違星北斗歌集 アイヌと云ふ新しくよい概念を (角川ソフィア文庫)

  • KADOKAWA (2021年6月15日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (352ページ) / ISBN・EAN: 9784044006259

作品紹介・あらすじ

「アイヌと云ふ新しくよい概念を内地の人に与へたく思ふ」
「滅亡に瀕するアイヌ民族にせめては生きよ俺の此の歌」
「滅び行くアイヌの為に起つアイヌ違星北斗の瞳輝く」

先住民族アイヌが公然と「亡びゆく民族」の烙印を押され、本来は「誇り高き人間」「立派な人」という意味を持つ「アイヌ」という言葉が侮蔑の響きをもって使われていた大正時代から昭和のはじめ。アイヌ民族復興のために立ち上がりその生涯を捧げ、病のため27歳で早世した歌人がいた。文庫ではじめて違星北斗の短歌、俳句、詩、童話、散文、ノートの記録を集める決定版。

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  • アイヌと云ふ新しくよい概念を内地の人に与へたく思ふ
      違星【いぼし】北斗

     現代のアイヌ文学研究で、短歌が評価されている違星北斗。20代で早世し、作品は「違星北斗遺稿 コタン」(草風館)などに収められていた。このたび、その遺稿をもとに、短歌や日記、童話、手紙などがジャンル別に編集された文庫本が刊行された。若い人々にも読みやすい文庫化は、本当に喜ばしい。

     1901年(明治34年)、後志管内余市町生まれ。戸籍上は02年生まれとなっているそうだが、大正・昭和初期の口語短歌隆盛期と重なったことで、表現の幅が広がった。

     病みがちな身体で出稼ぎなどをしたあと、事務員として東京で就職したことが転機となった。東京アイヌ学会で講演し、研究者や出版人たちと交友を深めるうちに、アイヌ民族のために生涯を捧げることを決意。

     北海道に戻った年の日記に、今後の希望などを列挙した部分がある。「札幌に勤労中学校」を建てたいという希望も書かれ、教育の重要さを痛感したこともうかがえる。

     ・コタンからコタンを巡るも楽しけれ絵の旅 詩の旅 伝説の旅

     年譜を読むと、恩師や研究者、短歌選者らとの要所要所での出会いが次の一歩につながったことがわかる。行商で旅も多かったが、人と人との出会いの「旅」が、成長の糧【かて】となったのだろう。

     さまざまな可能性、明日への思いを秘めつつも、肺を病み、29年(昭和4年)に没。私たちに大切な「概念」を与えてくれる歌集である。
    (2021年8月29日掲載)

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著者プロフィール

1902(明治35)年 0歳
1月1日、北斗(本名瀧次郎)、父甚作(文久2年12月15日生)と母ハル(明治4年9月生)の間の3男として、北海道余市郡余市町大字大川町に生まれる。父は漁業を営んでいた。兄2人、姉1人、妹1人、弟3人が生まれたが、長兄を除き北斗を含め7人が夭逝している。祖父万次郎はアイヌ最初の留学生として東京芝増上寺に留学し、のちに北海道開拓使雇員となった。
1908(明治41)年 6歳
尋常小学校に入学。担任の奈良直弥先生に愛され、終生指導と影響を受ける。
1914(大正3)年 12歳
尋常小学校を卒業。
1917(大正6)年 15歳
夕張線登川付近に木材人夫として出稼ぎ。
1-918(大正7)年 16歳
網走線大誉地に出稼ぎ、病気になる。
1919(大正8)年 17歳
石狩の錬漁場や登村の柴刈りに出稼ぎ。
1920(大正9)年 18歳
佃を借りて茄子等を作るが病気再発する。
1921(大正10)年 19歳
轟鉱山に出稼ぎ。
1922(大正11)年 20歳
徴兵検査で甲種合格する。
1923(大正12)年 21歳
朝里等に落葉松伐採に従事、病気になる。7月、旭川輜重輸卒として入隊、8月除隊す。上京をする予定が、関東大震災のため中止。
1924(大正13)年 22歳
沿海州に出稼ぎ。
1925(大正14)年 23歳
2月、西

「1983年 『コタン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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