- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784044094652
作品紹介・あらすじ
「生命というのは、ひっきょうメロディーにほかならない。日本ふうにいえば“しらべ”なのである」――世界に名を馳せた天才数学者にして、稀有な思想家でもあった岡潔。科学、芸術、教育、文化論など、多岐にわたるテーマで展開する論考は、ユニークかつ本質に迫るひらめきに満ちている。生命とは何か、自己とは何か、そして情緒とは何か。縦横無尽な思考の豊かさを余すところなく堪能できる、幻の名著。解説・茂木健一郎
感想・レビュー・書評
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最近生まれた初孫と同じ誕生日の著名人を調べていたら岡潔の名前が出てきた。十数年前に「春宵十話」を読んだがあまりピンとこなくて古本屋に手放してしまったが、今回改めて本書と春宵十話を購入した。
岡潔は大数学者として有名だが、数学に没頭している状態と禅の世界の本質は同じという。自我を抑止して大自然の無差別知の働くに任せること。小我(無明)を離れて大我に生きること。無差別知の情的内容は心の悦び、知的内容は純数直観、真我の心は慈悲心だという。
本書における氏の言葉は、直観に導かれ体験に裏付けられているので、自由で確信に満ちながら教条的でなく詩的である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
数学者であり、教育者であり、思想家であった岡潔。戦後の日本の世相にふれるなかで感じた憂いとは、これからの日本の進む道とは。
岡潔の遺した言葉は、力強くかつ自由である。その文章を読むたびに、頭で理解することより、心で感じることを求められているような気がする。 -
昨今の日本は自己本位的な生活をしすぎている。仏教では自我本能を抑えた真我というものがあり、真我は無差別智のようなもので、無意識の状態で働いている。無差別智は、自他の区別がなく、物事について体得する。
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偉大なる研究者は偉大なる教育者であり,偉大なる日本人である.我々はいつ日本人であることを忘れてしまったのだろうか.日本文化と欧米文化の違いは,馥郁さなのだ,と気付かされる.本エッセィ集を復刊して頂いたことに感謝せずにはいられない.
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この度、角川ソフィア文庫から『春宵十話』と『春風夏雨』が同時に出版されたと聞いて、すぐに手に取った。
岡潔の著作と出会ってまだ日が浅いなりに、この人の文章は本当に味読しなくてはならない気持ちになる。
偉大なる数学者が、「ひと」というものを語る時、なんとその愛情豊かなことか。
小我=無明に囚われてはいけない、と繰り返し岡潔は説く。
心が在って、自然が有る。
けれど、ともすれば我々は無明に感けてしまう。それほどに、人間の持つ欲の力は強大で魅惑的なのである。
岡潔が数学と向き合う、その様を、恐らく私は一生経験することがないのではないか、と感じている。
けれど、持つべき心構えを知るということは、日々の中でなにか大切なことでもある。
上手く言葉にできないことを、岡潔は丁寧に言葉にしてくれる。その思いの熱さに触れるひとが、増えるといいと思う。
「すべて文化と呼ばれるものには、ある程度無明が働いている。それは人類の進化の現状ではある程度肯定しなければならないものらしい。仏教の人たちがすすめているような、生死に無関係な所に文化を開くというほどには人は進歩していない。」
寺田寅彦や中谷宇吉郎も登場するのだが、決して別世界を見つめる人たちではないのだ。
同じ場所にいながら、そして一見情緒とは縁遠いように感じられる学問が、実はこころに繋がっている時、なんだかいつも感動させられる。 -
1901年生まれの数学者、岡潔のエッセイ集。
発売当時はなかなかの切り口舌鋒と捉えられたのではなかろうか。
昔の人らしく、教養にあふれた文章。
でも私には、寝ながらきいて寝落ちするくらいがちょうどよい。
ファンの人、ごめんなさい。 -
岡潔の言う「情緒」に自分も触れてみたい。岡潔の言う情操教育に明らかに失敗した例であるが、可能だろうか。
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タイトルは「しゅんぷうかう」と読む。はしがきの末尾には「このまま推移すれば、60年後の日本はどうなるだろうと思うと慄然とならざるを得ません」との有名な一言がある。我々は7年後にその60年後を迎える。多分新しい戦争が起こり、その戦争は終わっていることだろう。
https://sessendo.blogspot.com/2018/10/blog-post_3.html -
岡潔は1901年生まれ。
国を優先して個人を後にする文化が戦前はあったものの、戦後時が経つにつれ、日本は個人主義の色を強めるようになる。
そんな日本に対して、警鐘を鳴らした1冊。彼に今の日本はどう見えているだろう。
情緒、しらべ。 -
難しい。岡潔の脳についていけないところがある。時々現れる古い歌や句にほっとする。現代の社会や教育を岡潔は何というのだろう。