どの教科書にも書かれていない 日本人のための世界史

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著者 : 宮脇淳子
  • KADOKAWA (2017年2月24日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784046018991

作品紹介

「世界史」が今、学び直しの対象としてブームになっています。不透明化する世の中で歴史にヒントを見出したい、という思いが動機になっているようにも思いますが、そもそもそこで、日本人が学んでいる「世界史」とは何でしょうか?

現在の「世界史」は、戦前の西洋史と東洋史を無理やりにつなげ、そこにその他の国の歴史を無理やりに挟み込んだ代物であり、こんなものをいくら学んでも、これからの時代を生き抜く智恵を見出すことはできない、と宮脇氏は言い切ります。

それでは今、日本人が自らの血肉とすべき、ほんとうに学ぶべき世界史とはどのようなものでしょう? それこそが、ヨーロッパと中国とを一つにつなぐ、中央ユーラシア草原からみた「一つの世界史」なのです。

その主役である「モンゴル帝国」は、中国のかたちを根本から変節させ、ヨーロッパを滅亡寸前にまで追い込み、ロシア帝国の生みの親となりました。こんなことは教科書のどこを読み込んでも、絶対に書かれていません。

さらにそうした「一つの世界史」を追っていったとき、私たち日本人は、そのなかに「大日本帝国」が登場してくることに気づくでしょう。そう、そこで大日本帝国は日本史のなかではなく、世界史の主要な登場人物として、その姿を現わすのです。

そうした視点で日本人が現在のいびつな「世界史」を書き直したとき、いったい何がみえてくるのか……。誰も挑もうとしなかったその難問を、注目の歴史家が本書で鮮やかに解き明かします。


〈内容例〉
世界史という教科は戦後につくられた/「歴史」という熟語をつくったのは日本人/チンギス・ハーンは「蒼き狼の子孫」ではない/空前の繁栄を極めた「パクス・モンゴリカ」の真実/「支那」と「チャイナ」の語源はともに「秦」/「中国五千年」は、二十世紀に登場した概念/魏・呉・蜀の「三国時代」に漢族は絶滅した/モンゴル軍の先鋒となったのはイギリス人/モスクワのツァーリは「白いハーン」と呼ばれた/シベリアの語源「シビル」は「鮮卑」と同義/「満洲」を「満州」と書くのはもうやめよう/満洲人からすれば、モンゴル人はもとの主君筋/ダライ・ラマという称号を贈ったアルタン・ハーン/ウラジヴォストークの意味は「東方を支配せよ」/日露の密約が、モンゴルを南北に分裂させた/「シベリア抑留」は言葉の使い方が間違っている/朝鮮戦争で日本統治時代の遺産が焼け野原に/日本中心史観を超えて――新しい歴史の扉を開け……ほか

どの教科書にも書かれていない 日本人のための世界史の感想・レビュー・書評

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  • 世界が変化するものであり、その変化の歴史を語るものが、歴史である そう、歴史というものは、そもそも不公平なものなのです。書く材料がたくさん残っている文明は、教科書の中でたくさんの分量がもらえ、古く文字資料のない地域は、考古学の発掘成果などを使って埋める外ないのです
    またレボルーションは、もともと回転や周期という意味で、横に転がって元に戻る事を指し、その主体は人間です。ところがシナの革命は天が命を革めるのであって、主語は天です

  • 著者の言うとおり、12世紀の中央アジアから俯瞰すると、世界史の見え方が変わる。

    すべてはモンゴル帝国から始まった。
    モンゴル帝国がなければ、今の世界はない。

    ロシアと中国の膨張主義は特筆すべき。
    中国政府は清代への復古を主張するが、漢族は清朝の末裔ではないし、漢族の王朝が支那を支配した時期は長くない。

  • そもそも「歴史」とは何ぞや、から語られています。

  • 世界史は今から遥か昔になりますが高校2年生の時に勉強しました、と言っても年に5回あった定期試験の直前に教科書を丸暗記して臨んでいたので、試験終了後にすべて忘れてしまっています。

    そんな私ですが、歳と重ねるにつれて日本史だけでなく、世界史、それも近代にいたるまでの欧州以外の歴史にも興味を持つようになりました。アンテナを張っていると目に飛び込む様になるのでしょうか、この本をネットで見つけました。

