- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784044094645
作品紹介・あらすじ
「人の中心は情緒である」天才的数学者でありながら、思想家として多くの名随筆を遺した岡潔。戦後の西欧化が急速に進む中、伝統に培われた叡智が失われると警笛を鳴らした、氏の代表的名著。解説:中沢新一
感想・レビュー・書評
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【読もうと思った理由】
直前に読んだ「人間の建設」は、岡潔氏と小林秀雄氏の対談を一冊の本にしたものだが、非常に読み応えがあり、また感銘を受ける箇所も多かった。二人ともそれぞれに特徴があり、小林秀雄氏にも当然興味を持ったが、僕は岡潔氏に、より惹かれてしまった。一般的に数学とは、論理的な学問と言われている。ところが岡氏は、数学にしてもどんな学問にしても、その中心にあるのは「情緒」である、つまり、心なんだと訴えている。岡氏が情緒にそこまで固執する理由を理解したく、また、岡潔氏本人にも興味がかなり湧いてきた。晩年には数学の研究のみならず、思想家として数多くの随筆(エッセイ)を残した。岡氏の代表作として名高い、本書「春宵十話」を読んでみたくなった。
【岡潔氏って、どんな人?】
1901年4月19日、大阪府で生まれる。しかし、育ちの故郷は和歌山県橋本市。若い頃から学問の才能を持ち、小学校のころは飛び級などもしていたそうである。その後、旧制粉川高校、旧制第三高校を卒業。旧制粉河中学校3年の時に、父親の書斎からクリフォードという数学者が書いた『数理釈義』という本を偶然見つけて読んだことにより、数学に熱中していくようになる。毎日、本の中に記載されている定理を、画用紙と定規とコンパスを使い証明していたという。 1922年には京都帝国大学理学部(今の京都大学理学部)に入学し卒業。おかしな行動が目立ち始め、変人と言われるようになってきたのもこの頃からという。卒業後は同大学講師、教授とエリートの道を進んでいく。生涯の伴侶となる小山みちともこの頃に結婚をした。
1926年ごろからフランスのガストン・ジュリアという数学者の論文にハマり、論文が擦り切れるほど読み込んだ。このことから留学することがあれば、絶対ジュリアが教鞭をとっているフランスのソルボンヌ大学に行くと決めていた。 その願いが叶い、1929年から3年間フランスに留学する。ここで岡はソルボンヌ大学に在籍し、ジュリアに師事しながらひたすら数学を研究していく。その熱中ぶりは数学以外の雑務は一切せず、食事も一日に一回しかしてなかったほどであった。そんな中、岡はある一つの研究題材にであう。それが生涯を通して向き合うことになる「多変数函数論」であった。これはこの頃注目され始めたが、難しすぎるため誰も手に付けていない、まさに岡のためにあるような題材であった。
このフランス留学の時期には一本の論文も書いていないが、これに出会えたことが岡にとっての最大の収穫であった。 また、この頃に生涯の親友となる物理学者であり、後に世界で初めて雪を人の手で作ることに成功する中谷宇吉郎、その弟であり考古学者である中谷治宇二郎と出会う。宇吉郎とは下宿先で筋違いの部屋を取り、毎晩のように語り合った。そして兄を頼りに単身で渡仏してきた治宇二郎とも出会う。治宇二郎とは特に仲が良く、岡は治宇二郎との出会いを「フランスでの私の最大の体験であった」と語っている。宇吉郎が研究のためベルリンへと去った後は二人はほとんど一緒にいたという。 しかし、治宇二郎は突如結核に倒れてしまい研究の中断を余儀なくされた。病身の彼を献身的に支え続けたのが岡と、フランスに合流した岡の妻のみちであった。二人は国から渡される留学費用を節約するため狭いアパートに移り、余りを治宇二郎の医療費と生活費にあてた。また、治宇二郎を一人でフランスに残すわけにはいかないと考えた岡は留学期間を延長してもらい、治宇二郎と共に帰国した。
帰国後は広島の大学に勤務する。4年を過ぎたころに岡はある事件を起こしてしまう。それは川沿いを歩いていた二人の中学生を襲い、彼らから学帽に靴、書籍を盗んだのである。この事は被害者の父兄に訴えられ岡は逮捕されてしまう。さらにこの一件が新聞に大きく報道されてしまった。医者は岡を「過度の勉強により、神経に異常をきたした」と診断する。 この頃に岡は「クザンの第二問題」という多変数函数論の非常に難しい問題を研究していた。これは現代数学の根底をなす非常に重要な分野であり、後に「岡の原理」と名付けられた。しかし、これが難しすぎたために精神を病んだというのである。実はこの事件の3か月前に治宇二郎が病により34歳の若さで死亡している。治宇二郎を失った衝撃も少なからずこれに影響していると考えられる。 