天災と日本人 寺田寅彦随筆選 (角川ソフィア文庫 L 117-1)

著者 :
制作 : 山折 哲雄 
  • 角川学芸出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784044094393

作品紹介・あらすじ

長い時を経て日本列島に築かれた文明の本質を、自然科学と人文学の両面から明らかにした寺田寅彦。その鋭い考察は、地震列島に生きる私たちへ、今なお新鮮な衝撃を与え続けている。日本固有の自然風土と科学技術のあり方を問う「日本人の自然観」、災害に対する備えの大切さを説く「天災と国防」、科学を政治の血肉にしなければ日本の発展はないと訴える「政治と科学」ほか、日本人への深い提言が詰まった傑作選。

感想・レビュー・書評

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  • 東日本大震災直後(2011年7月)に編まれた、寺田寅彦随筆選である。編者の意図を超え、コロナ禍の現代に読むと、そのあまりにもいまの我々のために言ってるかのような言葉に溢れていて、びっくりした。

    その幾つかを、以下に羅列する。

    「天災と国防」(昭和9年)
    ・文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその激烈の度を増す
    ・日本のような特殊な天然の敵を四面に控えた国では、陸海軍のほかにもう一つ科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが当然ではないかと思われる。

    「流言蜚語」(大正13年)
    ・(大地震の最中毒薬を暴徒が井戸に投じたという噂に関して)いわゆる科学的常識というものからくる漠然とした概念的の推算をしてみただけでも、それが如何に多大な分量を要するだろうかという想像ぐらいはつくだろうと思われる。
    ・もちろん常識の判断はあてにならない事が多い。科学的常識はなおさらである。しかし適当な科学的常識は、事に臨んで吾々に「科学的な省察の機会と余裕」を与える。そういう省察の行われるところにはいわゆる流言蜚語のごときものは著しくその熱度と伝播能力を弱められなければならない。

    「政治と科学」(昭和10年)
    ・他国では科学がとうの昔に政治の肉となり血となって活動しているのに、日本では科学が温室の蘭か何ぞのように珍重されている。

    「日本の自然観」(昭和10年)
    ・現代の日本では、ただ天恵の享楽にのみ夢中になって天災の回避のほうを全然忘れているように見えるのはまことに惜しむべきことと思われる。

  • 災害の多い日本だからこその随筆集。大勝から昭和初期に書かれたものだが、災害の様子も寺田寅彦の語る内容も、これって現在のことか?と思えるものばかり。

    『天災と国防』昭和9年(1934年)11月
    災害の無い時に準備をしなければいけないのに、それをせずに「非常時」と騒いでしまうことについて。
    日本は、地理の問題として世界の国々との関係が特殊になり、多くの仮想敵国を想定して防衛の準備をしなければいけない、それと同時に、気象学的地球物理学的にも極めて特殊な場所であるので、常に特殊な天変地異に晒されていることを忘れてはならない。
    日本は、陸海空の軍備の他に、科学的国防の常備軍が必要なのではないか?転々の強敵に対して常に国民一致団結して科学敵対策を講ずるのも愛国心だろう。
    しかしこのように四方を天然の敵に囲まれているということは、日本人の国民性に良い影響を及ぼしている面もある。
    人々は、過去の災害の経験を生かすことができる。関東大震災でも、昔から人が住んでいた地域の住居は無事だったが、新しく造られた小学校の多くが倒壊した。

    寺田寅彦の知人は、多くの小学校が倒れたのは国辱中の国辱だ!と憤ったんだそうだ。これは人として正しい感情で、この感情を持っていれば良い国が作れるんじゃないかと思ったんです。

    『火事教育』昭和8年(1933年)1月
    ロシアの絵本で、実にわかりやすい火事教育のものがあるそうだ。そこで日本でも小学生にもわかりやすい絵本を作って学校や家庭で日常のものとして教えられないものか?と提案している。
    ここで傷害されているロシアの絵本はたしかにとても良かった。

    『災難雑考』昭和10年(1935年)7月
    それまでずっと行われていたことが、不幸な偶然が重なり甚大な被害に繋がってしまうことがある。天災とは違う災難について。
    そして責任について。
    建築や計画にミスがあって人が死んだ時に、退職したりまたは死んでお詫びすることが「責任」といえるのか。設計ミスならその設計をした本人が、失敗を調べ上げ、そこから徹底的に安全な新しいものをつくることこそ「責任」なのではないか。
    実際にあった良い例(胸のすくほど愉快な例)として、旅客機の白鳩(しろはと)号飛行機墜落事故について書いている。目撃者が全くいない事故で、飛行機の残骸を集め、一つ一つ組み立て直し、傷を調べ、なぜその傷がついたのかの実験を繰り返して、ついに原因を解明し、今後二度とその故障が起きないようにすることができた!
    この解明を「推理小説の名探偵は謎を解いても次の犯罪を食い止めることはできないが、科学解明は次の事故を防ぐことができる」と言っている。ほうほう、推理小説好きなら、きっと飛行機事故解明ドキュメンタリーも楽しめそう。

