お家相続 大名家の苦闘 (角川選書 368)

著者 :
  • KADOKAWA/角川学芸出版
3.90
  • (3)
  • (3)
  • (4)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 22
感想 : 6
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047033689

作品紹介・あらすじ

江戸時代の大名にとって、後継者の確保はお家の存続にかかわる重大事であった。幕府に対する無届(公辺内分)や年齢詐称、当主や嫡子の入れ替えなど、公的な表の史料からは決して窺えないお家相続の実態と、その実情を承知しながら黙認した幕府と大名家との関係を改めて問い直す。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 読んだ本 お家相続 大名家の苦闘 大森映子 20230722

     これは、小説の題材として読んだものです。
     江戸時代の大名の相続は難しい問題を抱えていて、そもそも江戸幕府の初期(~家光まで)は、安定政権を築くために外様大名に対する改易を繰り返してました。とはいえ、平和な時代が三百年弱続くんですから、すべて否定するわけにはいかないんですが。
     その改易の理由として後継ぎがいないというのが、無嗣断絶として、全体の半分くらいはこれに当たっていたというもの。
    ①後継ぎをあらかじめ届け出てなければいけない
    ②養子を定めて届け出てもいい
    ③でも、実子に継がせたい(まだ生まれていなくても)
    ④死の間際や死後の養子届は認められない
    ⑤時代的に大名も後継ぎ候補も簡単に死んでしまう
    ってなことで、家を存続させるのって本当に難しかったようです。
     家光の後、家綱以降は大分緩くなったみたいですが、決まりごとは生きていて、幕府に大名の死を隠して一生懸命養子縁組を画策したりする。その事例がこの本では紹介されてるんですが、結構滑稽だったりするし、打算的だったりもするし、興味深い内容でした。

    #お家相続 #大名家の苦闘 #大森映子

  • 江戸時代の大名家のお家の存続は文字通りの一大事だった。一つ間違えるとお家取り潰しの可能性もある。急な当主の死は死亡日を誤魔化して末期養子の手続きをするのは当然。当主が17歳未満の場合は養子が認められないため、年齢を詐称したり、他の子供と入れ替えたり、血縁に適当な男子がいなければ京都の公家の中からこっそり探したり。5歳の姫
    の婿養子をさがしていたら、39歳の部屋住みの当主の弟を養子にもらって欲しいという話になり、それまで存在が知られていなかった他の娘の婿養子にということでまとまったり。一つ一つの実例が面白い。ただ、20歳前後まで成長した大名家の子息たちの死亡率の高さに驚かされる。育ちの良さ故に栄養状態などは悪くなかっただろうから、女性が使っていた白粉の水銀が原因なのだろうか。

  • 面白かった。
    末期養子や真逆の立場の「厄介」、華族の家の系譜が複雑怪奇なことなど、これまでいろいろな本から拾った豆知識がどんどん繋がっていく快感があった。何事も因があればこそ果に至るのだなあと思った。
    著者はもともとある大名家(池田家)が専門で、その過程で知った相続事例をまとめておりサンプルは偏りがちだが、それはいたしかたのないところだろう。それよりも、本業の途中でふと気になった事象に意味を見出し…という展開が正しく知的で、こういう動機の上に成り立つ本もいいなと思った。

    2018/6/5〜6/7読了

  • 江戸時代の大名にとって、後継者の確保は家の存続にかかわる重大事であった。幕府に対する無届け(公辺内分)や年齢詐称、当主や嫡子の入れ替えなど、公的な表の史料からは決して窺えないお家相続の実態と、その実情を承知しながら黙認した幕府と大名家との関係を改めて問い直す。(2004年刊)
    ・はじめに
    ・第一章 江戸幕府の相続規定
    ・第二章 「公辺内分」の相続
    ・第三章 養子をめぐる大名家の諸相
    ・むすびにかえて

    通説では、江戸幕府は虎視眈々と諸大名を撮り潰す機会を狙っていたとされる。
    著者は、江戸初期には、改易政策は大名統制の一環として幕府権力を確立させるため重要な手段として機能していたとするが、やがて、地域権力としての大名支配の安定化が、幕藩制的な秩序を維持する上で、幕府にとっても重要であったとする。
    慶安四年(1641年)に、末期養子の禁が緩和されたが、当主が五十歳以上、あるいは十七歳未満の場合、養子を迎えることが認められない場合があったという。もし、十七歳未満で当主が死亡した場合、存続の如何は将軍の思召次第となるが、減封、転封されるケースが多い。

    このため、一刻も早く十七歳を迎えることが望まれ、年齢が操作されることとなる。(出生直後の出生届ではなく、ある程度、成長した上で、丈夫届を出す方法が取られた。)
    では、十七歳未満で死亡した場合はどうするのか。幕府へ無届けの相続「公辺内分」により、相続されることとなる。「公辺内分」とは、幕府に内緒という意味であり、内々で亡くなった当主の身代わりを立てるという手段がとられた。
    本書では、池田家(岡山・生坂・鴨方)、竹中家、相良家の例を紹介しているが、他にも稲葉家、宗家、森家、南部家、立花家などで事例があるという。

    また、宇和島伊達家と青木家の養子をめぐる駆け引きが面白い。摂津麻田1万石の青木家は、後継者が急死したことから、養子を迎える必要が生じた。血筋を重視する青木家は、五歳の娘と娶せる事を考え、養子を探すこととし、伊達家と交渉することとなる。
    交渉にあたって問題となったのは、年齢と持参金であったが、持参金が折り合わない(伊達家側3000両、青木家側3500両)。そんな中、伊達家側は当主の弟伊織(三十七歳)の話を持ち出し、伊織であれば5000両まで出すとした。紆余曲折するが、青木家側は、妾腹で家老の娘としていた十八歳の娘と娶せることとし、台所料400石を伊達家が負担することで決着をつけたという。

    なぜ、十七歳という年齢が重視されたのだろうか。著者は、封建的主従関係に基づく問題を視野に入れて見るべきだとする。そもそも相続とは、奉公を前提として将軍が認めてきたものであり、一人前と認められる前に死亡した場合には、奉公に対する御恩も認められなかったとする。主従関係の根幹に関わる問題と言える。

    本書は、江戸時代を知る上で必読の1冊といえ、オススメである。

  •  時代劇に興味がありながら、江戸時代のしきたりや決まり事をしらなかったので興味を持って読み始めました。

     大名がどうしてそんなにお世継ぎに必死になっていたのかもよく分かりました。御家取り潰しなんて徳川にたてついたり、反社会的な行為が行われたときくらいかと思ってました。幕府から認めらた正当な跡継ぎがいなければ御家取り潰しとなる訳ですから、必死になって正当性を保とうとする訳です。
     遠い親戚を養子にするのは当たり前。年齢詐称、出生詐称更には人そのものの入れ替え。大名や家老の悩みどころだったようです。

     幕府側もある程度の事は容認していた節もあり、最後まで面白く読む事ができました。

全6件中 1 - 6件を表示

大森映子の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×