この事件や精神状態により、大学を休職、後に辞職を余儀なくされ無職となった岡は、故郷の和歌山にて13年間にも及ぶ数学研究のみの生活に入る。この間、職もなかったため持っていた田畑を売り、奨学金のみで生活していた。一時期、北海道の大学で一年ばかり教職についたが、基本的には和歌山で生活した。研究が進むうちに生活は一層苦しくなり、家族五人のために土地や財産を次々に売り払い、ついに住む家もなくなり、村人の好意でやっと物置を貸してもらいそこに住んでいた。1945年の敗戦直後の食糧難の時代にはイモをつくり、イモをかじって飢えをしのぎながら、研究に取り組んだ。 この期間で岡はとある記録をつけており、それは起床した時の精神状態を「プラスの日」と「マイナスの日」に分けるというものである。プラスの日は知識欲が頭の底からどんどん湧き、身の回りのあらゆるものを考察しまくるのだが、マイナスの日は布団から起き上がることすらできず、無理に起こそうとすると激怒する。このため、岡は今でいう、躁うつ病であったと考えられている。 そんな岡を支援し続けたのが友人たちである。フランスで出会った中谷宇吉郎は、岡の精神状況が悪化したと聞けば、自分が療養に来ている静岡の温泉に岡を呼び療養させたり、「雪の結晶の研究」で得た賞金を、岡に送金し続けたりした。旧制第三高校時代の同級生であり、京大教授であった秋月康夫は岡の相談によく乗ったり、岡の世界的評価のきっかけとなった論文をフランスの学術誌に掲載させることに尽力したり、職がなかった岡のために奈良女子大学の教授に岡を推薦したりした。 これらの人たちの協力により岡は、研究に専念でき、ついに世界に名が知られることになる。
世界に研究が認められたことにより、岡の名は一躍有名になる。そして1960年には文化の発展や向上にめざましい功績を挙げた者にのみ授与される、最高の栄典である文化勲章を受章する(同年の受賞者は作家の吉川英治など)。なお、これだけでなく業績が認められた後の岡は、様々な勲章を受け取っている。 その後は、職場でもあった奈良女子大がある奈良に移住し、日本人の心についての哲学書や随筆を著したりしながら、数学の研究をし続けた。 1978年3月1日に奈良で死去。享年76歳。妻のみちも後を追うように三ヶ月後に死去している。
【本書概要】
「情緒の中心がそこなわれると、人の心は腐敗する。社会も文化もあっという間にとめどもなく悪くなってしまう」——数学者として世界的な難問を解き天才と呼ばれた岡潔は、一方で思想家としても多大な影響を残した。日本の文化を培ってきたのは自然に根ざした「情緒」であり、戦後急速に西欧化が進む中、その伝統と叡智が失われることに鋭い警鐘を鳴らす。本質をみつめる精神の根底を語る代表的名著。
【感想】
「人の中心は情緒である」
上記は本書“はしがき“の冒頭の一文である。本書を読んでいると、「情緒が大切」ということが、それこそ何度も出てくる。著者の岡潔氏は本気で、「人間が生きていく上で、最も大切なことは情緒である」と、信じきっているのが伝わってくる。そもそも「情緒」って、感情とイコールなんだっけと、ふと思った。
岡氏は決して感情とは書かずに、情緒と書いている。認識が間違っていたら、まずいなと思いwebで調べてみた。webの辞書には、「事に触れて起こるさまざまの微妙な感情。また、その感情を起こさせる特殊な雰囲気」とある。大筋では合っているが、少し違う。微妙な感情と、感情を想起させる雰囲気か…。なるほど、僕が感じた感情との違いは、もちろん感情は大事だけれども、その感情が動く為のきっかけになるトリガーが、大切なんだと僕は感じた。
人と人とのコミュニケーションでも、相手がいま、どう感じているかや、相手の気持ちに寄り添うことなど、コミュニケーション本などを読むと、どの本にでも書いている。大多数の人が分かっていることであるから、恐らく普段のコミュニケーションにおいて、「これぐらいは配慮してくれるだろう」とか、「これぐらいはしてくれるだろう」という期待は、大抵の人がしているのではないだろうか?そこで自分が行った行動が、相手の期待する範囲内であれば、多分相手の心(感情)は動かない。だから相手の心を動かすのが、難しいのだろうなと思った。
じゃあ逆に、相手の感情を揺さぶれるほどの行動ってどんな行動かを考えた時に、岡潔氏が祖父から受け継いだ言葉が、ようやく胸に染み渡った。その言葉は「人を先にして、自分を後にせよ」だ。この言葉って、「ただ謙虚に生きよう」って、軽い言葉ではなかった。実は「人間の建設」にも、この祖父の言葉は書いていた。よく考えれば、このことを徹底的に実施していた行動を、岡潔氏の人物紹介のエピソードの中に、僕自身が書いていた。