    今までとは異なった視点で世界史を見直すことができる本です。そのポイントは、歴史から意図的に消された「2つの帝国:モンゴル帝国と大日本帝国」というのがこの本の著者の宮脇女史は述べています。大日本帝国が活躍できたのは、モンゴル帝国に比べれば短期間なのは残念ですが、この2つの帝国がアジア・欧州に与えた影響は大きいようです。

    特に、何もなかったかのように思われる中世におけるモンゴル帝国の位置づけは、見直されても良い様に思いました。今後、深堀していきたい分野がこの本によって明確になった記念すべき本となりました。

    以下は気になったポイントです。

    ・西洋史の根幹をなす哲学の一つは、世界は変化するものであり、その変化の歴史を語るものが歴史、一方で東洋史の場合は、天は不変であり、現実の世界の変化は重要視しない、天命によって天子が交代する、まったく真逆の考え方(p4)

    ・歴史が書かれるための条件、1)時間がまっすぐに過去から現在に流れてきているという観念、2)年月日が計測される、3)書き留める文字、4)過去の出来事の因果関係を物語る思想(p5)

    ・日本の場合、紀元前660年の神武天皇の即位は神話だが、1350年前の7世紀には、日本という国号と天皇という君主号を持っていたのが事実(p6)

    ・歪な成り立ちの上にある世界史を超克し、本当に現在の世界の真実がわかるための世界史を手に入れるには、中央ユーラシアから見た草原史観である(p8)

    ・ヒストリアイ、に書かれているのは、ギリシア人の話ではなく、大半は現在のイランを中心に成立していたペルシア帝国。当時の地中海世界を取り巻く地域の共通言語はギリシア語であったが、ペルシアの存在が大きい。ギリシアままだ都市国家レベル(p24)

    ・今の日本の世界史は、明治時代に始まった西洋史の枠組みを根本的に見直すことができていない(p38)

    ・モンゴル帝国が建国されたのは、1206年、モンゴル部族の長であったテムジンが、大集会・クリスティで最高指導者に選出されて、チンギス・ハーンと名乗ったときから(p48)

    ・モンゴル軍が世界最強であった理由として、1)勝つと分かっている戦争に参加するのは権利、2)軍隊規律に厳格、一人の十人長が百人長を兼任、他の部隊に属する兵士を自分の部隊へ収容不可能、部隊から離れたものは死刑、3)掠奪品の分配は公平、4)包囲戦、5)全員が騎馬兵で何頭もの替え馬を持ち機動力に優れていた、6)複合弓等、最先端の戦争道具を採用、7)最後の輜重軍は兵士の家族が家畜を連れて本軍を追いかける(p57)

    ・始皇帝は、それまで「国」と呼ばれていた各地の都市を皇帝直轄の「県=首都に直轄するという意味」、遠方の県を統括する「郡」を36か所置いた、郡は軍と同音で、駐屯軍を意味する(p82)

    ・焚書とは、紀元前221年に秦が統一する前の7国がすべて文字が違っていたため、秦の文字だけを残してあとの書物を焼かせた、これなくして統一は不可能であった(p83)

    ・魏呉蜀の三国時代が決着がつかず百年近くも続いたのは、生き残った漢人たたいが定まった土地に囲い込まれ、その外側には人家が絶えた土地が広がって、敵を叩きのめすほどの総力戦をする力がなかったから(p87)

    ・司馬炎が、魏から禅譲を受けて晋(西晋)を建て、黄巾の乱からおよそ百年後の280年に三国を統一するが、その20年後には八王の乱と呼ばれる内戦が起きる。これに乗じて5つの民族(鮮卑、匈奴、けつ、てい、きょう:五胡)が16国を建てた。最後には鮮卑族の建てた北魏が華北を統一、534年に北魏は東魏と西魏に分裂(p89、90)

    ・皇帝が派遣する県知事が納める行政区分は細か過ぎたので、元朝の行省は11に分けた、これが現在の中国の省の起源となる(p95)

    ・1368年に、紅巾軍の朱元璋が大都を攻めて、元朝皇帝はモンゴル高原に退却した、シナ史では元朝が滅びたことになるが、モンゴル人にとっては植民地の漢地を失っただけ(北元)、明はモンゴル高原に遠征したが、ついに支配できなかった、つまり明代は、元朝の領土の半分を継承した明朝と、元朝の後裔の遊牧民政権の南北朝であった(p98、99、156)

