春宵十話 (角川ソフィア文庫)

著者 :
  • KADOKAWA/角川学芸出版
4.07
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本棚登録 : 154
レビュー : 15
  • Amazon.co.jp ・本 (203ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784044094645

作品紹介・あらすじ

「人の中心は情緒である」天才的数学者でありながら、思想家として多くの名随筆を遺した岡潔。戦後の西欧化が急速に進む中、伝統に培われた叡智が失われると警笛を鳴らした、氏の代表的名著。解説:中沢新一

感想・レビュー・書評

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  • 表題作の春宵十話には、数学者・岡潔の人生が語られている。そこには一般的なイメージでしか数学を知らない私には驚くようなことがたくさん書いてあった。

    なによりもまず、人の中心には情緒がある、数学を成立させているのもこの情緒である、というのが岡さんの主張である。「芸術の目標は美の中における調和、数学の目標は真の中における調和」といった表現もあった。私個人の言い方になってしまうが、数学というのが人間の生の営みからすればごく限定された自意識の中でやるものと思っていたけれど、この本を読むと、それは人間の知られざる領域までを駆使した肉体的・総合的な営みであり、どこか自然の中に投げ出されているようですらあった。そこには風が吹き、すべてのものとつながるような清々しさがあった。

    後半のエッセイには、最近の世の中や人の心はどんどん悪くなっていて、それが心配である、ということがたくさん書かれている。その心情を汲むことには努めたいが、あれもこれも悪くなっている、という見方をすることには賛成できなかった。孔子さまの時代から続くこの観察には、必ずしも客観的とは言えない観察者の視点の問題も含まれていると思うからだ。

  • 約50年前に書かれた書物であるが、内容は今でも全く色あせていない。
    「人の心には情緒がある」
    著者は、日本文化の特性がこの情緒を土台に組み立てられていることや、それがいかに美しい情緒を生み出してきたかを、様々な側面から論じている。
    また、戦後の新教育制度の中で、いかにこの情緒的中心が教育の現場から排除されてしまっているか、それによっていかいに子どもたちの創造性が阻害されたかを示して、警笛を鳴らした。
    P200

  • ダイヤモンドは磨かなければ光を発しない。松村記者の筆記・編集という行為が研磨作業となったのだ。いい仕事である。タイトルは「しゅんしょうじゅうわ」と読む。
    https://sessendo.blogspot.com/2018/08/blog-post_90.html

  • 50年前の教育論。岡潔自身が自分の成り立ちを正当化しているようで、些か鼻に付く感じがしないでもないが、情緒を育む義務教育の在り方は、氏が主張する通りである。
    個人的には岡潔が同じ場所を眺めていたと知って感激。

  • 何故かわからないが岡潔さんがTVドラマになったので著書を借りてみた。

    数学者として凄い人だったとのことであるが,エッセイも素晴らしい。全面的に合意できる訳ではないが,21世紀の今でも当てはまるというか,今になっても解決されないというか,悪くなっていることの方が多いか?

  • 冒頭、人の中心は情緒である。その言葉に衝撃を受ける。数学者の言葉であること、普段あまり考えていなかったことだからだ。岡潔は思想家でもあったことを知る。教育について多くを語る。自分自身が受けた戦後間もない頃の教育を考える機会となった。数学者は百姓、物理学者は指物師という。なるほどだ。便利だけど落ち着かない現代社会。今、現代にこそ読まれるべき本だ。

  •  
    ── 岡 潔《春宵十話 20140524 角川ソフィア文庫》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4044094640
     
    ── 岡 潔《春宵十話 19630210 毎日新聞社》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JAJ4LC
     