フランス留学時に中谷治宇二郎氏が結核に犯された時に、自分や奥さんの住まいを狭いアパートに移し、お金を浮かした。その浮いたお金で留学期間を1年延長し、自分や妻のことなど完全に後回しにして、献身的に看病するなど、なかなか普通の人には出来ないと思う。それを岡潔氏が出来たのは、幼い時に祖父から口酸っぱく言われた、「自分のことは後回しにして、人のことを先にしろ」という格言を、徹底して実直に実行し続けたからなんだろう。
実際その際に中谷氏のために尽くしたことによって、その後、自分が人生で最もピンチになった時に、その兄である中谷宇吉郎氏に、長年に渡り金銭的援助をしてもらえたことにより、最大のピンチを乗り越えている。それは、見返りを期待して実施した打算的善行ではなく、心からの尽力であることが、お兄さんに伝わったからであろう。それが岡潔氏が「人間の建設」でも、本書「春宵十話」でも、再三にわたって伝えていた「情緒を大切に」(思いやりを大切に)ということなんだなと実感した。
そういえば、僕が今までで最も感銘を受けたビジネス書(コミュニケーション本)が、デール・カーネギーの「人を動かす」だ。その本に載っているエピソードで、特に好きなエピソードがある。それは、アンドリュー・カーネギー(鉄鋼王)のエピソードだ。かなり有名な話なのでご存知の方も多いと思うが、アンドリューが自分の墓石に刻んだ言葉が、「おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男、ここに眠る」だ。自分が死んだ後までも、自分のために働いてくれた人を持ち上げるなんて、人を褒めることに心底徹底しているなぁと、恐れ入ったことを思い出した。
まさか。もしかしてと思い、webで調べるとあった。墓石ではないが、生まれ故郷の紀見峠に岡潔氏を称えた顕彰碑に、かなり大きく彫られている。「人を先にして、自分を後にせよ」と。それを見つけたとき、心底痺れた。
【雑感】
次は予定通り、三木清氏の「人生論ノート」を読みます。この本はだいぶ期間が空いてしまいましたが、以前読んだ本、「行く先はいつも名著が教えてくれる」で、名著として紹介していた本です。哲学者としてもハイデカーに師事していたとのこと。初読みの著者だが、期待して読みます。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「近頃のこの国のありさまがひどく心配」と憂う高名な数学者のエッセイ。「頭で学問をするものだという一般の観念に対して、私は本当は情緒が中心になっているといいたい。」と、学校教育のあり方について持論を述べる。
1960年前後の文章で古くさい箇所も多いが、その指摘は今の酷い学校教育の状況にも当てはまる内容で、こうしてみると教育問題って本当に根深いなと思わされる。著者が60年後の現在の状況を見たら何て言うのかな。
#岡潔 #春宵十話 #角川ソフィア文庫 #読書 #読書記録 #読書記録2022
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表題作の春宵十話には、数学者・岡潔の人生が語られている。そこには一般的なイメージでしか数学を知らない私には驚くようなことがたくさん書いてあった。
なによりもまず、人の中心には情緒がある、数学を成立させているのもこの情緒である、というのが岡さんの主張である。「芸術の目標は美の中における調和、数学の目標は真の中における調和」といった表現もあった。私個人の言い方になってしまうが、数学というのが人間の生の営みからすればごく限定された自意識の中でやるものと思っていたけれど、この本を読むと、それは人間の知られざる領域までを駆使した肉体的・総合的な営みであり、どこか自然の中に投げ出されているようですらあった。そこには風が吹き、すべてのものとつながるような清々しさがあった。
後半のエッセイには、最近の世の中や人の心はどんどん悪くなっていて、それが心配である、ということがたくさん書かれている。その心情を汲むことには努めたいが、あれもこれも悪くなっている、という見方をすることには賛成できなかった。孔子さまの時代から続くこの観察には、必ずしも客観的とは言えない観察者の視点の問題も含まれていると思うからだ。 -
約50年前に書かれた書物であるが、内容は今でも全く色あせていない。
「人の心には情緒がある」
著者は、日本文化の特性がこの情緒を土台に組み立てられていることや、それがいかに美しい情緒を生み出してきたかを、様々な側面から論じている。
また、戦後の新教育制度の中で、いかにこの情緒的中心が教育の現場から排除されてしまっているか、それによっていかいに子どもたちの創造性が阻害されたかを示して、警笛を鳴らした。
P200 -
アバタロー氏
しゅんしょう じゅうわ
1963年出版
どんな学問でもその中心にあるのは情緒であると説いた天才数学者による人間論
新聞に連載していたもの
《感想》