    ・イングランド王ジョンは、フランク王に負けて大陸の領土の大半を失ったのみならず、教皇インノケンティウス3世に破門、1215年には王の権限を制限する「マグナカルタ」を承認して翌年死去する(p104)

    ・1054年に、キリスト教世界は、教皇を首長とするローマ・カトリック教会と、ビザンツ皇帝(東ローマ皇帝)を首長とするギリシア正教の2つに完全に分裂した(p107)

    ・教会から破門された貴族にとって、破門を取り消してもらって社会に復帰する唯一の機会は、十字軍に加わること。(p118)

    ・当時の国際通貨は「銀」であったが、持ち歩くのは重いので、フビライ時代には、中統元宝交鈔・至元通行宝鈔という不換紙幣が発行された、さらなる高額紙幣である塩引も発行されている(p125)

    ・988年、ルーシのキエフ大公ウラジミール1世は東ローマ皇帝の妹と結婚してキリスト教に改宗、ギリシア正教を受け入れたが、教会の公用語はギリシア語ではなく、スラブ語を採用したので、多くの古典は翻訳されなかった。これが、ロシアと西欧文明の違いに大いに関係した(p132)

    ・清朝皇帝の直属旗は、正黄旗、鑲黄旗、正白旗の三旗で、これを上三旗と呼び、それ以外の5旗は旗王が分有していた(p169)

    ・大清帝国の公用語は、満州語・モンゴル語・漢語の3つで、1912年までの正式な記録は三種類の文字で書かれている(p174)

    ・清朝における「藩部」は、王朝の発祥の地である満州、清朝が直接統治するシナ本土以外の住民のこと、建国時は南モンゴルのみだが、北モンゴル、青海省・四川省西部を含めたチベット、新疆を含む(p178)

    ・1871年に、日本は清と平等条約である日清修好条規を締結、7世紀に国号と天皇という称号を持って以来、初めての正式な条約、1876年には日鮮修好条規(不平等条約)を結んだ(p215)

    ・遼東半島を三国干渉で返還したが、その報酬として、ロシアは旅順・大連、ドイツは膠州湾、フランスは広州湾、イギリスは、威海衛・九龍半島を99年の期限で租借した、99年の九九とは、久久と同じ音で永久にという意味があった(p217)

    ・1897年にロシア公使館から王宮に戻った朝鮮王高宗は、国号を韓と改め、皇帝を名のった、ここからが大韓帝国となる(p219)

    ・清国は1905年に、1300年間続いた科挙を廃止し、留学生を官吏に登用することに決めた、留学生が最も多かったのは日本であった(p223)

    ・満鉄の初代総裁になった後藤新平はロンドンで社債を発行して2億円を調達、合計4億円は1906年度の日本の国家予算と同額、日露戦争の臨時軍備費は17億円、関係費用あわせて20億円、英米での調達は10億円以上、これを全て完済したのは、1986年である(p225)

    ・満州国は日本の傀儡国家であったが、当時60あまりの世界の独立国のうち半数が満州国を国家承認していた、モンゴル人民共和国はソ連の第一衛星国であったが、それを承認していたのはソ連一国のみ(p233)

    ・1951年2月に大連港がソ連から中国へ返還、52年12月には中国長春鉄路も中国の単独管理となった(p251)

    ・1948年8月15日に大韓民国が建国されたが、韓国は日本から独立したのではなく、アメリカの軍事占領下から独立、国連も大韓民国を朝鮮半島唯一の合法政府として認める決議案をしている(p254)

    ・新しい世界史を作るときに注意すべきこと、1)善悪二元論を持ち込まない、2)自虐史観は歴史ではなく政治である、3)大日本帝国を日本史として扱わないという思想は日本書紀に起源がある、4)日本列島には独自の文化があったとする思想も政治的なもの(p269)

    ・大日本帝国が崩壊したとき、台湾・朝鮮半島・満州・中国・樺太・東南アジア・南洋諸島から内地に引き上げてきた日本人は、660万人であった(p275)

    2017年5月1日作成

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