禅と日本文化 新訳完全版 (角川ソフィア文庫)

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  • KADOKAWA (2022年9月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (704ページ) / ISBN・EAN: 9784044006594

作品紹介・あらすじ

禅は悟りの修行であり、日本人の文化や生活のあらゆる領域に浸透している。悟りとは、日々の暮らしの経験に新たな意味を発見することだ――。禅を世界に知らしめた大拙が、水墨画、剣術、武士道、俳句、茶道といった日本文化の精髄を英語圏の読者に向けて平明に解き明かした代表作。宮本武蔵、松尾芭蕉、千利休、良寛ら「禅者」たちは、自らの生をいかにして創造的な作品へと変えたのか。原著の改訂のすべてを収めたはじめての完訳版。

感想・レビュー・書評

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  • 鈴木大拙(1870~1966)は仏教哲学者で、禅宗の寺で修行をおこない居士号(出家はせず在家にて修行する者)を得たのち97年に渡米。イギリスやアメリカで禅仏教や日本文化の講演や執筆を重ねた。この本は過去に同じタイトル(『Zen and Japanese Culture』)で書かれたものに加筆・修正を加えた完全版の翻訳本で、海外でも広く読まれているそうだ。

    端的で驚くほど読みやすい――翻訳者の苦労もあったかもしれない。もちろん禅問答の紹介あたりはよくわからず、宗教哲学も含んで難解な箇所もあるけれど、日常経験や実践を重んじる禅修行者らしく、総じて明快だ。また英文を翻訳すると、なるほど! というミラクルがあったりする。
    ***
    1 禅とは何か
    2 日本の芸術文化
    3 禅と儒学
    4 禅と武士
    5 禅と剣術
    6 禅と俳句
    7 禅と茶道
    8 利休と茶人たち
    9 自然愛
    10 その他 

    勝手な分類で恐縮だが、1と2は総論、3以下は各論になっていて、短めの総論のあとは具体的かつ実践的な各論に入っている。なので自分の興味のあるところを選んで読んでも楽しめると思う。

    仏教は古代インドから中国にもたらされ、さまざまな変容や宗派が生まれたのち、禅宗も含め日本に伝来した。禅のキーワードは「そのまま」「ありのまま」「無心」「無意識」という。日々の生活経験の中に新たな意味を発見することが禅の「悟り」の本義。その「悟り」とは、究極のところ、解放や自由を意味している。そういえば禅に傾倒していた晩年の夏目漱石の「則天去私」という言葉をおもいだした。

    ときどき子どもの純真さが羨ましいと感じる。それは成長とともに失われ、あるいは影を潜めてしまいがちだ。齢を重ねるにつれ雑多なしがらみや自身の固執や偏見が垢のように取り巻いてしまう。たぶん世知辛い世には必要なのかもしれないが、どうも物事を素直に見たり聞いたりすることが難しくなっていく気がする。つくづく生のアンテナが曇ってしまったな……と自覚して久しい。とはいえ参禅なんて敷居は高い。ごく普通の人ができる、茶道や武道、詩歌や芸術といったものは、実は生活経験の中で様々なしがらみを払拭して自由になれる具体的な禅の実践なのかもしれない。といっても、いざ実践となると至難の業で、気負ったり飾ったり、「ありのまま」「無心」はどこだ? もんどりうっている私はまだまだだな。 

    禅の総論と茶道の章では、「わび・さび」という言葉を考察している。よく使われている「わび・さび」とは一体なんだろ? と考えてみたらよくわからない。この本を読むとあまりの奥深さにほぉ~と驚いてばかりだった。

    わび=「貧」、俗世の物事(富、権力、名声)に依存せず、時代や社会を超えた至高の価値をもった何かを内面に感じること。
    さび=「寂」、「孤高」、原始的な素朴さ、シンプルさ、粗野さ。
    禅の本義は「そのまま」「ありのまま」なので、小手先で「貧」や「寂」を演出するのは論外だ。あの茶聖の千利休はそれを見抜き、時の権力者だった豊臣秀吉としだいに軋轢が生じてしまったのかもしれない。

    ここでアメリカの有名な本『森の生活』のヘンリー・デビット・ソローが紹介されている。素朴なソロー、宇宙的広がりをもつ詩的な想いや悟りが素晴らしい。ソローは森の中に丸太小屋という小さな庵をむすび、自給自足をしながら「わび・さび」の生活を実践した瞑想者、まさに禅の修行者ではないだろうか、なんてことを妄想した。

    さらに東洋思想や哲学から、筆者は茶室を統制する原理なるものを考察している。
    「和」「敬」「清」「寂」

    「和」「敬」は、社会的あるいは倫理的な統制原理として儒教や道教(老荘思想)(民間習俗が融合する前の思想)からきているそうだ。
    「清」は肉体と精神をあらわし、道教と神道の影響が、さらに「寂」は「さび」として仏教と道教の影響を受けているという。
    もちろんこれらにがんじがらめになるのではなく、自己の内面からほのかに体感するような、あるいは無意識なるイメージではないかしら。これをみているうちに『菜根譚』(禅仏教、道教、儒教が融合した処世訓)という本を思いだした。まるで「茶室」のような本だなぁ(笑)。ときどきながめるカッコいい本。

    さらに禅と俳句の章も読みごたえがあって、筆者の趣味や思い入れが感じられる。
    俳句は「……詠み人の内なる純真な感情がうそ偽りなく込められている、何らかの効果をねらった人為的あるいは知的に計算された企みが一つもない、自己の名声を求める作者の「自我(ego)」が存在しない、人為的な動機や秘められた目的は一切不要……」
    「俳句は観念を表現したものではない」