    『地震雑感』大正13年(1924年)5月
    地震の概念、原因には何があるか、予報や日頃の備えについて。

    『静岡地震被害見学記』昭和10年(1935年)9月
    地震研究も行っていた寺田寅彦は、昭和10年(1935年)の静岡地震に調査に行った。
    新聞報道ではまるで静岡県全体が壊滅しているかのような写真がたくさん出ていたようで、新聞が大げさに書くことは現在と同じ、いやこの頃のほうが強かったくらいだろうか?
    寺田寅彦の見た現地被害、ボランティアの人々の様子など。
    不思議な倒れ方をしている石灯籠があって、どのような地震の伝わり方をしたのだろうと首を傾げていたら、作業員が倒れそうで危なかったから倒したんだそうで、地震研究において人による被害をうっかりカウントしてしまうところだった(そしてそのうっかりは割とあるらしい)というのがちょっと面白かった。
    そして多くの灯籠が倒れている中で立ち残っている物を確認したら芯棒がきっちりと通してあったのだとか。いつ起こるかわからない災害に備えることは、平時は無駄なようでもやっぱり大切だという次第。

    『小爆発二件』昭和10年(1935年)10月
    軽井沢のホテルで浅間山の噴火を見た!噴火(最初は噴火だとはわからなかった)の様子を文章で記載しているのはとても興味深い。映像や体感は、まさにそのものではあるけれど、それを文字にすることで自分の頭で再現できる。やっぱり文字ってすごい。
    しかし山好きの人たちには日常的なのか、噴火しても「大丈夫ですよ〜」と山登りを続ける人もいたとか?そしてそんな人たちに、大袈裟ではなく適切に危険を伝えた駅員さんの様子に感心している。

    『震災日記より』昭和10年(1935年)10月
    大正12年9月1日の関東大震災と、その前後の日々の日記。大震災数日前の8月24日に首相の加藤友三郎が薨去したことから書かれているので、9月1日時点では「首相」というものはいなかった。
    また8月26日には空に閃光が走ったなど前兆らしきものも書かれている。

    9月1日の震災の時、寺田寅彦は上野の喫茶店にいた。上野でも寺社で灯籠や社務所が倒れたり、大木の枝が折れたなど被害があったようだ。しかし揺れの大きさ(これも地震を文字で書くことにより、読者が独自に体感できる)や、外に出たらカビの匂いが漂い、下谷方面からひどい土埃が飛んでくるのを見て多くの家屋の倒壊を感じ取ったのだそうだ。
    そんななかで、人が日常を送りたがる感情も書かれる。昼食のお店では今まで体感したことのない揺れにみんな店から飛び出してしまい、お会計どうしよう…(戻ってきた店員さんに払った)とか、この後どこどこに行き、どこどこでお昼ごはんの予定だけど行けるかな、などと考える心理が語られる。
    寺田寅彦の実家は曙町(現在の文京区本駒込)で、建物は無事だった。しかし焼け出された多くの親族が集まっていて、翌日から食料を「うちばっかりこんなに食べ物持ち込んでごめんなさい…大人が20人いるんだよ…」と思いながら運び込んだとか、「暴徒が井戸に毒を入れたり、爆弾投げるといわれた」とい風評に「普通に考えて、東京中に投げる爆弾なんてどうやって調達するんだ!!」と怒りを見せている。

    『函館の大火について』昭和9年(1934年)5月
    昭和9年(1934年)函館の大火事について。そして日本人と火事の歴史。

    『流言蛮語』昭和8年(1933年)8月
    人々を惑わし、場合によってはとんでもない被害をも産んでしまう流言は、「源」を次々と取り次いでいってしまうことにより伝わる。
    もし「源」の近くでリーダーや長老格の人たちが落ち着いていれば、そして人々も現実的にできるわけがないと考える余裕さえもてば、そんな流言は広がらないだろう。
    適度な「科学的常識」を持ち、落ち着いて考えれば流言蛮語を止めることもできるのではないか。

    『神話と地球物理学』昭和8年(1933年)8月
    民族に伝わる神話には、その国土風土が表されている。日本神話でも速須佐之男命や八俣大蛇が暴れるときの様子はまるで火山のようではないか。
    とはいっても、神々が自然現象の擬人化というのではなく、神々の荒ぶる様子や葛藤や戦いを描写するのに、その民族の自然現象を使いやすかったのだろう。
    神話のなかに、国土の様子や、それによる民族魂の由来をみることだできるのではないか?

