都市空間の怪異 (角川選書 311)

著者 :
  • KADOKAWA/角川学芸出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047033115

作品紹介・あらすじ

かつて妖怪は人里離れた闇にひそんでいた。しかし、闇が駆逐された近現代の都市空間にも怪異は存在し、妖怪は出現する。妖怪はなぜ現れ、何を人間に語ろうとしているのか。学校の怪談などのうわさ話や都市伝説からホラー小説に至るまで、メディアやマスコミの介在によって増殖した現代における怪異譚を、民俗学の立場から考察する。

感想・レビュー・書評

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  • ●:引用、→:感想

    ●小学校3年の時の体験で『小学三年生』という雑誌で花子さんの記事を読んだという。自分の学校にも花子さんがいないか、体育館とか女子トイレにいるかもしれないと思い、友だちを集めて先導して実験してみた。(略)しかし、みつからなかった。もう飽きてやめた頃には、花子さんがこの学校のどこそこに出るという噂だった。高校2年生の時、学校で誰かがトイレをノックするという怪談を聞いた後、いつもと違う階のトイレを使った。すると、扉をコツコツ叩く音がするので驚いたが、すぐに扉が傷んでいることに気がついて、友だちと笑いあった。ところが、2,3日すると、そのトイレに霊が出るという噂が学校中に広まっていた。 →「超常現象の科学ー人はなぜ幽霊が見えるのか」
    ●著者は民俗学者として広く知られているが、じつは出身は日本史である。近世の民衆思想史から出発して民俗学に分け入ってきた。その知識の中核には、近世の厖大な随筆類から得た近世の江戸の町民たちの信仰生活に関する豊富な知識があり、その知識を巧みに活用しつつ、民俗的なテーマを多角的に深めてきたのである。すなわち、著者は、こうした知識を十分に手に入れたうえで、民俗学者が調査を通じて直接採集した近現代の庶民生活文化の知識を渉猟し、両者の知識を合わせながら議論を展開したのであった。彼にとっての「都市」とは、何よりもまず「近世の江戸」という「都市」であった。(略)そして本書に引きつけていえば、「妖怪」もまた「江戸の妖怪」であったのである。
    ●宮田登はいろいろと配慮して、あまり断定的な言い方をしない研究者であった。 
    ●宮田の議論の展開の仕方は、つねに類似した事例を次々に繰り出して、若干のコメントをそれぞれに付すといった程度のあいまいな考察で、はっきりとした結論を出さない。
    →「妖怪の民族」、本書を読んで、分かったような分からないような印象を受けた理由が分かった。
    ●このような物語構造をとる近世の都市の怪異伝承に知悉していた宮田が、現代の都市における怪異のフォークロアやホラー小説などにも関心を寄せていたのは、現代の物語もまた、表面的には現代的な装いをとっているが、その基本構造は近世のそれとあまり変わっていないという思いがあったからである。たとえば、宮田はアメリカ映画の『ポルターガイスト』や鈴木光司の小説『リング』を面白がっていた。これは、そこに近世的怪異・妖怪現象と通底するものを見いだしていたからである。なるほど、たしかに、たとえば『リング』などは、近世の「皿屋敷」や「池袋の女」の現代版とみることも可能である。

  • 記録だけ  



    2009年度 12冊目  



       『都市空間の怪異』



      

     宮田 登 著

     株 角川書店

     角川選書 311

     平成1311月30日

     212ページ 1300円



    『都市空間の怪異』を楽しむ。

     いつもより角張った文章だと思っていたが、著者が亡くなられてから企画書やメモなどを元に、本書をまとめられたとのこと。

     なるほど。



     内容は面白かった。

     辻占いは、現在の堺市が初めらしい。

     安倍晴明が摂津の国と和泉の国の境の辻で占いを始めたのは最初とのこと。

     それにしても 安倍晴明はあちこちに足跡を残して織るなぁと、感心する。



     宮田登氏や本多勝一氏に度々出てくる『エンガチョ』と出てくる言葉は、私の時代或いは故郷では『ベンショ、ベンショウ。鍵 のんだ』だったな。

     懐かしいな。



     祟りという言葉は、タツから来ているそうだ。

     感じに書くと、なるほど「立」に「示す」

     日本人はこの祟りにはきわめて執着が深いそうだ。

     祟りや執着といえば 私の場合はすぐに『鉄輪』を思い浮かべてしまうな(笑み)

     世の男性諸君、女性を敵に回すのは、それ相応の覚悟を。

     思いの外 怖いですぞ〜、なんちゃって。(笑み)

  • 正直に言って、宮田登という人がいなくなってしまったことが私は悲しい。最後まで未完な人だった。最後の最後の本となるのがこの本。まあ、そこに深い意味はないのだけれど。
    彼のフォルクロアに対する深い関心には感動するし、その広い知識も素晴らしい。しかし、彼には後20年欲しかった。そう思う。
    この本は彼の本の中でも相当に仕上がりがいい本だと思う。それは本人の意図を通す努力が最後に行なわれているからだ。本当に些細なことにまで興味を感じてしまう彼はいつも主張が薄れてしまうような文章を作ってしまう。そこが毎度難点だった。この本はそこが少し救われている。それは彼の深い友であった小松和彦さんの力が作用しているように思う。小松さんは主張のゆるがない文章をもって同じフォルクロアの世界を描いている。今回、本の末尾に小松和彦による文章が加えられている。これが世界をきちんと提示してくれているのが何よりもこの2人の関係を判らせてくれる。
    確かに主張がきっちり描けないのは欠点である。でも、それを含めて私は宮田登という人の文章が好きだった。
    どこまでも持ち上げられている柳田邦男の世代の陰にありつつ、深い仕事をしてきた人だと思う。

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著者プロフィール

宮田 登(みやた・のぼる):1936?2000年。神奈川県生まれ。東京教育大学文学部卒業。同大学大学院修了。筑波大学教授、神奈川大学教授を務める。著書として『ミロク信仰の研究』『都市民俗論の課題』『江戸のはやり神』『妖怪の民俗学』『ケガレの民俗誌』『はじめての民俗学』など多数。その関心は民俗学から日本史学、人類学等、周辺諸学におよび、研究の成果は国内外で評価された。

「2023年 『霊魂の民俗学 日本人の霊的世界』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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