脳死臓器移植は正しいか (角川ソフィア文庫)

  • 角川学芸出版 (2006年6月24日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (208ページ) / ISBN・EAN: 9784044070014

作品紹介・あらすじ

臓器移植、人工臓器、遺伝子治療など医療技術の進歩は、私たちに死生観の再検討を迫っている――。脳死は人の死か。そもそも人の死とは何か。歴史、医療技術、経済の見地から脳死臓器移植に鋭く切り込む。

みんなの感想まとめ

死生観を再考させる本書は、脳死と臓器移植に対する明確な反対意見を展開しています。著者は、脳をアイデンティティの中心とする立場に対して批判を行い、心臓死でも自己同一性が崩れる可能性があることを指摘します...

感想・レビュー・書評

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  • 脳死・臓器移植反対の立場を旗幟鮮明に掲げた本です。

    立花隆の脳死に関する本をいくつか読んで、脳をアイデンティティの座とみなす立場から、その機能が完全に解明されていないうちは器質死をもって脳死と判断するべきだという主張に共感を覚えていたのですが、本書ではその立花の説に対する批判がなされています。著者が批判するのは、自己同一性が崩壊するのは機能死でも同じだということと、さらには心臓死でも自己同一性が崩壊するのであり、脳の器質死をもって人間の死とすることにこだわる理由はないはずだ、というものです。

    立花の考えている「アイデンティティ」は、臨死体験のような証言に基づいていることもあって、かなり高次の内的意識の状態を意味しているようにも取れるので、著者のような反論が出てくるのも理解できますが、じっさいにはそこまで明瞭な内的意識の存在を想定しなくてもよいのではないかという気がします。

    とはいえ、著者の批判に納得させられたところもあります。立花は『脳死臨調批判』(中公文庫)の第2章で、脳をアイデンティティの座とみなす立場から、心臓死をもって死とすることに疑問を持っていると表明しているのですが、これは脳死判定の問題を超えて、一般に人の死とは何かという問いに答えようとしているように思われます。これは、確かに「科学主義」の勇み足という気がします。

    そのほか、非常に説得力を感じたのは、脳死・臓器移植は大量生産が不可能であり、社会的弱者はドナーにはなれてもレシピエントにはなれないという、本質的欠陥を持っているという指摘です。これは、技術革新によって改善されるという問題ではないので、人間は原則的に平等だという公準に基づく民主主義社会にそぐわない発想だという気がします。

  • 筆者らしい断定的口調で説かれるから、合わないと思う人には合わないかもしれない。でも自分的には概ね賛同できるような内容でした。医療の特殊性を考えると、民主主義の原理はなかなか相容れない部分がどうしても出てくると思うけど、この分野は確かに、その最たるものかもしれない。善行ではなく愚行と断じているのも、ならではの面白い視点と思いました。

  • 共同図書 490.154/I32

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著者プロフィール

池田 清彦(いけだ・きよひこ):1947年東京生まれ。生物学者。東京教育大学理学部生物学科卒、東京都立大学大学院理学研究科博士課程生物学専攻単位取得満期退学、理学博士。早稲田大学、山梨大学名誉教授。専門の生物学分野のみならず、科学哲学、環境問題、生き方論など、幅広い分野で100冊以上の著書を持ち(『構造主義科学論の冒険』 講談社学術文庫ほか)、フジテレビ系「ホンマでっか!?TV」等、各メディアでも活躍。

「2024年 『老後は上機嫌』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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