「待つ」ということ (角川選書 396)

著者 :
  • KADOKAWA/角川学芸出版
3.56
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本棚登録 : 1695
感想 : 101
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047033962

作品紹介・あらすじ

現代は、待たなくてよい社会、待つことができない社会になった。私たちは、意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性をなくしはじめた。偶然を待つ、自分を超えたものにつきしたがう、未来というものの訪れを待ちうけるなど、「待つ」という行為や感覚からの認識を、臨床哲学の視点から考察する。

感想・レビュー・書評

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  • 〈待つ〉ということについて一冊丸々考察する本。

    「待ち遠しくて、待ちかまて、待ち伏せて、待ちあぐねて、とうとう待ちぼうけ。待ちこがれ、待ちわびて、待ちかね、待ちきれなくて、待ちくたびれ、待ち明かして、ついに待ちぼうけ。待てど暮らせど、待ち人来たらず…」

    〈待つ〉にまつわる語彙の多さにまず目を奪われ、多くの人が、待つことのじりじりとした悲痛さに身を焦がしてきたんだなということに思いを馳せる。

    論の進め方が哲学的でよく理解しきれない部分も正直あったけど、ますます便利になり〈待つ〉ことの省略が進む現代において、改めて待つこと・自分の意のままにならないものの前に自我を捨てて開けた姿勢を保つこと・つまり謙虚であること、についてじっくり考えることができてよかった。

    途中色々な挿話が挟まれるのも興味深く、例えば認知症の人へのケアに関する話もよかった。祖母も認知症だったので、問題行動と書かれている内容には身に覚えがあり、その構造がわかってよかった。
    相手をゆとりなき正論で追い詰めるのではなく緩やかにしのぐパッシングケアや、「なにげない小さないとなみの重なりが、ふと恩寵のようにたぐり寄せる」パッチングケア(場のケア)の概念が紹介されていて、特に相手が追い詰められているときに真正面から正攻法で攻めない、というのはとても重要だな、と勉強になった。

  • 待つということに関して様々な視点から鷲田清一の考えがまとめられている。

    最初の導入から社会的な待つということに関することかと思ったが日常や私たちの生活、ケアに関する所まで述べられている。

    私も仕事柄待つということが多くある。人が急に変わることはないし、変えることはできない。ただひたすらに自分ができることをして相手が変わるのを待つしかないのである。
    これに対する自分の気持ちのあり方について考えることができた。

  • 「待つ」ということを、ずっと無意識にしてきたつもりだった。
    待ち遠しくて、待ちかまえ、待ち伏せて、待ちあぐね、とうとう待ちぼうけ。待ちこがれ、待ちわびて、待ちかね、待ちきれなくて、待ちくたびれ、待ち明かして、ついに待ちぼうけ。
    「待つ」ということがこんなにも複雑に枝分かれした行為だったなんて、深く考えたことがなかった。
    恋にも祈りにも介護にも、そして死の訪れにも。
    「待つ」ことは、希望を棄てたあとの希望の最後のかけらである。聴くということも「待つ」ということであり、それは言葉が不意にしたたり落ちるのを、ひたすら待つこと。解決できない問題は、結果を迎えにいくのではなく、流れる時間を信じて待ち続ける……
    「待つ」って難しいことなんだ。

  • 【3月24日付編集日記】あす聖火リレー:編集日記:福島民友新聞社 みんゆうNet
    https://www.minyu-net.com/shasetsu/nikki/FM20210324-597677.php

    「待つ」ということ 鷲田 清一:一般書 | KADOKAWA
    https://www.kadokawa.co.jp/product/200501000007/

  • ☆二つは正しくないのかもしれない。ただ、私に合わなかっただけ、ということなのだと思う。
    約7年ほど前、太宰治「待つ」について書かれた本、太宰に関わる参考として読んだ。この「待つ」に関わる部分は面白く読んだのだが、それ以降、数ページを読んだところで、ページを繰ることができなくなり、読みかけで積読となった。
    今回、積読の中から読み返そうと決心し、ついに読み終えた。「ついに」という感じが残った。やはり「待つ」太宰治に関わるところは面白い。それから、巻末に近く「ゴドーを待ちながら」に関わってくると幾分面白さが分かるような気がした。しかしながら、福祉に関連するところ、医療に関連するところ、「夜と霧」……、そういうところが難しい。難しいなあと思いながら、何度か繰り返し読むと解ってくる。
    つまり、一つには、筆者の使う言い換えが心に入ってこないのだろう。この部分は前述のあの部分を言い換えたところだとか、この部分は前述の部分の比喩だとか、その表現が心に落ちてくるまでに時間がかかるのだということが分かった。
    もう一つは、「『待つ』ということ」に対して多角的に切り込んでくるのだが、その多角的に切り込んだ切片をさらに多角的に切り込むので、ついていくのに疲れている自分に気が付いた。
    ほどなく自分自身の生活の中に医療とか福祉とか介護とか、そういう実体験が食い込んでくるのだろう。そうしたときに読み返したなら、今、心に落ちて心に落ちてこない部分もすとんと落ちるのかもしれない。
    再読の挑戦を思いながら、今回はひとまず読み終えた。

