長江文明の発見―中国古代の謎に迫る (角川選書)

著者 :
制作 : 徐 朝龍 
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  • Amazon.co.jp ・本 (281ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047032903

作品紹介・あらすじ

近年、急展開する長江流域の考古学調査により、「長江文明」の存在が明らかになってきた。稲作の起源や都市文明の成立を物語る古代遺跡の発掘成果が「黄河文明」=「中国文明」という伝統的な中国文明史観を揺さぶる。幾千年もの間不当に軽視され、抹殺された大文明の実体にようやく光があたり、科学である考古学が驚異的な長江文明の姿を鮮やかに浮かび上がらせた。偏見に満ちた従来の中国文明史観に勇敢に挑む、衝撃の一書。

感想・レビュー・書評

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  • 稲作の起源は少なくとも1万2千年前の長江中流、最後の氷期が終わったのが1万年ほど前で肥沃な三日月地帯でムギの栽培が始まった頃とほぼ重なる。緯度もほぼ同じであり熱帯原産の野生稲の北限は1月の最低気温が4℃の等温線に一致し長江流域以北には広がらなかった。また華南や雲南地方では紀元前4千年の殷周の時代まで採集中心の生活が行えるほど食料が豊かであったため農耕は発生しなかった。稲の改良は時間をかけて行われ収量が増え安定するとともに人口が増え文明を生み出す社会を作り上げていく。

    中国の地形図を見ると北京を頂点に河北省、山東省、山西省、河南省、江蘇省、安徽省、浙江省、湖北省あたりが広大な平原になっている。洛陽から渤海湾に向けやや北側を流れる黄河、中央南側を流れ歴史的に華北と華南の境となる淮河、そして平原の一番南を流れる長江と水滸伝の舞台になった山東省一体の山脈を含むのが殷周以降の歴史の中心になったのが中原と呼ばれるこの大平野だ。洛陽から山一つ西にある西安を拠点にする秦の始皇帝が統一して以降中国の歴史は黄河を発端として書かれることになった。しかし、考古学調査からは太湖を中心に今の杭州、蘇州、無錫、上海から北は淮河までの広範囲に渡る良渚文明の遺跡が見つかっている。紀元前3300〜2200といえばメソポタミアのシュメールの都市文明の成立とほぼ同じ時期で黄河では龍山文化が生まれている。杭州近くの中心都市では東西670m、南北450m、高さ5〜8mという巨大な基壇が見つかり、玉器が発達し、絹や漆器、竹文化が生まれて原初の文字が見つかっている。神話時代の黄帝が漢民族の祖とされるのは史記によるものだが、その黄帝が東方九黎族の首領で牛の怪物として書かれる蚩尤と戦いこれを破った。蚩尤配下の三苗は南に逃げ後に戦国七雄の楚を起こしたという。続く伝説の夏王朝の禹は長江下流の会稽(紹興郊外)で生まれ死後大禹陵も作られた。蚩尤も禹も良渚文明の流れではないかというのが著者の推測で、古代長江文明は黄河文明に破れ取り込まれていったということになる。

    また同時期に長江中流の江漢平原(武漢から三国志の舞台荊州付近)に幅80mの環壕と南北1400m、東西1100mの盛土に囲まれた巨大都市を要する石家河文化が現れている。この集団が夏王朝に滅ぼされた後、江漢平原の南にある中国で過去最大であった雲夢沢(現在は2番目に大きい洞庭湖)付近には殷周の時代に青銅器の原料を調達するために殷王朝が進出してきていた。その証拠となるのが京都の泉屋博古館所有の饕餮食人卣(虎卣)、饕餮という怪物が大口を開け人間を食らおうとしている像だ。一方で殷周式とは明らかにスタイルの異なる青銅器が多く発掘されており、「洞庭湖一体を支配した謎の王国」という章の名にある様に殷周王朝の国家機密であったはずの青銅器製造技術は銅の産地であるこの一体に流れた様だ。しかし独立した王国になっていたかどうかは墓も見つかっていないのでわからないというのが少し歯切れの悪いところ。

    少し下流で現在中国最大の鄱陽湖一体は新石器時代には目立ったものはないが殷周時代の大量の青銅器を副葬した墓が発掘されている。これは三苗が衰退した後に南から入り込んだ越系民族の呉城文化に属するものと考えられており、殷周の文化的影響を受けながら銅資源の取引で独立性を保っていた様だ。長江の中流から下流にかけて洞庭湖、鄱陽湖、大湖という大きな湖と湿地帯、温暖な気候から生まれた稲作と南部の山岳地帯からの銅資源とこれだけ見ても強国が生まれる基礎はある。春秋時代には蘇州に都をおく呉と会稽に都をおく越との物語は臥薪嘗胆などよく知られている。呉越同舟という敵味方のイメージはあるが文化的には越文化圏の影響を受け呉越同源と言えるものらしい。剣が神聖なものとされ呉王夫差矛、越王勾践剣が今に残りその切れ味は健在だという。呉の墓からは中国最古の鉄や鋼が数多く見つかっている。越が呉を滅ぼし、その越も一旦呉に滅亡させられかけた上流の楚により滅ぼされ戦国時代には楚が青銅と鉄を基幹産業とする戦国七雄の南方の大国として栄えたが最後には秦により統一された。

    長江上流の四川盆地では独特の三星堆文化が発掘されている。紀元前2500年から都市が出来始め殷周時代には青銅器では巨大な神樹やマンガの様に目が飛び出した縦目仮面など出土量でも単体の大きさでも他の地域にはないものだ。そして同時期の中国では黄金製品の量と造形も飛び抜けていて青銅像にかぶせた黄金仮面がある。またこの本の執筆後に見つかった三星堆の後の時代になる金沙遺跡からは黄金製の太陽新鳥金箔が発掘され成都市のシンボルになっている。最初長江文明といえば三星堆のことかと思っていたがむしろこれは四川文明として別に発達したものと見ていいのかも知れない。殷周時代には四川盆地の東側重慶から長江中流の江漢平原までの山脈地帯に巴と言う国があり四川の塩を抑え勢力を伸ばした。春秋時代には強大化する楚に押され四川盆地東部に中心を移し、成都を中心に盆地西部を勢力圏とする蜀を飲み込み巴蜀として四川盆地に君臨するが後に北の秦に滅ぼされる。このころ巴蜀では漢字とは別の巴蜀文字が残っていた。図を見ると文字というよりは絵文字や記号に見える。

    黄河文明と長江文明の戦いは秦の始皇帝により決着することになった。四川盆地はその後は項羽に追いやられた漢の劉邦に与えられ力を蓄えた劉邦が項羽との決戦に勝ち漢が統一を果たした。中国の歴史が「史記」として整備されたのがこの漢の武帝のころで長江文明は敵役として姿を残すのみで中華世界に取り込まれていった。

  • 331夜

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