    …… 「算術はこれまで演繹的に教えていたのを。近ごろ帰納的に教え
    なければいけないといわれているが本当でしょうか」とたずねられた。
    とんでもないことで、私たちの世代は、私にしても、中谷 宇吉郎さん
    や湯川 秀樹、朝永 振一郎両君らにしても、算術を帰納的になんか習い
    はしなかった。その代わり、検算は十分にやらされたものである。教学
    教育に関する限りは、このころまで戻るべきだと思う。
     動物性の侵入を食いとめようと思えば、情緒をきれいにするのが何よ
    りも大切で、それには他のこころをよくくむように導き、いろんな美し
    い話を聞かせ、なつかしさその他の情操を養い、正義や差恥のセンスを
    育てる必要がある。
     そのためには、学校を建てるのならぼ、日当たりよりも、景色のよい
    ことを重視するといった配慮がいる。しかし、何よりも大切なことは教
    える人のこころであろう。国家が強権を発動して、子供たちに「被教育
    の義務」とやらを課するのならば「作用があれば同じ強さの反作用があ
    る」との力学の法則によって、同時に自動的に、父母、兄姉、祖父母な
    ど保護者の方には教える人のこころを監視る自治権が発生すべきではな
    いか。少なくとも主権在民と声高くいわれている以上は、法律はこれを
    明文化すべきではなかろうか。
     いまの教育では個人の幸福が目標になっている。人生の目的がこれだ
    から、さあそれをやれといえば、道義というかんじんなものを教えない
    で手を抜いているのだから、まことに簡単にできる。いまの教育はまさ
    にそれをやっている。それ以外には、犬を仕込むように、主人にきらわ
    れないための行儀と、食べていくための芸を仕込んでいるというだけで
    ある。しかし、個人の幸福は、つまるところは動物性の満足にほかなら
    ない。生まれて六十日目ぐらいの赤ん坊ですでに「見る目」と「見える
    目」の二つの目が備わるが、この「見る目」の主人公は本能である。そ
    うして人は、えてしてこの本能を自分だと思い違いするのである。そこ
    でこのくにでは、昔から多くの人たちが口々にこのことを戒めているの
    である。私はこのくにに新しく来た人たちに聞きたい。「あなた方は、
    このくにの国民の一人一人が取り去りかねて困っているこの本能に、
    基本的人権とやらを与えようというのですか」と。私にはいまの教育が
    心配でならないのである。(P82-83)
    ── 岡 潔《春宵十話 20061020 光文社文庫》目次
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4334741460
     
    …… 無知と孤立の闇が消え、この帝国の誇り高い統治者も己の無力と
    西洋諸国民の力を認めはじめており、今日まで、思わせぶりな女王のよ
    うに世界のあらゆる縁組みの申し入れをはねつけてきたこの帝国も、よ
    うやく人間の権利を尊重して、世界の国々の仲間入りをしようとしてい
    るのだ。
     しかしながら、いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ、この進
    歩はほんとうに進歩なのか? この文明はほんとうにお前のための文明
    なのか? この国の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美
    する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの
    愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができな
    かった私には、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えよう
    としており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているよ
    うに思われてならないのである。
    ── Heusken, Henry/青木 枝朗・訳《日本日記 19890717 岩波文庫》P221
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/400334491X
    http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040813 質樸な人々
     
    (20161124)(20170115)
     

  •  昔から数学が苦手だったので、数学者の随筆をいつか読んでみたいと思っていたところ、見つけたのがこの本でした。

     おそらく自分の理解のおよばぬ考えを持っているのだろうと思いながらいざ本を開いてみると、”数学とは「自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つ」である”という驚くべき宣言が目に入る。数学は表現手段であり、芸術なのだ。これを覚えろ、答えを出せと言われ続けてきたわたしの数学は、まさに「わかったかわからないかもはっきりわからないのに、たずねられたらうなずく」教育だった。

     数学というと無味乾燥した小難しい計算だと思ってしまうけれど、この筆者の考えていることはとてもシンプルなことだとわたしは思う。つまり、当たり前の物事を当たり前だと見通す純粋な目を養うということ。これに尽きる。純粋な目を養うということは、見えるものをそのまま受け入れる心をもつということだから、これは情緒の問題にほかならない。

     こう考えたうえで昭和44年に著されたこの本を読んでみると、筆者の危機感はまったく色褪せないどころか、ますます重みを増しているように思える。わたし自身が今もっとも共感を覚えるのは、この一文である。「ただ、選ばれるべき優れた人というのは、少なくとも日本のくにでは、情緒のきれいな人という意味である。邪智の世界の鬼才と混同してはいけない」。物事を否定し相手を黙らせる人が優れているのではない。本当の物事を本当だと見通し、相手の悲しみがわかるということ、そういう純粋な目を持った人間を選ぶということ。それには、選ぶほうもそういう心を養わないといけない。動物性が入り込み、人の情緒が崩れれば、社会も文化もあっという間に悪くなってゆく。

  • 人間の建設と一緒に購入してやっと読了。
    新聞に連載されていた物をまとめたようです。
    人間の建設はぐいぐい読み進めたけれど、こちらはなかなか進まず。
    面白くないと言う訳ではないのに。
    ただ、岡潔さんが情緒を大変大切にしている事は良く分かる。
    一昔前の随筆でも今に活かせる言葉が沢山あり、旨に突き刺さる。
    もっと沢山の人に読んでもらいたい。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784044094645

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著者プロフィール

1901年大阪生まれ。京都帝国大学卒業。フランス留学を経て、帰国後、広島文理科大学、北大、奈良女子大で教鞭をとる。後年、多変数解析函数論の分野における超難題「三大問題」を解決し、数学者としてその名を世界に轟かせた。1960年に文化勲章を、1963年に『春宵十話』で毎日出版文化賞を受賞。1978年没。多くの名随筆を残した。

「2016年 『一葉舟』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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