲載
★北海道新聞 同11月14日著者インタビュー掲載
★要約サイト「フライヤー」 同12月16日掲載

「今日の健診でみた自閉症の子も、お母さんバリバリの津軽弁なのに、本人は津軽弁しゃべんないのさ」――津軽地域で乳幼児健診にかかわる妻が語った一言。「じゃあ、ちゃんと調べてやる」。こんなきっかけで始まった「自閉症と方言」研究は10年に及び、関係者を驚かせる結果をもたらすものとなった。方言の社会的機能を「意図」というキーワードで整理するなかで見えてきた、自閉症児のコミュニケーションの特異性に迫る。

【目次】
 発 端   
第1章 自閉症は津軽弁をしゃべんねっきゃ
第2章 北東北調査
第3章 全国調査
第4章 方言とは
第5章 解釈仮説の検証
第6章 方言の社会的機能説
第7章 ASD幼児の方言使用
第8章 ASDの言語的特徴と原因論
第9章 家族の真似とテレビの真似
第10章 ことばと社会的認知の関係
第11章 かず君の場合
第12章 社会的機能仮説再考
第13章 方言を話すASD
第14章 「行きます」 
第15章 コミュニケーションと意図
文庫版あとがきを新規収録

感想・レビュー・書評

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  •  「自閉症の子どもって津軽弁しゃべんねっきゃ」と、妻がなにげなく一言。筆者は弘前大学の教授で、奥さんは臨床心理士。そして、10年にわたる自閉症と方言の研究が始まった。
     学者の調査研究の方法がよくわかる。そして「学者魂」というべきもの垣間見られる。ことばと心の関係が平易に書かれており、非常に読みやすかった。

  •  終盤、方言の話から少し離れて(というかそこからさらに深まって)、「ASDの人に対して“ですます調”で行動指示をする」というシーンを発端に「意図」の話になっていったあたりからが特に面白かった。その部分に関してのみの感想を書き残しておく。

     私の解釈による、ASDと「意図」について本書に書かれていたことのざっくりまとめは以下の通り。

    ・意図とは単なる欲求ではなく、成し遂げたいことに向けてプランを立てて調整しようとする心の働きのこと。人の行為は意図に基づいている(「心の理論」)。
    ・私もあなたも自由意思(意図)を持っている。相手になにかしてほしい行為があるときは、相手の意図に働きかけて意思決定してもらわないといけない。求められた行為をするかしないかは相手が決めること。説明、懇願、恫喝、媚態など戦略は様々。
    ・ASDは、自分が何をしたいという思いはあっても、それが相手の意図への働きかけによって達成されるということへの理解が弱いと思われる。
    ・ASDの方から、自分たちは人に気を遣っているという発言を聞くことがある。またASDの子を持つ保護者が、彼らは人の視線をとても気にしていると観察する声も聞く。だが筆者は、ASDの方たちの相手への気遣いや心の読みは自己完結的であると感じる。相手に尋ねてその理解(意図理解)が正しいか確かめたり(意図参照)、相手の意図変更を試みたり(意図調整)する行為が弱い、またはしていない、というふうに見える。

     私は、特に最後のポチに挙げたような特徴は、ASDと診断されない人でも、心の安心や安全が欠けて勇気や元気が足りなくなって、人とのコミュニケーションに疲れているようなとき、普通に起こり得ることではないかと感じた。
     私は自分がそうなったら、その状態を「調子悪い時期だな」「自分は今コミュニケーション不全に陥ってるな」と捉えると思うが、ASDというものがもし何かしら生来の脳の特性に起因するものなのだとしたら(※本書ではASDの原因には触れられていない)、私の捉え方によるとその人は「常に不調」ということになってしまう。でもそれがその人のありのままの姿だとすると、そのままでは生きづらいと感じさせてしまう社会のほうが、狭量で、バリアフリーでない、と言えるのかもしれない。