  • 前書き、後書きあたりは端的でわかりやすく、共感できる。
    しかし、本文が難解、というか、伝えようというより、自分が納得いくように書こうとしすぎているように感じた。
    言葉を独自に定義していて、指示関係を丁寧に見ないと何を言っているか分からなくなる。
    現国の試験問題をやっている気分。
    ちょっと読み続けられなくて、途中まで読んで、断念。
    残念。

  • 待つのが苦手、というか待てるけどすぐにイライラしちゃう性格で(自覚あり)、おだやかに待てる人になれるヒントを求めて読んでみた。
    時の流れとか、待つの対象だどかガチ考察(臨床哲学)に触れてみて、少しだけ冷静に待つことができるようになった気がする。
    「待つ」って、もはや人生のテーマ。

    p.14~15 香月泰男のシベリア抑留中の随想の文章があって、テンション上がった。
         p.41には、武蔵と小次郎の引用があって、山口県民ちょっと嬉しい。  

    p.16 「忘れていいことと、忘れたらあかんことと、ほいから忘れなあかんこと」映画『沙羅双樹』より

    p.25 「いま」の幅についての考察。「いま」エモい!

    p.66~71 カウンセリングや傾聴もまた「待つ」を事とする。言葉を迎えにゆくのではない。言葉が、不意にしたたり落ちるのを、ひたすら待つのである。

  • 「待つ」ことの失敗は、本当にたくさんある気がする。その人の中の何かを結局信頼できないし、待っているその時間が煩わしいと感じるからだろう。
    閉じ続けないと不安だ。その場にも空間にも溶け込み、相互に流れるものを自由に享受できるようになるためには何が必要なのだろうか。
    何かを「待つ」ことの放棄が、真の「待つ」に繋がるとのことだった。期待と絶望の狭間で社交ダンスを躍り続けらるために必要なものとは何であろうか。

    1つ大切なのは、「論じる」のではなく、「吟じる」ことだと思う。そのマインドセットが、ここへ繋がる道となるように思う。

    「聴く」こと…の続編とのこと。読む順番逆だったな。まあいいや。

  • 自分はまさに「待つ」をしているな、という自覚をしているところだった。そんなとき、この本を読んだ。
    この本は決して、"つまり「待つ」とはこれこれこういうことである"のような解説でも、"「待つ」ことがつらかったらこういうふうに考えよう"のようなハウツーでもない。「待つ」という行為をしているときの心情、ジリジリした焦がれややるせなさのような、ひとつのことばではどうも表せない、得体の知れない気持ち。いま私が抱えてるこれって、つまりどういう状態なの?という分からなさ。「待つ」に関するエピソードや引用を各方面から連想のように書き連ねられている。同じようなことを繰り返している部分、難解すぎる部分(噛み砕けず吐き出してしまった)部分も多々ある。が、この気持ちはなんなのか、なぜこういう行動をとらざるを得ないのか、を、必ずしも理路整然としていない言葉で意味づけしようとする姿勢、ことばを尽くそうとする姿勢に触れたことで、私が「待っていた」ものは、ことは、ひとは、ずっとここにいたな、と気づくことができた。決定的な救いや解決策を求めて読むものではない。読み進め、自分と照らし合わせ、回り道をして、ああこういうことかもしれない、と巡り、泳ぐ過程を通して、頑なで敏感なそれは少しずつ融解していった。自分ではない誰かが定義した答えを無理くり当てはめるのではなく、あくまで頼りにしながら自力でたどり着いた景色は、ずっと見てみたかったものだった。少しだけ成長した私がいた。
    読むという行為がこんなにも「癒し」だと思ったことはなかった。出会えてよかった本。

  • おそらく鷲田さんがこの本を書いた当時よりもずっと、現在は「待てない」社会になってしまった。「待つ」ことにそれほど思いを馳せる機会も少なくなってきた中、非常に興味深い内容だったと思う。

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著者プロフィール

鷲田清一(わしだ・きよかず) 1949年生まれ。哲学者。

「2020年 『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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