    『津浪と人間』昭和8年(1933年)5月
    津浪のこと…、いやこれ現代にもそのまま当てはまる…。
    昔の人々や科学者の警告と人間の警戒心の追いかけっこ、非常時のための教育など。

    『厄年とetc.』大正10年(1921年)4月
    厄年にはいわれがあるんじゃないの?と調べたり考えたりする章。

  • 明治に生まれ、大正関東大震災を経験し、昭和初期まで活躍した物理学者で、漱石の門人であることで有名な著者。関東大震災が発生した際、建物の構造を冷静に分析して余裕を見せる姿や、外国人が井戸に毒物を入れる、爆弾を炸裂させるというデマに対し、科学知識があれば惑わされないのに……という知見は流石であった。火山活動を含む地震や、台風を筆頭にする風水害と日本人というテーマでの各随筆を、非常に興味深く読ませてもらった。和辻哲郎の『風土』も読んでみたい。

  • 地震の研究もしていたし、文筆家としても名高い寺田寅彦の随筆から、地震をはじめとした天災に関したものを編纂した一冊。もちろん3・11を受けてのものだ。関東大震災時の日記から昭和10年くらいまでの折々の天災(主に地震と台風)に関して書かれたものが収録されている。少なくとも70年くらい前に書かれたものだが、昔から人が住んできた地区は大丈夫なのに新造成地ばかりが地震の被害に遭っているとか、地震のない西欧の建築をそのまま真似しているとか、天災のパニックからか尋常に考えればありえないデマ・風評を信じる人がいるとか、いま読んでも十分に納得できる。ただし、ということは、私たちはまた同じ轍を踏んだということでもあろう。
    一方で、日本人は日本人なりに、天災とそれなりにうまくつき合ってきたとも述べている。あえて簡素で壊れやすいつくりの家屋文化や、天災に対するあきらめのよさなど。自然を征服するものでなく、謙虚につき合っていくことの大切さも説いている。
    70年前から本書に述べられているような考えがあったというのに、3・11で同じ轍を踏んだというのは、一方では学習能力のなさ、備える意識の欠如であるとともに、もう一方では、このような被害は茶飯事と考える日本人なりの連綿と続いてきた天災との仲と考えてもいいのかもしれない。

  • 深刻さはないが、戦争だけでなく、災害にも備えよ、との繰り返しの呼びかけは正鵠を得ている。「愛国心も大和魂も進化すべき」なんてにくい表現である。

    科学的思考で、流言飛語を却下するエッセイも素晴らしい。自分で考え、判断できるようになることが大切だ。

    文明が進むと被害が大きくなることや事故の責任の取り方、地を相する術についての指摘も鋭い。

  •  今般の東日本大震災を機に、改めて災害に対する備えとそもそも災害も含めた自然観を振り返る意味で手にとった本です。
     著者は物理学者であり随筆の達人寺田寅彦氏。日本列島の地勢の特殊性を踏まえ、自然科学を礎としつつも日本人論にも踏み込んだそれぞれの作品は、今読んでもなお大変示唆に富む興味深いものです。
     特に、「天災と国防」「津波と人間」「颱風雑俎」「災難雑考」等の小文で述べられている寺田氏の主張は、まさに東日本大震災の被害を目の当たりにした現代、この瞬間になおさらに活きる箴言だと思います。

  • 災害に対して、それによって日本人は"育てられた"というようなことが書かれている。この表現が結構、強烈だ。
    それだから、災害が起こることは"仕方がない"と受け取られかねない。果たして、現代の日本人は納得出来るのか?殆ど伝統の文化が断絶している、現代の私たちに。
    そうはいっても「天災と国防」は秀逸だと思う。正に現代のことをいっている。寅彦ほどに、これだけのことを考えている人がどれだけいるだろうか?

  •  津波に懲りて、はじめは高いところだけに住居を移していても、5年たち、10年たち、15年20年とたつ間には、やはりいつともなく低いところを求めて人口は移って行くであろう。そうして運命の1万数千日の終わりの日が忍びやかに近づくのである。鉄砲の音に驚いて立った海猫が、いつの間にかまた寄って来るのと本質的の区別はないのである(p.25)

     理科教育が妙な型にはいって分かりやすいことをわざわざ分かりにくく、面白いことをわざわざ鹿爪らしく教えているのではないかという気がする。子供に固有な鋭い直感の力を利用しないで頭の悪い大人に適合するような教案ばかりを練り過ぎるのではないかと思われる節もある。これについては教育者の深い反省を促したいと思っている次第である。(p.81)