  • 著者は教育心理学者。著者の妻は臨床発達心理士として現場で働いている。
    2人は弘前に住む。
    著者は博多生まれだが、妻は津軽生まれ。津軽弁に関しては妻がネイティブである。
    ある日、仕事から帰ってきた妻が、何気なく「自閉症の子どもって津軽弁しゃべんねっきゃ(話さないよねぇ)」という。著者は、「それは津軽弁をしゃべらないのではなく、自閉症児の音声的特徴が方言らしく聞こえないということでは?」と反論する。自閉症の人は一本調子の独特の話し方をするのだ。
    そこで収まるかと思うと、妻は気色ばんで、いや、そういうことではない、と言い返す。
    お互い、専門家同士の意地もあって、思わぬ口論になってしまう。
    一呼吸おいて、著者は考える。
    「じゃあ、ちゃんと調べてやる」
    そこからこの研究が始まる。

    「自閉症児は津軽弁を話さない」は本当なのか。妻によれば、現場では共通認識なのだという。
    著者はまず、周囲への聞き取りから始める。どうやらそういう認識はあるらしい。
    ではアンケートを取ってみる。まずは青森県で。そして秋田県で。
    著者は途中までは、この話を根拠のない噂と捉えていたが、調査を進めていくにつれ、徐々にどうやら本当らしいことが見えてくる。
    しかも、当初著者が考えていたような、自閉症者特有のイントネーションのせいではなく、方言特有の語彙も自閉症者では使われないようだ。
    ではそれは、津軽あるいは北東北のみで見られることなのか。
    調査対象を全国にしてみる。
    方言が特徴的である京都・舞鶴・高知・北九州・大分・鹿児島をピックアップする。そして自閉症(自閉スペクトラム症:ASD)の子ども、知的障害(ID)の子ども、地域の子ども一般で、方言使用に差があるかどうかに関して、特別支援学校の先生を対象にアンケートを取る。子どもの発現を直接調査するのではなく、先生の印象調査としたのは、比較のペア形成が困難であることや、方言であるかどうかを判断する評定者の確保が難しいことなど、いくつか理由がある。地元の先生であれば方言の判別は簡単だし、ある程度の傾向は見えてくるはずだ。
    結果として、全国各地で、IDの子ども・地域の子どもに比較してASDでは方言使用が少ないことが見えてきた。

    この結果を学会発表してみると、反応は大きく2種類だった。
    1つは、美しい興味深い結果だというもの。もう1つは、そんなことは当たり前でわかりきったことだというもの。
    しかし、著者以前にこうした研究を体系的に行ったものはなかった。
    現象がわかっていて、それが「当たり前」で放置しておいてそれでよいものだろうか。

    著者はさらに、歩を進める。
    ASDが方言を使わない傾向があるとして、その原因は何か。
    そこから話は、方言というものの特性、使用されるシチュエーション、そしてASD自体の特徴へと移っていく。
    方言が語られる状況というのは、改まった場よりも、家庭の中や近所の気心の知れた人、つまり、親密さを現す場が多い。一方で、ASDの人は他人の感情を推し量るといったことが苦手だ。相手がどう思っているかを感じ取り、それに合わせて自分の態度を変化させることが不得意なのだ。
    そうなると、あまり感情が入り込まない公の場で話される言葉の方が、なじみやすく模倣もしやすい。テレビやビデオなどで(特に「繰り返し」)提示されるものを吸収する傾向があるのではないか。
    そこから派生して、ではASDでも方言をまったく話さないわけではないがそれはどういうことか、ASDの子ども相手に何かを教示する場合、「~して」や「~しなさい」より「~します」「~です」を使うことが多いがそれはどういうことか、といった話題も盛り込まれる。

    結論としては、どうやら、夫婦喧嘩は妻に軍配が上がったようである。
    「自閉症は津軽弁を話さない」は本当だった。
    だが、そこは著者も専門家、転んでもタダでは起きない。実はこの命題は、当初の印象以上に、ASDへの理解や、方言と標準語の使われ方の違い、ひいては人のコミュニケーションの根底にあるものといった、奥深い洞察へと続くものだったようである。
    心理学の調査・研究というのはこのように組み立てられていくのか、というのも興味深い。

    ちょっと疑問なのは、標準語という概念がないような昔、よその地域との交流も稀だったころ、そしてテレビやビデオなどなかったころでも、ASDの人というのはいたのだろうし、そうした人はどうだったのだろうかという点だ。そしてまた、標準語というのは、元は関東の一地方の「方言」であるわけで、そうした地域ではどうなのかということ。明確ではなくても、何らかの「差」は出るのか。