    それは直観に反映されたイメージで、17音の短詩は、観念や美辞麗句、抽象的なものはすべて削ぎ落され、詠み人の素朴な直観しか残らない。それでいて万人に容易にイメージさせる喚起力はスゴイ。本書では松尾芭蕉をはじめ魅力的な俳人が多く紹介されている。

    <朝顔やつるべ取られてもらひ水>(加賀千代女)
    井戸のつるべにからまって咲いた朝顔、早朝のっけから瑞々しい美しさに衝撃をうけ、朝顔を払うことも手折ることもできず、結局、隣家に水をもらいにいく。

    <釣鐘にとまりて眠る胡蝶かな>(与謝蕪村)
    重々しい永劫を象徴する寺の釣鐘にとまってまどろむ蝶。愛らしくて、小さくて儚くて、さびの世界……

    筆者は欧米で禅仏教や日本文化の紹介をおこない、執筆活動も旺盛で英語の著作も多かったそうだ。それゆえか日本や日本文化に対する美化や贔屓やときに愛国感情があることは否定できない。

    でもよく考えてみれば、夏目漱石や森鴎外らと同時代を生き、明治・大正・昭和を渡り、日露戦争や第二次世界大戦や社会体制の激変を経験している。過酷な時代背景を顧慮すれば十分理解できるし、我田引水のような言説も愛嬌として眺めてみれば、この本は総じてとても視野の広い本だ。

    日本の禅仏教・哲学のみならず、聖書、古代インドや中国の思想哲学の紹介などにくわえ、洋の東西の詩歌、詩人や作家もたくさん紹介されている。宗教的世界観と芸術は根が繋がっているから当然といえばそうなのかもしれない。そんな繋がりやひらめきがあって楽しかった。ちと残念なのは、漢詩や英詩はオリジナルともに掲載してほしかった。
    興味のある方にお薦めしたい(2024.9.4)。

    ***
    <見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ>――藤原定家

  • 何かでの紹介を踏まえて読書
    さすがの本で非常に奥深くて面白い。一度読んだだけでは全然理解しきれないが。
    近代の本で読みやすいのも良い。

    メモ
    ・禅は中国人の心がインド人の思想に触れた後に生み出したものの一つ
    ・詫びの真の意味は貧poverty。時代の流行に乗る人々の一員にはならないということ
    ・不完全の美。古めかしさや原始的な粗野さを伴う時、さびがかすかに見えてくる。ある芸術の対象が歴史的な時代感を表面的にでも示していれば、そこにはさびがある。
    ・さびの文字通りの意味は寂しさや孤独だが、ある茶人は次のとおり表現している。見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ
    ・禅と武士の人生の間には必然的な関係性がある
    ・二元論的な思想を超える。生か死か、否定か肯定かといった考えがある限り、人生を歩む上での躓きの石となる
    ・隙をつくらないこと。精神的固着をつくらないこと。

  • 鈴木大拙が悟っていたかどうかはわからないけど、日本にすごい人がいたもんだ。

    今はインターネットもスマホもあり、必要な情報はすぐに得られるけど当時ここまで真理を突き詰めるとは並大抵の才能と努力ではなかったと思われる。

    「無分別智」(自他不二)は根本の真理でしょう。

    不立文字…

    「本当の自由」とは…

    善ではなく純、自己忘却…

    二項対立を超える…

    やっぱ禅が好きだなぁと実感。

  • 『禅と日本文化』を読み終わった。

    (著者の考える)禅の思想を通して、日本文化に禅がどのような影響を与えてきたか、根づいているか、芸術文化全般についてだけでなく、儒学、武士と剣術、俳句、茶道、自然愛について、それぞれ章を設けて述べられた本になっている。

    単に、日本文化について書かれているという本ではなく、著者の考える禅の思想によって日本文化を考察するというような本なので、つらつらと観念的なことが述べられていると感じる部分もあり、けっして、読みやすい本でもないし、そもそも分厚いので、読むのは大変だった。

    ただ、アンバランスや不完全なもの、ありのまま、そのままを良しとする日本人の美意識というのは、本書を読んでいて、しっくりときて、自分の中にもある日本人らしさというものを感じた気がした。

    「仏教を抜きにして日本文化を語ることは不可能である。」と、本書にも述べられているが、禅に限らず(本書は禅に偏り過ぎだが)、日本文化に仏教は不可分のものだと思う。
    だけれど、日本人が仏教をよく知らないことも多いのは、笑えない状況ではないだろうか。

  • 枯山水をより深く理解するためには、その背景にある禅の精神を知ることが不可欠だと考え、本書を手に取った。
    禅が日本文化に与えた影響の広さと深さを改めて知り、学びとして非常に豊かな読書体験となった。
    日本の歴史を、禅の視点からもう一度見直したいという思いが芽生えた。

  • 日本文化を紹介した古典、名著!

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著者プロフィール

1870(明治3)年、金沢市本多町生まれ。本名貞太郎。1891年、鎌倉円覚寺の今北洪川について参禅。洪川遷化後、釈宗演に参禅。1892年、東京帝国大学哲学科選科入学。1897年、渡米。1909年に帰国、学習院大学・東京帝国大学の講師に就任。1921(大正10)年、真宗大谷大学教授に就任。大谷大学内に東方仏教徒教会を設立、英文雑誌『イースタン・ブディスト』を創刊。1946(昭和21)年財団法人松ヶ岡文庫を創立。1949(昭和24)年文化勲章受章。同年より1958年まで米国に滞在し、コロンビア大学他で仏教哲学を講義。1956(昭和31)年宮谷法含宗務総長から『教行信証』の翻訳を依頼される。1960(昭和35)年大谷大学名誉教授となる。1961年英訳『教行信証』の草稿完成。1966(昭和41)年7月12日逝去。

「1979年 『The Essence of Buddhism 英文・仏教の大意』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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