親友の病死が原因で精神異常になり、中学生の書籍や自転車等を盗み警察沙汰になった
事件の経緯はわかってないそうだが、未成年を襲うとは許しがたい事件だ
そんな背景があると、たとえ素晴らしい功績だったとしても、正直、色眼鏡で見てしまう
晩年思想家として心の研究をした
事件から27年後にこの本を出版
だから情緒が大事と言いたいのだろうかな
《内容》
○成長は遅い方がよい
知識不足、じっくり人間性を育てていく
○人間の頭を作るもの
情緒(人の心)こそ中心だ
直感を鍛え善行を繰り返す
○道徳的センスを身につける
道義とは悲しみがわかること
美しい話を聞かせ情操を養い、人として正しいことを見極めるセンスを育てていかなければならない -
1901年生まれの著名な数学者・大学の先生のミニコラム集。岡さんの経験した青少年期は今と違って自然との触れあいが多かったのだろうなと感じられ、情緒の調和(安定)の大切さに気付かれたのかもしれないですね。スマホやパソコン漬けで、切れがちの人が増えてきている今こそ、学びが多いと感じました。数学・算数の上達論のヒントも面白かったです。
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幼い人が書いたのかと思うくらい簡明で純朴な文章に驚かされる。人柄が文章に表れすぎている。溢れ出す人柄を、文章という形式が抑えきれていない。情緒とは自明を自明と見る働きであるそうだ。全く思いもよらぬ定義であった。しかし、そんなわけあるかといくつか情緒をその観点から考え直してみると、まったく当てはまっているようにも思える。天才の発想としか思えない。
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シブい(随筆)
かかった時間 不明
数学者(かなりすごいらしい)岡潔の随筆。新聞に連載されたもの? プラスアルファ?
内容の半分くらいは、非常に前時代的で、頭の固いおじいさんの説教。曰く、日本から情緖が失われている、だとか、女性の顔がキツくなっている、だとか、今の教育は間違っている、だとか。
残りの半分くらいには、数学者(かなりすごいらしい)としての自分を作っているのは何か、数学とはどのような学問か、自分の場合に学問的ひらめきはどのように訪れたか、が綴られており、個人的にはこの部分がめちゃくちゃおもしろい。特にこの人の場合? 他の人も? 数学的インスピレーションが文学や芸術に支えられているようで、文学論や芸術論なんかにも筆が進んでいる。
そして、頭の固いおじいさんパート(顔はともかく、情緒と教育)も、数学者パートと併せて受けとれば、前時代的ではあるけれど、説得力がある。
たしかにな、と思う。
いずれにしろ、数学者パート(生い立ち、ひらめきかた、芸術を含む)がおそらく唯一無二でとてもよい。
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読み終え、まず思ったことは、岡先生が今生きておられたら国の行く末に絶望するほかないだろう、ということでした。
本書で明かされる岡先生の案じた日本の教育の乱れや西洋化一辺倒でアイデンティティを失いつつある日本人の在り方。数十年の時を経てその通りになっている部分もありつつ、加えて、近年ではAIの普及も手伝って情緒を排したとて正解にたどり着ける選択肢が増え、成果を効率的に得るビジネスハックが隆盛していますが、岡先生はまさにこのような観念的な世相こそ危惧しておられたのではないでしょうか。
そういった国を憂う考えが展開される中、教育を扱ったトピックが非常に多く、岡先生は教育に日本再生の望みを託されていたのだと思います。特に「情緒」「情操」「道義」は本書でも重ねて使用される最も重要なキーワードだと思います。
教育への言及の中でも秀逸なのが、本書の中盤にある「道義教育の根本は悲しみがわかるということで、幼い子供には悲しみの感情が最も教えにくい。だから、小学校に入るまでは人が喜ぶからこうしなさいと教えられても、人が悲しむからこうしてはいけないとは教えられない。」(意訳)という考察でした。これは現代社会にも通ずる鋭い考察だと思います。
何事にも情緒が中心にあって学びや教育があるという岡先生のシンプルな考え方を以って現代を捉えた時、まさしく情操/道義教育をなしに悪趣味な刺激や動物的な教育に子ども達が晒された結果が、今現在の半狂乱の世相に繋がっているのではないか、と考えると裏付けがないのに妙に納得がいってしまうのは不思議なものです。
本書では一部、かなり偏った主観的な意見、データに基づかない意見も多々あり、現代の感覚では受け入れられない言葉遣いも見受けられます。しかし、それでも読者を立ち止まらせ考えさせてくれるような力を本書は大いに秘めていて、日本人とは何か知る上で今こそ読む価値のある書籍だと思いました。