    この研究はさらに続いていくのだろうし、今後の展開が発表されることがあるのであれば、楽しみにしたい。

  • ネットで流れてきた記事を見て興味を惹かれて読んでみた。
    いや、面白かった。
    なかなか一般の人が知ることのない自閉症の人の言葉に関する研究で専門的な内容なのにとても分かりやすく書かれていて読みやすい。
    乳幼児健診にかかわる臨床発達心理士である妻の「自閉症の子どもって津軽弁しゃべんねっきゃ」という言葉に反論するために調査研究し続けた特別支援教育士スーパーバイザーであり同じ臨床発達心理士である夫の10年の結果報告。
    自閉症児の発達過程、生じる問題を言語を中心に解きほぐしていく。だがしかし、ここに結論はない。あくまで仮定であり、多分今後さまざまな調査比較検討が行われていくのだろう。
    いろんな意味で好奇心を刺激される。ここから言語学とか心理学とかどんどん手を伸ばしていきたくなる。

  • 紹介されていた本、読めて良かった。
    自分にも、ん?と思い当たるふしがあったからだ。

    理論知と経験知の両方が大切なことが分かる。
    現場における気付きが、研究となり理解を進める。

    方言を話すことの社会的役割。
    親しみやすさが起きるから、方言は廃れずにいる。
    また、ASDの人々の言語習得にも関わる。
    いわゆる自然に言語を習得するのではなく、学習言語のように、ある場面において学ぶもの。

    たとえば、聴覚からでは記憶しにくいものは、視覚的に、メディアをツールとして用いて記憶する。

    相手の言葉に合わせて言葉を紡ぐというよりは、シチュエーションに応じた記憶を甦らせ、復唱しているような状態。
    だから、応答にズレが出たり、そこに自身の感情が伴っていないこともある。

    なるほどなーと思いつつ。
    続編もあるようなので、読んでみたい。

  • 「自閉症の子は津軽弁を話さない」という妻の言葉から始まった、自閉スペクトラムと方言についての全国調査と、その結果から確かめられた自閉スペクトラムの子供は定型発達の子に比べて明確に方言を話さない傾向があるという事実に対する考察をまとめたもの。そのような話があるとはまったく知らなかったので驚くとともにとても興味深い話であった。この本にあるようにASDの子の言語獲得にテレビやラジオといった(主に共通語が使用される)メディアの影響があるとするならば、そのようなメディアが存在しない過去においてASDの言葉がどのようなものだったのか気になる。

  • ASDの言語獲得とコミュニケーション獲得について、臨床でのASDの方言利用の実態からアプローチして読み解いた一冊。
    問い「自閉症スペクトラムは津軽弁を話さないのか?」に対して、(インプットは十分でなく、あくまで一つの解釈であると筆者も断ってはいるものの)見事に解を導いていた。
    Non-ASDのコミュニケーションが「意図の読み取り」「行為の提案」→「提案の理解」「相手の提案の背景にある自分の意図の読み取りの理解」という入れ子構造になっていること、「〜します」という言い切りのコミュニケーションに込められたASDの意図や自我に対する捉え方など、社会的側面からも言語的側面からも面白かった。

    ASDのコミュニケーションについて「〜になってしまう」「〜は不可能」「〜が難しい」など、Non-ASDがメインストリームであり、ASDはそれに至っていないという筆者のトーンが多々垣間見えるのが少し心苦しかった。

    新年1冊め。お風呂で読書を続けて5日間で読了。

  • 「私の受け持った子たちの中にも、関西弁を話さない子がいる」(当方、教員。)
    そう思ったのが、この本を手に取ったきっかけである。
    (ある本でこの本が紹介されていたのもある。)

    なぜ、自閉症は津軽弁(方言)を話さないのか、一つの納得できる解が見つかったと思っている。
    あと、事例として、自閉症の子どもがビデオ(アニメ)から言語習得をしているというのは、興味深かった。
    学校にいるあの子が、常に演じるように会話をしているのは、こういうことだったのかと腑に落ちた。

  • 津軽地域で乳幼児検診にかかわる著者の奥さんの「(お母さんはバリバリの津軽弁なのに)自閉症のお子さんは標準語でしか喋らない」」との噂話に「じゃあちゃんと調べてやる」と宣言し、「自閉症と方言」について研究を行う。自閉症と方言は発音の問題(先行研究多数)と断じていたが、その結果は著者を驚かせるのに十分すぎるものだった。

