- Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
- / ISBN・EAN: 9784044076030
作品紹介・あらすじ
昭和19年、鈴木大拙は軍部が宣揚する日本精神に対抗して日本的霊性を唱え、本書を著した。大拙は精神の根底には霊性(宗教意識)があると主張。鎌倉時代の浄土系宗教と禅宗を重視した。念仏や禅の本質を生活と結びつけ、わかりやすい言葉で読み解き、日本人が持つべき心の支柱を熱く語る代表作。大拙は戦後、長文の序を付け再刊し、霊性の主張を本格始動した。本書はこの2版を底本とした〔完全版〕。
感想・レビュー・書評
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2013.7記。
吉本隆明や梅原猛といった仏教と日本との関係を論じるひとたちがしばしば引用するいわば基本書である「日本的霊性」。いざ手にして見ると、議論は融通無礙(←仏教用語)にあちこち飛びまくるし、内容も「往生がすんで還相があるというのではなくて、往生がすなわち還相で」といった調子でわけが分からないから、適当に割り切って読み飛ばさないと手におえなかった。それでも、難解な仏教の教義がどう日本人の心のありようと関わっているのか、という部分でははっとさせられることが見出される。
平安末期は「末法思想」が広がった、と歴史の授業で習う。著者は、貴族が弱体化し武家が勃興するこの変革期における、「何となく、『このままで、すむものではない』という気分」(P.145)を、「鋭敏な宗教的天才は、必ずこの種の焦燥不安が社会意識の上にただようて居るのを看取せずにはおかない」のだ(P.146)、という。
また、ありがちな日本人論でよく取り上げられるものとして、「日本人はオリジナルを生み出すのは苦手だが、それを取り入れて応用するのが得意である」という言い方がある。外国から伝来した仏教に対しても、そのようなイメージを持つことは容易であろう。しかし、著者はこれを「日本的霊性がたまたま仏教にぶつかって霊性は仏教の上にどんな力を示したか」(P.131)と捉える。
著者の思索を、分からないなりに追いかけることを通じて、何かをちょっとは垣間見たかな、という気分には浸れた。読み返せば理解は深まるかもしれない(が、まあその気力はないな、今のところ・・・)。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
骨太どころではない、重厚な一冊。元から読みたいとは思っていたところ、金沢の鈴木大拙館に行く機会があり触発されて読了。
決して分かりやすい本ではないため苦労しながら読んだが、著者の思いが伝わってくる。
日本人らしさと表現しても良い日本的霊性の始まり(顕現)が鎌倉時代から、ということが繰り返し述べられており、鎌倉時代に対してより興味が湧いた。
生は円環である、というのが心に響く。 -
2023.03.23 落合陽一著『忘れる読書』からの選書
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コトバがほとんど心に入ってこなかった。ーー目の前に広がる大自然に無感情に佇む自分。大自然に囲まれて空気美味しいはず、、、心癒されるはず、、、という思い込みが頭にあるものの、身体がほとんど反応しない状態のようだ。彼の著作に直接触れる前に、彼の教えについての初級者向けコンテンツから入ろうと思った。
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コロナ禍、「苦から救済する」仏教の教えは、祈りと言葉で日本人の精神的支柱になりうるかという問題意識から読み始めてみた。解を求める浅はかさを著者になじられているように感じながらも、愚直に読み進めると、第5章で次の言葉にでくわす。「(他人に迷惑をかけないという前提の下)結果が自分にとってどういうことになるかは気にせず、働くことそのことに意識の全力を傾注するのが大切。」所謂、無功徳無報償の行動。「大地に根ざす、超個、即非の理」より無功徳が、自分の心に刺さり、勇気を貰った。
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”日本的精神ではなく、日本的霊性。
<キーフレーズ>
<きっかけ>
人間塾 2016年課題図書として。” -
むずかしい・・・
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第二篇まで読んでながらく放置
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フリーペーパーで紹介されてた。
『インナートリップへの指南』