- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784044089023
作品紹介・あらすじ
「私とはなにか」「生きることに意味はあるのか」「苦しみはどこから生まれてくるのか」-。生について、誰もがいちどはぶつかる根源的な問いに、禅問答スタイルで回答。さらに、仏教の本質に迫る禅の教えから、坐禅の方法までを、ひとつずつていねいに解きあかしてゆく。自分を見つめる手段として、生への問いを投げかけつづけた気鋭の禅僧が、不安定で生きづらい時代に生きる、すべての人たちにおくる、最良の仏教入門。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
「宗教とはなにか」あるいは「仏教とはなにか」という問いをめぐって、著者自身の考えが語られている本です。
本書は対話形式になっていますが、もっぱら著者自身をモデルとしていると思われる僧侶が、相手の問いかけにこたえるかたちで議論が進められていきます。ただし「はじめに」で著者は、「質問者は、実は質問の形で回答を言い、回答者は実は回答によって質問している」と述べており、二人の対話を通して問いかけがしだいに掘り下げられていくようになっています。
「自己とは何か」という問いこそが宗教の「根源的な問い」であり、仏教はこの問いに対してどのようなスタンスをとるのかということが、中心的なテーマといってよいのではないかと思います。本書では、こうした「根源的な問い」になんらかの正しいこたえを示すのではなく、そうした問いをかかえつつ生きるわれわれが「どう生きるか」ということに焦点をあて、修行によって実践的な解決法を示したところに、仏教の意義があると論じられています。
著者自身の宗教哲学的な思索が提示されている本という印象ですが、仏教の思想的意義について真摯な考察がなされており、興味深く読みました。 -
日本経済新聞社小中大
記事利用について
印刷 印刷
山本能楽堂代表理事 山本章弘氏
魂と輪廻への思い深める
2022/1/8付日本経済新聞 朝刊
弟子でもある長男が悩む姿に接する中、一冊の本に触れ、人の生や死を巡り改めて思いを深めた。
私の観世宗家での修業時代は「内弟子は空気のように」「芸は盗むもの」と教えられたものです。数年前、当時は20代前半だった長男にも芸の道を継いでほしいと願って、時に厳しく指導していました。が、本人は自らの将来についていろいろと考え込んでしまったようです。私自身も、このやり方で良いのかと悩むうち、僧侶、南直哉さんの『恐山』に出合いました。
「魂とは何か」とか「人は死んだらどこへゆくのか」といった答えのみつけにくい問いが随所に投げかけられています。能にも通じるテーマです。霊場や本山を舞台にしたこの本のエピソードに、多くの刺激を受けました。
魂というものについて考える中で、長男が、ごく小さかったころを思い出しました。「この子、去年の今ごろはいてへんかったのに不思議やな」と妻と話をしたものです。南さんの他の著作も読み、講演にも顔を出して、人間の存在を深く考える機となりました。
川の浄化を訴える「水の輪」、西洋の神話を題材に自然と芸術、人間の調和をうたう「オルフェウス」など新作能を相次ぎ発表してきた。
このたび手がけた新作能は「慈愛」と題するもので、サブタイトルに「魂のゆくえ」とつけました。恩師や親友、親族などの身近な方が亡くなったことも契機になりました。
私は縁あって、大阪市の相愛大学が実施する伝統芸能の振興をつかさどる人材育成のお手伝いをしています。同じく講師を務める能のワキ方の安田登さん、宗教学者で僧侶の釈徹宗さんとの会話や、この方らの著作に触れ、輪廻(りんね)、前世や来世への思いを深めました。
安田さんは能のほかにも「論語」をはじめとした古典や人間の身体機能の専門家で、『三流のすすめ』などユニークな著書があります。釈さんはさまざまな経典に詳しく、わかりやすい解説書も多数出されています。