     まず、津軽地域での研究では、自閉症(以下ASD)児は方言を発する頻度が目立ったが、著者はそれを「ASDの発話にみられる独特のアクセントやイントネーションは、方言を多用される社会では方言を使わないという印象として捉えられるのか。それは現場感覚なものだろう。妻の言うことも一理あるかも」と、率直な感想を抱いた。
     だが、著者は「津軽弁(方言)を話さない=自閉症」という誤った図式が定着してしまわないよう、丁寧に研究を進めている。
     津軽(青森県から全にわたって研究を行うのであった。方言について、ASD児が方言を獲得する過程についても丁寧な研究が行われており、当事者や当事者家族のみならず、TD(定型発達)の方々にも一読してほしいと思った。有名な「サリーとアン」の実験も出てきます。心理的または社会的な障害とする論もあり、非常に興味深く拝読させていただいた。


     本書のデータも内容も大変興味深いものだった。噂を噂で終わらせまいとする著者の熱意に痺れる。読むのに少し時間がかかったが、読み応えがあった。続編も出ているとの情報を得たが、直ぐには私のお粗末な脳髄で情報整理ができそうにないため、間を開けて取り組もうと思った。
    難解な専門用語が出てくる(角川ソフィア文庫あるある)けれども、大体気合い(著者の)と文章力(著者の)でなんとかなります!

    私自身、ASDの傾向もあると主治医に口頭で言われたことがある。また詳しく訊いてみようと思った。場合によってはnoteに書きます!

  • 内容としてはとても勉強になり、なるほど〜と思うことも多かった。しかし、重複する文章が多くてちょっと斜め読みしてしまった…

  • なかなかまじめでおもしろい本だった。思い込みの大きさをあらためて思ったり、ASDの人への声かけの残酷さも思った。コミュニケーションの分析もおもしろかった。これだけ一般向けに研究を説明できる力がすごい。

  • 保健師や特別支援教育関係者の間で暗黙の了解として知られていた「自閉症児は方言を話さない」現象。
    これを研究テーマとして全国調査した結果をまとめた本書。
    タイトルに惹かれて読み始めたが、アンケート結果の羅列が続くので読み物としては面白くなかった。

    斜め読みとなってしまったが、ASDは相手の意図を理解する力が弱く、そのコミュニケーションの問題から相手に合わせた言葉遣いをするのが難しい。
    ことばの学習も周囲からではなく、テレビやビデオなどから学習するため結果的に共通語になる傾向にある、ということなのだと思う。間違っていたらすみません。

    全体を振り返って最後に結論をまとめた章がたぶん「おわりに」なのだと思うが、これも筆者が何を言いたいのかがいまいち伝わってこず、ただ実施した調査を時系列で並べたのみという印象を受けた。
    どの調査でどういう結果が出て、こういうことが考えられるということを明記して欲しいなと感じた。

  • 自閉スペクトラム症(ASD)の子が方言を話さないというのは、自身の息子の印象とも合っており興味深く読んだ。

    息子は小1で三語文程度の発語はあるが、本書に書かれているようにビデオや本からその場に応じたセリフを抽出したような話し方をする。
    そのような現象が、ASDが持つ意図理解の困難さに起因するという説が述べられていて、なるほどと思った。
    本書の段階ではまだ仮説の段階のようだが、言語能力障害の原因の検証が進むことを願っている。そして、息子とのコミュニケーションがもっと取れるような日がくればうれしい。

    次は本書の続編の「リターンズ」を読んでみる。

  • 発達障害児に関わる仕事をしているので、興味深く読みました。
    私は首都圏出身で職場も首都圏なので、「自閉症児は方言を使わない」を肌で感じることはありませんが、なぜ方言を使わないのかについてエビデンスを示しながら書かれており、とても勉強になりました。
    ただ、やはり大学の先生の研究結果を書いたものということで内容は難しく読了までにだいぶかかりましたが

