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Amazon.co.jp ・本 (280ページ) / ISBN・EAN: 9784046532985
みんなの感想まとめ
テーマは、現代社会における自由や思いやりの重要性であり、複雑な人間関係を通じて見えてくる視点が魅力的です。読者は、自己の考えがノイズとなりながらも、作品を通じて新たな視点を得ることに挑戦しています。ま...
感想・レビュー・書評
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まだ読みかけなのだけれど、好きな視点と男性ってそういうこと警戒しなくても生きていけるよね、とかそのお話主語デカいかも、とか自分の考え方がノイズになって読めなくなってしまった。
昔は入試で鷲田清一が出てくると嬉しかったのに、読めなくなってしまってかなしかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
綻びだらけの生き方のなかにしか、思いやりというものは生まれないと思うから。思いやりがなくなったとき、人の世は崩れると思うから。
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同時期に読んだ本とけっこう内容がかぶる。
基本的には面白い論考が並んでいる印象。キャッチ―な表現たちも健在。 -
「わたしはだれか」「生きることにどのような意味があるのか」という問いもまた、「問題」ではなく「課題」なのであって、死ぬまでわたしたちはそれを問いつづけるしかない。そしてそこにこそ、人としての<わたし>というものの存在の意味があるといえる。
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う~ん、深いっ!! -
あらかじめ「穴」が塞がれたまち
そりが合わないとき
「正しい声」と「正しい体」の危うさ -
じぶんにはこれが出来ます、という技を磨き、ここは自分に任せてくださいとあてがわれた場所での責任をきちんと果たすべく準備をする。
仮にもし、自分らしさを発見できたにしても、それを自分の自分らしさと呼ぶなら、それはもう自分ではない。
はじめから一流でなかった者には、たとえ世間から成り上がりと言われようとおも、ある種のシンパシーを感じるの。出が番う者と競うために、嫌というほど区や数思いをしてきたはずである。その悔しさに共振する。 -
『おとなの背中』に続いて、タイトルがこれまたいい。
ただ、今回の内容については、むずかしいところが多くて、ちょっと読みづらかった。
でも、鷲田さんのものごとを視る視線、なんともいえないくらいに好きです。こんな文章が書けたらなぁ、と思う。 -
2014/07/25読了。
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哲学者鷲田清一の哲学エッセイ最新刊。前作の『大事なものは見えにくい』『おとなの背中』などと同様、著者が新聞や雑誌で発表したエッセイを収録したものである。短い文章で易しい言葉で書いてあるので読みやすいと思いきや、一編ずつその意味する所をきちんと理解し、自分なりの考えをまとめながら読み進めていくためには結構頭を使う。
例えば昨今「自分探し」「本当の自分」などという言葉が流行っているようだが、鷲田は「自分らしいとはどういうことかという問いかけはそもそも奇妙だ」とし、「ありのままの自分」「本来の自分」という言い回しが奇妙なのは、その問いが他者の存在を考えず、自分の中だけでの閉じた状態にあるからだと説く。「自分とはだれかある他者に対していつもその他者として存在しているものだ」とは鷲田がいくつものエッセイなどで繰り返し説いていることであるが、改めてその意味を考えさせられる。
鷲田清一の臨床哲学者としてのエッセイは、短文ながら様々なことを論じており、日常の物事を違った目線でとらえて考えなおすきっかけになる。「哲学」と身構えずに気楽に読んで欲しい。 -
読みやすい文章。関西人の感覚で書かれているのが性に合うのか、言葉の使いに感銘。京都人で、阪大の学長ということで、京都にも大阪にも愛を感じる。
エスカレーター右左のネタで、正しいものが左を通る。面白い。 -
【選書者コメント】読みやすい哲学エッセイなので、勉強の息抜きに是非
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14.05.19。
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哲学書らしく若干難解な部分もありますが、全体的には
エッセーとしては読みやすくわかりやすいと思います。
著者の本は数冊よみましたが、臨床哲学とはなんぞやと
いうことはこの本が一番表しているかと思います。
個人的に好みだということもありますが、一つ一つの
エッセーを読むことで深い想いに触れる感じがして、
また崇高な感じがしてよかったと思います。
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