生まれ変わりを主題にした「慈愛」の謡曲の詞章の最後の部分は悩みました。結局は「魂は去此不遠(こしふおん)の都と/苦悩の旧里を渡り行く」にしましたが、釈さんの著書や発想に大いに助けられました。現代語訳すれば「魂はここから近いという浄土と、苦しみの俗世を行き来し、衆生を導く」。仏教でいう還相回向(げんそうえこう)の思想です。
「慈愛」は僧侶の声明と初のコラボレーションをしました。他の分野との共演では、能にも新たな発見や刺激があります。今後も、多様性を重んじ、能の可能性を広げたいと願っています。
関西を舞台にした推理小説が息抜きになっている。
以前、村上龍さんの『半島を出よ』を読んだ際に、よく演じる能楽堂がある福岡市の大濠公園が出てきて、描写をリアルに感じたのを覚えています。直木賞作家の黒川博行さんの『キャッツアイころがった』などの作品には大阪をはじめ、関西の地名が頻繁に出てきて親近感を覚えます。登場人物が移動する際の距離や時間の感覚とか、その場所の雰囲気などを共有できます。
初心者向けの講座などで私は「能は室町時代のホラー」などと聴講者に語りかけます。演じる時に、時空を越えて人物に没入する感覚と、読書に熱中する体験は似ているかもしれません。
600年以上の伝統を誇る能も時代の流れでIT(情報技術)化している。
かつては小型辞書のような「観世流謡曲百番集」やたもとに入る演目ごとの袖珍(しゅうちん)本で勉強したものです。たまに開くと若き日に書き入れた振り仮名があって懐かしい。覚えた謡曲は今も50番程度は「やれ」と言われれば、すぐできます。
しかし、現代はスマートフォンをなぞれば、詞章が見られる時代。修業の雰囲気もだいぶ変わりました。わたしも演目をわかりやすく伝えるアプリなどを友人のブルガリア人、ペトコ氏と開発し、子どもらや外国人はじめ、多くの方に楽しんでもらっています。
「冷たい芸能」と称される能ですが、2025年の大阪万博に向け、世界中の人に、魅力をわかりやすく伝えられるようつとめたいと思います。
(聞き手は編集委員 毛糠秀樹)
【私の読書遍歴】
《座右の書》
『恐山』(南直哉著、新潮新書)
《その他愛読書など》
(1)『自分をみつめる禅問答』(南直哉著、角川ソフィア文庫)。「私とは」「生きるとは」といった根源的な問いを読者とともに考えてくれる。
(2)『役に立つ古典』(安田登著、NHK出版)
(3)『三流のすすめ』(安田登著、ミシマ社)。安田さんには能に関する著書もあり、多才さに触れ、いつも発見がある。
(4)『お経で読む仏教』(釈徹宗著、NHK出版)。膨大な経典のエッセンスや「縁起」「慈悲」などの言葉の由来を平易に教える。
(5)『キャッツアイころがった』(黒川博行著、創元推理文庫)。人気作家の出世作で、関西が舞台。
(6)『観世流謡曲百番集』『同続百番集』(観世左近著、檜書店)。修業時代から使い、表紙などは傷みが激しく、修復した。
やまもと・あきひろ 1960年大阪市生まれ。観世流シテ方。能の若い世代への普及につとめ、上方芸能の紹介にも尽力。東欧などで公演し国際親善にも貢献する。 -
恐山の副山主・南直哉師による対話形式の仏教入門書と言えば聞こえがいいですが、プッダや道元禅師を超えて、縁起を基軸に非己があるからこそ自己があるとする仏教理解に沿って世間を再構築する試みには難解さがつきまといます。
ここまでの理解にたどりつけるか、私自身に問われている気がします。 -
死に方を考えることからでしか生き方を考えられないという文に強い共感を覚えた。
仏教を論理的に組み立てその価値について、またその必要性について論じていく。
「問い」のままにしなければならないという苦を受け入れながら生きていくことができるだろうか。 -
「問いからはじまる〜」の文庫版だった!けど、折角なので再読。