角川インターネット講座 (12) 開かれる国家 境界なき時代の法と政治 (角川インターネット講座 12)
- KADOKAWA/角川学芸出版 (2015年6月24日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
- / ISBN・EAN: 9784046538925
作品紹介・あらすじ
インターネットによるグローバル化によって、「国家」を超えたつながりをもてるようになった現代。境界のない世界において、国家はどうなるのか。国と国、個人と個人、国と個人の「境界」の問題について考えていく。
感想・レビュー・書評
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寄稿でもなく、論考の収録。つまり、各著者による著作を抜粋してテーマに沿って寄せ集めたものだから、読んだ事のある内容も多い。鈴木健、伊藤穰一、西田亮介、橘玲、五野井郁雄ほか、錚々たる面々。自分には重複も多いがそれはそれで。復習半分、発見半分。
経済は全てをつなぐ。政治は境界を作る。情報技術は境界を壊し、つながりを加速する。テクノロジーの進化は、境界をいかに変容させ、その目指す形はいかようか。面白いテーマである。
インターネットの黎明期には盛んに世界市民の誕生が謳われた。しかし一向に実現しない。現代はむしろ、リバタリアンの世界とコミュニタリアンの世界が分裂したまま共存している。国境が無くなるかと期待したインターネットの存在は、政治的障壁の壁は崩せず、数少ない民間レベルの世俗的インパクトで、これと言えるのは、個人輸入などの消費行動や、最大はポルノのグローバル化のみではないか。崩れぬ壁に開いた穴から覗くのは、結局、欲望に生きるのが大衆行動であった。
知的財産と言う考え方が、その範囲を広げ続ける中で、もともとは共通の知識だったものの多くが企業の財産になりつつある。コミュニケーションのインフラがアイディアの自由な普及よりも財産の保護を目指すようになる中で、批判的なディベートの可能性は、ますます制約されつつある。本来発明は自然の中において、財産権の対象とはなり得ない。それは元来、火の発見のようなものであったはずだ。
格納した情報の蓄積をAIにより処理される時代が来ている。しかし、情報は企業固有のものとして囲い込まなければ、実業の隔壁が築けず、会社の存在意義が生産設備などの現物資本に左右されぬ以外では、保持出来なくなりそうだ。
ならば境界とは、肉体の限界、現物資本の制約であり、利害の一致する範囲で同質性を保つという指向性こそが、集団の生命線となる、という気がしている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
インターネットで繋がる世界と考えるなら境界のないひとつの国家なのであるのか?
現実には国家として考えるためには他のものと 分ける必要がある
あくまでも仮想のつながり
snsのいいね ⇒肯定表現の可視化
欲望ユートピア
ナルシスの海 -
おもしろくなかったので、半分でやめた。
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311.04||Hi
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難しすぎ
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貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784046538925