  • 論文かってくらい読みづらい
    アスペが方言を話しにくいことのエビデンスが並べられている

  • 途中までワクワクしながら読んだのだが、最終的には隔靴掻痒の感強し。 
    非常に面白かったのは、とりわけ前半の緻密な調査の部分。
    自閉スペクトラム症(ASD)の人達が幼い頃から方言を使わない、という気づきからその現象が全国的に見られるのか、どのような原因が背景にあると考えられるのかを炙り出すため、質問内容やその対象の選び方などがさまざまな角度から考えられており、周到な調査の手法には興味をひかれた。また、ASDの人たちの思考様式を考えることで、自分達の認識方法がより整理される点は面白かった。
    しかし、結局ASDの人たちの実態がよく描かれておらず、しりすぼみな感じが否めなかった。この分析はASDの専門家向けゆえ、ASDに関する記述はこの程度で済むのかもしれないが、一般の素人としては、この現象を切り口に、ASDがどんな症状なのか、その分析はどのような切り口でなされ、療育はどのようになされているのかについて読みたかった。

    個人的な記憶の話。幼い頃I君というASDの人が身近におり、不思議な、そして奇妙な存在として深く記憶に刻まれている。全く個人的な欲望として、あの奇妙さ不思議さがどこからくるのかを私は理解したいのかもしれない。

  • 面白いです。学問的分析と、経験的憶測が織り交ぜてあって、読みやすさと深い考察が共存している。(それによる読みにくさもあるが)。こんだけキャッチ―なタイトルが、謎解きされるまでの流れが丁寧に書かれてて、ガツンとした読み応え。

  • ちょっと難しいところもあったけど、興味深くてスイスイ読めた。自閉症児の言語習得の特性だけでなく、方言の持つ意味などについても考えさせられた。

    自閉症児が言語獲得をしていく過程において、家族の話す言葉よりもテレビやビデオの言葉から学ぶ、ということならば、例えば英語の番組ばかり見せていたら、英語しか喋らない子が出来上がるのだろうか? 恐ろしい。

  • 自分自身、昔から「変わってる」「独特の完成を持っている」と周りから言われ続け、そして27歳になる直前にASDの傾向がもしからした自分にはあるのかもしれない、と思った時にこの本に出会いました。
    津軽弁を話さないASDの子供たちの背景にある、他者の意図を理解することが難しい、という筆者の研究が自分の幼少期にも1部当てはまっていたことを実感しました。
    考えたこととして、自分含めこういった子たちが学校の授業を受けるというのは本当に苦痛でしかないんだろうなというものがあります。紙ベースでの学習については定着しやすい一方、授業者が前で意図をもって講話する形式の日本の授業スタイルは本当に正しいものなのでしょうか。

  • 自閉症の子は津軽弁を喋らない。
    と言う奥さまの意見に、研究者としての立場からそれは違うと言って揉めたので、きちんと研究して結果を突きつけようとしたら、自閉症の子は津軽弁を喋らなかった話。

    と言うか、身の回りの人が日常的に使っている方言を我が身のものにするのが難しいという結論に至って、奥さまが美味しくお酒を飲む結果になった。

    自閉スペクトラム症が他人をどう認識して、言葉をどう内面化していくか、そもそも会話とは何か、コミュニケーションとは何かを明らか?にしていくとてもいい本だと思ったのだが、もうちょっと、そもそも、自閉スペクトラム症って何なのと言うのを前に持ってきてもらった方がわかりやすかったと思う。

    手に取る人がみんな、その言葉を知っていて問題意識を持っているわけではないし、本の体裁からも、もっと広く知って欲しいという意図はあるのだと思うので、構成をもうちょっと工夫してもらった方が力尽きる人が減るのではないかと思う。

    当たり前のことが当たり前にできると言うのはすごいこと。
    でも、当たり前のことが、当たり前でないこともまた個性。
    名前をつけることの良し悪しも少し考えた。

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著者プロフィール

1957年生まれ。博士(教育学)。公認心理師、特別支援教育士スーパーバイザー、臨床発達心理士。1987年、北海道大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学。1987~89年、稚内北星学園短期大学講師。89~91年、同助教授。91~2000年、室蘭工業大学助教授。00~03年、弘前大学助教授。03~16年9月、弘前大学教授。11~14年、弘前大学教育学部附属特別支援学校長。14~16年9月、弘前大学教育学部附属特別支援教育センター長。16年10月より、教育心理支援教室・研究所『ガジュマルつがる』代表。

「2020年 『自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

松本敏治の作品

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