     雨のふり方だけでも実に色々様々な降り方があって、それを区別する名称がそれに応じて分化している点でも日本はおそらく世界中随一ではないかと思う。試みに「春雨」「五月雨」「しぐれ」の適切な訳語を外国語に求めるとしたら相応な困惑を経験するであろうと思われる。「花曇り」「霞」「稲妻」などでも、それと寸分違わぬ現象が日本以外のいずれの国に見られるかも疑問である。たとえばドイツの「ウェッターロイヒテン」は稲妻と物理的にはほとんど同じ現象であってもそれはけっして稲田の闇を走らない。あらゆる付帯的条件がちがいしたがって人間の感受性に対するその作用は全然別物ではないかと思われるのである。(pp.109-110)

     昔の日本人が集落を作り架構を施すにはまず地を相することを知っていた。西欧科学を輸入した現代日本人は西洋と日本とで自然の環境に著しい相違のあることを無視し、したがって伝来の相地の学を蔑視して建てるべからざるところに人工を建設した。そうして克服しえたつもりの自然の厳父の揮った鞭のひと打ちで、その建設物が実に意気地もなく壊滅する、それを眼前に見ながら自己の錯誤を悟らないでいる、といったような場合が近ごろ頻繁に起こるように思われる。昭和9年10年の風水害史だけでもこれを実証して余りがある。(p.124)

     まったく予測し難い自信颱風に鞭打たれ続けている日本人はそれら現象の原因を探求するよりも、それらの災害いを軽減し回避する具体的方策の研究にその知恵を傾けたもののようにも思われる。おそらく日本の自然は西洋流の分析的科学の生まれるためにはあまりにも多彩であまりに無常であったかもしれないのである。(p.136)

  • 寺田寅彦は、日本文化や日本事情の授業を担当した私にとっては、よく見ていた名前だったので、良書だと思っていました。で、実際に読んでみてそうでした^^
    「天災は忘れたころにやってくる」という警告を発したということでも有名な寺田寅彦。この随筆集に収録されているのは、昭和25年ぐらいまでのもので、「天災と国防」という短編は昭和9年(1934年)、日本が中国大陸に侵略し始めていたころの時代に、書かれた随筆です。
    この「天災と国防」は、随筆集の冒頭に収録されていますが、文明と災害というテーマで、「陸海軍の防備が十分であっても肝心な戦争の最中に安政程度の大地震や今回の颱風あるいはそれ以上の者が軍事に関する首脳の設備に大損害を与えたらいったいどういうことになるであろうか(20頁)」と、暗に身命賭してお国のために戦争するということを貴い愛国心・大和魂などとしていることに、疑問を呈し、批判的な文脈で述べています。なかなか読みごたえのある随筆集です。
    この随筆集を編者である山折哲雄氏は、冒頭で寺田寅彦がいう自然の二面性、「厳父のごとき自然」と「慈母のごとき自然」について、「歴史的な背景を含めて科学的に明らかにした」と解説していますが、そのことを感じられるのがこの随筆集の最後に収められている「日本人の自然観」です。その短編の見出しを列記しますと、

    緒言
    日本の自然
    日本人の日常生活
    日本人の精神生活
    結語
    となりますが、文体・表現法は随筆的ですが、ほとんど論述的な構成で、これもまたかなり読み応えあります。
    結語にある氏の要約だけ引用しますと、「日本の自然界が空間的にも時間的にも複雑多様であり、それが住民に無限の恩恵を授けると同時にまた不可抗な威力をもって彼らを支配する、その結果として彼らはこの自然に服従することによってその恩恵を十分に享楽することを学んで来た、この特別な対自然の態度が日本人の物質的ならびに精神的生活の各方面に特殊な影響を及ぼした(143頁)」。前述の山折氏が、「なぜ今『寺田寅彦』なのか」と切り出しています。山折氏が編集したこの随筆集は2011年に角川学芸出版から出ています。そうです、あの「3.11」があった年です。そういう意味で、災害への警告・反省を促したものとも読み取れますが、今読み終えて思うに、暴力・武力がきな臭く出ている今でこそ、この本を読むことで、もっと人類史観的に立って考えた方がいいんじゃないかな?行動した方がいいじゃないかな?と思いました。


    おススメの一冊です。

  • 文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその激烈度を増す

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著者プロフィール

1878–1935
東京に生まれ、高知県にて育つ。
東京帝国大学物理学科卒業。同大学教授を務め、理化学研究所の研究員としても活躍する。
「どんぐり」に登場する夏子と1897年に結婚。
物理学の研究者でありながら、随筆や俳句に秀でた文学者でもあり、「枯れ菊の影」「ラジオ雑感」など多くの名筆を残している。

「2021年 『どんぐり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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