本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784046519764
作品紹介・あらすじ
貧困や犯罪など深刻な問題に悩まされながらも模索を続けるアメリカ先住民を総合的に考察。伝統教育や儀式などの文化復興をてこに、民族の再生に向けて胎動しつつある先住民社会とその将来への可能性を明らかにする。
みんなの感想まとめ
アメリカ先住民の現在と未来を深く掘り下げた本作は、彼らが直面する貧困や犯罪といった厳しい現実を背景に、文化復興を通じた民族再生の可能性を描いています。各章では、部族社会の複雑な問題やアメリカ合衆国との...
感想・レビュー・書評
-
同著者の前著『アメリカ先住民の精神世界』(日本放送出版協会、1994年11月)に引き続き読了。前著が著者の出入りしていたサウスダコタ州のラコタ・スー人の歴史と社会と文化に焦点を合わせたものであったのに対し、本書はより広く、アメリカ合衆国のインディアン全体について論じた書となっている。
本書130-137頁にはアメリカ先住民が当事者として、「ネイティヴ・アメリカン」ではなく「インディアン」を用いることを好んでいる旨の記述がある。そして、その事情を反映して「ネイティヴ・アメリカン・チャーチ」というような固有名詞以外では、「インディアン」という言葉が用いられている。
本書で有り難かった点は、アメリカ・インディアンについて過去から現在、政治や社会から文化や生活状態に至るまで総論的に知ることができることである。本書の10年後に同著者編の『アメリカ先住民を知るための62章』(明石書店、2016年9月)が刊行されているが、同時期に両書を読んだところ、本書は著者が一人で書いたということもあって一貫した視点から書かれており、その分理解しやすい印象を受けた。
また、『アメリカ先住民を知るための62章』よりも悲観的な記述が目立つ印象がある。おそらく、著者がサウスダコタのスー人の保留地で見た21世紀初頭のインディアンの生活状況が、記述に反映されているためであろう。例えば、以下のような出来事である。
“ 私が主にフィールドワークをするローズバッドならびにパイン・リッジ保留地は、全米の最貧地区である。成人人口の七割から八割が失業しており、アルコール依存症、疾病率は極めて高い。彼らとともに生活すると、それらの統計数字が実態となって目の前に現れてくる。
私のように外部から来た人間は、彼らより明らかに裕福であると思われるので、始終たかりにあう。私がやってきたことをどこで聞きつけるのか、見知らぬ人が工芸品を売りつけに来たり、顔見知りがお金の無心にやって来る。初めてパイン・リッジのスーパー・マーケットにいった時遭遇したのは、酔っぱらった中年女性二人が真っ昼間、すさまじい形相で罵りあうさまであった。アルコール依存症の両親の虐待を受ける子どもの話は、保留地ではよく耳にするが、実際顔にあざを作った子どもに会ったり、近親相姦の被害者の少女に会うと、胸の塞がる思いととともに、保留地の大人に対する怒りがこみ上げてくる。
貧しさの苦情をいい募りながら、ゴミ集積場にゆくとほとんどまっさらなスニーカーやまだ着られそうな洋服、配給品の小麦粉が封も切らずに捨ててある。
モノを無駄にしない循環の思想は、いったいどこへ行ったのか、持たざるものへ与えるギヴ・アウェイの精神はなぜ実践されないのか、と疑問がうずまく。外に干した洗濯物が盗まれるのは日常茶飯事であり、友人の家では、私の滞在中、ラジカセやテレビが盗まれたこともある。日常会話の中では、保留地の有産階級にたいする誹謗や中傷がやたらと聴かれる。”
(「あとがき」より、本書265-266頁より引用)
著者は「逼塞し未来の見えない状態を描きだす結果になることが、友情を育てたラコタの人々への、裏切り」になるように感じていたため、前著から長らく次の書を書くことができなかったが、本書刊行前の数年ほどのスー人の状態の向上により、微かながら「彼らの未来を信じること」ができるようになったため、本書を書く気になった旨を述べている(266-267頁)。しかし、本書にはやはり著者が感じていた悲観が反映されているような印象を受けた。例えば、以下のような記述である。
