道元入門 (角川ソフィア文庫)

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レビュー : 3
  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784044089061

感想・レビュー・書評

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  • 先に読んだ「坐禅ひとすじ」では平明な文章でしたが、曹洞宗の開祖・道元禅師についてはなるべく簡潔を心がけながらも高尚な説明となった一冊となったのは、これも道元禅師の教えをなるべく精確に伝えようとする思いの発露と思います。
    これを読んだからには、「正法眼蔵」や「随聞記」に至らないわけにはいきません。

  • 第1章:道元の生涯を描く。
    第2章:道元の思想の一端を紹介。
    第3章:現代の社会と道元の思想との関わりについて。

  • P118
    坐禅をするのは、仏の修行された道
    だからするのである。
    仏道修行というのは、仏のまねをすることである。
    自分のかなう程度まねをすることである。
    (沢木興道)

    P118
    功徳を求めて仏祖は坐禅をしたのではない。
    その効用を知っても、それを目的としてはいけない。

    坐禅においては、いかなる人間的欲求も、
    まず断ち切る必要がある。
    健康になりたい、病気を治したい、
    度胸をつけたい、何か特別の心境になりたい、
    他人より偉くなりたい、特別な能力を身につけて
    他人の関心をよびたい等など、
    人間的な欲求や希望は仏道を異質なものに
    してしまう。

    仏法は他に認められるために
    行ずるのではないが、とはいえ
    自分のためにするのかというと
    そうでもない。
    仏法は自他を超えるのである。
    道元はいう
    「ただ仏法のために仏法を修するのだ」

    P123
    人間世界には肩書がある。
    しかし、仏法の世界には肩書がない。
    いや人間世界の肩書は、
    仏法の世界は役に立たないのである。
    (本来無一物)

    世俗の中に、仏教的なあり方を
    実現すべく努力するのが、仏教者の使命である。

    P127
    あらゆる存在は、それぞれに異なった
    様相を表しながらすべて等価値である。
    人間が人間であることを
    あるがままに示す行、
    坐禅とはそのようなものである。
    そこに、所有や対立や競争を持ち込んでは
    ならないのである。
    欲求や思惑や目的を持ち込んでは
    いけないのである。

    立場や地位や名誉や財産等は
    俗世間でのこと、
    坐禅はただ坐禅である。
    そこに確実な自己の坐りがある。

    P176
    修行ということのもともとの意味は
    「反復すること」「繰り返すこと」である。
    同じことを繰り返すのである。
    毎日毎日、同じことを繰り返して生きる。
    これが修行であり、人生である。
    食べる、排泄する、働く、寝る、その繰り返しである。

    生命の営みは、食べて、活動して、排泄して、寝る、
    それぞれの中に喜びを感じ、それに飽きることが
    ないようにできている。
    その繰り返しこそ、実は安楽なのである。
    そのことに気づいて、そのような生活に感謝しながら、
    それぞれのことを真剣に行うのが、まさに仏道である。

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著者プロフィール

1957年、長野県伊那市生まれ。大本山永平寺にて修行。駒澤大学教授、曹洞宗常圓寺住職。著書に『坐禅ひとすじ』(角川ソフィア文庫)、『禅のすすめ 道元のことば』『ZEN 道元の生き方‐「正法眼蔵随聞記」から 』(以上、日本放送出版協会)ほか。

「2018年 『禅のすすめ 道元のことば』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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