“……一九世紀の写真から、彼らの美しく引きしまった、壮健な体軀を創造して保留地に行くと、彼らの子孫の現在の姿に驚かされるだろう。スー族保留地に限って言えば、青少年以外で肥満していない人は極めて少ない。
彼らの食習慣である肉食自体は変わらないが、バッファローが牛肉となり、それに白人が持ち込んだ砂糖と小麦が加わった。さらに保留地の家庭は、「コモディティ」と呼ばれる食糧供給を受けることができる。これは連邦政府の福祉政策の一環だが、配給される食糧は小麦、インスタント米、オートミール、マカロニ、チーズ、マーガリン、粉ミルク、缶詰の肉、マメ、野菜、果物などである。これら、鮮度の落ちる加工食品を食べて肥満した体を、彼らは自嘲的に「コモディティ・ボディ」と呼ぶ。
コモディティ・ボディには、糖尿病がつきものだ。先進諸国ではかつて「贅沢病」と呼ばれた糖尿病は、先住民社会では、「貧困病」なのである。糖尿病は、さまざまな余病を併発する病であるが、腎臓透析に至るケースが、保留地では非常に多い。そして病院へのアクセスが悪いせいもあって、ポータブル透析器がかなり普及しており、彼らの集会などに行くと、透析器を携えた人に出くわすことになる。”
(本書42-43頁より引用)
この引用部の筆致から、合衆国連邦政府への福祉依存により、生きていくことは可能だがが、さりとて決して明るいとは言えないインディアン社会のあり方への著者の悲観を私は読み取ったのである。
また、総論的な内容でありながら、書かれていないことについても気になった。例えば、同時期に読んだクリス・マクナブ/増井志津代〔監訳〕、角敦子〔訳〕『図説アメリカ先住民――戦いの歴史』(原書房、2010年12月)には、アメリカ・インディアンの戦闘文化として、倒した敵の頭皮を剝ぐ文化が、アメリカ合衆国側・白人側からインディアンの残虐行為の例として大いに喧伝された旨が記されている(マクナブ 2010年、271-272頁)が、本書にはこの「頭皮剝ぎ」については触れられていない。該博な著者がこの文化と、この文化を理由にしたインディアンへの差別意識の強化について知らないはずがないであろうし、著者の意見を是非とも記して欲しかった。頭皮剝ぎの文化は、インディアンの精神性の気高さを伝えたい著者にとっては扱いに困る習慣だったのかもしれないが、そういった文化の存在にも触れた上で、それでもなお白人のあり方が肯定できないものであることを論じることは可能だと思うし、そうすべきだったと私は思う。
また、本書を手にした直接のきっかけは、本書でも論じられているアメリカ・インディアン・ムーヴメント(AIM)の創設者、ラッセル・ミーンズが、1980年代後半に合衆国のリバタリアン党に入党して大統領候補を目指したり、党の先住民政策を起草したりしていたことを知って興味を抱いたからであった(菅野淳『米国のリバタリアニズムと「新保守主義」』志學社、2013年、第2章、および下記リンクを参照)。しかし、本書のラッセル・ミーンズに関する記述は「AIMは、一九六八年にデニス・バンクスやラッセル・ミーンズらによって、ミネアポリスで結成された」(145頁)という一文だけである。個人的には、著者にインディアンの復権をリバタリアニズムによって担おうとした時期のラッセル・ミーンズの活動についても触れて欲しかった。
ラッセル・ミーンズについてのリバタリアン党による訃報はこちら。
https://lp.org/blogs-staff-former-lp-presidential-candidate-actor-american-indian-movement-leader-russell-means-die/
以上、感じたことをつらつらと述べたが、アメリカ・インディアンを知ろうとするための最初の一冊として、本書は有益な書である。情報が少し古いのが難点だが、先述の著者による編集の『アメリカ先住民を知るための62章』とどちらか一冊だけを読むのなら、私は本書を薦める。詳細をみるコメント0件をすべて表示
この本が好きな人におすすめの本
著者プロフィール
阿部珠理の作品
本棚登録 :
感想 :
